-PR-
締切り
済み

「科学」「哲学」と人は言う。その時、人は何を指してこう呼ぶのか?

  • 暇なときにでも
  • 質問No.59513
  • 閲覧数94
  • ありがとう数18
  • 気になる数0
  • 回答数13
  • コメント数0

お礼率 21% (23/105)

「科学」、「哲学」が蔓延している。
正確には「言葉」がだ。
この言葉、だれしも知ってて当然であるかのようだ。
また知っていることが前提で話が一人歩きし始め案の定この言葉は彷徨う。
言葉とは語る人の語る所のものであると私は思う。
よって人が「科学」、「哲学」と呼ぶ時、その人は何を指してそう呼ぶのか?
あなたはあなたの指す「科学」、「哲学」を説明出来るか?
暇があったら返答願います。(ひやかしおことわり)
通報する
  • 回答数13
  • 気になる
    質問をブックマークします。
    マイページでまとめて確認できます。

回答 (全13件)

  • 回答No.13
レベル11

ベストアンサー率 27% (98/357)

私が思うところの科学と哲学を説明します。 科学とは再現可能な事象による技術です。しかしこの定義による科学は世の中の出来事のほんの一部でしかありません。 それなのに再現できないからと言って、ロクに内容も見ないで「それは科学的でない!」と切り捨てたり、逆に科学が万能であるかのように崇めたりすると、科学に振り回され、言葉が一人歩きするのでは?と思います。 哲学については私は門外漢なので、上手く説明 ...続きを読む
私が思うところの科学と哲学を説明します。

科学とは再現可能な事象による技術です。しかしこの定義による科学は世の中の出来事のほんの一部でしかありません。
それなのに再現できないからと言って、ロクに内容も見ないで「それは科学的でない!」と切り捨てたり、逆に科学が万能であるかのように崇めたりすると、科学に振り回され、言葉が一人歩きするのでは?と思います。

哲学については私は門外漢なので、上手く説明できませんが、代わりにギリシアの哲学者のエピクロスの言葉を記しておきます。
「哲学しているように見せてはならず、実際には哲学しなければならない。なぜなら必要なのは健康らしい外見ではなく、健康そのものなのだから。」
「空しいのは、人間の苦しみを直すことの出来ない哲学者の言葉である。なぜなら、身体が病気を追い出せない医者には何の取りえもないごとく、精神の苦悩を追い出せない哲学には何の価値もないのだから。」

私が思うに「人の苦悩と向き合う」のが哲学の初歩だと思います。しかし、哲学をしているように見せて実は「言葉遊び」になってしまったとき、「哲学」という言葉が一人歩きを始め、空虚な学問になるのではないでしょうか。
  • 回答No.6
レベル8

ベストアンサー率 10% (3/29)

お返事ありがとう御座います。 ‘金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。‘ が嘘とありますが、‘なければならない‘これが pikittoさんの言う嘘の部分ですか? また‘学問としての哲学‘確かに存在しません。 でもこれ読む他の人にわかりやすくする為に敢えて書いてます。察してください。 ...続きを読む
お返事ありがとう御座います。
‘金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。‘
が嘘とありますが、‘なければならない‘これが pikittoさんの言う嘘の部分ですか?
また‘学問としての哲学‘確かに存在しません。
でもこれ読む他の人にわかりやすくする為に敢えて書いてます。察してください。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信感謝致します。
少々忙しかったもので・・・

>・・・が嘘とありますが、‘なければならない‘これが pikittoさんの言う嘘の部分ですか?

さようであります。

>でもこれ読む他の人にわかりやすくする為に敢えて書いてます。察してください。

お察し致します。あなたも気苦労の多い人なのでしょう。
投稿日時 - 2001-04-10 00:38:55
  • 回答No.5
レベル8

ベストアンサー率 10% (3/29)

哲学は「真理を探究する学問」学問と言うよりその哲学者自身。(教わるものではないのかも知れない)「朝聞道,夕可死矣」の心で求めるもの。その結果得られたのもがたった一つ「コギトエルゴスム」であってもよいもの。地位、名声、金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。 pikittoさんの文面から学門としての哲学のことではないと思いましたのでこう書きました ...続きを読む
哲学は「真理を探究する学問」学問と言うよりその哲学者自身。(教わるものではないのかも知れない)「朝聞道,夕可死矣」の心で求めるもの。その結果得られたのもがたった一つ「コギトエルゴスム」であってもよいもの。地位、名声、金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。
pikittoさんの文面から学門としての哲学のことではないと思いましたのでこう書きました。

科学は現実または不可思議な物の真理の探究の一つの方法。人間の存在意義等真理を探究する哲学には及ばない。
数式なら、哲学⊃科学と思います。
補足コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

これは秀逸!なにせ分かり易い。

慾を言えば「哲学とは識る喜びである」と簡明に表記して欲しかった。(笑)

)「朝聞道,夕可死矣」の心で求めるもの。
こうでない人が多すぎると思わんかね?(笑)
命根性持て語る「哲学」など「表記」が「狂気」であろう。

>その結果得られたのもがたった一つ「コギトエルゴスム」であってもよいもの。地位、名声、金銭がともなわずとも求め続けるもの。哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。

あなたの「コギト」とはなんですか?(興味あり)
「哲学者の意見が各々であっても人間が求め続けなければならないもの。」とありますが、これは敢えて意地悪すると嘘っぱちだと思います。

>学門としての哲学

こんなものは存在しません。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-04-04 23:27:32
  • 回答No.2
レベル9

ベストアンサー率 25% (31/122)

私個人的な考えとしては この世界のすべての仕組みを知ろうとすることが哲学 これは、人間そのもの、その考え方も含めてすべての成り立ち、関わり、仕組み、役割を求める物 科学はその一部分で自然の仕組みを解き明かす物で手段の一つでしかない。 哲学の目的を失った科学は、その一部分だけしか見えず、暴走してしまう。 ...続きを読む
私個人的な考えとしては
この世界のすべての仕組みを知ろうとすることが哲学
これは、人間そのもの、その考え方も含めてすべての成り立ち、関わり、仕組み、役割を求める物
科学はその一部分で自然の仕組みを解き明かす物で手段の一つでしかない。

哲学の目的を失った科学は、その一部分だけしか見えず、暴走してしまう。
補足コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

意義なし。
但し「科学」という「言霊」は「手段」と定義できますか?
投稿日時 - 2001-04-04 20:35:02
  • 回答No.1
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 哲学は「世界および人間についての理論知・実践知を与えようとするもの」。  科学は「自然についての理論知・実践知を与えようとするもの」。  とりあえず最初はおおまかに。  pikittoさんはどのようにお考えですか。 ...続きを読む
 哲学は「世界および人間についての理論知・実践知を与えようとするもの」。
 科学は「自然についての理論知・実践知を与えようとするもの」。

 とりあえず最初はおおまかに。
 pikittoさんはどのようにお考えですか。
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

まず議論にあたり第一に、あなたは私など比べモノにならない博識であり哲ジャーゴンも豊富であること。
第二に、あなたの自己紹介にもあるとおりあなたが「知」と呼ぶ代物(必ずしも私のものでない)にルサンチマンを感じていることが容易に推察されること。(この場合は「知」の背景)
第三に、「考える」ということはヘーゲルのいうところの「バカの閲覧室」とは全き別モノであるということ。

この三点において同意されるなら私としてはこの議論を望むものです。
投稿日時 - 2001-04-04 21:06:33
  • 回答No.12

科学→物理現象を知り、法則化、数式化しようとたくらむもの。 哲学→脳内の観念を知り、解きあかそうとするもの。 註)「脳内の観念を知り、解きあかそうとする」ためには   己が主観でしかものを捉えられず、その立場においてしか   語り得ないことを知ることがここにおいては出発点になるのではないか?
科学→物理現象を知り、法則化、数式化しようとたくらむもの。
哲学→脳内の観念を知り、解きあかそうとするもの。

註)「脳内の観念を知り、解きあかそうとする」ためには
  己が主観でしかものを捉えられず、その立場においてしか
  語り得ないことを知ることがここにおいては出発点になるのではないか?
  • 回答No.9
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 「条件」との仰せですが、私には「条件」とは読めませんでした。第一のものは、もったいなくもお褒めの言葉のように読めました。第二のものについては、「知を憎悪…」というのは批判的精神を忘れないというほどの意味です。特に「ルサンチマン」というのではなく。第三のものについては…すいません、よくわかりませんでした。  いずれにせよ、どれもpikittoさんの私的なご意見として拝聴しました。「同意」と仰られても何の ...続きを読む
 「条件」との仰せですが、私には「条件」とは読めませんでした。第一のものは、もったいなくもお褒めの言葉のように読めました。第二のものについては、「知を憎悪…」というのは批判的精神を忘れないというほどの意味です。特に「ルサンチマン」というのではなく。第三のものについては…すいません、よくわかりませんでした。
 いずれにせよ、どれもpikittoさんの私的なご意見として拝聴しました。「同意」と仰られても何のことやら…。

 それに、「議論」などとは思いも寄らぬことです。ひたすら教えを乞うのみ。それで早速ご教示に従い辞書を調べてみました。
 「解明」…ときあかすこと。不明な点をはっきりさせること。
 「説明」…1)事柄の内容や意味を、よく分かるようにときあかすこと。
      2)記述が事実の確認に止まるのに対して、事物が「何故かくあるのか」の根拠を示すもの。
       科学的研究では、事物を因果法則によって把握すること。
と、ありました。『広辞苑』第四版です。
 これでpikittoさんのご見解を読んでみますと、
>哲学が「解明」を旨とするものであって「説明」を目的とするものではない。
は、
→哲学は「ときあかすこと、不明な点をはっきりさせること」を旨とするものであって「事柄の内容や意味をよく分かるようにときあかすこと、ないし、事物の存在の根拠を示す」ことを目的とするものではない。
…と読み替えられます。

 ますますわけがわからなくなりました。「それまでです」と仰らず、どういうことなのか、どうかご教示くださいませ。
  • 回答No.11
レベル7

ベストアンサー率 0% (0/5)

>慾を言えば「哲学とは識る喜びである」と簡明に表記して欲しかった。(笑) ある本によれば、「知を愛する者」という意味の「哲学者」という言葉は もともとソクラテスを指す言葉で、その意味は、「知」を金に替える ソフィストとは違って、ソクラテスが、何らの報酬も受け取らなかった からだそうです。この意味でいえば、大学の文学部にいる「哲学者」は、 本来の「知を愛する者」かどうか甚だ疑問だと、その本の著 ...続きを読む
>慾を言えば「哲学とは識る喜びである」と簡明に表記して欲しかった。(笑)

ある本によれば、「知を愛する者」という意味の「哲学者」という言葉は
もともとソクラテスを指す言葉で、その意味は、「知」を金に替える
ソフィストとは違って、ソクラテスが、何らの報酬も受け取らなかった
からだそうです。この意味でいえば、大学の文学部にいる「哲学者」は、
本来の「知を愛する者」かどうか甚だ疑問だと、その本の著者は書いて
いました。まあ、これは冗談でしょうけれども(笑)
お礼コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信感謝致します。

尚その著作に目を通したことはないけれど、冗談ではないでしょう。(笑) 
投稿日時 - 2001-04-10 00:40:56
  • 回答No.10
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 えーと、ヘーゲルのことなんですが…。  私にヘーゲルがわかることは「100%ない」と「誓って言える」との仰せ、ご批判として謹んで拝聴いたします。実際大きな人ですからね、ヘーゲルは。全体像を捉えていると自信を持って言える人が専門の研究者の中でも何人いることか…。  さてしかし、「100%ない」とのご指摘には何らの根拠も示されていないように思います。恐れながら、これは「強弁」というに過ぎぬものでは? ...続きを読む
 えーと、ヘーゲルのことなんですが…。
 私にヘーゲルがわかることは「100%ない」と「誓って言える」との仰せ、ご批判として謹んで拝聴いたします。実際大きな人ですからね、ヘーゲルは。全体像を捉えていると自信を持って言える人が専門の研究者の中でも何人いることか…。
 さてしかし、「100%ない」とのご指摘には何らの根拠も示されていないように思います。恐れながら、これは「強弁」というに過ぎぬものでは?

 ヘーゲルですが、カエサルやナポレオンについて「世界史的個人」と呼んだことはあります。ただし、後者はイエナ会戦直後、ニートハンマー宛ての書簡で述べただけで、用いられている言葉も「世界霊 Weltseele」。そして後年、ヘーゲルはナポレオンを批判するようになっています。
 ヘーゲルが自分自身のことを「世界史的個人」と称したことはないはずです。さらに、「世界史的個人」は歴史に大きな役割を果たす者という意味で「世界精神」の現象ではありえますが、あくまでもmotalな人間、肉体を持った個人にすぎません。「世界精神」そのものとははっきりと区別されます。ですから…
 「自分自身が世界精神であるとヘーゲルが主張した」…とは、ヘーゲルを多少なりとも「わかって」いる人なら決して出てこない言葉だと思うのですが…。

 どのような典拠により、どのような解釈をされて上記のような「自信満々の断言」に立ち至られたのか、改めてお伺いしたいと思います。
  • 回答No.3
レベル14

ベストアンサー率 29% (1122/3749)

俗っぽいので、冷やかしと受け取られては困るのですが・・・ 私は常々、次のような言葉に興味を覚えています。 [数学はふところを豊かにし、文学は心を豊かにする] これを「科学」と「哲学」に、そのまま置き換える訳にも行きませんが・・・ 科学は人間が作り出す価値を高め、哲学は人間自身を高め豊かに するものではないかと考えています。 ...続きを読む
俗っぽいので、冷やかしと受け取られては困るのですが・・・

私は常々、次のような言葉に興味を覚えています。

[数学はふところを豊かにし、文学は心を豊かにする]

これを「科学」と「哲学」に、そのまま置き換える訳にも行きませんが・・・

科学は人間が作り出す価値を高め、哲学は人間自身を高め豊かに

するものではないかと考えています。
補足コメント
pikitto

お礼率 21% (23/105)

返信ありがとうございます。
俗っぽいのは大歓迎ですよ(笑)

>[数学はふところを豊かにし、文学は心を豊かにする]
 
数学はふところを豊かにしますか?あはは!

>科学は人間が作り出す価値を高め、哲学は人間自身を高め豊かに
するものではないかと考えています。

「科学は~高め」のところは私には不可解です。
「哲学は~豊か云々」ですがでは哲学は何故人を豊かにすることが出来るのでしょうか?出来るのであればそれはどのような仕組みでそうであるのでしょうか?
投稿日時 - 2001-04-04 20:23:20
13件中 1~10件目を表示
このQ&Aで解決しましたか?
関連するQ&A
-PR-
-PR-
このQ&Aにこう思った!同じようなことあった!感想や体験を書こう
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。

その他の関連するQ&A、テーマをキーワードで探す

キーワードでQ&A、テーマを検索する
-PR-
-PR-
-PR-

特集


関連するQ&A

-PR-

ピックアップ

-PR-
ページ先頭へ