地名の由来としての史実と伝説

このQ&Aのポイント
  • 地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?
  • 伝説や神話はさまざまに生まれるのでしょうが、江戸時代のこういう伝説はどのようにして生まれる可能性がありうるのでしょうか?
  • 学芸員の先生にメールで照会するのがどうしてもできない場合、地名の由来に関して確認する方法は他にないでしょうか?
回答を見る
  • ベストアンサー

地名の由来としての史実と伝説

 葛飾区のある地名の由来を自治体の学芸員の方におそわりました。  しかし、あくまでも伝説です。という付記が為されていました。  地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか?  (具体的には、お花茶屋という地名は吉宗将軍がお狩りの際におなかがいたくなり、お茶屋のお花さんのお世話で助かったというのだそうですが)  これは否定はできないが確認もできないのでしょうか?    伝説や神話はさまざまに生まれるのでしょうが、江戸時代のこういう伝説はどのようにして生まれる可能性がありうるのでしょうか?    もう一度学芸員の先生にメールで照会するのがどうしてもできないものでしてどうかお願いします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#204885
noname#204885
回答No.4

>地名の由来になる伝説とはつまり史実として確認できないものであるという意味でしょうか? そうですね。明確な文献等の出典を辿れない場合や物証が無い場合は、史実として確認できないので、伝説扱いになるのかと思います。 Webで調べたところでは、下記のサイトが一番詳しかったです。 これによると、「お花茶屋」と言う名称は、京成電鉄が開通した1931年に同地に誕生した駅名がもとになっており、それが地名(町名)となったのは1964年のことだそうです。 この地に「お花茶屋」にまつわる伝説があったことは確かなようですが、将軍は家光説と吉宗説の2つがあるようです。家光説の方は、茶屋の子孫である石井家に物証(由緒書等)があったようですが、今は紛失しているとの話が残っています。もしこれらの物証が残っていたら、史実とみなされる可能性もあったかもしれませんが、そのような珍しい遺品をもとにして物語が創作されることもままあるので、なかなかこの手の話が真実であったかどうかを見定めるのは難しい。 http://books.google.co.jp/books?id=VISxQwKe6MwC&pg=PA163&lpg=PA163&dq=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B+%E5%AE%B6%E5%85%89&source=bl&ots=u-fnVhZRF8&sig=kzquFG8am-Q1WA8crtmruSQN3G4&hl=ja&ei=AsgITZOEA4WKvQPatL3hDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6&ved=0CDcQ6AEwBTgU#v=onepage&q=%E3%81%8A%E8%8A%B1%E8%8C%B6%E5%B1%8B%20%E5%AE%B6%E5%85%89&f=false なお、「将軍が鷹狩していたら腹痛を起こして~」と言うシチュエーションの伝説は他にもあり、例えば向島の長命寺には、「徳川三代将軍家光が鷹狩に来たおり腹痛をおこし、そこに住職が加持した、庭の井戸の水で薬を飲んだところ、腹痛が治り、そこで井戸の水を長命水となずけ、長命寺の寺号を与えられた」と言う伝説が残っています。 だいたい家光は鷹狩の際に命名することがよほど好きだったようで、下記のサイトを見ると、長命寺も含め、いろいろな命名の来歴が残っています。これらのうちのいくつかは真実であったのだと思いますが、家光の命名癖がある程度有名になってくると、西行の桜と同じで、「家光公御命名のなんちゃら」と言うのが後世の流行りになって各地で物語が創作されたと言うこともありそうです。 http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/index1/iemitu.html 余談ですが、この伝説をもとに杉本苑子が短編小説「菜摘ます児」を書いており、そこでは将軍は家治になっていますが、これは他に例が無いので、家治としたのは杉本さんの創作であると思われます。

krya1998
質問者

お礼

 harihorere様、有り難うございます。  期待した、いえそれ以上のご蘊蓄とご見解を頂き心より感謝申し上げます。  検索はしたのですが、駅名の由来にまでは届きませんでした。    私たちの一家が浅草からここに来たのは1945年の五月でしたから、1931年頃は・・・。  そうです、長命寺って結構ありますし、向島にはたしかにあります。北千住からそこの高校に移りましたから。  やはり学芸員の方の伝説という付言は大事でした。  人の間の伝説の創成契機も想像ができてきて、これからの見かたのためにはとても参考になります。  重ねて御礼申し上げます。

その他の回答 (3)

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

ここに書かれている「お花茶屋」だって, 「確認すべき『史実』」は ・「吉宗将軍がお狩りの際におなかがいたくなり、お茶屋のお花さんのお世話で助かった」 ・それを由来として地名となった ことの少なくとも 2つがあります. この両方が何らか (確実なのは文献資料) の形で残っていれば「史実として確認できる」といえますが, そうでなければ「確認できない」としか言えないのではありませんか? ほかにも水主町とか銅座がありますね>#2.

krya1998
質問者

お礼

 そのとおりと存じます。  有り難う御座いました。

回答No.2

こんにちは。 >>伝説や神話はさまざまに生まれるのでしょうが、江戸時代のこういう伝説はどのようにして生まれる可能性がありうるのでしょうか? 現代となっては証明しようがない・・・ためではないでしょうか。 地名の多くは、その地名が生まれた時は、それなりの理由があったと思います。 小石川・・・も、その付近に小石が多くあった小川が流れていたことから「小石川」と名づけられた・・・と言われています。 また、職業地域としての地名もありますよね。 鍛冶町・・・鍛冶屋が多く集まっていた土地。 呉服町・・・呉服問屋や呉服を売る店が集中していた土地。 銀座・・・・・幕府の銀貨の製造を任されていた土地。 おもしろいところでは、 「金座」もありました。・・・大判や小判の鋳造を任されていた土地。文禄4年(1595年)、徳川家康が京都の金匠後藤庄三郎光次に命じ江戸で小判を鋳造させた時に始まる。 などなど。

krya1998
質問者

お礼

 文月さん、早速有り難う御座います。  仰せのお話は確かに存じております。  私は葛飾の農業用水路の網の目のところにいますが、あの文京区にもたくさんの親類がおり、いまは道路になっているところが七、八十年前は小川であったところもあり、その名前も残っております。  わたしどものところは、僅か数十年前までは正に数種の蛙などの住処でしたが今は蓋がされています。  そういう地名も“しんでめ”“新田前”とかあり、金座やや呉服などのこともその通りと存じております。  有り難う御座いました。

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3635/18948)
回答No.1

事実であることを証明できないがそうだと伝えられているから伝説なのです 伝説が生まれる原因は様々です 目撃、伝聞。推測、憶測、誤解、何でもありです

krya1998
質問者

お礼

 仰せのとおりでしょう。そのことをお尋ねしては居ないのですが。  原因についても残念ながら質問の期待している事項にはならないかと存じます。

関連するQ&A

  • 三軒の茶屋

    世田谷に三軒茶屋ってあります。 葛飾にお花茶屋って地名や駅があります。 この名称の由来は吉宗が鷹狩のときににわかに具合が悪くなり、三軒あるお茶屋の中のお花ちゃんのいる茶屋でお世話になった事にあるといわれています。 お茶やって大体三軒が普通に軒を並べているのでしょうか?

  • 三軒茶屋とお花茶屋

    昭和にたいへんな経費で、北区あたりで隅田川(江戸びとの大川)を分流させました。 これがそこから太平洋に流れている荒川放水路になった一級河川ですね。 隅田川をわたり、荒川を越えると松戸の方まで続く広大な平野があり、隅田川や荒川のあたりは広大な湿地帯でした。 将軍家のお狩場ですね。 隅田川が大きく蛇行しているところを小菅(東京拘置所の所在地、将軍の狩中の宿泊所)の方にいきますと、お花さんの御茶屋と町名駅名があります。 お花さんの御茶屋の他に、あと二軒あったそうです。 つまり三軒茶屋でした。 そして世田谷にも三軒茶屋があります。 この共通の三軒のお茶屋さんは、共通のいわれや伝説がありますでしょうか?

  • 地名の由来

    鳥取県福部村(現福部町)の「福部」という名前は珍しい名前ですが、その名前の歴史的由来を教えて下さい。

  • 地名の由来

    以前愛知・知立に2年ほど住んでいたのですが知立市内に重原という地域があります。その近くに「上重原曇り」という交差点がありました。またやや離れた隣の安城市に「珍重原」という交差点がありました。なんだかいかにも由来がありそうな感じですが一体なんなのでしょうか。今突然思い出したのですが気になって今日は眠れそうにありません。

  • 【地名の由来】

    【地名の由来】 奈良県と三重県には「生琉里」と書いて「ふるさと」と読ませる地名があります。この地名の由来は何でしょうか??

  • 地名の由来

    日本のどこかに、人間の生首が並べられたことから つけられた地名があると聞いたのですが どのような名前なのでしょうか。 ご存知の方、よろしくお願いします。

  • あなたの身近にある、面白い由来の地名は?

    山形に行った時、「左沢」と書いて「あてらざわ」という地名がありました。さくらんぼの産地です。 何故「あてらざわ」と読むのか不思議で、尋ねたところ、もともと川の右岸に集落があり、その反対側の「左岸」を「あちらのさわ」と言い、それが「あてらざわ」となったとか・・・ 愛知県の豊田市に「猿投(さなげ)」という地名があり、これも不思議に思って、ネットで検索しました。 昔、景行天皇がお伊勢参りの途中で、飼っていた猿がいたずらをしたため、怒って投げ捨てたからだとか・・・ 皆さんの身近にも、面白い由来の地名があると思いますので、教えてください。 マイナーなほど、嬉しいです・・・

  • 地名の由来

    大阪府堺市に百舌鳥という知名があるのですが、子供の頃に読んだ本にその地名の由来が書かれていたのですが内容を忘れてしまいました。気になって仕方ないので百舌鳥の地名の由来を教えてください

  • 地名の由来

    沖縄県沖縄市久保田の「久保田」という町名の由来を知りたいです。 沖縄にしては珍しいと思い知りたくなりました。 本土の土地名っぽいのに何故、沖縄に?と不思議に思いました。 もし、知っている方がいましたら教えて下さい。 カテ違いはお許し下さい。

  • 地名の由来について

    千葉県香取市に、合併前は独立した町であった「小見川」というところがあります。江戸時代に入るくらいに、小見川藩という藩が成立したらしいですが、そもそも、この「小見川」という地名はどこからつけられたのでしょうか?ご存じの方がいたら教えて下さい。なお、そういう名前の「川」は見あたらないのですが...