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江戸幕府の国防について
当時、国防と言えば、海上防衛が主体で、海軍ということになります。 私は、これまで江戸幕府は鎖国をおこなっていたから、海軍を持つ必要はなかったと考えていました。 しかし、よく考えてみると、「鎖国」は国防に何のプラスにもなりません。 それどころか、近隣諸国や海賊などとの現実的な交渉の機会を失い、結果として、「元寇の襲来」のような事態を招きかねません。 幸運にして、江戸時代、元寇襲来のような暴力的な侵攻はありませんでした。 しかし、「これは鎖国政策」というより、歴史の幸運だったと思います。 今日、鎖国論は見直しされつつありますが、 その鎖国論をもとにしても、江戸時代、現代の「海上自衛隊」に相当する組織が必要なかったとは言い切れません。 それで質問です。 質問1. 江戸時代、徳川幕府が海軍を創設するまでの間、今日の「海上自衛隊」に相当する組織はありましたか。 質問2. そのような組織があったとすれば、どのような組織でしたか。 質問3. そのような組織がなかったとすれば、現実に、国防はどうなっていたのでしょうか。外国の侵入がなかったのは、単なる歴史の幸運だったのでしょうか。 質問4. その他、なんでも関連の情報について教えてください。
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