• 締切済み

数学をやっていると、心が無になる。

数学をやっていると、心が無になる。 なりませんか? 私の場合、むしろ無にならないと、途端に数学の問題が解けなくなります。

みんなの回答

  • sak_sak
  • ベストアンサー率20% (112/548)
回答No.4

「無心になってやる」と「心が無くなる」では大分意味が違いますね。 私の場合、後者は当てはまらず、前者は当てはまります。 「心無い奴」なんていう言い方もありますが そういう意味ではないですよね?

ikishi_ukkishi
質問者

お礼

無心になって数学をやっていると、心がなくなっていく気がするのです。 そんなとき、無性に人と話したくなります。人の温もりが欲しくなります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • gff79866
  • ベストアンサー率44% (8/18)
回答No.3

こんにちは。 私が数学の本を読んで考えているとき―。 母が話しかけてきた。 私「うーん・・・なんでうそつきがA??」 母「Aって誰?面白い?」 私「ああ。」 母「ああって誰?」 私「そうじゃなくってBが正直なんだよ。」 母「そうよねえ!!あの家の人、B型なんだけどとっても正直なんだよ!」 私「ふーん。」 母「なにその返事。」 私「ご飯できた??」 母「え、Aさんってごはんつくるの?」 私「よかったね。」 母「・・・」 私「え、1升のお米が・・・」 母「そんなに家にはお米はないわよ!!」 私「それから5杯足して・・・。」 母「5杯も足すの?おながいっぱいになるじゃない。」 私「答えは・・・。ない!!」 母「いや、ないじゃなくってあるでしょ。おなかいっぱいになるからあるんでしょ。」 私「あれ、お母さん、何の話??」 母「聞いてなかったの?今日のお昼ご飯の話。」 私「何にするの?」 母「あら、1升のおこめに五杯のかっぷじゃなかったけ?」 私「エーーーーーーーーーーーーーーーーーーw」 こんな風に話がかみ合わず、結果大変な話になっていた。 だから無になって話を聞かないことが1番!っじゃないかもしれません。 大切な話はちゃんと聞きましょう。 数学と自分の命、どっちが大事なんですか? それはあなた次第。 私は命。 大事なのは命です。 でも何よりもすきなのは数学です。 そこら辺を分けましょう。 好き:数学 大事:命 です。 そうでなければ人間は滅亡してしまいます。 余談ですが、私の飼い犬より、数学のほうが好きです。

ikishi_ukkishi
質問者

お礼

囲碁には、”大場”と”急場”と言う言葉があります。 大場は大局的な観点から観て、価値のある場所のこと。 急場は緊急的な観点から観て、価値のある場所のこと。 つまり、急場が存在すれば、それは大場より重要であるということ。 要は、場合によると言うことなのでしょうね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • sotom
  • ベストアンサー率15% (698/4470)
回答No.2

ロジカルな思考というのは、無駄をそぎ落とす事も含まれます。 まあ、そういう事ではないでしょうか? CPUも昔はシングルコアでした。そういうシステムには同時作業は向きません。 同じですね。人間も似たようなモノかもしれません。 晩飯の事を考えながら試験を受けていると、点数が今ひとつだったことがありました。 答案の隅っこに、「玉ネギ、にんじん、じゃがいも」なんて書き込みをしてしまい、 担当教師に怒られましたからねw

ikishi_ukkishi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 勉強には集中力が必要なのはわかっているのですが、数学に必要とされるのは、そういう一般的な集中力とは違う気がするのです。もちろん単なる持論に過ぎませんが。 例えば、歴史の暗記をしているとき、晩飯のことを考えても、まあなんとかなるんです、ただ暗記するだけだから。 数学の場合、何か別の物が頭によぎると、もう無駄な考えしか浮かばなくなる。 >ロジカルな思考というのは、無駄をそぎ落とす事も含まれます。 まあ、そういう事ではないでしょうか? >CPUも昔はシングルコアでした。そういうシステムには同時作業は向きません。 同じですね。人間も似たようなモノかもしれません。 私の頭も、アップグレードしないといけないのかもしれません。 勉強と言うのは、つまるところ、どれだけ我慢できるか、だと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんにちは。 私は数学の問題を集中して解いていると、周りの音が聞こえなくなります。 人の話し声も、テレビの音もです。 それが「無の境地」と呼べるものだとすれば、あなたと同じ感覚かもしれません。 それでも、「危ない!」という声や自分の名前を呼ぶ声だけは聞こえます。 自分でも不思議です。 私の兄弟で、テレビドラマを見ているとき、自分が呼ばれても気づかないのがいます。 そのくせ、誰かと会話をしているときには、そばにいるほかの人達の会話も聞こえるらしいです。 私以上です(笑)。

ikishi_ukkishi
質問者

お礼

>私は数学の問題を集中して解いていると、周りの音が聞こえなくなります。 人の話し声も、テレビの音もです。 それが「無の境地」と呼べるものだとすれば、あなたと同じ感覚かもしれません。 勉強って、どれだけ我慢できるかによると思うんです。ある意味修行ですね。 大袈裟でしょうが、数学をすることで悟りが開けそうです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 心を無にするには?

    先日座禅を組みました。何も考えずに腹式呼吸をし、心を無にするように、住職さんに言われました。しかし、なかなか無にすることができませんでした。初めてだから、仕方ないと思ったのですが・・・。座禅をしたら、誰でも、心が無にできるものでしょうか?また、腹式呼吸の方法が今一分からなかったので、その方法を教えてください。どうぞよろしくお願いします。

  • 無を願う心とは

      「今我々が見ている世界は、仮説であって実態ではない。 今我々が生きていることさえ、仮説であって実態ではない。 今我々が見ている世界は、実態ではなく無である。 いや無ではなく空であるかもしれん。」   無を願う心とはおよそこのよーなものである。 しかしそんな彼らとて腹が減れば飯を食わん訳にはいかんのである。 そこで今食っておる飯は無なのか有なのかと考えたりはしないのである。 その時に限っては無を願う心は止まっているである。 彼ら自身それが現実でないことは十分知っているのである。 だから彼らは願っているのであり、そのよーに願う以外他に術を知らないのである。 あらゆるものが無であってほしいと願うのである。 洋の東西を問わずおよそ漬かると必ずこのよーに考えることが分かっているのである。 人の道を逆に向かって歩いているのである。 無を願う心のさきに何が有る。    

  • 心を無にするためには

    心を無にするためにはどうしたらいいのですか? ぼくは受験生なのですが、先日塾講師に 無の状態が一番大切だ といわれましたがいまいちどうしたらいいかわかりません

  • 無が有を生む数学なんて作れないよね

      ビッグバン理論は無が有を生み、これを数学的に証明したとしているが、 ゼロで割る数学が作れないよーに、 無が有を生む数学なんて作れないよね。    

  • 無を求める心は何処からやって来るのか

    無の境地を求める仏教徒がいるとゆー。 悟りを開き無の境地に至るためだとゆー。 なぜ彼は無を求めるのか。 人は死ねば無になるではないか。 無を求めずともそのうち自然に無になるではないか。 なぜ今無を求める必要があろー。 無を求める者が飯を食うのは何故か。 飯は無なのか、有なのか。 飯を食うのは生きるためではないのか。 すると生きることは無を求めることなのか。 果たして無を求める者はその答えを備えているのか。 もし無を求めるのであれば何も要らないのではないか。 無を求めるものがお経など唱えてどーするのか。  

  • 無は何処からやって来るのか

      無は人の心から生まれるのである。 無は願望である。 無を願う心が無を生むのである。 色即是空空即是色。 これもまた同類である。 ただの願望に過ぎないのである。 いや無ではなく空であるなどと言い逃れよーとしても無駄である。 無を願う人の心が無を生み、空を生むのである。 なぜ人は無を願うのか。 あらゆるものが無であってほしいと願うのであろーか。 それとも自分だけが無であってほしいと願うのであろーか。 あるいは自分は無ではないが苦しんでいる間だけ無でありたいと願うのであろーか。 しかし有が無になることも、無が有になることも出来ないのである。 それは宇宙の法則が許さないからである。 無を願う人の心が無を生むのであれば、無を願う心がなければ無は生まれないのである。 無を願う心の中以外に無は何処にも存在し得ないのである。 無は願望である。 およそこのよーに結論して十分ではなかろーか。  

  • 心を 無 にするとはどうゆうことなのですか? また無にするにはどうしたらいいのですか?

  • 無を超えた無は存在するのか?

    宇宙ってもしかしたら元から無いのでは? ではなくて 宇宙がもし本当に存在しなかったなら 完全無になるのですよね 宇宙も惑星も地球も人類も、生物も物体も空気も 水も火も動物、虫 微生物 菌 風も色も音も心も思念 妄想 記憶、重力 空間 次元とかもう何もかもこのありとあらゆるものが無くなったら無を超えた無になるのでしょうか? でもこれら全てのものが完全消滅して無を超えた無なんて不可能なんですよね 普通の無とは全てが無になった状態ですが 無を超えた無とは全てが無くなってもその全てを存在出来た元の土台となるもうひとつの無という定義ですがそれすら追跡する追随を許さない無を超えた無があるのか?またはどうすれば実現するのか を知りたいです。 私は今無を、超えた無は存在するのか? を突如ひらめいたので質問しましたが 私だけでは分からないので皆さんこの質問に興味が湧いた方ご意見ご感想ご教授等あればよろしくお願いいたします。

  • 死後は無になる

    人間は死んだら無になると思いますが、どうですか? (1)私が私であると自覚している意識や心は脳の機能である。 (2)人間が死ぬと脳の機能は停止する。火葬で脳は灰になる。 (3)そうすれば意識や心は消失する。そして無になる。 死ぬのが怖いと聞きます。 でも死ぬのが怖いのは今の自分であって、死んだら意識も心もないのだから何も感じない。何もない。 と思うのですけど、どうですか?

  • 意識(心)が脳ならばやはり死後は無になるのでは?

    意識(心)は脳そのものではないでしょうか? 意識(心)が脳ならばやはり死後は無になるのではないでしょうか? 子供の頃は意識(心)は心臓なのではないかと思っている時期がありました。 しかし、つい最近、心臓を人工心臓に替えて一年程過ごし、その後ドナーの心臓を移植した男性のニュースがありました。 https://www.cnn.co.jp/amp/article/35084162.html このニュースを受けて自分は意識(心)は心臓ではないのだなと思いました。 そこでやはり意識(心)は脳にあるのではないかと考えが至りました。 自分の主張は以下です。 ❶全身麻酔の経験から、意識が麻酔という物質的作用によってオン・オフを切り替えることが出来てしまうこと。 もし意識(心)が物質的存在でないなら物質世界側の麻酔の作用の影響を受ける筈がないと考えられる ↓ 「麻酔が効くとどうして意識がなくなるの?」 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00197.html ❷意識(心)が五感を感じるということ。これは身体から受け取る五感の物理的情報を意識(心)が受けとっているからではないか。電気信号として脳が受け取るから五感を認識することが私達は出来ている。つまり、意識(心)は脳、脳ということは物理的存在であると考えられる筈です。 ❸意識(心)が脳又は脳の活動であれば、私が死んだ後は脳は機能終了し崩壊するので私の意識(心)の存在は消え去ることになると思います。 つまり意識(心)が消え去るという事は何も何処にも存在しないので無だということになります。 以上の考え方に何か科学的矛盾はあるでしょうか? 自惚れている訳ではないのですが、今知られている程度の科学的真理だけでも死んだら無になるのだろうと結論する気がします。