kierkeのプロフィール

@kierke kierke
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3重人格です。表現も極端です。キツイです。

  • 登録日2001/04/01
  • 幸福とは?

    「幸福」とは、一体なんでしょうか? ずっと考えているのですが、正体がわからぬままで、時折他人に「幸福?」と聞かれても、「わからない」と答えるばかりです。 私が生きてきた中で、思ったこと、感じたことは、「幸福感」と「幸福」は別ものではないかということと、「幸福」は相対的なものではないのではないかということです。これはあくまでも私の感性が創ったイメージなので、論理的に説明することは難しいのですが…。 私の日常、人生の中にも「幸福感」は、少なからずあります。(美味しいものを食べた時や、眠りにおちる瞬間や、美しいものに触れた時等々…) しかしながら、「幸福感」は瞬間的な感覚であり、持続性に乏しく、「幸福」と呼ぶに足らないものではないかと、そう思っております。 「相対的なものではない」というのは、私の中に幻想が含まれているのかもしれませんが、「幸福」は何かと比較して見出すものではなく、“そのもの”が発するもの、もしくは“そのもの”が証明してくれるものではないかと、そんな気がしています。(頭の片隅には“絶対的”というイメージが…) 少なくとも、私は不幸な感覚や状態と比較して、「ああ、幸福だなぁ」とは思えませんし、他者と比較して得たとしたら、それは優越感ではないかと、そう思っております。 皆さまの考える「幸福」をお聞かせください。尚、私は哲学書などを読んだことがないに等しい、頭の中で堂堂巡りを繰り返しているだけの素人ですので、ご回答の際にその点を考慮していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 幸福とは?

    「幸福」とは、一体なんでしょうか? ずっと考えているのですが、正体がわからぬままで、時折他人に「幸福?」と聞かれても、「わからない」と答えるばかりです。 私が生きてきた中で、思ったこと、感じたことは、「幸福感」と「幸福」は別ものではないかということと、「幸福」は相対的なものではないのではないかということです。これはあくまでも私の感性が創ったイメージなので、論理的に説明することは難しいのですが…。 私の日常、人生の中にも「幸福感」は、少なからずあります。(美味しいものを食べた時や、眠りにおちる瞬間や、美しいものに触れた時等々…) しかしながら、「幸福感」は瞬間的な感覚であり、持続性に乏しく、「幸福」と呼ぶに足らないものではないかと、そう思っております。 「相対的なものではない」というのは、私の中に幻想が含まれているのかもしれませんが、「幸福」は何かと比較して見出すものではなく、“そのもの”が発するもの、もしくは“そのもの”が証明してくれるものではないかと、そんな気がしています。(頭の片隅には“絶対的”というイメージが…) 少なくとも、私は不幸な感覚や状態と比較して、「ああ、幸福だなぁ」とは思えませんし、他者と比較して得たとしたら、それは優越感ではないかと、そう思っております。 皆さまの考える「幸福」をお聞かせください。尚、私は哲学書などを読んだことがないに等しい、頭の中で堂堂巡りを繰り返しているだけの素人ですので、ご回答の際にその点を考慮していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 自殺について

    自殺とは、何ですか? 自分の生命を自ら絶つその行為の意味は、一体何なのでしょう? 自殺について、思うところがあれば何でも回答を下さい。 どのような立場の人でも構いません、あなたの考える「自殺」とは何か、 聞いてみたいのです。 ちなみに私は、学問としての哲学の素養が無い素人なので、専門的な用語などは 殆どわかりません。できれば私のような人間にも了解しうるやりかたで、回答を お願いします。

  • 自殺について

    自殺とは、何ですか? 自分の生命を自ら絶つその行為の意味は、一体何なのでしょう? 自殺について、思うところがあれば何でも回答を下さい。 どのような立場の人でも構いません、あなたの考える「自殺」とは何か、 聞いてみたいのです。 ちなみに私は、学問としての哲学の素養が無い素人なので、専門的な用語などは 殆どわかりません。できれば私のような人間にも了解しうるやりかたで、回答を お願いします。

  • なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。

    「なぜ人間は死ぬことをわかっていながら,生まれてくるのでしょうか。」 」ことの答えられる方教えてください。死ぬことがわかっているならば,最初から生まれてこなくてもいいのではないですか。こんな無駄なこと不合理ではありませんか。別に人間がこの世に存在しなくてもいいではありませんか。生まれてこなければ,生きていることに苦労して,死ぬことをおそれるともないでしょう。