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なんで無限を扱えるの?

なんで無限を扱えるの? 限りがないことって証明できなくない?

みんなの回答

  • Ishiwara
  • ベストアンサー率24% (462/1914)
回答No.7

> 限りがないことって証明できなくない? 証明や反証ができるのは「命題」に限ります。単に「限りがない」という記述は、命題として扱えないので、証明も反証もできません。

noname#112423
質問者

お礼

いけず

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  • nitho_t
  • ベストアンサー率49% (44/89)
回答No.6

#2です。 +1できるかどうかは整数の和が閉じているかどうかで決まります。 ここから先は、かなり数学の勉強が必要なので専門書を読んで理解することをお勧めします。

noname#112423
質問者

お礼

整数って言い出したのはそっちじゃん

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  • fbsd5453
  • ベストアンサー率7% (3/40)
回答No.5

他の方とは違い、歴史的な観点から考えてみます(といっても私は歴史学者ではないので認識が不正確な部分があるかもしれません)。 「無限に大きい」だとか「限りなく小さい」といった極限の概念は古代からあったようですが、極限の概念の有用性が現れるのは微分積分学においてです。 微分積分はニュートンとライプニッツが大体同時に発見したといわれています。17世紀の終わりから18世紀のはじめくらいにかけてのことです。 「無限」という概念を使った新しい計算を使えば天体の運動をも説明することが可能であることをニュートンは発見したのです。 ところが、その当時の人々はおろかその後およそ200年間にわたって「無限とはなにか」とか「無限は本当に存在するのか」ということにきちんと答えることのできる人は現れませんでした。 (というわけでhurookeさんが疑問に思うのも無理のないことです。当時の大数学者たちが頭を悩ませたわけですから。) 200年後の19世紀後半には無限というものの新しい扱い方が確立した(イプシロンーデルタ論法とか呼ばれています)のですが、実はこの新しい考え方の中には「無限」だとかいう言葉は出てきません。 「無限とはなにか」という問に真っ向から答えるのを止めることで、数学的に厳密に微分積分学を扱うことが可能になったわけです。 ちなみに「無限小」だとか「無限大」だとかを数学的に厳密に定義して扱う手法が確立したのは20世紀後半の話です。

noname#112423
質問者

お礼

できないのか、、、

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  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.4

こんにちは。 数学では、実社会的な考え方をするとおかしいような考え方がたくさん出てきます。 たとえば、マイナスの数のルートなんて、とんでもないです。 3×3×3×3×3 のことを3の5乗と呼びますが、数学や理科では3の5.67乗というような数も扱います。 しかも、実数の虚数乗などという想像を絶する概念もあります。 クルマで時速130kmで走ってスピード違反でつかまった人が「俺は1時間も走っていないのに、1時間で130kmも走ったとは何事だ」という屁理屈も考えられます。 以上のことと無限との共通点は、「扱える」ということではなく「扱う」ということですね。 はなから「そんなのはダメ」と否定してしまうと、次に進めません。 そして、上述したことは、不思議なことに、世の中の役に立ったり、この世の真実を解き明かす助けになっていたりします。

noname#112423
質問者

お礼

はい

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  • vingbing
  • ベストアンサー率35% (11/31)
回答No.3

たぶん、さらに丁寧に書いておいた方がよい気がするので老婆心ながら書いておきます。 #2さんのようなことをすると、 少なくとも、自然数はどんどん増えていって終わらないことがわかります。 この終わらないことを無限というとすると、 なにか、いま考えたい対象があって、その対象と自然数の間に1対1の対応がつくようなことを考えると、自然数以外ものもにも無限を扱うことができるようになります。 でも、これも自然数を基準にした場合であって、容易にわかるように?? 実数は自然数と1対1には対応しません。 しかし、実数も限りなく大きくできるので、これも無限というとすると、 自然数の無限とは別の無限があることになります。 しかしながら、そんな風にするといくつかの無限があって区別できることがわかります。 そういう風に、数学ではかなり厳密に無限は扱えています。

noname#112423
質問者

お礼

無限は扱えるけど無限であることは証明できないのか、、、

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  • nitho_t
  • ベストアンサー率49% (44/89)
回答No.2

#1があまりにもいい加減な回答なので、 「無限」は数学上の無限大を意味していると考えて回答します。 整数が無限にあることを証明するには帰納法を使います。 既知の最大の整数nに対して、n+1をmとおけばm>nなので最大の整数はmになります。 これが無限に繰り返し可能であること(を前提として)で整数が無限にあることを証明します。 より厳密には整数の和が閉じているとか、いろいろありますがこのくらいの説明でご納得いただけるでしょうか?深く考えるとかなり難しい問題ですので。 ちなみにマイナスの数が数学上の概念であれば、プラスの数も無理数も数学上の概念です。 物理的な存在に対応するかどうかという議論であれば、多くの場合は単位系の問題です。 無料大数(おそらく無量大数の誤記と思います)は古代中国(or インド:だいたい仏教由来です)の数字の単位(千とか万とか)で出典に依存はしますが、数学上の概念とは無関係です。(まあ、昔の人が凄く大きな数と考えたことは相違ないと思います) 以上

noname#112423
質問者

お礼

それは分かる。でも「+1」できるかどうか分かんないときは?

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  • mappy0213
  • ベストアンサー率26% (1706/6353)
回答No.1

数学で考えるならマイナスも概念上出てくる数字なだけですからね実在はしない数字です 無限=無料大数 って考えると数学上は今でも解釈が変わります10の66乗って人もいれば10の88条 とかって人もいます。 でももちろん書き足せば10の67乗もありえますしね そういう意味では書き足せばいくらでも作れます 数学というより哲学的な話になりますね 便宜上膨大な数というのを無量大数とか無限大とかって言う言葉で表しているって感じに捉えていいと思います。 正の数に対する負の数のような概念で 有限に対して無限が有るという考えですね

noname#112423
質問者

お礼

なんか変

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