• ベストアンサー

悪は心の中だけにある観念上の問題で悪が現象として存在するのは錯覚でしかない。

愛について理解が及ばないで、いわゆる悪人の心情に共感が持てない、交流の不在が悪ではないかと考えました。 良く話し合ってわけががかれば大半は納得できるのではないか。 納得できない例外は、行為の当事者が自らの行いは悪であったと反省した状態から浮かばれないだけではないか。 以上までが質問ですが回答を寄せるにあたって、悪意により犯罪行為を成したのではなく、欲望により犯罪行為を成したと受け取れる事例は引用しないでください。 そのうえで純粋に悪ゆえの行為がどれほどあるかは、回答者様の資質が問われる問題ではあります。

noname#117439
noname#117439

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.12

 貴方の観点とは少し異なっているかも知れませんが、確かに、「善」や「悪」は現象として存在しないと思います。  素のままの現象は、「善」でも「悪」でもなく、価値については無規定な真っ白の状態にあります。もしも、はじめから「善」か「悪」か決まっている現象、すなわち、現象としての「善」あるいは「悪」が存在するならば、ある現象に対しての「善」「悪」の判断が、人によってこれほど相違するということはありませんし、曖昧であるということもあってはなりません。現象はそれ自体として明示的でなければならないからです。  つまり、「善」「悪」は、現象としての現れ方ではなく、別の明示的ではない現れ方をしていることになります。さらに言えば、それは、現象に対して、何らかの形で付与されるものでなければなりません。それは、すなわち、我々の価値判断のことを意味していると思います。我々は、「善」だとか「悪」だとかいう価値を、能動的に現象へ付与しているのです。真っ白な現象が、「善」あるいは「悪」と規定されるのは、我々のこの価値判断を受けるからだと言えます。この点で、前述したような、「善」「悪」の判断の曖昧さ、人による相違などが説明できます。  ならば、その「善」と「悪」自体は何かと言うと、明示的に観察されるものではなく、何らかの観念上の働きであると言うことができます。第三段落で述べたことも加味して言うと、我々が観察しうるのは、価値判断の行われた結果の現象そのものなのです。「善」や「悪」そのものを取り出そうとする時、それはすでに何らかの現象と結びついてしまっていて、「善」や「悪」自体を明示的に観察することはできません。したがって、「善」や「悪」自体は現象ではなく、観念上の働き、あるいは、現象に宿るぼんやりとした属性のようなものに過ぎないということになります。 >愛について理解が及ばないで、いわゆる悪人の心情に共感が持てない、交流の不在が悪ではないかと考えました。  僕の不十分な記述を頼りにして読み取りますと、悪人である人間(=「善」「悪」判断に何らかの異常をきたしており、その異常が行動に現れている人間)に対し、悪人でない人間(=「善」「悪」判断が、社会規範として示されたものから外れていない人間)が、その「善」「悪」判断の異常へ関わり、何らかの形で社会規範の方向へ向かわせようとする努力をしていない――この交流の不在そのものが「悪」と判断されるし、その交流の不在が「悪」を放置し、「悪」をのさばらせている、ということになるのでしょうか。 >良く話し合ってわけがわかれば大半は納得できるのではないか。  つまり、交流によって、「善」「悪」判断のずれを正しい方向に向けてやれば、「悪」の多くはなくなる、と主張されるわけですね。貴方の述べたいことをつかみ取っている自信はありませんが、少なくとも僕の述べた限りで言うと、僕もそれについて同感します。「善」「悪」判断のずれを、何らかの後天的要因で得た人間ならば、努力次第によって、そのずれを是正することはできます。ところが、まれに、「善」「悪」判断のずれを、先天的な理由で得ている人間がおり(=脳の機能欠損など)、そうした人間は、もはや救いようがないと考えます。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 論理に関しては、なんとなく感覚だけで話してる私よりもよっぽどしっかりしてますね。

その他の回答 (21)

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.22

以前、イタリアだったかスペインだったかで「チーノ チーノ」と言って合掌してぺこぺこされたことがあったんですね。 ん? というのが私の反応。 だって チーノって言葉の意味を知らないので、どう応答したらいいのかわからなかったから。 バター犬と書いてあるのを読んでも、その意味を知らないので ん?・・・・ なんですね。 ゆえに あなたの目的がなんなのか、わからない。 少なくともとっても侮辱して快楽を得たいと思っているんじゃないかとは推測できますが、どれほどのものかはわからないです。 で、前回悪に対して共感を持つ必要は無い と書きましたが、ちょっと違うかな と思い直しました。 私は狂気に興味を持つ。 だから連続殺人とかそういったドラマや映画をよく観る。 先に行ったように、そういうドラマってまったく何も無い状態から話を起こすのではなく、実際に事件があったのを元に話は作られる。 今はまっているのが、「クリミナルマインド」。 クリミナルは犯罪で、マインドは心。 犯罪者の心理を知り、次の犯行を止めるためにプロファイルするって内容のドラマ。 で、一番印象に残っていたのが、連続放火魔の事例。 いつ今度は起こるのかを、手がかりを元に予測し、先回りして犯人の犯行を防ごうとBAUが動くってストーリー。 で、ギリギリで誰が犯人かわかり、今日もうすぐ放火されるってわかったのですが「やっては駄目だ」と言ってはいけないとリーダーだったと思いますが言うんです。 本人にはどうしようもない、犯行を止めることができないので、言っても無駄なんですね。 合致したら自動的に犯行をするしかなく、心で「駄目だ」ってブレーキをかけても、体が機械にように動き出して、どうしても止めることができない。 連続殺人鬼は、シリアルキラー。 通常普通に何の問題もなく生活できる知能を持っている。 時には模範市民として表彰されることもあるくらい。 だから犯行は完璧で、失敗が無い。 衝動型の殺人なら、計画的じゃないので、あちこちに証拠を残してしまうのですが、綿密な計画をしてバレないようにするだけの常識を持ち合わせているので、犯行現場に手がかりを残さない。 だから、つかまらず、何度も殺人ができてしまう。 でも、その連続殺人鬼はちゃんとした理性も持っており、自分のやっていることは いけないことだとわかっているんです。 だけど、自分を止められない。快楽への願望が強すぎて止められない。 (前頭葉に問題があると思える) 快楽殺人をしているときは、エクスタシーを感じて最高の気分なのだが、もうできなくなると、「なんてことしたんだ」となる。 ゆえにチャラにしたくて模範的なことをやって表彰されちゃうんでしょうね。 で、このままだともっともっと人を殺してしまうので、それを止めるために、故意に自分が犯人だと警察がわかるような証拠を残していくんです。 もう一人の人格みたいなものに気づかれないように。 で、やっと自分が残した証拠を元に警察が捕まえてくれたとき「助かった」って言うんです。 涙目。 だから、クリミナルマインドのBAUは犯人を助けるために、わずかな手がかりから犯人を特定して、犯行ができなくなるように捕まえて拘留してあげるわけです。 これは話し合って解決するものじゃなくて、治療の問題。 <脳が殺す>って本を読んだことがあります。 連続殺人鬼を20年以上調査してきた人が書いた本。 筆者自身も連続殺人鬼の脳を持っていた。 が、筆者は犯罪者を調査することにエネルギーを注ぐ人生になり、同じ脳を持つもう一方は連続殺人をすることにエネルギーを注ぐことになった。 両者とも善悪がわかり、両者とも興味があることに対しては人の何倍も情熱を注ぐ。(脳のつくりでそうなる) ただし、興味対象が違う。 では、どうして同じ脳を持ちながら、片方は連続殺人鬼の心を理解する研究をし、もう片方は連続殺人鬼になったのか。 ということが、分析されています。 読んでみると、思い当たるものがあるのかもしれないですよ。 で、筆者はこうわれわれ問いかけています。 犯行を犯した人は刑務所に送るべきか、それとも治療をしてあげるべきか。

noname#117439
質問者

お礼

まあ、ありがと。 今回は締めるよ。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.21

 まあ、しかし 枝葉が茂ってその先に 実がなる と考えれば、最後の  「自分を救うべきだと気付いてください」というのが、実のある最終的な答えでもあります。  救いたい は、 救ってください と言うのと同じです。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.20

 最初が一番 内容のある回答となるのは誰でも同じですからね。  最初が幹(根本)で、あとは 枝葉末節ってことです。  言い換えれば お遊びですよ。  

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.19

 はべらせるうんぬんについては答えようもありません。  ゲスの勘ぐりはしなくてよろしい。とにかく他者をやっかむ暇があれば、自分を救ってください。  とにかく、priちゃんが求める安住の場はここではなく、今 いる場所です。家族とうまくやっていければ、イライラもなくなり、  ここに居場所を求めなくても済むようになるでしょう。逃げないで対峙することです。  「クセェッ!」とか「キモーい」とか「あっち行け、サル!」とか「死刑!」などと罵詈雑言を浴びせられてもめげずに、  下から下から這いつくばるような低姿勢で根気よく働きかけることです。  そう、他者を救おうとするのではなく、自分を救うのです。この場合家族に「救ってくれ~~~」というのは必ずしも  取りすがりという事にはならないでしょう。他社と交流することが認識を深めることになると知って働きかけるのであれば。  それから、priちゃんは、どんなに頑張っても 私にはなれません。  そういう意味で状況によっては潔く諦める事も必要となってきます。  あと、最後に。  無理やり ヤろうとしないでください、最近は家族同士でも刑法が適用されることもあるようです。  その場合はもちろん 人として捕獲 されますので気をつけて。私のせいでpriちゃんに惨めな思いはさせたくありません。  いらぬおせっかいをしたと思われたなら、失礼しました。  とにかく、どんな状況になっても、希望だけは忘れないでいて下さい。  私の言ったようにしていけば、悪は去り、必ず良くなって行くはずです。  乱文失礼しました。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.18

 とにかく、助けようとして手を差し伸べる人にも噛み付く狂犬のようになってしまっても、それは私の責任ではないと思いますが、いかがでしょうか。幼少期の環境と育ちが原因でしょう。それに、 >悪は心の中だけにある観念上の問題で悪が現象として存在するのは錯覚でしかない。  という事のようですので...  私は特に好かれたいとは思いませんが、狂犬が噛み付くのは好かれたいと思う心の裏返しであるのかも知れません。バターに反応するバター犬であれば、好かれているから そのように反応させられるのでしょう...  でも、本当に好かれたいなら、まず妄想癖を止めることですね。あと、クサいと、何をしても無駄となりますから、それだけはいつも留意しておいてください。  と、ここまで書いてふと思ったのですが、過去に 「オメー クセェんだよ、あっち行ってろ!」とか言われて、それがトラウマになったままになっているのではないでしょうか。そうなるとさすがに私もお手上げという事になります、そのときは専門に癒してくれる人もいるようですが、保険が利かないと思いますので、やはりお金がモノを言う という事になります。  とにかく、実際に面と向かって相談を受けるならともかく、文字による情報だけを頼りにして、これ以上は何も言えないです。御理解ください。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.17

p:命令されるのは好きだろ。  いえ、私は命令するのが好きかも知れないです。 あと、猿回しのお猿さんは、好き嫌いの問題ではなく、命令されて動くように調教されているようですが、実際のところはどうなんでしょうか。。。  話は戻りますが、 家族を持ったなら、奥さんにヤラセてもらうのが道理です、しかし自分が養っているはずの家族にコバカにされ、且つ相手にされておらず、しかしだからといって愛人を持つのは社会的規範や良心に反するという理由により欲求不満がたまってモンモンとしているのであるとすると、ここでの自慰的行為により憂さを晴らすことは、悪となりますね。しかし、  むしろprimeapeさんの幻覚、幻視を理解認識しようとしない家族に非があり、悪であると言えます。primeapeさんが悪いのではなく、家族に悪の根本原因があると言うことです。なので、  今まで私が述べてきたようなことを、まず懇切丁寧に説明し、理解してもらって見てはいかがでしょうか。そうすれば  「いいわよ♪」  とかなんとか言ってくれたりする可能性も無きにしも非ずだったりするかもしれません。少なくとも可能性としてはゼロではないでしょう。久しくなかったのであれば、新たな世界が開かれ、精神的に覚醒することで、ストーカーや痴漢や美人局などを行う人間のことなど 少し考えればすぐにわかるような能力が備わるかもしれません。そのときは、是非教えてください。私はそういった行為を行う人たちの気持ちが解りませんので。  しかし、例えばストーカーであれば ここに張り付いてシツコクある特定の人に目をつけて追い掛け回す人もいるようですし...  痴漢であれば自分の胸に手を当てて考えれば思い当たることがあるだろうし...  美人局で言えば 餌で釣っておいて、脅かす凶悪な人もここにいると思うし とにかく自分の行為に自覚があれば考えなくても解るかも知れません......  いえ、primeape さんが確実にそうであるとは言いませんが...  とにかく、欲求不満の件に戻りますが、土下座がダメなら お金を払うという手もあります。もう、家族だからとか何とか言ってる場合ではありません。すでに新しい時代は来ていると考えます。  それでも  「なに寝言 言ってんの!テメーはただ働いて給料だけ持ってくればいいんだよ、一億積まれたってお前なんかにヤラセるわけねーだろ」とか言われたら もう万策尽きたとしか言いようがありません。それでも尚「教えて!」と言うなら、(以下略)  とにかく、諦めないこと。この一点に尽きます。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.16

>悪に身に覚えのない私に絶対悪は重すぎます。 精神病は大きく分けると神経症と統合失調とに分かれる。 前者は病識がある、後者は病識が無い。 ある人は統合失調症と診断された。 そして何年後かにだいぶ収まった時こう言った。 「クラスの人たちが自分の悪口をヒソヒソ言っていじめていると思ったが、あれま現実ではなく病気でそう思えただけだったのかもしれない」 真実はわかりませんが、統合失調症の特徴は、現実と妄想の区別がつかないことなので、本人は現実クラスの人たちが自分をいじめていたとしか感じられなかったが、治療し妄想が起こらなくなり、自分に対する悪口が聞こえなくなって心の安定が図れるようになったとき、「あれは病気による幻聴だったのではないか」と思えるようになったわけです。 医者はクスリがうまく効果を発揮し、統合失調症が治った というか 出てこなくなったと判断した。 ある人は、綿密な計画をして、家族全員を皆殺しにした。 謎の男が自分に家族をこうやって殺せと命令したから殺したという主張だったんです。 で、妄想を止める強い薬を投与したので、もうその人は謎の男に会うことは無くなった。 しかし、会うことができなくなった後も、その謎の男は実在していたと100%信じていました。 どんなに病気による妄想の産物であると説明しても、本人の認識は存在している 出しかないわけです。 「今は会いにこないけど、確かに存在していて自分に殺害を指示した。」 なんです。 病識が無いので、妄想であって実際は存在しない とは到底思えないわけです。 そしてこの人は、家族に何の恨みも無かったんです。 しかし 謎の男の命令に忠実に従わないといけないと思って、謎の男の言う綿密な計画をたんたんと実行したんです。 何の恨みも無い家族をどうして殺したのか と聞いても、ちゃんとした答えは返ってくることはなかった。 「だって 男が指示したんです。私にやれって。私に聞かないで、男にどうしてか聞いてくださいよ」って。 そうじゃなくて 家族が全員死んだのだから、普通は驚愕するでしょう。 その人は家族の死を聞き嘆き悲しむことはなく、罪悪感もまったくなかった。 自分が殺したという自覚はあったんですけどね。 この人が殺人に対してどう思っているのか、私は疑問です。 殺人は共同体にとって悪です。どんな理由があろうと悪です。 だけど、この人は罪悪感が無いので、自分がやった一家惨殺が悪だとは認識できていない。 病気により共同体の一員であるという自覚が欠如し、別世界の住民となったので、別世界の人間を殺しても痛みを感じなくなったのではないか と思います。 例えばペットを大事にして、ペットを同じ自分の世界の住民だとしていた場合、ペットが死ねば家族が死んだような心情になる。 が、その人は神戸牛が大好き。 神戸牛は自分とは違う世界のものなので、食べてみ痛みを伴わないわけです。 戦争もそうですよね。 博愛精神にあふれる人が、敵とみなした国の人を殺せるのは、敵国は自分とは違い世界の住民だという認識ができるので、殺人に対して痛みを伴わないわけです。 悪の概念は存在する。 だけど、それは限定内における悪であって、普遍ではない。 ということになるのではないかと。 だって死刑は、別世界の住民になってしまった人、境界を踏み越えてあっちの世界の住民になってしまった人に対して行われますでしょ? ただし、病気によりあっちの世界に行ってしまった人の殺害に関しては、刑罰が下らない。 従って、一家惨殺したその人は、死刑にはなりませんでした。 ただし危険人物ですので、施設に拘束され自由は奪われましたけどね。 >いわゆる悪人の心情に共感が持てない、交流の不在が悪ではないかと考えました。 共同体に対し攻撃をする人は敵です。 共感を持つ必要など無いのです。 相手は交流を求めてなどいない、だから攻撃するんです。 ただし、幼稚な精神の人は、気になる相手に攻撃をすることもあります。 例えば、小学校の男の子が、好きな女の子の髪をひっぱったりスカートをめくって自分に気をひかせようとする行為。 女の子からしたら相手は攻撃してきていることになるが、男の子からしたら交流を求めている。 正しくない交流の求め方ですけど、幼稚なので正しくないとわからないんです。 心が成長すれば、誤ったやり方だったとわかるようになります。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.15

 って言うか、世界平和は個人と、家族から始まり、それが自然と周囲に伝播すると考えます。身内と仲良くしないで善悪も世界平和も何もないでしょ。土下座でもしてヤラセてもらうように頼んでみてはいかがでしょうか。しかし、 「手を出したら肘鉄くらって はなぢが出た!」 とか、 「土下座をした時アタマを踏みつけられて ケガしちゃったぢゃないか。責任を取れ!」 とか言われても責任は取れませんので、その辺は慎重に交渉してみてください。とにかく、上手くいけば精神の安定も得られ、ゆとりができることによって考察もはかどり、結果として世界平和が実現されるかもしれません。ある意味、primeapeさんが家族と仲良くすることが世界平和と直結すると言っても過言ではないでしょう。チャレンジしてみてください。成功すれば 悪 もなくなるかもしれません。健闘を祈る。  また、根拠も無く、関係の無い他人同士を同一人物であると見なすのは、ビョーキに違いありません。精神科は役に立たないと思うので、カウンセリングを受けてみたらいかがでしょうか。 p:美女が好きか。  お猿さんから見れば、人間の女性はみな美人に見えるかもしれませんね。

回答No.14

何が悪か教えて差し上げますね? 特に悪という定義はないし、本来私は誰が嫌い等は無いので別に性善説も唱えるわけじゃないですけど… 「人が人の」正義や悪を説けるわけでは無いと思います。 何故か? 決まってんでしょう! 万人によって正義も悪も違うんですからねー。 ただし、今日私の中での「悪」はどのようなものかわかりました。 「人の厚意を踏みにじるやつ」 「人の好意に感謝を持てないやつ」 >あっ これ回答なんですか とか仰られる貴方、まさしく「悪」と断定させていただきます。 ええあくまで個人的な主観ですけどね? こういうと「私悪じゃないですよーvv」とかいうんでしょうが、んじゃ本物の「悪」だなお前。 「悪」は自分の過ちを認めないのではなく、「自覚もしてない」ということ。 >回答者様の資質が問われる問題ではあります。 以上を踏まえて、回答者よりまずアンタの資質が問われちゃってるよ(笑) どうすんの? ああ口調きついけど気にしないで? 私誠意のない人間には誠意を返しませんから(笑) というわけで、ご自身を振り返られて改めてその資質(笑)とやらを求めてみては如何でしょうか? ね?

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • ENERGEIA
  • ベストアンサー率10% (3/28)
回答No.13

 また、社会的規範による善悪判断で以って 他者の善悪のずれなどを論じ、他者に対して「救いようがない」と言う人は無知であり、働きかけたり交流することでの 更正は無理であると考えます。無知は悪であり、それだけで罰を受けている ということかもしれませんね。  自分の脳障害に気付かない例でもあるかもしれないです...  この場合、真に 救いようがない という事になります。  下僕という意味において。

noname#117439
質問者

お礼

へー。 美女が好きか。

関連するQ&A

  • 「衝動」について

    脳に欠陥があるサイコパスではなく、自分の中の悪や悪意について多少自覚し、反省もできる一般的な人間が、自らの悪について客観視できてもなぜその悪意に流されてしまうのかと考えてきました。それは衝動からではないのか。と思っていますが、まだ納得できません。 なぜならば、衝動は強く抑圧されたものが外にでようとするときに助けたエネルギーですが、衝動をコントロールする理性もこうした「悪人」にはあるからです。 そしてこの場合の「悪人」とは殺人などのあきらかな犯罪行為ではなく、日常的に潜在化、また顕在化している静かな暴力(それをハラスメントというのですが)をやめることのできない人もそうした理性を持っているはずです。 それでも「衝動」が治らないのはコントロール力でしょうが、なぜコントロールできないのか?という疑問です。

  • 俺を戦場につれていけ

    やあ。 皆さんお久しぶり。 特に名乗らないよ。 福島原発で頑張る皆さんの心境について考察してみました。 若い人は無謀だがこれが父であれば話が早い。 我が子の未来が危ういとしたら、自らが死地に光明を切り開くため、戦場だろうとどこだろうと赴く。 戦争が起きると兵隊に志願する心境とおんなじだ。 こういうのは危機に直面しても、くよくよ悩むだけでは判らないだろう。 結果として死に直面してなおも生きようとする衝動が他者をより強く生かそうとする行動に結びつく。 このような行いを悪の行いと言う。 悪魔とは神のあらぶる姿であり、悪意とはその怒りだ。 悪魔の真実の姿とは死地を悟る人を生かそうとする神の姿であり、悪意が氷解すると、その悪魔であった姿こそがひときわ神々しいと判る。 悪の姿のみを糾弾するのは誰かが悪くないと自分が善人になった気がしない偽善者であるが、、幸いにも原発で頑張る皆さんを悪人だとは誰も言うまい。 ならば悪とは何ぞや。

  • <敷地境界杭について>これは何という犯罪ですか?

    隣地との境界線に境界杭が打たれていますが、これを故意に埋めたり、抜いたりしたら犯罪ですか? その行為をするのは当事者でなく無関係の悪意ある人がした場合です。 軽犯罪?になるなら裁判でも何でもして懲らしめないといけないと思うので教えて下さい。 罪名も教えて下さい。 無関係な第三者が悪意でするなら個人の財産を脅かすものなので犯罪ですよね?

  • 善悪について & 霊

    こんにちは、僕が約6年ほど悩んでいることが2つ有るので、質問します。 まず1つ目。 概して言えば、正義と悪です、これは悪くて、これは良いとか、そういうのです。 僕は一貫して犯罪者(=悪)は死ぬのが良いと思っています。 犯罪者は刑務所で少し我慢しとけば外に出られますが、被害者は(犯罪の種類によりますが)、 一生その記憶を背負って苦しまなければならないことが有るので、明らかに不平等です、 特に殺人なんかは、殺した者勝ちにしか、思えません。 死人に口なしなんてよく言ったもので、殺しても、捕まらなければ大丈夫、 捕まっても1人なら刑務所で十数年我慢しとけばOKみたいな感じです。 ですから、僕は悪人は全て殺すこと、国がやらなければ、民間でやるべき。 もちろん己の正義を確信した1人あるいはかなり少数で。(方法は省きます) こういう内容になると、必ず「悪人も殺せば殺人だ」とか、「お前が悪だ」とか言われますが、 僕は殺す対象が悪ならばその行為は正義だと思っています。 (もちろん実際は残念ながら罪に問われますが。) そもそも「人を殺す=悪」がおかしいのです。 昔は戦争で勝った側が正義でした、つまりいっぱい殺した方が正義です。 その結果の今なんですから、相手が悪ならOKだと思います。 もちろん歴史ですから色々な背景はあると思いますが、それも生き残った人の言ったことです。 次に言われることが「悪を消しても、また出てくる」です。 悪と正義は一定規模内での特定の考えを共有する人の人数で決まると思います、 つまり多いほうが正義、少ないほうが悪。 ということは、世の中の悪を消したとして、今度は少しレベルをさげて、悪を消す必要があります。 「君が殺されることになってもいいの」と言われたこともあります、別に構いません。 もし、僕が死ぬことで世の中の悪人が100人死んでくれるなら、喜んで自殺します。 僕は、正しく生きている人間が、誰にも命を奪われることなく生きることができる世の中になって欲しいだけです。 そこで、皆さんの意見をお聞かせください。正義について、僕の価値観は~など。 2つ目、 僕は神話が好きで、ギリシャ神話や北米神話をしばしば読みますが、 人は死んだら何もなくなるものだと思っていたのですが、 霊というものは存在していると思います(明らかに世界中での目撃&見える人が多いので)、 そこで、もし、霊が見えるかたがいましたら、なぜ霊はそんざいしているのか? 死んだら皆霊になるのか? それとも条件があるのか? など、なんでも構いませんので、教えてください。 以上、長文になってしまいましたが、どちらか1つでも結構ですので、お答え頂けたら幸いです。 1つ目の質問で、挑発的と捉えられた方は申し訳ありません。 回答は、批判的なものでももちろんありがたいのですが、 茶化すようなものは、申し訳ありませんが、スルーいたします。 それでは、よろしくお願いします。

  • 高学歴女性には“悪女”が少ないと思いますか?

    以下、どうしようもなく愚かでマヌケな会話ですが、w あなたなら、A君とBさんの意見、 どちらがよりまともだと思いますか? あなたの意見の近い方を教えてください。 また、この後あなたが口を挟むとしたら、 どのような意見を言うと思いますか?      ~~~ 某月某日、すすきのの飲み屋にて・・・。 A君 『生まれつき性悪なオンナっていると思う?  私は絶対いると思う。  育った環境だけでは説明が付かない。』 Bさん 『いいや。悪人はいるけど、生まれつきじゃない。  頭のいい人とか学歴のある人とか、  親の愛情をきちんと受けて育った人に、  あんまり悪い人はいないよ。』 A君 『いや、頭の良さや学歴は関係ない。  頭のいい女は自分の醜い本能を隠すのが、  フツーの女よりうまいだけ。』 Bさん 『理性は、低級な本能の欲望を抑えるのよ。  だから、頭を使っている人間には、  (表面上だけではなく)本当に悪人が少ない。』 隣の知らない酔っ払いオジサンC 『そもそも、性悪って本当に悪いこと?  あんた達がいるのだって、  ご両親の原始的欲望のおかげだよ。  人間を動物としてみれば、  低級な欲望がなきゃ絶滅しちまうべさ。』 A君 『まあ、確かに、そもそも善悪なんて、  人間が作ったものに過ぎないし、  悪や悪人も必要だから存在するんだろうけど。  ちなみに、犯罪者が心底から性悪とは限らない。  本当に性悪な人は、そういう社会的悪人とは別。』 Bさん 『私は理性のある人に悪い人はいないし、  善悪の基準は絶対的なものだと思う。  悪は悪。人は原始的動物とは違う。  全てのものは良い方向に進化しつつあるもん。』 A君 『いあ、生まれつきの善人・悪人はいる。  高学歴者とそうでない人を集めて比較しても、  善人と悪人の割合はさほど変わらないと思う。  高学歴者の性悪女は、自分を隠すのがうまいんで、  高学歴者ほど善人が多いように見えるだけだよ。』     ・・・・・・

  • 醜悪な人種とは関わりたくありません。

    悲しい現実を乗り切るお勧めな考え方。 自宅に醜いキチガイな醜悪な兄が居るんですが、 常に虐められます。相手にとっては何てことの無い行動 なんだと思いますが被害者にとってはものすごく大きい事 なんです。ですが相手からしてみれば、人の痛みが分からない 悪人なだけに次々とイジメの行為をしてきます。 本題ですが、 家から離れて遠くの県に逃げた所で自分の住む世界に 大嫌いで卑劣なキチガイな犯罪者が居ると言う現実からは 逃れません。世の中には醜い悪がたくさん居るのかと思うと しんどいし疲れますし絶望します。犯罪者と共存して生きていく 社会に絶望しています。正義と悪の人間は住む世界を別けて ほしかったです。自分の隣に醜悪な犯罪者が居ると知った時 どう乗り切ります?

  • 指摘回答1 私の定義

    指摘回答とは、質問者の質問に回答するのではなく、 質問者の非や欠点、資質、状況や心情や心境、 背景などに考慮、配慮することなく、誹謗中傷的な 発言や言動を回答という形で悪意を込めて盛り込み、 質問者にそれを指し示す違反行為である。 また、質問者の質問に対して妥当な回答を持っていないにも 関わらず、ただ、質問者の質問内容の問題箇所だけを指摘する 回答としては成立しない意味のない回答内容でもある。 また、それらの行為を意図的、故意的に行い、質問者に 異論や反論を促すような挑発的で挑戦的な発言や言動を 用いて、質問自体を議論目的の違反性のある投稿に仕立て上げ、 やはり、質問を削除して潰す意図や目的や狙いが見受けられる。 この私の定義に異論はありますか?ありませんか? ご意見、回答をよろしくお願いします。

  • 裁判員制度の導入は厳罰化が目的ですか?

    たとえば死刑廃止論者が裁判員になれない。 いろいろな民意が必要だと思います。 つぎに前科者は裁判員になれない。 前科者は取り調べ官の不法行為や刑務所の非人道的な扱いを知っているし、やむにやまれないで犯罪を犯した犯人の心情も理解できます。 裁判にはいろいろなな民意がないとこのままの裁判員制度では「許せない、殺せ」の意見ばかりで公平ではなくなると思うのです。 マスコミ報道では「なんであんな悪人の弁護をするんだ」という非難が殺到しました。 これでは裁判ではなく、つるし上げになってしまいます。

  • 悪は存在しない。その名の現象があるのみ。

     ( a ) 神を見た人はいるか? 神と話をした人はいるか?  ( b ) いないと答え得るならば むしろ人間どうしのあいだで 善悪の定義をせざるを得ない。あるいはつまり善と悪との互いの区別について考え合い 或る程度は決め合うことができるのではないか?  ( c ) すなわち 善悪観をわれわれは共有しうるのではないか?  ( d ) 善とは このように話し合ったりして共生するところの存在を言い この存在つまり人間存在を〔色をつければ よく〕保ち守ることを言うのではないか?  ( e ) その善が善であることのシルシは 身について健康であることであり 心について人と話し合いができるということではないか?  ( f ) 以上のかぎりで 悪とは この善を傷つけることであり 善が傷ついたその部分のことをも言う。特には コミュニケーションを閉ざし壊す行為を言うのではないか?  ( g ) コミュニケーションの鎖国でなくても・つまり意思疎通はおこない続けていても 話を堂々巡りのかたちで 同じことの繰り返しに終始させるという場合 この場合はすでに実質的に鎖国政策だと見なし得るのではないか?  ( h ) 対話の中で張られた鎖国政策に対処するときに この質疑応答の場でブロックすることは そのブロックする者も 対話を閉鎖していると言わなければならないか?  ( i ) この場合も 人は難儀するが もっと難儀する場合というのは おそらく《我れは神を見た。神と話をした》と言って その大前提たる主義主張に固執して話をすすめる場合ではないか?  ( j ) ちなみに人は 神を見ることがあるのだろうか?       *  (参考) 善を損傷することは 負の善であり これを悪と呼ぶ。(つまり 悪独自の実態はなく 悪という呼び名があるのみである)。   §1 善でも悪でもないものごと  (1) たとえば ものを食べるのに箸でかフォークでかあるいは手でかという選択は 善悪にはかかわりがないと考えます。衛生に気を配れば手で食べても――寿司はそうしますし――かまわないでしょう。  (2) あるいは右利きか左利きかも 実質的に言って 善悪とは関係ないでしょう。  (3) クルマが右側通行か左側かも どちらが善でどちらが悪かという判断とは関係ないと思われます。  (4) 善か悪かに関係なく その判定をしないものを 《無記》と言うかとも思います。    §2 ここで 社会性を必ずしも帯びない段階での善悪を定義します。  (5) 善とは そう(善だと)見るところの主観である。ただし《わたし》の善は おおむね《わたしたち》の善である。そういう共通感覚または共同主観が成り立つと考えられる。すなわち:  (6) すなわち 善は おのれの心に逆らわないことがらであり 逆らうことは 負の善・すなわちひと言で名づけて悪である。  (7) たとえばウソをつくこと これが 善を損ねることであり その損傷行為を悪と名づける。  ウソをつくとき人は 胸騒ぎが起こり顔を赤らめたり言葉がしどろもどろになったりする。(これに慣れて鉄面皮になった状態は別だとしても。つまり 別だというのは そのようなヤマシサ反応が無効になることではない。ただ隠すすべをこしらえただけである)。そういう共通の感覚が観察される。  (8) このマイナスの善としての悪 この悪の起こりは このウソあるいはイツワリあたりにあるのではないだろうか。  きわめて主観的なことでありつつ この主観――身と心――の動きは 自然本性として人間に共通であると推し測られる。  §3 善悪観に社会性を導入すると どうなるか  (9) 主観とその心が 善の基礎となっている。そうすると 心ないし主観の基礎としての身および全体として存在じたい これも――それがなければ 善の基礎が成り立たないのだから―― 善である。  (10) つまり 人間存在は――これまでの話の限りで――善であり ここに社会性を導入するなら とうぜんのごとく存在どうしのとうとび合い あるいは 共に生きること これが善であるとなる。  (11) 《共生》が善だとしたとき その存在を守りつつともに生きるというのであれば やはりとうぜんのごとく《話し合い》が もっとも肝心である。相手の意志ないし心をおのれのそれと同じようにとうとびおもんじるという基礎的な意味内容である。     

  • 悪は存在しない。その名で呼ぶ現象があるのみだ。

     次の二つの理由で あらためて問います。  新しい回答者から別解が得られるかも知れない。そして 究極の悪という現象に関して まだうまく捉え切れていない。  たたき台は つぎのようです。    1. 悪という現象は こころのへそ曲がりに発します。うそのことです。このとき人は やましさや後ろめたさを感じ 時に顔を赤らめます。  2. ウソと言う限りで ウソでない心のありかまたはあり方があるはずです。それを 善と呼ぶとすれば 悪は 善のひねくれ・ねじ曲がりでありそれが くせとなれば 善が損傷を受け欠けていきます。  3. つまり悪は 悪というものが何か・どこかに 他の一切のものから独立して存在するのではなく 善が減少していくにつれ現われるに過ぎないという考えです。  4. 自然本性と言うべき心としての善 これが減ること・またこの善を減らすこと これを悪と呼ぶ。またその善が減った状態のことも 悪と呼ぶ。     かつての質問は つぎです。  【Q:究極の悪とは――存在について――】   http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4708484.html  【Q:悪は 存在しない】   http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4642854.html