• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己への信頼と、自己実現)

自己への信頼と、自己実現

やっちゃん(@510322)の回答

回答No.1

考えすぎですよ。 真面目になりすぎてしまうと、ついつい考えすぎて、自分の力を過信し、逆に自信がなくなることがあります。 もっと気楽にいってください。 一気にやるのではなく、少しづつコツコツすればいいじゃありませんか? 誰も急ぎはしませんし、急いでつくってもいい作品はできませんよ。 急がば回れです。 私自身も以前自信がないときには、質問者様と同じ気持ちになりました。 毎日焦り、何か自分の力に限界を感じ、現実逃避ばかりしていました。 しかし、何も考えない日やそとでブラブラしている時間をつくるようになってから、いざ仕事をした時にスッキリした感じで、仕事がはかどりました。 とにかく、焦らずのんびりいきましょうよ。

noname#113244
質問者

お礼

ありがとう存じます。 そうですね。 小さな頃から、変わらず「真面目で、考えすぎる」と言われてきました。 それが裏目に出ることは、日常茶飯事な半生でした。 わたしの中では、もう初めて病院へ行ってから、何だか空白のように、どこかで捉えていたのかも知れません。 つまり、20代のほとんどが、実質は、たくさんのことを学んだというにも関わらず、どこかで虚無感があるのです。 療養を繰り返して、友達も減りました、恋愛もまともにしませんでした。 いつもは、気をはって、それでいいと言っていながら、そう思わずにはいられなかったですね。 今、初めてそれを認めることが出来ました。 最近は、何故か散歩にも行けていませんでしたが、気分の良い時には、外の空気を吸うように心がけたいと思います。

関連するQ&A

  • 自己実現欲と承認欲の違い

    はじめまして。 マズローの欲求5段階説についての疑問です。 承認欲…低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目      …高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性 (wikipediaより) とあり、他者と比較して相対的に自分がどうか、というところに承認欲があると捉えました。 自己実現欲について、どのようなものかがいまいちわかりません。 今のところ私が思う「自己実現欲」とは自分の能力を活かしきること、と考えています。 自己実現欲と承認欲の違いについて詳しく教えてください。

  • 志望動機?自己PR?

    以下の文を志望動機に書くか、自己PRに書くかを迷っています‥。 検討お願いします。(芸能オーディションの履歴書です) 小さい頃から芸能界に興味があり、中学生になってからは本格的に考えはじめた為、このオーディションに応募しました。 小さい頃からピアノのレッスンを受けています。 小学5年生の時には、コンクールで努力賞、他では近畿大会まで残り、準優秀賞いただき、今ではドイツ人の先生に教わっています。 最後まで悔いの無いように頑張ります。

  • 死刑は「正義の実現」のためです。

    本来、死刑に「効果」を求めるのは間違っているのです。 人間の命は平等です。被害者の命を奪った罪に対して死刑以外の 刑罰では「加害者の命>被害者の命」となり公平を欠くのです。 それは正義ではありません。 罪無き人の命を奪った罪は、自らの命で償わせる。 これが原則であり、正義の実現です。 正義が軽視された社会に、理想も調和も秩序も発展もありません。 死刑反対派は、死刑は権力の乱用、人権侵害だと言いますが、 加害者に人権があることは、犯した罪に対する罰を逃れる権利が あるというわけではありません。 日本で死刑になりたくなければ、人を殺さなければいいだけです。 それでもルールを破って人を殺す者の人権は、社会に制約されて 当然です。 死刑賛成派は「正義の実現」の為に、加害者の命を奪う死刑の重責 を、社会全員で背負ってゆく覚悟がありますが、死刑廃止はこの 重責から逃げているのです。 死刑を廃止すれば、もうどんなケースであろうと死刑が出ないの だから、死刑か否かと悩む必要もなく、気楽なことでしょう。 でもそれは、何が正義かという厳しい判断を放棄し、正義を実現 する責任からも逃避することです。 そして死刑反対派は、逃げながら折衷案のつもりで、死刑よりも はるかに人間の尊厳を損なう終身刑などというものを持ち出します。 人間というものに関する無知なるがゆえ、そして臆病で卑怯で 無責任なるがゆえ、より大きな過ちを犯そうとするのです。 今のところ、日本人の85%はそのような妄想的非常識人ではない ので、当分死刑が廃止される気遣いがないのが幸いです この考えで間違っている部分はありますか?

  • 記憶の抑圧に向き合う方法

    私は記憶喪失の疑いがあり、当時の状況を調べ記憶が実際にあった事だと確認しました。 目の前で見た殺人、自分が受けた強姦、幼児期の強姦未遂や性的虐待です…。 警察に行きましたが、証拠はあっても時効を過ぎた為、捜査等が出来ず、 復讐など危険が伴うから一人で相手に近付いたりしないように、何かあればすぐ連絡するようにと言われました。 自分は、記憶を思い出してからも現実だったとは思えず、掘り返したカルテや証拠を捨ててしまえば また何も無かった筈の人生を過ごしていける…と逃避で一杯になります。 ですが人が恐くて外に出れなかったり鬱などで、記憶と向き合いトラウマを克服しなければ、 就職さえ出来ないような現状です…。 今まで普通に過ごしていた筈の人生が、全て嘘だったようで、自分の中身が0になってしまいました。 乗り越える気概は十分あるのに、治療の為のカウセリングに行けません。 四六時中の記憶喪失では無いから多重人格では無く… まるで頭の中で、自分をカウセリングに行かせないよう意識を操られるよう感じがします… どうすればカウセリングに行けるのでしょうか…また同じ境遇の方はいらっしゃいますか? アドバイスを頂けたらと思います;_;

  • なぜ子供の言うことを繰り返すと信頼感の獲得になる?

    僕は現在25歳でアルバイトしながら実家でくらしています。 母との会話の際に圧迫感と緊張感、そして言葉のキャッチボールができてないことのイライラから、自 分自身の気持ちを言葉にすることに恐怖感があり、自分自身が精神的に自立する段階でどこかで 気持ちの面で挫折している感じがあるのではないかと思っています。 その原因が子供時代の母との関係(特に信頼感の欠如)にあるのではないかと思い今回「なぜ子供の言うことを繰り返すことが信頼感の獲得」に繋がるのかについて質問したいと思います。また、信頼感の欠如の回復の方法についてもお聞きしたいです。(心理カウンセラーなどしている方がいれば心理学の観点からみての話を聞いてみたいです) 子供が自立心を持ち始めた頃から、子供のなんでもない発言に対して親が善悪の判断をするのでも なく、共感するのでもなく、ただオウム返しのように繰り返すことで、こどもが自分の話を聞いてくれて いると感じ、相手(親)を信頼するようになるのはなぜなのでしょうか。 今現在自分自身の問題として、大きく阻んでることがこの信頼感です。これまで振り返ると、自分の行 動に対して母からそういった態度で接されたことがなく、最後はなぜか母親の意見に従っていた記憶 があります。だからなんかやらされている感が拭えなく腹立たしく、正直母親のことを心底信頼してい るという感覚がありません。 よく母との会話で感じる感情は、「人の話を聞こうともせずに、勝手に人のことを決めつけてその上であーだこーだ言われてもなんのはなしあいにもならんやんけ!(怒り)」 って思いがふつふつと湧いてきます笑;。 現実問題として母をどうこうしようとするのは無駄な労力であることは心底納得はしてなくとも、頭では 理解しているので、この信頼感の欠如を回復するためにはどういった方法が考えられるのか、みなさ んの経験談や実際の行動結果として両親との関係が改善した体験などをお聞かせいただければ助か ります。 具体的な問題として自分自身のこと(仕事のことや心の問題)は自分自身で解決していきたいという意思はとてもあるんで すが、何か自分で決定することがあるとき、どんな小さなことでも(例えば外食で料理を決めるとき) なにか自分がこれが好きだ!これがいい!と心からすっきりとして気持ちで選択できず、とりあえずは 決めるものの、その決めたことに対して納得感が感じられません。 これからのことを考えても今少し時間をとってこのことに取り組もうと思っているので、誠意ある回答を待っています。 よろしくお願いします。

  • 下記の理想の弟子と師の関係性についての

    下記の理想の弟子と師の関係性についての 私の文章の盲点(スコトーマ)とは? (独断に陥らないために、盲点に気付くために質問致しました。) 相手の話で同意できない部分は同意する必要もないし、 それが親、上司、何かの師だろうが、彼らの考えで全面的に同意できない、可笑しい部分を空気を読むがごとく、従う必要はないだろう、 相手の言うことを聞いていてはやがては相手の奴隷になるに 至ってしまう。 志を高く持つのはよいが、それが自分からではなく 相手からならば、それは相手の奴隷になるということ。 弟子に対しては、師は自分の知っている知識を その弟子の知識量、理解力等を踏まえ噛み砕いて 感謝的にならず、 優しい言葉つがいで論理的に諭すように、導くように 教え、段階を踏んで次のステップに導さなくては、 出来れば、最低師は弟子が自分を超えるような存在に 教育してこそ、真っ当な師と言えるだろう。 弟子に対しては、弟子が自分が至る未来に確信が持てなければ、師は弟子に対してそれが実現するのが当たり前だと、 あなたにはその能力がある、私を超える能力があり、 あなたはゆくゆくは私に対して教える時期が来ると 語らなくては、 師は弟子を教育し、弟子は逆に師に刺激を与え 師が見えない視点(盲点)を気付かせてあげ、 加味してあげ、師の能力をさらにあげ、 師はその能力を弟子に還元し、 お互いがお互いを触発し合う最高の学習環境を 創れば、両者ともいままで以上にものすごく成長するであろう、 師は弟子の成長を確信し、褒め、励まし、 適切に指導しなくては、 社会、教育カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。 下記のブログの著者へのコメントから生まれた質問です。 http://www.kana-ri.com/entry/2017/06/01/113000#comment-10328749687258266723 https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q12174935987 2017/06/03 10:48

  • 職場における信頼の大切さ

    やや感想じみた質問ですが、今、日本から、「職場の信頼」が失われている気がします。 仕事の為の仕事(中身の無い報告書作り、上司への過剰な擦り寄り)、生産性の無い足の引っ張り合い(陰口や、悪口)を通じて自分を優位に立たせようとする、等々。どちらかというと要領の良い人間や、ソツなく仕事をこなせる優等生タイプばかりが重宝されるようになってしまった気がします。これは、やはり能力別評価制度で、チームよりも個人の成績ばかりで評価され、相手を出し抜くタイプの人間が上に来てしまったからでないかと思います。 大きな仕事をこなすためには、チームが信頼しあい、認め合い、「和」を大切に、お互いの幸せを願いながら仕事をしていた筈ですが、それが消えつつある様に思います。私自身が所属した職場も、採算性の低い部署ばかりで、それぞれいつ異動になるのかと戦々恐々しながら、自分が次の椅子取りゲームの被害者にならないように目を光らせている。新たな事業創出への意欲を失い、自己保身に走ってしまう。どうでもいい言葉づかいなどで、安易に「できる・できない」を決めつける。希望も信頼もない、薄っぺらい世界になってしまいました。社内で認められている人間が、必ずしも社外で認められる人間になっていない。むしろその逆のケースが多い。 私は数少ない「信頼できるチーム」に配属されたことがあります。お互いが本音で意見をぶつけあい、喧嘩もするし、喜び合いもする。本人不在のところで陰口をたたかず、本人同士で正々堂々会話する。そういうチームの間では、アイデアも生まれるし、切磋琢磨も生まれる。それぞれに強い目標を持っている。従い、人間的な魅力も生まれるし、「こいつは売上や利益だけではない、情熱や熱意、倫理観を備えている」と客先から中身を認められ、仕事が拡大する。鶏卵論ではありますが、(1)仕事→(2)実績→(3)自信→(4)成長→(5)信頼→(1)仕事、といった正のスパイラルが生まれてくるように感じます。 そもそも、人を出し抜いて、恨まれながら上のポジションを確保して、何が楽しいのでしょうか? 人生観やこだわりを共有できない浅い人生など、最後に寂しさやむなしさが残って終わるだけなのではないかと思います。とはいえ、そうはいいながら、実感としては、そのような「ある意味、諦めた」人間の割合が8-9割、情熱と夢をって生きている人間の割合は1-2割だと感じます。そして、「ある意味、諦め」て、他人を蹴落とすことに身を染めてしまった、劣化した人間が上に上がるような傾向が生まれてしまいました。 多少のミスや間違いは人間誰にでもあるものです。そういったことを責め合うような相互監視の関係となれば、新たな挑戦の気概が生まれる筈などありません。細かいことは文句言わず、大きな目標に向け、志を共にする、そういった大きな心が失われています。 今日本に必要なのは、表面的な実力主義ではなく、アメリカ型のドライな組織構造もはなく、チームで仲間同士が信頼し合わなければ生き抜けないような、そんな切磋琢磨を支援する、仕組み作りを新たにアレンジして作り上げることではないかと思います。 如何でしょうか。

  • 自己実現とは

    よく自己実現といわれますが具体的はどういうことをいうのですか?調べても抽象的なことばかりなのですが。

  • 自己実現的に生きる

    女性が自己実現的に生きるとはどういう事だと思いますか? 私は女は家庭という伝統的固定的なものにとらわれずに外で働き自分の能力を発揮することだと思うのですがみなさんはどうですか? 具体例なんかも出してほしいです。 いろんな意見が聞きたいです よろしくお願いします。

  • 自己実現できないのは

    得たいものは定まっていても 得る手段がどうにもならないからだと思うのですが 40でまともな職歴もなく貯金もなくツテもなく今まで一度も彼女がいたことない おっさんがどうすれば20~36歳までに才色兼備と幸せな家庭を築くことができるのでしょうか?? 諦めなければならないなら自分で死にます。やるかやらんかです。