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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:唯物主義に生きがいはありますか?)

唯物主義に生きがいはあるのか?

Tetsugakusyaの回答

回答No.19

No16です >要は気の持ちようということでしょうか >よろしければ、この世界に対してどのようにして素晴らしさが湧いてくるのか教えて頂けないでしょうか 素晴らしいものをなぜ素晴らしいと感じるのか、という質問ですね。 生命には目的があります。 その目的のために体は作られています。 体のシステムも、その目的のために作られています。 感情も人間の行動を決定するシステムのひとつです。 素晴らしいものを素晴らしいと感じるのは、素晴らしいと考えるからではなく 人間がそれを素晴らしいと感じるように出来ているからです。 何かを良い悪いと判断するためには、まず目的が必要です。 良い悪い、というのはその目的にとって良いか悪いかということだからです。 何の目的もなければ、ただ現象があるだけです。 人間の目標は、簡単に言えば遺伝子にインプットされています。 人間が機械的な存在だとわかったからといって、それらのインプットされた本能が消えるわけではありません。 だから素晴らしいものは依然として素晴らしいままなのです。 どんなに素晴らしさの根拠を探しても、自分の体の内にしか答えはありません。 逆に言えばインプットに対してアウトプットを返すf(x)という関数があたなの中にない限り それを素晴らしいと感じることはできません。

sisi91sisi
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、その考え方だと素晴らしさというものがよくわかるのですが それと同時にやはり素晴らしさも自動的なものではないかという虚無感も感じます 当初の質問に対してはベストアンサーなのですが(偉そうですみません) 今、その生存欲に追随する「素晴らしい」という概念すらも 物質(生命)のエントロピー増大に抵抗する手段としてとった自動的な化学反応だという虚しさが湧いてきます その生きる活力である「素晴らしさ」すらも物質からの自動的で機械的な欲求だとすれば どうすればよいのでしょう 苦しいです 肉体が崩壊するまで延々とインプットに対しアウトプットを返す計算機でしかないのでしょうか その過程に付随する「素晴らしさ」などの感情も錯覚で、正体は物質間の引力のようなもので(例えが飛躍しすぎかもしれないです)虚無の世界が広がってるのではないでしょうか 個人的な考えですが、その素晴らしいや嬉しいなどというクオリアすら僕は存在しないと思います それは連続的な情報処理による肉体変化の感覚からのフィードバックと言語処理に由来するものだと思います 冷静に考えるとクオリアの実感などないです 例えば「おいしい」という刺激も脳の処理によって、胃腸が反応したり血管が拡張したりという肉体の反応だけであろうと思います それが連続的なためあたかも今こうして起こってるように錯覚するわけです。 それが意識として言語処理によって表出しているのではないかと思います その証拠に参考記事は見つかりませんが、脳に入力される情報を全てシャットダウンすれば 意識が消失するというのを聞いたことがあります つまり、その”連続的”な情報処理を言語処理したものが意識ではないかと思います。 そこには言語であたかも実在するかのように記述されただけで、初めから何もなかったと。 非常に怖いです。気が狂いそうです。このことについてどう思いますでしょうか ちょっとパニックになって文章めちゃくちゃかもしれませんがよろしくお願いします

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