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あの世の住人は神の存在を信じているか

chrisdiorの回答

回答No.20

またまた Christdior です。 お礼のお言葉有難うございます。 質問者さまがおっしゃるのをまとめると、 「神になり、すべての他人に生きる意味を教えてあげたい。」ですよね。 それは結構どころか凄いことですね。 1.>>生きる意味を問うという事は、言ってみれば私は神になりたいのです。<< これについてですが、 キリスト教ではイエス自身が元々神(旧約聖書:ユダヤ教の神)の子として世を救うために人間としてこの世に送られてきたので、人間の肉体は持っていますが神そのものです。 よってキリスト教ではそれ以外の人間は神にはなれません。 そして、 神=父(神)+子(イエス)+聖霊の三位一体といい、 イエスの教えを信じ、自分の罪を認め悔い改めることによって自分自身の聖心性を高めることが出来ます。そして更にその人間に神の一部である聖霊である神(Holy Spirit)が宿ります。これにより、さらに神に近い状態に聖心性を高めてくれます。 よってキリスト教では人間は神に近い状態に聖心性を高めることはできても神にはなれません。 2.>>キリスト教がクリスチャンに生きる意味を与えたのと同じように<< これについてですが、 >>キリスト教がクリスチャンに生きる意味を与えたのと同じように<< とありますが、順番が違いますね。 最初にキリストの教え(キリスト教)があり、それを受け入れたので、キリストと共に十字架を背負う覚悟の上に洗礼を受けてクリスチャンになるのです。 ですから、カトリックの場合、幼児洗礼は別として、通常ある程度の年齢(成人以上は勿論)になってから洗礼を受ける場合は教会で毎週1回程度、長くて1年間は旧約、新約聖書等々について勉強しなければ洗礼は受けさせてもらえません。 余談ですが、その際の費用は、大き目の本屋さんに行って旧、新の聖書を自腹で購入することと、教会に通う交通費くらいで、それ以外勉強にかかる費用は一切必要ありません。 また、洗礼に係わる費用も教会は一切受け取りません。 そして、勉強を進めていく間に、自分自身に信仰心が芽生えなければ勿論途中で辞退して差し支えありません。 このように、教えが最初にあり→受け入れて→洗礼(クリスチャンになる)という段階が必要なのです。 3.>>私も自分とそれ以外のすべての他人に生きる意味を教えてあげたいのです。<< >>これは結構意味のある仕事だと思いませんか。<< これについてですが、あなたは「私は神になりたいのです。」と言っておられますので、逆に質問者になってしまいますが、あなたの考えておられる「生きる意味」とは何だとお考えでしょうか。私は神になりたいのであれば、逆にあなたからそれを教えて頂きたい。 また、神に近いところでお仕事を望まれるのなら、聖職者になられたらいかがでしょうか。 そして、マザーテレサならぬファザーテレサと呼ばれるような貧しい人々の救援に尽されるのはいかがでしょうか。 また、悟りを開かれ、自分の宗教を創造されるとか。 意味のある仕事だと同感です。これであなたも、あなた自身の生きる意味を見つけられた訳ですね。 <終わりに> 神はおられます。 宇宙の存在意義、生きる意味(人間の存在意義)、神の存在などを問い、考えるのは唯一人間だけだと思います。 そして、如何なる無伸論者と強がっている人でさえ、口には出さないだけで、何らかの苦境的状況になれば心の中で「ああ神様!」と祈っているのです。 そうなんです、「神に祈る」という行為は地球の生物の中で唯一人間だけでしょう。 私は思うのです、苦境な状況になれば「神に祈る」という行為は全人類の共通の本能だと。 そして本能として備わっているということは、更にこの宇宙の営みを神が与えてくれたものだと本能的に感じて(悟って)いるからなのです。 この地球以外の知的な生物はどうだか知る由もありませんが、我々が知るところの範囲でのこの地球においては唯一人類だけに、何かの時に神を見かえるようにお与えくださった本能なのです。 即ち「神に祈る」という本能である能力は使うためにあるのです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人は人生に対して色々な物を求めます。 お金持ちになりたい、野球選手になりたい、結婚したい、幸せになりたい、など。 人それぞれ求めるものは違いますが、共通しているのはある種の「結果」です。 同じように人生もまた、人に対してあるものを求めています。 友人、家族、学校、会社など主に他者との関係においてそれを求められます。 人それそれ求められているものは違いますが共通しているのは「学び」です。 人は人生に結果を求め、人生は人に学ぶことを求めているのだと思います。 人生が人に対して求めるものが、いわゆる「人生の意味」になるのではないでしょうか。 人は常に結果を求めているので、その結果がうまく得られない時などに人生の意味とは何かと問い始めるのですが、 人生側から見れば求めているのは結果ではなく、むしろプロセスなのではないかと思います。

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