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アスペルガーとアマテラス語方言

arayata333の回答

回答No.10

心理テストについてですが、 たしかに、その統計性自体は、すぐれているとしか言いようのない面を持っていたりします。 矢田部ギルバート式などは、その代表例でしょうが、 その驚くべき統計性にもかかわらず、 それがイコールその結果として導かれる答えが深い内容であるわけではない、 という点をしっかり考えられている心理学者の方がどれだけいるだろうか?と考えると心もとない感じがします。 昔、もう二十数年前になのですが、 なんとそのテストの意義をめぐって論争がつづいていて、ほぼ拮抗した人数の賛成派と反対派に分かれて論議が続いているという事を聞いたことがあります。 テスト自体への賛成も反対もないだろうと思うところ、 このテスト賛成派というのは、たしかに曲者で、  まさに(一言で言うなら)レッテルを貼りたがる人たち(先生たち)だったのです。 表立って 精神疾患について先天的だと言うような心理学者は少ないかと思いますが、  おそらくそういう浅い考えの心理学者たちのグループにくくれる人かと思いますが、   なんと、 そんなふうな偏見を植え付けることに終始している本を書いているのを見たことがあります。 内容は 表ざたの批判はしたくないという私の方針から、明らかに出来ませんが、 そんな人やそんな人たちがいることは確かでしょう。 当時 その事を知ったのは、 精神疾患の中でも酷い神経症の人と接することがあったからなのですが、  一方でとても良心的な専門家もいて その酷い神経症の場合ですら 病気と考えてはいけないとう 論理を詳しく解説している本も見ました。 こうして、昔から 心理学やその歴史的な根元となっているのだろう精神分析の世界には批判的な心理学者の方がたも大勢おられたかと思います。 が、 ウィキの アスペルガー症候群の説明を見て、 十年ぐらい前から言われるようになったとも聞き、  たしかに、これこそ、 心理テスト賛成派(ほんとうはこんなに簡単に書けないところでしょうが、 ここでははしょって書いてます)や浅い学習の仕方、浅い見方の心理学者たちから生まれてしまった概念だなと、 その流れを つい、いろいろ推理してしまいました。  (実際のことは詳しく知りません) アメリカの心理学者たちのある大きなグループは、その心理テストの統計性と権威性から、それを体制のため政治のために悪用したことがあるとのこと、 まさに、これこそbragelonneさんの危惧されるところかと思います。 ほんとうは 専門家の方がたこそ そのへんをもっとしっかりして欲しいところです。 アスペルガー症候群(たしかに症候群というのもおかしな表現ですし)というのは、 ウィキを読んでいて思ったのですが、  それがおおよその説明であるとしても、 明らかに考えが浅い捕らえかたとなっていると思います。 例えば、 友だちが出来ないで悩んでいる人は、大勢いると思いますし、その苦悩は大きかったりするでしょう。  そんな時にとても有効な方法は、 「友だちが欲しいと思う気持が強すぎると友だちは出来ないよ。その考えはすてたほうがいいよ。 自分もそれを求めなくなったら友だちが自然に増えてきたよ。」という説明だったりします。     あなたの心は病気ですよ。とうのとは、逆な方法です。 そのような悩みがあるからと言って アスペルガーの症状であるわけではないわけですが、  症候群という一般的な名で呼ばれ始めると、 たしかに、アースじゃないですが^^伝染病であるかのように、 多くの人がそうでない人に対してまで 孤独で悩んでいる人をそのレッテルで 思いこむこととなります。 そして 「思い込み」というのは、 とくに家族や あるいは集団的な思い込みというのは、 その個人に強い影響を与えてしまうのです。 二枚舌というのは、 私たちの演技性の悪い面を語ってもいるかとおもいますが、 それを理解できない子ども達というのは その悪い面を知らない純粋な場合もあるでしょうし、悪い面を見たくない気持が強い場合もあるでしょうし、 あるいは それはいい演技の世界への過渡期としてそこにその心理課程となっている状態なのかもしれません。 あくまでも、 相手のための柔らかい言葉としての二枚舌という嘘の世界も、それ自体深い人格の人とは言えないでしょう。 その“人間としての演技修行”の世界は、まだまだです^^。 そんなのを理解できなくたって まして子どもがまだ理解できなくたって問題があるとは思えません。 仮に問題が多少あったとしても、 多くの方法で治せる世界です。 さまざまな遊び さまざまな興味、さまざまな触れ合い、さまざまな趣味をおおらかに友だちどうしで楽しめる環境がそこにあるだけでも そんなのはすぐ治っていく問題です。 知恵ある大人なら さらに そのへんをこそ深めるための思考がさまざまに働くでしょう。 なら、まして、 当然、病気のレッテルなどを、貼ってはいけないところです。 アメリカの大きなそのグループの流れは日本にも大きく流れているとも聞きます。 ならば、アスペルガー症候群という《病名》が生まれた裏には その匂いがしてしまう、あるいはそういう推理が働いてしまうというのも当然の事と思います。 わたしは、逆に 個人的なことではなくて、 アメリカの体制とか国家権力とかいうことが因である場合は はっきりとその悪を指摘もしますが、 もし そうならば これは今までの資本主義のせいだ、というふうにも言えるでしょう。 しかしながら、 そこには 権力のそれこそ二枚舌(嘘、や騙しの世界)が巧妙にかくされていたりしたとしても、 私の場合は、 それをも 太陽によってその服を脱がすとういイソップ式の方針でその悪に挑むでしょう。 嘘や 騙しは 見抜かなければなりません。 でも、それだけでは、自分も同じむじなとなる可能性があります。 善への真心の世界を しっかりと掴んでおかないと、その見抜きは骨抜きとなってしまうのです。 真逆に、 骨太なその「見抜き」の世界からは、 本物のそれこそ本物の太陽政策が行えるのです。 現在の朝鮮の 北への太陽政策は、 民族統一の美名裏では植民地政策と言えてしまうところがあります。  そのまま平等の民主主義の国どうしであることを望むなら 朝鮮全体がアフリカ以下の経済力となると言われていますが、それを太陽政策を行っている朝鮮の政治家さんたちが知らないわけがないからです。  つまり この太陽という言葉は、まさに二枚舌であるわけですが、 それを 本気で肯定している人たちは大勢います。 さて ここにてなのですが、ではどっちが アスペルガーか? ということを問題にすべきところなのでしょうか? 北朝鮮の場合 嘘つきの「おおかみが来た」と叫ぶ少年を地でいっているがごとき 嘘を繰り返しているわけですが、 これを私は イソップの言うその子供だというふうにレッテルを貼ったりはしません。 いや、北朝鮮の問題は ここでは置いておきましょう。 が、おなじ、ほんとうの政策は、アメリカにも太陽を送ることで 過去のアメリカ資本主義の服を、そして 知らずにもそれを信じている心理学体系(例えばマズローの欲求7段階説ですら、そのあたりで、 深くは矛盾しています)の服や、 あきらかな二枚舌とい意識的な悪どいグループの服をも脱がせる唯一の方法だと思っているということです。 懐柔策やごますりや、おだて、ではないです。 私は ここでは、その論議を推し進めるつもりはないですが、 あくまで、 その太陽の具体的な知恵の積み重ねこそ、骨太改革のすべてと思ってます。 私が 心理学で、問題にしているのは、 上記の「まごころ」がどうして生まれるのか その因果をまだ明らかにしていないことが明らかだからです。  推理ですがはっきりと、これははっきりと推理できるところなのです。 そこがはっきりしなければ、 二枚舌をどんなに批判しても 二枚舌は私たちの未来からなくなったりはしないでしょう。 情報化時代には、庶民も その知識や知恵のすべてを語ることができます。 ですので、このことには、私自身も責任を感じています。 が、その「まごころ」の存在さへ、しっかりと捕まえることができたなら、 アメリカの心理操作や  朝鮮半島の民族を利用した二枚舌政策も おそらく小さなグループのレジスタンスの力でですら、無くしてゆく事ができる土台を得たことになると私は考えています。 ところで、 また 文章の話となってしまいますが、 bragelonneさんの文は 個性とかはあってもいいのですし、文体とはそれが一定していれば読みやすいからこそ必要なものであり 読みやすければくずしてもいいとさへ言える面があり、 それはそれで一定し手入ればそのへんこそが個性でもあるわけですが、  誤解されやすい形となっていることには注意が必要かと思います。 例えば、よく読めば たしかに 《すべての精神疾患》にたいして、 社会的な洗脳の裏心を疑っているわけではなくて、あくまで 《すべての精神疾患》は、後天的であるとの主張を言われているだけのはずのくだりも、 そちらの文の流れで読んでいるうちに ふと、とか つい、という形ではあっても《すべての精神疾患は、アマテラスの策略である》というふうに読めてきてしまったりします。 それは 読む人の錯覚でしょ ですましてしまったら 交通がなりたたないほど、 そのへんの錯覚しがちな感じは   錯覚画のような感じすら受けてしまいます。 私は人の文は 詳しく読む方の人間だと思っているのですが、 なんとかそのへんの表現のあたりを変えることはできないでしょうか? 哲学であるからには、《すべての精神疾患についても》 このへん検討したいという意気込みが裏に流れているから、(また、 裏ではわたしもそう考えているから)、 ということもあるのでしょうけれども …。 このQ&Aの枠の中では おそらくそれは無理かと思うのです。 あるいは そうとうの時間と覚悟が必要となるかと思います。 無学な私では どこまでついてゆけるかどうか?

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  哲学であるからには、《すべての精神疾患についても》 このへん検討したいという意気込みが裏に流れているから、(また、 裏ではわたしもそう考えているから)、 ということもあるのでしょうけれども …。  このQ&Aの枠の中では おそらくそれは無理かと思うのです。 あるいは そうとうの時間と覚悟が必要となるかと思います。  私では どこまでついてゆけるかどうか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 残念ですと言いますか すでに前回で方針がわたしとは違っていたようですので 仕方無いと思います。

bragelonne
質問者

補足

 1. 蚊論争でみづからの見解を明らかにすべき。  2. 可能無限は ほんとうの――非経験としての――無限ではない。経験世界に属すものです。  3. 《武力行使が道徳的にも正当化される場合がある》とオバマが言ったそうです。(只今の情報)  4. (1)(2)もあいまいなままであり 以前から進歩していない。《無学》は聞き飽きた。  5. 《心理テスト》などどうでもよい。初めにこういう症状を実証しようという前提と意図があるからには 勝手にやってろと言うほかない。  6. 神経症など心理の障害は たとえ精神の大海にとって上っ面で嵐が吹きまくるだけだと言っても それだけの問題を持つ。休養が必要の場合もある。ただしそれだけである。  7. ★ 《そして 「思い込み」というのは、〔* ――精神にとってやはり上っ面の現象に過ぎませんが――〕 とくに家族や あるいは集団的な思い込みというのは、 その個人に〔* も集団全体にも〕強い影響を与えてしまうのです》。    8. ★ 《“人間としての演技修行”の世界》――☆ 特に《人生演技説》というのもあるようですが これについては わたしは くそくらえと言ってやる立ち場です。  9. ★ 《さまざまな遊び さまざまな興味、さまざまな触れ合い、さまざまな趣味をおおらかに友だちどうしで楽しめる環境がそこにあるだけでも そんなのはすぐ治っていく問題です》。――☆ よくもこんな安易な言い方をなしえたもんだなぁと思います。  10. ★ 《しかしながら、 そこには 権力のそれこそ二枚舌(嘘、や騙しの世界)が巧妙にかくされていたりしたとしても、 / 私の場合は、 それをも 太陽によってその服を脱がすとういイソップ式の方針でその悪に挑むでしょう》。――☆ さよか。  11. ★ 《善への真心の世界を しっかりと掴んでおかないと》――☆ よくもこんな歯の浮いた言い方ができるもんですね。  12. ★ 《さて ここにてなのですが、ではどっちが アスペルガーか? ということを問題にすべきところなのでしょうか?》――☆ たしかにわたしも そのように読める表現をしてしまっていますが あくまで焦点は 《起源》を突き留めることです。全体の説明から分かるはずです。対症療法には ここで関心を寄せません。  13. ★ 《私が 心理学で、問題にしているのは、 上記の「まごころ」がどうして生まれるのか その因果をまだ明らかにしていないことが明らかだからです。  推理ですがはっきりと、これははっきりと推理できるところなのです》。――☆ 勝手にやってください。  14. ★ 《錯覚画のような感じすら受けてしまいます》。――☆ 意味が読み取れません。

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