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日本では数学や論理学は重視されなかった???

日本では数学や論理学は重視されなかった??? 西欧の自由七科に見られるような、数学、論理学の重視に比べて、 日本では数学、論理学が重視されなかったように思います。 そもそも、日本の貴族はソロバンは計算器具なしで、 計算できたのでしょうか。 和算にしても、知識人の一般教養として広く学ばれたというよりは、 数学愛好家(庶民も含む)の間で発達、重視されたものであり、 知識人の必須教養としてとらえられていたようには思えないのですが。 日本では、知識階層、指導者層の間の一般教養としては、 数学、論理学はあまり重視されなかったのでしょうか。 それともこの認識は間違っているのでしょうか。 兼好や紫式部が、二辺の長さがわかっている直角三角形の、もういっぺんの長さを近似値でもいいので、 求めることができたようには、到底、思えないのですが…… .

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  • serina55
  • ベストアンサー率39% (37/93)
回答No.4

まじめに答えていない人ばかりで驚きです。 文系気質、理系気質ってなんなんでしょう。 知らないなら回答しなければいいのに。 ヨーロッパでは、プラトンの“イデア”という言葉があるように、 抽象的、概念的、普遍的なものが一番えらいという考え方が根底にあります。 数学や論理学とは非常に相性がいいですね。 ですが、No.1さんのおっしゃるように専門的知識を持つのはごく少数の限られた人達です。 平安時代、鎌倉時代を例に出すなら、 そのころのヨーロッパの教育はカトリック教会が支配的でした。 “イデア”を求めるがゆえに、現実的な学問は軽視されていました。 今では考えられない低レベルな教育であることは確かです。 ヨーロッパで数学、論理学が開花するのはルネサンス以降の、 グーテンベルクの印刷革命~17世紀の科学革命~18世紀の産業革命 という流れにおいてです。それまでは論理学もいわば神学と同義でした。 19世紀、明治維新以降、日本はヨーロッパの教育制度を取り入れたので 知識人、指導者層ではほとんど教養の差はなくなったでしょう。 というか、歴史上、支配者層はあまり数学、論理学を重視していません。 そういったものは、専門家にまかせればよい、という考えだと思います。 日本の政治家だって、政治、法、経済についての知識があればなれますよね。 ガリレオのように、科学的研究が支配者にとって都合の悪い例もありますし。

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その他の回答 (4)

noname#125540
noname#125540
回答No.5

こちらでのやり取りを踏まえてのご質問ですよね? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5428827.html

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  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.3

日本人は論理的ですよ。 その証拠が「前例がありません。」です。 これほど論理的な回答はありません。 数学に関しては、あの時代にほぼ正確な日本地図を作りえたのは恐ろしい事ではないでしょうか。 徳川家康、前田利家が自ら決済していたと言うのは有名な話です。 算術者の官僚と言えば石田三成が有名ですね。 面白いお話に、ギャンブル狂いは計算できる人間として仕えるかもしれないが、女狂いは役に立たない。と解雇した話があるくらいです。

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  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

そんな昔のことはわからないですが、現在、多くのヨーロッパ人は(少なくとも日本などよりはるかに)基本は文系気質で、理系学問に疎いのはよく知られるところですよね。

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  • tsubu_m
  • ベストアンサー率29% (106/357)
回答No.1

多分、ですが… 洋の東西を問わず、数学者や興味を持つ人間以外は、「三平方の定理」などは知らなかったでしょうね。 平安貴族に対して例を出すなら、英国王室の方々が皆一様に「三平方の定理」を説明出来たとしたら驚きですね。 それが庶民階級なら尚更ですね。 日本に目を向けると、江戸時代の寺子屋では、現代にも応用できる高度な計算を「ソロバン一本で」やっていた、と言う話もあります。 日本の数学も馬鹿にはできないようです。

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