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あの世の住人は神の存在を信じているか

arayata333の回答

回答No.6

shiht-2007さん、今晩は。  その質問文に対しての質問があります。 》或いは地上で人間として生きていたころと同じように、立証不能であるとして《 というところからの 疑問なのですが、 それでは、 「地上で生きている人間」は神の存在を立証不能であるとして否定している と捕らえることを前提とした質問に思えてしまいます。 そう書いたからと言って shift-2007さんがそう思っているとは限らないわけですが、   そのへんは 最近読んだ 論語の中で 孔子が 「生きてる人の事も解からないのに死んだ人のことがどうして解かるのだろうか?」といった意味合いの事を述べられていることに なるほどそうだと思えてしまう私のような人間には、 どうしても そのへんがひっかかるところなので、まず、この補足要求質問となったしだいです。 私は 生きてることを深く深く探ってゆく中に始めて 神の存在も見えてくると思っている人間です。 証明というより 実感です。 苦しんで 苦しんで疑って疑って それでも 命の実態の中に希望を見出した時に 感じられてくる実感としてです。 いわゆる「あの世」とか霊界というのは、わたしには何かの便宜的方便とか物語とかに思えてしまっていますが、 もしかしたら、shiftー2007さんは、 そのへんに対して同じような批判が心の中にあっての 揶揄の質問のつもりであられるのかもしれませんね。 あるいは、あの世の住人というのは その存在はまた それは確実に存在するという前提での質問なのでしょうか? 私の言う神の実感というのは、 神は何もしないということ(どんなえこひいきもあるはずが無いという、あるいはそのへんまさか神が人間以下の狭い心であるはずないというふうなところからも考えられるところなのですが)は、いないのと確かに同じなのですが、   すでに存在の中に これほどまでの 命の可能性の豊かさを贈られているかのような存在の姿に気がつく という意味での実感の世界のことを言ってます。 それは、頭での否定とか立証とかではなく、実際の事実にたいする気づきの世界です。 でも、死後は 私たちの意識にとってどうしてそれを理解できるのでしょう? その 弱いあたりまえの生物の体の張り付いている意識の世界の中に、その無限の贈り物が秘められている、神への気づきの世界も含めて、 これだけでは、非論理的なのでしょうか? キリスト教の主の祈り(キリストが直接教えられた祈り)の中に、 「天の行われるがごとく、地にも行われますように」という言葉があったかと思いますが、   「行われるがごとく」というのは はるか未来の未来の事ではなくて 今の大地にも 素朴な子どものような純真で新鮮な心を持った人は 天に住んでいるよなものということの 例によってたとえ話が そこに入っているということだと思うのです。 今を 生きてることの中にそれが見出され、神を感得しえるならば、 その人は あの世(がもしあったとして)でも、 神のことを忘れてるはずはないのでは と思います。 私自身は どんな精神も 死の淵には 生物としての体とともに消えていってしまうと思ってます。 もちろん なんらかの形で 人間の命は永遠だという推理はありえる話です。  よく考えてみてください。 この命は、 そうです 生きているこの地上の この大地の上の私たちの命は、 それほどまでの 奇跡の上に存在しているというのが 存在であるのですから…。 また であれば 輪廻もまた否定してる者ではないのです。 なんらかの形の輪廻転生説をです。 おそらく そんな何かが 現実そのものの世界として見えてくるのが私たちの生の世界だとおもってさへいます。 が、 そこに 霊界とか あの世とか それを見たことの無い人が そのように見てきたかのように想定する必要は何処にも感じないのですが、 なぜ、 それが前提としてあるかのような質問を哲学のカテにされたのでしょう? 私には 文から受ける感じでは shift-2007さんが とてもそういう仮定をわざわざ作って その仮定におけるさらなる仮定の論理を求めているとはとても思えない感じがするのですが? つまり 何か本気のアイロニー(ひにく)が質問には込められているように思ったのですが、どうなのでしょう? それとも、 shift-2007さんも、論理自体が好きなだけなのですか?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >「地上で生きている人間」は神の存在を立証不能であるとして否定している と捕らえることを前提とした質問に思えてしまいます。 生前にそういう主張をしていた人が死んだ場合、あの世でも同じようなことを言うのだろうかという事です。 つまり、死後の世界では私たちはどのような思考パターンを持つのだろうかという事です。 生前と同じものか或いは全く違う思考をするのか。 そもそも思考というものが出来るのか? 思考することが出来るなら、あの世という不可思議世界に行っても人は相変わらず科学的知識や自分の経験を拠りどころにして思考するのだろうかと。 また、この世でもあの世でも神という存在は身近なものではないだろうと思うのです。 あの世では神の存在を身近に感じることが出来るのか。 そもそもあの世があるなら神は存在すると言えるのか。 もっと言えば神はどこにいるのか?この世か、あの世か、それとも別の世かということでしょうか。

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