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なぜ「思想」は物理などと矛盾してはいけないのか?
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よく見て下さい。 この世界に、「物理学」だの「数学」だのといった境界はありますか? それらは、人間が分析する上で、便宜的に分けただけのものです。 それらが相互に矛盾するとしたら、どちらか(あるいは両方)が 間違っています。 (ま、不確定性原理や不完全性定理において「矛盾こそが有限な存在性 の本質である(「外の物にぶつかる」=自己矛盾)」というのは、 また別の話ですが)
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合理ではなく道理 ね 頼むよこの機会に そういうとこまでアメリカに追随することないんだから。。。 ´
- cyototu
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質問者さんの、ここばかりでなく他の場所も含めた一連の遣り取りを見ていて気が付いたのですが、質問者さんは、「合理的」であることと「科学的」であることの違いを理解していないでゴチャゴチャにしているようにお見受けしました。 例えばアメリカを考えて下さい。この国は本質的にビジネスマンの国です。ビジネスは合理的でなくては説得力がなく、巧く行きません。したがって、アメリカ人は大変合理的です。しかし、アメリカ人は先進国と言われている国では例外的に宗教的な国で、言わば原理主義的キリスト教国家と言っても過言ではありません。そう言う意味で、アメリカ人は合理的であると同時に大変非科学的な国民です。事実、毎週欠かさず日曜に教会に行くと答えた人の割合が全人口の50%を超えているという統計結果がでていますが、これは西欧で一番多かったフランスの15%や、それよりずっと少ないイギリスの5%と比べて、桁違いに多い割合です。また、最近の統計結果では、アメリカ人のうち80%近くの人たちがダーウインの進化論は間違いであり、神による創造説が正しいと答えています。多くの大学ではいろいろ進化論の啓蒙に勤めようと努力していますが、ほとんどの高校では進化論の授業がなく、もしあったとしても神による創造説と併記して教えなくてはならないことになっているうえ、毎週、教会の牧師に進化論は間違いであると捲し立てられていますので、進化論を嘘だと言う方が圧倒的に多いのです。勿論思想もビジネスと同じように合理性を追求しますが、人を説得するためには、こと程左様に、必ずしも科学的である必要はないのです。したがって、思想は合理的である必要はありましょうが、物理などの科学的な思考の枠組みの枷を着せてしまうのは、行き過ぎかと思われます。 思想に関するキーワードは、「合理的」であり「科学的」ではありません。勿論、科学的と両立する場合もありますが、思想はその枠より広いのです。単なる頭の中の架空な世界で思想とはどうあるべきか問うばかりでなくはなくて、科学的ではないが合理的であると言うアメリカの例が現実に存在しているという事実を実証的に咀嚼して、実際に思想とはどうあるのかを分析してみて下さい。 蛇足になりますが、アリストテレスに代表されるガリレオ以前の自然学は、「自然はどうあるべきだ」を論争しておりましたが、ガリレオは、「実際の自然はどうあるのか」を問い掛けました。また、マキュアベリ以前は「政治はどうあるべきであるのか」を論争しておりましたが、マキュアベリは「実際の政治はどうあるのか」を問い掛けました。その問い掛けの転換によって、それぞれの分野は学問に昇華し、自然科学が生まれ、政治学が生まれました。そこで、彼らはそれぞれ、その学問分野の父と言われておりますね。質問者さんの遣り取りを見ていると、何だかガリレオやマキュアベリ以前に戻ったレベルで話が成されているようであり、我々の先人達が石に齧り付き血の涙を流しながら手に入れて来た成果をまるで無視した論述のような印象を受けております。
>ご自分の身体の細胞はガンでない限り、助け合ってますよね? 会社という組織において自分一人でも何とかしようとする気が基盤になくて 君みたいに世の中助け合ってますよねとか言ってる半人前な奴に何かやらせてもロクな仕事はできないとみる。 君みたいな細胞が増殖して徒党を組むのを会社では会社そのものまで潰してしまうガン細胞と名付ける。 これは一企業であろうと一国家であろうと同じ。 寄生虫であり 癌細胞 君のことだよ
>>普通の神経の持ち主 >それは「数が多い方が普通」という観念が先入化されています 分別ある大人であれば持ち合わせている神経という意味なんだよね。 ほんと 何にも分かってないと言うか。。。 眼が曇ってると言うか。。。 おこちゃまと言うか。。。 一喝 どぁふぉ 懲りずに利口ぶって自分勝手な小理屈こいてる分 ますます本性が浮き彫りになってくるよね
粒子性と波動性 宇宙の真理 その反映としての自然 片方に偏って固定化すれば精神的片輪 病気なら仕方ない 病人なら病人らしく大人しく医者に従い給え そういう素直さも欠いているなら 処置なし 人間のクズ
社会に出てまず一人で生きようとする努力が先 困っている時に見るに見かねて手を差し伸べてもらえるのは二の次 自然の中で生きる厳しさの中に慈悲をみて 人の心に今生きてあることの深い感謝と生きている喜びや充実感が芽生える これが人が生きる基本 大人の精神 誰かが与えてくれることを当たり前のように思っているのは 大人になれないおんぶにだっこのお子ちゃま精神 大人の皮をかぶってはいても成長できない哀れな子供 これをたとえて寄生虫 これ 君のことね もういい年こいてるんだろうに 確かに君のような人間を製造している今の日本には問題があるよね。 君のような大人がいることが日本の恥なんだよ 自助努力は粒子性 相互扶助は波動性 だから 君の思想は宇宙を反映もしていなければ自然でもない 人の心も解せない 無神経さ がある とさ さっさと顔を洗って出直してこいよ
寄生虫の論理か? いや 有名人になりたい寄生虫の寄り代として機能している道具としての巫女 ねらい? おいらその道具をチョイと利用させてもらったってわけだね。
補足
何のことやらよく理解できませんが、思想とは全てのものを位置づけるもの、という定義が正しいように思えます。よって物理、生物などと矛盾してはならない。これに反論できるようでしたら、ぜひ勉強のため、思考してみたいです。ご意見どうぞ。
君の思想は人の持ってるものを欲しがるという心理が基調にある。 それが君の福祉社会という思想基盤ということだろう。 泥棒根性と貴族感情
補足
社会とは助け合うために集まったものです。ご自分の身体の細胞はガンでない限り、助け合ってますよね? 同じことです。もはや貿易で地球社会は形成されました。ただし即物的欲望(泥棒根性と貴族感情)によってですが、いまのところ。これを「無意識的な助け合い」といい、自然界に既に存在しています。こうした科学との矛盾があってはならない。 これは私個人の思想などではなく、普遍性のある思想です。
デンマークやめて 今度はブータンかい? 誰の受け売りか知らんけど 普通の神経の持ち主だと他人の弁当の中身を羨んでばかりいる自分の卑しい心を恥じるんじゃないのかなぁ。 思想体系の矛盾がどうのこうのいう前の段階 君の宇宙把握能力が未熟なんだと思うよ。 ´
補足
>普通の神経の持ち主 それは「数が多い方が普通」という観念が先入化されています。そうした観念の外から物事を普遍的にみる=これが思想にたどりつく道です。(現代は様々な思想宗教が完成されてなどいないのに大きな顔をしてるだけ、ていう)
回答例としては 自然を正しく理解していないから 自然を宇宙の現れと捉えると宇宙を正しく理解していないから 人間が自然の現れと捉えると人間を正しく理解していないから 自己を人間に一人と捉えると自分を正しく理解していないから 自然な自己の把握が不自然だから理解が浅い 言いかえると自己理解の基調に素直さがないと考えられる。。。 伸び伸びした成長を規制してある思想に整えることはできても 規定された中で形成された思想にとらわれてしまっていると自然の姿の把握ができなくなっていると言えるのかも知れない。 原因としては思想形成基盤に自然と接する機会が少なく自然と格闘し自然に学ぶという経験がほとんどなかったということが考えられます。
補足
おそらくは、多くの人と同じで戦後の「詰め込み教育」で、環境認識よりも、「壁で分断された知識」を受け入れたからかもしれません。世界は壁で分断されていないと同様、学問も「基本として」分断すべきではないと思います。ブータンの「環境学」=EVS は、小学校から始まります。日本は無いのでしょう。何と遅れた我が国でしょうか?日本人であることは現在、恥であると感じます。
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