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江戸時代、貨幣改鋳の素材について
元禄時代、幕府は貨幣を改鋳しています。 そのときの貨幣の素材の事情ですが、「鎖国までに相当量の地金(金)が輸入されていたので、改鋳用の素材としては銀貨に比べてはるかに余裕があったといえる」と、ある本に書いてあります。 「鎖国までに相当量の地金が輸入されていた」ということですが、誰が、どこから、どのくらい輸入したのでしょうか。 ご存知の方、教えてください。 よろしくお願いします。
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ご回答ありがとうございます。 よいヒントになりました。 「金銀比価」で検索してみました。 戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、国内銀産出高の増加により,銀の価値が下がり銀を輸出,金を輸入したこともあった。 鎖国するまでの一時期、相当量の金を輸入したということは間違いなさそうです。 家康が「金」を溜め込んでいたということは、武力闘争だけではなく、世界経済の動向を把握して的確な判断ができる指導者ということになりますね。 驚きです。