• ベストアンサー

アスペルガーとアマテラス語方言

arayata333の回答

回答No.15

やはり、私の過去の過失についての《事実認識や、事情確認》がまだ済んでいないということのようですね。 前回の「ひとは やわらがしめられうるか」というbragelonneさんの質問へのプリメアペさんの回答(No:14)への「この回答への補足」の欄に 》 哲学が目指すのは――くどいように言うとすれば―― 《はらわたが煮えくりかえっている》ことなどを懐深く包みこみながら 《そのあやまちに関して しっかりと事実認識および事情分析をおこなっておく》ことだと考えます。そうして 社会一般の交通のあゆみに当事者のおのおのがふたたび戻るという事態です。《 という文を寄せられていますが、 また 似た内容の文を、ユッキンさんの回答にも このように 》 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   >(犯したあやまちの内実を説明してやるということ)  只「ちゃんと事実を把握する」と言う事かしら。。。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ という仕事もこなしておけるほど 大海のごとく静やかなやわらぎを感じている。感情丸出しである でもひとを裁いてはいない。《 という名文で載せられておられるわけですが、 蚊論争以前に私の過去の過失のあたりの処理をすべきであるというふうに 神とか運命にささやかれている感じがします。 その過失を犯してしまった頃、わたしは、その過失とは別にも、ある実践へと踏み切るため、そこに全力を尽くすべくすでにOKウェブをしばらく去ろうと決意をしていたのです。 がゆえの 時間の無さの中で それはうやむやなままになってしまいました。 ちょうど わたしには理解できない内容でつっこまれる形となり、 それを機に OKウェブを去ったという経過となりましたが、  その後も しばらくは、 そちらが元気であるかどうか、 そのことに悪影響を受けていないかについて気がかりとなって そちらの文は読んでいたのですが、 そのへんは安心したものの、 私が悪意を持っていなかったと言っている事に対して否定的な文を他の方(かた)に書いておられると思えた文を見て、これは弁明しておいたほうがいいのかな?と思ってもいたところ、 いよいよ、別な場にすべての神経も進んでいましたし、 元気ならまあいいか となってしまっていたのです。 しかし、今 多少時間にも気持にもユトリが生まれて ここに戻ってきたのであるからには、 そのへんの《事実》をもっとなんらかの形ではっきりさせるべき、責任を私は背負っているのでしょうか。 私自身は あくまで あの議論の全体の中で 悪の行為もそれを「見つめる目」を持ったものどうしの間では悪にはならない時があるとう模範を、読まれている方がた(かたがた)に示してみようという そちらの論理を応援する実践のつもりだったのです。 つまり 悪質な演技(二枚舌)を わたしはそこでいっさい使っていないということにもなります。 が、もし これだけで わたしのその意図(意図自体は善意)を解かっていただけなかったとすれば、 この場の今回の「回答」の範疇を越えたたいへんな紙数を必要としてしまいそうです。  その事実が問われるということになるとするとです。 ですので、一応はこのようにそのへんにも筆は伸ばしつつ (このサイト内では 時間的内容的にも考えあぐねてしまう問題でもあるので)、 まずは、 そちらの「回答への補足」に、 どうしてもぎくしゃくした交通の形になってしまうようであっても それを受けつつも 回答を続けていってみたいと思います。 私のNo11の回答へのそちらの「この回答への補足」の (1)と(2)と(4)についてだけ 今回は書いてみようと思います。 (1)の蚊論争についてですが、 蚊にさされたようなもの、と蚊が刺した事にすぎない、という両方の比喩表現の違いについて それがほんとうに大事な論争なのか? わたしには理解できなかったわけですが、  そのへんが確か法理論の話つながった時に、 私はいよいよ、まったく理解不能となってしまいました。 そのへんが無学ということなのかとも思いました。 たとえば、わたしには分数の学習の記憶がありません。 そのころ病気で生死をさまよっていたからです。   が 九九(クク)までは憶えていて そのせいで割り算の概念はわかるはずの脳構造までには脳が学習していたのでしょう、 あの分母が下の記号の意味合いは最近まで(十年ほど前まで)解からなかったところ、 確率とか割合とかパーセントとかについては、それが分数の記号によって深められる概念を使っているとも知らずに使っていました。 簡単なことについてはです。  ですが そういう私に数学の方程式の話をされても ふつうならわかりきった話でも通じないでしょう。 また、このようにも思いました。 わたしの知り合いに、まだ25歳ぐらいだと思うのですが、 天才的な人がいて、 陸上の長距離の世界で関東大会ではトップとなるほど それに打ち込んでいた青年なのですが、   学校の授業も ほとんど勉強の時間もとらないでいつもトップ(学年一番)だった人がいます。  今IBMに勤めています。 その人は、自分は教えるのが下手だと言ったのです。 どうしてかと言うと「どうして解からないかが解からないからだ」と言うのです。 でも「スノボーだけは 教えることが出きる」のだそうです。 それは自分が苦労して憶えた始めてのスポーツであり、 なかなか憶えられない人の気持が解かるからだとのこと、 BRAGELONNEさんの文が解かりにくいのは そのへんの天才性のせいなのかなとも、思ったのです。 とくに、この法理学についての話に私が全く理解できなかったあたりについてです。 で、 この蚊論争については、私自身がともあれ重要な論議と思えていないので、 それでそのへんは過去のこととしてしまっているのですが、 それではいけないのでしょうか? 2、の 》可能無限は ほんとうの――非経験としての――無限ではない。経験世界に属すものです。《 という文も 同じように“私には”ということなのでしょうが解かりにくいです。 「可能無限」という言葉自体も、 その次からの文→「ほんとうの―非経験としての―無限ではない。」とう文も 両方ともその意味合いが解からないので、 その次の文が 最初の「可能無限」と関ってくる文と成っている事はわかりますが、 けっきょく何も解かってはいないこととなってしまうわけです。 4、の文 》(1)(2)もあいまいなままであり 以前から進歩していない。《無学》は聞き飽きた。《 については 私に対する叱咤激励と受け取らせていただきます。 そしてそれはありがたいのですが、 ワーキングプア状況の現在、本も買えないですし、 年老いた親と暮らしている身では祭日は、普段の肉体労働の日よりも時間がとれなかったりしますので、図書館を利用するのもまた大変なのです。 でも 諦めているというのではけしてないですよ。 ただ まずは、社会的にこの情報化社会で自分にもできる道を歩みつつ、その中で学習も進めていこうと思っているので、この身には、すべてなかなか大変だということです。 例えば 数学は、もはや、私のその学習の道からはしょらなければならない運命にあるかと思えてしまっています。 確率の問題と神について、このまえの質問の時に語りましたが そういう理論はあるだろうけれどもそこに感性も重要な問題として問われなければ神の問題をどうして論じられるのだろうというところに 私の回答主旨があったのに、  数学で語られてきた世界について触れてしまったために 無限についての説明がレスで書かれていたのでしょう。 しかし、無限プラス1が無限、とか無限割る2も無限とかいうこと自体は解かりますが そこから先が どのようのその次も文とつながっていくのかは やはりわたしには解かりがたいところなのです。 おそらくそのへんから、可能無限とか 非経験としての無限とかの話につながるのでしょうけれど、 その間が私には抜けているのです。 せっかくの14項目ものレスを書いてくださったにもかかわらず、 それ自体が回答が大変で 迷っているうちに質問は閉じられてしまいました。 一言で言えば わたしがアスペルガーのようなもの(知能発達障害という意味合いではです)かもしれませんが、  アスペルガーをもしこのように解釈するのならば、がゆえに 必死に考えて生きてきたことには社会的価値があると自負していますので、そのへんからも アスペルガーを病気と診断することには引っかかります。 (詳しくは いっぺんには話せないですので、 どうか私にも そういったことを 話す機会をください。  わたしへの回答への突っ込みが多すぎて こちらの回答ができていません、 そこで 過去のわだかまりが まだ残っているのかなという判断も今回出てきたわけです) 私も アスペルガー症候群という言葉の 出所にも興味がありますし、疑問に思ったことは具体的にもたくさんあるのです。 でも 今の今は 補足をいただいたわけですから、 もっとゆっくりいくしかないと思っています。 で、 まわりくどい形となってしまいましたが、 まず(2)については 意義あり価値ある論議とは思えますので、 言葉自体はよくは解からないながら、 精一杯は回答をつづけてみたいと思うのです。 まるで、テストに答えを書いてるみたいですが^^、 こちらからも意義ありと思って書くことです。(書いてみること、賭けでしかないとも言えそうですが) すみません、 ここまででも長文となってしまいましたので、回答はここで区切って もう一度かくことにします。 ((すぐつぐく))

bragelonne
質問者

お礼

 困ったものです。  過去から引きずるものは つぎのふたつです。  (1) 《蚊が刺したようなもの》と言えば 何か(つまりはっきり言えば レ―プ)が歴史事実としてあって ただしそれは《蚊が刺した》ことに喩えられるといっています。《蚊が刺しただけ》と言えば そこにあった事実は 《蚊が刺した》ことのみになります。  それが 無効という行為のことです。《何もなかった》と言ってもよいし 原則は そう言うべきです。ただし何か物理的な接触などがあったということは 消せない事実でもあるので その事実に替えて《蚊が刺した》という事実を持って来ています。  つまり 主観においてはですが 《蚊が刺した》という歴史事実があったのみということを 社会的にも有効としています。  (2) ★ 《無限プラス1が無限、とか無限割る2も無限とかいうこと自体は解かりますが》――☆ ここで  ○ 《無限プラス1》 は可能無限です。もう一度 プラス1をすることが出来ます。つまり 人間の能力によって 1なら1と 表象することが出来ます。表象しうるということは それが 経験世界のものごとだという意味です。  ○ 《無限割る2も無限》 これが 経験世界を超えたところに想定する無限です。神とも無神とも言いかえることのできる絶対のことです。2は 表象しうるのですが これは仮りにそういう割り算をしてみるということですから つまりは仮りにそうしてみても やはり答えは無限となるのですから 表象し得ないということです。  その無限は あるかどうかが分からない。分かるか分からないかが分からない。よって 想定しておきます。  可能無限のほうは 想定する必要などなく 経験的に表象し得て 計算することが出来ます。  ★ 過去の過失  ☆ と書いてありますが これらのほかにわたしは知りません。

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