• ベストアンサー

土佐と蘇我氏の関係は

土佐と蘇我氏の関係は 現在大学で蘇我氏について学んでいて、勢力争いをしていた大伴氏が瀬戸内ルートを確保していたため、対抗して日本海側ルートを蘇我氏が確保したというところまで学びました。 ですがその後、まとめとして土佐には蘇我氏や物部氏や秦氏の地名が多いと説明されたんですが、全くつながりが理解できません。なぜ高知県には蘇我氏の地名が多いんですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kunitu
  • ベストアンサー率50% (4/8)
回答No.2

土佐には蘇我氏や物部氏・秦氏をはじめとする、中央にも勢力を持つ氏が展開していた、という話を誤解されてしまった可能性はないでしょうか。 古代史料上に見える土佐国の蘇我氏関連地名といえば、和名抄の香美郡宗我郷と長岡郡宗部郷の二例だけだと思います。これを蘇我氏だけ特別多いと取るかどうかが問題です。 和名抄所載の宗我・曽我・宗部・宗我部・崇賀郷は、ほかに筑前国早良郡、肥後国玉名郡、丹波国多紀郡・天田郡・桑田郡、信濃国筑摩郡に見られます。丹波は土佐より多いですね。 全体的に見るならば、土佐は蘇我氏にとって特別な地域ではなく、部を置いて経済的基盤とした地域のひとつに過ぎないという理解も可能になると思うのですが、いかがでしょうか。 物部氏も土佐国香美郡に物部郷という地名を残しています。既出のとおり物部川流域が遺称地です。土佐国内で「地名」という縛りで見るならば、物部氏関連地名はここだけになります。 王権の勢力扶植から、土佐も免れることなく、他地域と同様に諸氏の展開があったということのように思います。 加藤謙吉氏の『蘇我氏と大和王権』(吉川弘文館 昭和58年)は読まれたでしょうか。 経済的基盤が弱い蘇我氏が、物部氏を打倒し、物部氏配下の土地・人民を収奪していった様子が考察されていて、土佐も一例として挙げられていました。参考になると思います。 物部氏が特定の地域に偏ることなく全国的に展開していったことについては、下のurlからご覧ください。 上記加藤氏の著作では、物部氏は四十四国九十一郡、秦氏は二十五国六十二郡、蘇我氏は二十国二十八郡に分布しているといいます。データが古いので、現在では木簡や墨書土器・漆紙文書等の出土資料によって数字が変わっているでしょうが、大勢としては同じはずです。 考古学カテゴリでの質問なのに、歴史学の話を紹介するだけになったことをお詫びいたします。

参考URL:
http://mononobe.nobody.jp/map/east.htm
ptt65q
質問者

お礼

お礼遅くなり申し訳ありません。とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • seastar3
  • ベストアンサー率69% (99/142)
回答No.1

高知県安芸市の名前の由来である安芸氏の祖先が、壬申の乱で流罪となった蘇我赤兄であるとの伝承があります。赤兄の流罪地が不明のために伝承程度の信憑性のようです。 物部川という川が高知県香美市にあります。 幡多(はた)郡という群名が土佐清水市の近くにあります。 ほとんど受け売りですが、回答がつかないようなので挙げておきます。

ptt65q
質問者

お礼

そうなんですか。貴重な情報ありがとうございます。無事大学の試験を終えることができました。

関連するQ&A

  • 大阪から高知(室戸)までのルート

    大阪(堺市)から高知に1泊2日厳密には金曜夜出発/日曜中に帰宅希望) で家族旅行予定です。 ルートとしては金曜日夜出発で 1日目の土曜日の午前中に室戸(ドルフィンスイム) ~土佐ロイヤルホテル(宿泊) 2日目は桂浜(ホエールウォッチング)や土佐闘犬(予定)です 自家用車でのルートですが 最初の目的地は室戸ですので 鳴門から下道で行き 帰りは高知市内からの帰路になるので 淡路島経由か瀬戸大橋経由のルートかで迷っております。 交通状況等にもよるとは思いますが 交通費よりも所要時間と疲労を優先で考えています。 行きのルートも含めてお分かりの方おられましたら ご回答お願いします。

  • 漫画のタイトルがわかりません(30年程前)

    30~40年ほど前の作品かと思います。 本宮ひろ志さんの作品に似たものです。 ・高知(土佐)が舞台 ・中学生または高校生が主人公(硬派銀次郎に似た感じ) ・高知を舞台に中学生(高校生かも)が全国制覇を画策する不良グループと戦う話 ・登場人物で名前を覚えているもの:采女 海彦 山彦 ・最後は抗争を起こした罪(?)で逮捕。 ・父親が「割れ唯足るを知る」と書いた紙を差し入れる ・大人で言えば暴力団の勢力争いみたいな話を中学生判にしたような内容です。 是非、ご協力お願いします。

  • 高知・徳島へ1泊2日の旅行について

    お盆休み(11深夜~13日夜)に、車で兵庫(尼崎)から四国へ旅行したいと思っています。 目的は、よさこいと阿波踊りを見ることがメインなのですが、 できれば11日の朝、香川で軽くうどんを食べて、 高知では昼頃か夕方からよさこいを見て、宿(土佐市宇佐町)へチェックインし夕食を食べ、 夜にもう一度高知市外へ行ってよさこいを見る。 12日は高知で少し観光し、夕方には徳島で阿波踊りかと思っています。 どこか時間的、ルート的に無理そうな所はありますか? 高知へ直接行く場合は淡路島経由が良いと知人から聞きましたが、 片側一車線の徳島道を通るのが辛いとも聞きました。 瀬戸大橋を通って香川へ入るなら、せっかくなので高速をおりて うどんを食べたら良いかなと思うのですが、ルートや時間的に余裕がありますでしょうか? または、香川経由をやめてフェリーなどで四国へ入った方が近いでしょうか? 本当は、四万十川や四国カルストなども訪れたいのですが、 この短い期間では無理でしょうか? 四国カルストから徳島市外へ向かうのはかなり遠そうですね。。。 高知から徳島までどれくらい時間がかかるでしょう? どこが質問かわかりにくくて申し訳ありません。 よろしくお願いします。。

  • 千葉県にある蘇我という地名は蘇我氏と関係ありますか

    近くにある鎌取を鎌足と関係ありますかという程度の質問でしょうか。

  • 蘇我氏

    教科書で馬子、蝦夷、入鹿 三代の名前を学んだが、明らかにさげすんだ名を後世で付けたと考えられます。本当はどのような名前であったのでしょうか。

  • あ~りがっとさ~ん!

    タイトルから何を思い浮かべますか☆ 鷹の遠吠えから思い浮かびましたアンケートです☆ (意味の解らない補足を失礼致します☆)

  • 蘇我氏を祀る神社

    蘇我氏を祀っている神社はあるのでしょうか?

  • 蘇我氏なんて本当は居なかった?

    日本書紀は藤原不比等が書いたものですがどうも藤原氏の偉業…特に父の鎌足を英雄化させるためのものだったように思えます 実際は大化の改新なんてものはなくてそのために登場させた蘇我氏も実際は居なかったのでは? と思うのですが… 日本書紀は実際は歴史書ではなく藤原不比等の書いた歴史小説だったって事もありえるとおもうのですが?

  • 蘇我石川麻呂

    大化の改新の立役者 蘇我石川麻呂は蘇我氏の傍流ですがなぜ中大兄皇子と中臣鎌足に協力したのでしょうか? 石川麻呂はやっぱ大化の改新のあと消されたのでしょうか?

  • 蘇我氏と平家

    蘇我氏と平家は、よく似ていると思いませんか? 栄華と滅亡の両方を短期間に体現したという点に於いて。 また、その原因が、王権(天皇)をも凌ぐ権勢が妬みを買った点に於いて。 また、栄華の源泉が、大陸との交易にあった点に於いて。