平成の赤穂事件とビデオ流出事件の評価について

このQ&Aのポイント
  • 平成の赤穂事件の評定とは、赤穂浪士による吉良邸討ち入り行為の評価を巡る議論のことです。
  • 赤穂浪士の討ち入りは賞賛と批判の両論があり、幕府の幕閣内でも意見が分かれました。
  • これらの討ち入り事件の評価は、法律と民の感情のバランスをとることが求められ、政治主導の判断が必要です。
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平成の赤穂事件

赤穂義士の討ち入りは有名です、この討ち入りに対し賛否両論があり評定に時間がかかりました。 正に平成の赤穂事件の評定がされていると思われますが、法律と民の感情のバランスをとることがそれこそ政治主導だと思うのですが、、、、、。 今回のビデオ流出事件(事件かどうかわかりませんが)は歴史に残ることになるのでしょうか? それとも、単なる1事件として記録されるだけなのでしょうか? 以下 赤穂事件の評定(ウィキベキアより) 赤穂浪士の討ち入り行為を義挙として江戸の武士には賞賛するものもいた。本来、徒党を組んでの討ち入りは死罪に値するものの、忠義を奨励していた将軍綱吉や側用人柳沢吉保をはじめとする幕閣は死罪か切腹か助命かで対応に苦慮した。幕閣の中にも「夜中に秘かに吉良を襲撃するは夜盗と変わる事なし」と唱え、磔獄門を主張した者もいた(『柳沢家秘蔵実記』)。その一方で、大目付仙石伯耆守久尚、町奉行松前伊豆守嘉広、勘定奉行荻原近江守重秀などのようにこの主君仇討ち事件に大いに感激した幕閣もいて、その内部でも意見の違いがあった。

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質問者が選んだベストアンサー

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  • mmky
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回答No.2

赤穂義士の討ち入りは私憤ですが、時の幕府への反抗機会と捉えてお祭りとなったわけですが、今回の海保隊員の行動は公憤に値しますよね。 国益を損なう政権を国民が選んだという愚挙に対する行動のように捉えれば、歴史に残すべき事件ですね。 民主的でない嘘を塗り固めた非常に危険な中国共産党に是是非で対応できない旧社会党政権に対する強烈な一撃ですね。 侍の気概がある公務員なら職をかけて反抗すべきですね。そういう意味でも歴史に残るでしょうし、政府がおかしくなった時には反抗も是とするよき模範例としたいですね。

Lead90
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • phantom1
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回答No.5

事件の動機を公憤と言う人もいるようですが、私は私憤だと思います。自分たちの仕事が隠される事への恨みは、公的な正義とは関係ありません。外交的にも、既に中国漁船の船長が逮捕された時点で尖閣諸島の実効支配が日本に帰する事は証明されていますので、国際慣習上日本が圧倒的優位にある事が形として証明されました。むしろ、それ以前の政権では、この決定的事実を曖昧にするために拿捕を躊躇い、相手が自主的に退去するのを待つ方針で対処して来たのですから、尖閣諸島領有について我が国の立場をより明確に表明した事件とも言えるのですが、この事実はなぜか報道されません。そのあとの経過や、漁船拿捕に至る経過についての、枝葉のような(どちらがぶつけた等の)情報について執拗に取り沙汰されるのみです。 なぜ中国があれ程強硬な姿勢を見せたのか考えて下さい。それは、漁船拿捕によって自分たちの主張が国際社会に認められる可能性が低下したからに他なりません。 さらに、流出した映像が秘密にあたるのか、と言う点で無罪なのではないかと言う事が言われていますが、法的に無罪だからといって彼が真っ白だとも思えません。共用フォルダーにあった物が全て外部に漏らして良いものであると言う認識が、果たして一般企業で通用するでしょうか。誰にも相談せずに社内の情報を不特定多数の人間に見せびらかす同僚がいたら、少なくとも以後「この人物に大事な情報を教えてはならない」と思われる事は確実で、クビにならないまでも信用はされなくなるでしょう。まあ、流出した映像自体は興味を満たす程度の内容で、事件の本質からすればどうでも良い内容ですから、せいぜい国会での見苦しい罵り合いに供される程度の事ですが、こんな事で政治や世論が紛糾し、隙を見た外国に利益を持っていかれる事は、何ともばかばかしい事です。

Lead90
質問者

お礼

国家機密の漏洩 とかいう大それた罪ではないのではないか? (単なる規律違反、職場の情報漏えい違反 はあるでしょうね) 今問題になっているのは、「国家機密の漏洩」での罪です。   →保安官の逮捕、罪 ということではなく、政府が「国家機密」とする内容なのか?    更には外交処理を元々間違っていたのでは?ということが問題になっています。    保安官 個人の逮捕や罪は正にどうでもイイことです。(1事象でしかないです) ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

赤穂事件の処分について、幕閣が悩んだのは 二つの要求が衝突したからでしょう。 一つは、幕府の命を無視したから、厳罰に処さねば 法秩序が崩れる。 一つは、支配階級である武士の根本理念である「忠義」 を実践した赤穂武士を讃えなければ、武士支配という 秩序が崩れる。 だから、助命と獄門の間を採って、切腹ということに したんでは無いでしょうか。 赤穂事件にいう庶民感情ですが、次のように考えます。 当時の武士は何もせず 仕事をしている武士も、ただの官僚に成り下がっていました。 庶民もそれを知っていました。 だから、幕府もこの庶民感情を無視することは 武士支配をゆるがすことになる、と考えた。 こう考えると、ビデオ事件とは少し違うように 思えるのですが、どうでしょう。

Lead90
質問者

お礼

少しは違うかもしれませんが、民の喝采と法律適用で似たような感じです。 警察(検察)も苦慮しているようです。 ありがとうございました。

  • topy7014
  • ベストアンサー率14% (211/1499)
回答No.3

両方とも、兵庫県民の誇りだと思います

Lead90
質問者

お礼

お、お、 それはスゴイ! ありがとうございました。

noname#121264
noname#121264
回答No.1

わが国の海上保安庁が逮捕した、中国の青い船を、なにもせずに帰還させたことは歴史に残るでしょ う。 首相・官房長官の名は歴史に残るでしょう。わが国の国民は、船長の名前さえも知りません。 犯人不詳で捜査もやめました。 その件があって、結果流出に至るということではないでしょうか? こんな状況で何を捜査するの? 整理して、考えれば考えるほどに、海上保安庁には罪は無いようです。 ** 流出問題のもっと恥ずべきは、本来、あっちの流出(テロ)ですね。 あっち(情報)の方が重大ですよね。

Lead90
質問者

お礼

ありがとうございました。

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