福祉を持ち込むと経済の自然均衡は何故失われるのか?

このQ&Aのポイント
  • 福祉を経済に導入すると、経済の自然均衡が崩れる理由について教えてください。
  • 福祉をビジネスに導入することで、価格バランスが崩れるのでしょうか?具体的な理由を教えてください。
  • 欲望のままに行動するのはふしだらに見えますが、成熟した感性とともにある欲望は生産のエネルギーを生かすことができます。しかし、個人個人により修練が必要であり、感性の教育も未発達であると思われます。この未熟な欲望の利己主義を考慮しないと、経済の均衡や商品の開発に悪影響があるのでしょうか?
回答を見る
  • ベストアンサー

福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか?

福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか? 経済学を勉強されている方への質問です。 私は労働者として生きてきた62歳の者です。 物の値段が さまざまなバランスで生まれることはわかります。 ですが、そこのビジネス自体に福祉を持ち込む (例えば シュタイナー教育のように貧乏な人からは料金はもらわないシステム)と そのバランスは崩れてしまうのでしょうか? そのへんの詳しい道理を知っておられる方がおられましたら 教えてください。 欲望のままに行動するのは一見 ふしだらに見えますが ほんとうに成熟した感性とともにある欲望であれば それは生産のエネルギーのみ生かされて余計なお金幻想などに惑わされない姿にもなってゆくと思っています。 しかし、それには個人個人により、長い修練が必要だったりもします。 また 感性の教育の問題もあるかと思います。 現在 その感性の教育は 哲学的にも心理学的にもまだ発達していないのではないかと思えてしまうところがある段階に思えます。 (学問歴史的には私自身まだよく解かっていませんが) とすれば、 この欲望の未熟な段階の利己主義も多いに考慮しないと 生産のたくましさが失われたり  よい商品の開発(生涯使える品として)も、 いきなり人気をシェアを独占してしまうような値段を実現する良心的なものであるほどに、   そこには いきなり多くの企業の倒産や失業がうまれ あってはならないほどの不幸もたくさん波状的に生まれてしまうかもしれません。 たしかに 利己主義をそのまま肯定する自然均衡の経済学にも一理あると考えるべき地点に今はまだある点も 多々考えられます。 が、それによって 今のような格差が出てきている時に(格差自体を問題としているのではないのです。それなら日本は他の国とは比較にならない少ない格差となってしまいます。  下の格差の人たちの苦痛の切実さの現状を語ろうとしています)  自然均衡の理論だけでは片手落ちと思うのです。 そこからの質問です。  福祉を持ち込むとなぜ 自然なバランスが失われると言われているのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yayuh
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.2

健康な経済とは、端的にお金の循環がよいことだと理解しています。 その観点からの考えてみると、現在の福祉がさらなるお金の循環を生み出していないということができるのではないでしょうか。 それは、現在の福祉の考え方やあり方、仕組みだけが要因ではないと思います。 現代の風潮として、善いこととお金の循環と分離させて考える傾向が強く、多くの消費活動に影響を与えているように思います。その結果、雇用を生み出せないのに倒産や失業の問題が重要視され、外的資金が投入される、またおっしゃるような欲望を掻き立てて消費を促すといった偏な循環が続いているようにも思うのです。 善いこととお金の循環を両立させる経済の仕組みや産業を創出していくことが「資本」を中心とした資本主義から「人本」を中心とした人本主義へつながっていくように思います。

iwamahico7
質問者

お礼

なるほど、 健康な経済の大きな要素としてお金の循環という概念がいかに重要か あらためて理解されてきました。 ありがとうございます。 》善いこととお金の循環と分離させて考える傾向が強く《 ここらへんの認識が重要ですね。 善いことを お金の循環に活用するのならば、シュタイナー方式のような価格設定も一つの経済に活性化につながるのみ、 なんら問題は無いと思えてきました。 「人本主義」という言葉も始めて聞きましたが 面白い考えですね。 参考になります。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.5

 NO3,NO4politenessです。需給曲線についてさらに丁寧にご説明させていただきます。縦軸はP(価格)で横軸はQ(数量)です。つまり、供給曲線が左方にシフトするということは供給量が減少するということです。質問者様の理解の仕方そのものは正しいです。  なお、余談ですが、需要曲線(D)は右下がりで、供給曲線(S)は右上がりであることはご存じかもしれません。そして、供給曲線だけを左方にシフトすると両者の交点が左上に変位します。これは価格が上昇することを意味します。つまり理論上は労働者の賃金が上昇することになります。  ミクロ経済学はおもしろい学問だと思います。

iwamahico7
質問者

お礼

このベクトル図については ずいぶんいろいろと考え込んでしまいました。 質と価格の関係、価値観と価格の関係、価値観の認識や教育の違いによる価格との関係などをそこに代入してしまうとまた異なってくるところもありそうです。 肝心な点、 福祉を導入すると供給曲線sが左にシフトするという点も、 福祉の中の無料の品物提供のシチュエイションが頭に浮かびますが、その限り確かに 働かなくても食べていけたりその欲しい品が手に入るなら、 そのぶん、供給をそのためにまわすので少なくなると考えれば、価格は上がるわけです。 それが、そのぶん設けた会社の労働者の賃金の上昇に実際にもつながったとして、かえって格差の因の1つともなりそうなところかもしれません。 逆に このへんさへしっかり把握していれば、 福祉をなるほど否定する必要は無いなという点も ここにおいてより明確となってきたような気もします。 まだまだ 考えてみます。 ありがとうございました。 なお、 締め切るには ベストアンサーを選ぶ必要があるようですね。 これは 経済よりも難しい時がありそうです^^。 今の時点で 一番参考になった考えが入っていましたNo2の方(かた)を しかたなしに選びますが(すみません)、  もちろん みなさんのご回答がすべて わたしには参考になっています。 この場を借りて あらためて皆様にお礼を言いたいです。 ありがとうございました。

回答No.4

 NO3です。「供給曲線が下方にシフトし→供給曲線が左方にシフトし」に訂正いたします。すいませんでした。

iwamahico7
質問者

お礼

あれ?  すみません。 やっぱり、 経済学を知らないでの質問はおかしなことになっているかもしれません^^。 「供給曲線が下方にシフトし」で理解していたのですが、 それを私は単純に 供給が下がる事態(働く人がさらに減り、意欲まで低下してゆく事態)の事を意味してると解釈していて、 ちゃんと通じてると思っていたのです。 申し訳ありません。 「左方にシフトし」ですと、 その「左方」の意味合いが解かりませんので、まったく意味がつかめていなかったことになります。 物の価格の変動と 需給バランスの自然均衡の論理自体私が思っているよりも複雑な論理の世界なのかもしれません。 それなりに わたしなりにはおおいに参考になって(しまって^^)いるのですけど、 ここは出なおしたほうがよさそうです。 でも 私自身は おおいに考えるよすがを得ているのです。 助かってもいます。 へんなお礼になってしまいましたが、 たいへん、ありがとうございました。

回答No.3

 専門分野ではありませんが、経済学原論を履修してそれほど時は経過していません。純粋資本主義から修正資本主義への移行の脈絡でこうした表現が使用されたのでしょうか。そのことを前提といたします。  純粋資本主義社会では、建前上は景気悪化→失業者増加→景気回復→失業者減少の自然的循環が見られ、その過程で各種需要と供給のバランスが自然に調整されることになります(自然均衡の理論)。しかし、福祉の導入によって労働供給の減少が生じ(供給曲線が下方にシフトし)、労働需給バランスに反映され、さらには各種需給曲線にも影響を及ぼすという意味だと思います。  この説明はミクロ経済学的分析に基づくものにすぎず、決して福祉政策を否定的に論じたものではありません。

iwamahico7
質問者

お礼

なるほど、 (私はミクロ経済学もマクロ経済学も そういう言葉があることを知っているぐらいで何も知らない者ですが ご説明してくださった内容はわかるつもりです) これも国家による福祉政策の導入を問題とした 需給曲線への悪影響がありえるという分析ですね。 へたに失業者を援助してなんとか働けなくてもなんとか生活を成り立たせてしまうことによる労働意欲の低下などの弊害を 理論的学問的に記述するとそんな感じの論理になるのですね。 わたしには、大変興味深いお話でした。 また、おそらく 経済学で言われている 福祉の介入によるバランスを失う原理というのはこのへんのことなのでしょう。 でも これですと、 教育力のあたりの問題を導入すると解決しそうですね。 マクロ経済学というのがどういう経済学であるのか解かりませんけど もっと大きな視野から検討すれば、これも問題はなさそうですね。 たいへん参考になりました。 ありがとうございます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

福祉を持ち込むとなぜ 自然なバランスが失われると言われているのでしょうか? ↓ 言い換え 1 各経済主体は、それぞれにおいて最大の福利を獲得するために行動する。 2 社会的弱者の福利を保証するために、国家が介入する 3 国家は経済的合理性の元に行動するか? 国家は経済的合理性の追求とは違う原理で動く。 よって、国家が参入する経済ゲームでは、1の合理性が作動しない

iwamahico7
質問者

お礼

なるほど、 国家による福祉政策にも問題はありそうですね。 国民全体の代表としての政策となりますから、 各経済主体が求める合理性(それが何であれ)に対して その合理性を作動させない原理が働きがちですよね。 シンプル・イズ・ベストな御回答参考になります。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 雇用・失業、経済的貧困、教育・医療・福祉の機会不均等の問題はどうしたら解決できますか?

    雇用・失業、経済的貧困、教育・医療・福祉の機会不均等は、 国民的課題として解決を求められていますが、どうしたら問題を解決できますか? (1)雇用・失業 企業の都合による失業、派遣・パートなどの雇用、 フリーター、ニートなどの問題は解決できますか? (2)経済的貧困 雇用・失業の問題とも関係しますが、 経済的な貧困の解消、著しい貧富の格差の是正の問題は解決できますか? (3)教育・医療・福祉 雇用・失業の問題とも関係しますが、 経済的な貧困により望む教育・医療・福祉を受けられない、 経済力により受けられる教育・医療・福祉が決定される、 機会の不均等は是正できますか? 質問した三点はどれも簡単な問題ではないですが、憲法に書いてある、 健康で文化的な生活は、社会的権利として誰でも求めるものと思います。 この問題を解決できる適切な政策はありますか?それはどのような政策ですか?

  • 経済学 通信大学

    こんばんは。大学の通信教育で勉強しています。 経済学のテキストを読んでいるのですが、 文章も図(手書きに近い)もわかりにくくいまいち理解できません。 できるだけテキストの理解に役立つ参考書を探しています。 ピンポイントにというのは難しいと思いますので、 以下の内容を基礎的でわかりやすく書いた本(これがいい!!という本)がありましたらどうかお教えください。お願いします。 テキストの項目は ミクロ経済学  消費者・生産者行動  市場均衡  経済厚生と国際経済 マクロ経済学  国民所得決定のしくみ  財政・金融政策の効果  景気変動と経済成長    です。 本屋さんなどでそれらしい本をめくってみても テキストとどうつながるのかもよくわからない状態です(@_@;) お願いします。

  • 税制・福祉政策

    アメリカ・イギリス(1970年代後半から1980年代を中心に)、北欧(2000年以降を中心に)、日本(2000年以降を中心に)の税制福祉政策について、どのような政策がとられ、その結果どうなったか。 例えば、少子化が進んだ、経済格差が広がった、競争率が低下したまたは上昇した、教育の質があがった・下がったなど 以上のようなことを教えてください

  • 教育格差と経済格差の関係について

    経済格差のせいで教育格差がついてそれが経済格差を再生産しているという主張があります。その例として東大生の親の年収を挙げて、親の高収入と子の東大入学がリンクしているかのような論調がみられます。しかし、実際には収入とリンクするのはどちらかというと超一流のトップ校ではなく1~2流校ではないかと思います。 例えば自分の経験からすると入試問題の難しさには2つの傾向があった気がします。 A) 学齢以上の知識はいらないが思考力がいる問題(高校入試だけれどかなり頭のいい小学生でも解けるとか)。 B)学齢以上の知識が必要な問題(高校入試に高校3年生で習う微分積分とか、大学入試に大学で習う量子力学とか、出題者としては反則だと思いました) A)はお金をかけて教育しても無駄で本人のポテンシャル次第です。だから経済格差が教育格差につながる事にはなりません。 B)であれば塾へ行って習えば済むことで単純にお金の問題です。 少なくとも東大・京大や灘・開成高校等の入試問題、駿台予備校の実戦模試ではA)の問題がほとんどでした。一方、K塾や2流クラスの私立高校・中学校の入試問題でB)のような問題を見かけたのは確かです。 もちろんそんなのはある一面にすぎませんが、1流校、2流校あたりが経済格差とリンクするメカニズムはあるように思います。一方、超一流のトップ校と経済格差の因果関係は見えません。唯一遺伝くらいだと思います。 ==== というわけで、世間では親の高収入と子の東大入学の高い相関関係をそのまま因果関係のように言っていますが根拠が全く不明です。 超一流のトップ校と経済格差や1,2流校と経済格差の因果関係について語ってみてください。

  • 経済学の本を探しています。

    現在、私は中国の大学に留学中で今期から経済学の授業を受けています。ですが私は今まで経済学を勉強したことがなく、中国語のレベルも十分ではないので、これから授業についていけるか不安です。なので、まず日本語で書かれた経済の本を読んで勉強したいと思っています。ですが、どの本がいいかわかりません(中国にいるので手にとって確認もできません) 経済学に明るい方がおられたら、どういった本が良いか教えていただけないでしょうか?授業で使っている教科書の目次を見てみると15章に分かれています。 (需要、供給、価格) (弾性理論) (消費者行為理論) (生産理論) (コストと収益) (製造・市場均衡理論) (分配理論) (国民収入計算論と方法) (国民収入決定理論) (失業と通貨膨張理論) (経済周期理論) (経済増長理論) (マクロ経済政策) (開放経済概論) (開放経済の国民収入のバランスと調節) よろしくお願いします。

  • 資本主義の矛盾

    資本主義は競争や格差を前提とするシステムなのにも関わらず、格差社会のアメリカをよしとしない風潮や日本の格差拡大を懸念する声が出ています。 一方で社会保障の手厚い北欧諸国の政治は注目されることも多く、国際的な地位、イメージも経済規模の割には高い気がします。 結局資本主義とはなんなのでしょうか? これから100年、500年、1000年と経つにつれて、資本主義→社会主義者→共産主義へと移行していくのではないでしょうか? 計画経済の計画性強化(計算能力)、労働力の安定的確保(ロボット?)、食料生産技術の革新等が進むことで、未来は社会主義の実現ハードルが下がり、経済システムは変化していくのではないでしょうか? それとも人類は超格差社会の到来を認めるのでしょうか?

  • 共産主義と、理想的高度資本主義とのどちらが現実的か?

    自由ということを、あらゆる趣味趣向の選択自由性ととらえて、そこに小さな心での争いの自由とかを含むのでなければ、 自由、平等、博愛の、豊かな経済世界を求めるのに、共産主義のほうが、もし教育があらゆる面で発展したならば、 単純明快に簡単だと思えますが、 ネックの一つは「教育があらゆる面で発展したならば」ということとなると思うのです。 一方、高度資本主義にても、競争による負け組みへの配慮が教育面にいたるまで充実していていれば、ボランティアであっても力ある組織はお金で実現できるのですから(お金だけでは実現できないですが)いろいろと最大限の「自由、平等、博愛」の実現自体は可能だと思います。 競争なしには技術改革にしても意欲の面で劣るというのは、よほどの教育の充実でみんなが松下幸之助のような精神にまでならなければ とかいったこともあるかと思います。(ここは手短に表現しすぎてますが) でも、不可能ではないです。 一方、個人的にお金持ちになりたい意識ならば、教育が進めばそれはふつうの高度資本主義社会でもお客さんは信用しなくなってゆくでしょうからやがては成り立たなくなっていくでしょうし、 たとえば、緑や風の美しさへの感性の教育がほんとに充実して可能となれば、落ち着ける庭は、この地球全体ともなる というふうにも表現できてしまうと思います。 (庭に価値が無くなるとかいうのではないです。) 個人的なお金儲けのためというのではなくて、そのぶん、消費者のみんなが楽しめ豊かに暮らせるための商品群を 総合的に考えて生み出してゆく総合的に動く会社が増えてゆくでしょうし、 その頂点に立つ会社は、それこそ社会のさまざまな問題を解決する力こそあれ、自分たちだけの繁栄とかの世界を超えていくと思うのです。  でも、両方に必要な教育が 肝心の感性の教育の進化と関わっている事を考えると、他の化学や学科の教育と較べて、いまだに何かがはっきりしません。 進化が遅れているとわたしにさへ推理できてしまうことが多いです。 アメリカンドリームは遅れた考え方だという考えがここにはすでに前提のようにして質問しています。 しかし、そのアメリカの経済の失速の因はぜんぜん別にあったりします。 この経済の現実を捉えるのは実際には難しいことですね。 共産主義の過去の失敗は、教育の未進化にありというのもこれも前提となってますが、世界的にも遅れてる感性の面での教育が特に問題点となっています。(近代演劇の発祥はロシアだったりしますが、近代演劇はまだ感性の本質の教育を可能にしてはいません。) 資本主義内に理想を求めるのは 複雑な過程を必要としそうです。 共産主義のほうが明快ではあるのです。  難しいです。 私は表現とか感性の世界を考えて生きてきた人間です。 いざその考えを人に伝えようとして経済的にいきずまった状態に陥ってしまったことから、経済についても考えるようになりました。  今のところ 資本主義の複雑な在り方をなかなか肯定できないでいます。 政治的にはかなり資本主義路線はもはや固まっていると思えますが、哲学がそこをクリアーすれば 見通しの世界も変わってくるでしょうから、こんどこそしっかりした共産主義というあり方も まだ不可能とは言えません。   哲学が「自由、平等、博愛」の精神を諦めない限り、正しい道はさぐられてゆくべきかと思います。 この観点から共産主義と、理想的高度資本主義のどちらが実現可能性において現実的だと思われますか? 

  • 社会について

    社会について はじめまして。 社会科のアンケートはここで良かったでしょうか? 最近勉強したことで、皆様のご意見を頂きたいです。 1:どちらの国に住みたいですか? A)経済的には豊かな国だけど、個人レベルでの経済格差がひどい国。 B)経済的には豊かではない国だけど、個人レベルでは経済格差が少ない国。 2:資本主義社会での経済格差について。 A)個人レベルでの格差はあったほうが良い。 B)個人レベルでの格差は無い方が良い。 3:個人レベルでの経済格差について。 A)5%位の人たちがお金を持っている現状は、人間に欲望がある以上仕方がない。 B)お金を持っている人は社会に還元して経済格差を直すべきである。 4:あなたが考える理想の国(実現可能レベルで)は、どんな国ですか? 以上、 ※3問はA,Bどちらかに回答と理由をお願いします。 ※理由は高校生でも理解できる様な回答をお願いします。 時間があるときにでも、お答えいただけると大変ありがたいです。

  • 現代の義務教育と高校教育について、経済の扱いはどのようになっているのでしょうか

    私は1995年度に地方の公立高校を卒業しましたが、1990年代前半の義務教育や高校教育では、経済について殆ど触れていなかったように記憶しています。 私の記憶では、戦前の昭和恐慌、戦後の朝鮮特需や高度成長、オイルショックがあったという話、世界史でヨーロッパの重農主義と重商主義、南米銀による銀相場の混乱とインフレ、アダム・スミスと神の見えざる手、マルクス主義の台頭、大恐慌後のニューディール政策とケインズ主義くらいしか覚えておりませんが、それらについても理論的な説明は殆どなく、用語や人名を覚えるくらいだったように記憶しています。 ですが、最近の格差社会論や世界同時不況の状況をみて、あらためて基礎から経済を勉強しようと思い、学部レベルの経済学の教科書を買い読み始めることにしました。 で、読んでいてふと思ったのですが、この教科書(東洋経済新報社のクルーグマン・マクロ経済学)のうち、どのくらいが高校までに学ぶ内容なのだろうと思ったのです。 例えば、財政政策と金融政策、名目GDPと実質GDP、インフレーションとデフレーションの概念、失業とインフレの関係(フィリップス曲線)、ケインズ前とケインズ後の経済論の違いなど、高校までではどのくらいのことが教えられているのでしょうか。 私自身、高校教育では全然経済を勉強しなかったなあという思いがあるので、現代は私の時代に比べて教育内容が随分と変わっているでしょうし、どのような事が教えられているのだろうと興味を持った次第です。 何卒宜しくお願いします。

  • 中学公民 高度経済成長 について

    わたしは高校受験を控えた、中3です。 過去問を解いていると、次のような問題がありました。 問)価1950年代後半から現在にかけての日本経済  について述べた文章としてもっとも適切なものを1つ選びなさい。 5つのうち消去法で、2つに絞ったのですが… (1)1950年代後半から高度経済成長と呼ばれる時期に入り、この時期に電気冷蔵庫の  普及率は約80%を超え、豊かさが実感されるようになった。 (2)1960年代には、国民総生産が資本主義諸国で第2位になったが、一方で多くの自然が  失われるなど、高度経済成長のマイナス面も目立つようになった。 答)(2) (2)は正しい ことは、解説・参考書で調べて分かりました。 ですが、(1)はどこが間違っているのか、まったく分かりません。 (1)はなぜ間違っているといえるのでしょうか? どなたか教えてください。 よろしくお願いします。