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回答(16件中 1~5件目)
No.4&10&11&13です。
わたしの知る範囲で説明をこころみます。
1. 日本文は 主題の提示を次から次へおこなっていく。
2. むろん文とは ひとまとまりの思想(ないし意志表示)を示すその単位体である。
3. したがって いづれは 最終の主題が来る。これは それまでの主題の群れに対してそれらを一つの問いとして 話者が一定の答えを出す部分である。論述主題となる。
4. 第一主題は 話題として文の中心となる。第二主題は 中心主題にかかわることがらを取り出して来て 話者がその思惟を運ぶというかたちとなる。
5. 一般に文による意志の表明は 相手を想定している。したがって 第一中心主題は 相手や人々が知っていることがらを出してくる。《ご存じのこれこれ(主題 A )のことですが・・・》という話のきっかけとする。つまりもしくは 知らない事柄であっても 一般に知っていると見なしたかたちで提示する。
6. 第二主題は 第一の主題の関係主題としてその限りですでに特定されうることがらであるが 相手にとっては どういう関連事項が選ばれてくるかは 分からない。言いかえると 話者は 相手が知らないであろうと見るから その第二主題を提示したいのである。
7. ということは 第一主題は 一般に既知のことがらが当てられると同時に 第二主題は 一般に未知のことがらが選び出されてくる。これが 意思表示の一般的なあり方である。
8. ちなみに 中心主題を承(う)けるハ格は ガ格以下の第二主題ないし第三・第四・・・とつづく副次的な主題に対しても 《その副主題を取り立てる》役割をになう。
○ 私は 水ハ 飲みたくハないけれど わいんハ飲みたい。
9. それに対して
○ わいんガ飲みたい。
☆ というふうにガ格を用いるのは 相手にとって――自分が推測するだけのことだが――未知のものであろうと思われる事柄を主題として出しますよという心づもりにもとづいている。
10. (未知というのは 相手がワインを知らないという意味ではなく いま何が飲みたいかに対して こちらがワインを提示するとは思わないだろうと踏んでいることを言う)。
11. あるいは
○ わいんヲ飲みたい。
☆ という表現は 《飲む》という・動作を表わすことばを頭の中ですでに予期して その対象であるものを第二主題( B ガの B )に持ってきたときその頭(心づもり)において ヲ格が優先される結果である。動作の対象( O )と動作の述定( V )とが直線的に連絡したその結果である。――ハ格とガ格にまつわる主題提示の問題とは 様相が 別だと考えられる。
どうでしょう。
投稿日時 - 2009-10-02 19:53:11
No.12です。たびたびすみません。
>形容詞になるから「が」で受けるというNo.2でのご説明との整合性はどうなりますか?
あの説明は、No.7で訂正したつもりだったのですが、書き方が悪かったようです。それに、No.12では願望によっては『不自然に感じる』ことがあると言っているだけで、「が~たい」または「を~たい」文の構成がありえないとは言っていません。それでも整合性がとれていないでしょうか。
いずれにしても、私は他の方の意見も少しずつ参考にしながら自分の考えをまとめている段階ですので、参考にもならないかもしれません。
最後に、思い至った経緯を少し。
連体助詞の「が」は、本来ウチなるものを受ける特徴がありました。その特徴が自動詞を結びつけたりするのだと思っています。ですから「が~たい」も自然発生的(生理的)な願望だと思ったのです。
他の方がおっしゃるように格助詞「が」は物事を限定する特徴があるので、そういう面もあると思います。
失礼しました。
投稿日時 - 2009-10-02 18:10:44
お礼
述語が 「動詞+形容詞型助動詞」 の場合は目的語の後に付く助詞は 「を」 と 「が」 の2通りが可能。で、個々のケースでどちらを選ぶかの基準がANo.12の説明ということだったのですね。ようやく仰ることが理解出来ました。
何度も親切に教えていただき、本当にありがとうございました。
投稿日時 - 2009-10-04 08:23:10
#9です。
先に、「主題の提示」は、
「水は飲みたい」の場合で、
「水というものについて述べてみれば、それは飲みたい」ということになると思います。
まず、水というものを想定して、それについて話を展開するわけなので、特定とは逆の思考順でしょう。
「水を飲みたい」も、おっしゃるように対象の特定と言えないこともないですね。
ただ、「特定」という言葉の定義にもよってくるかもしれませんが、「を」の場合はあくまで「対象の提示」というニュアンスでしょうか。
「特に取り立てて決定する(示す)」というニュアンスは無いような気がします。
「が」の場合は、「特定しようとする意志」、あるいは「特定したいという意気込み」といったようなニュアンスが強い、とでも言いますか。
そういった感覚を表現したい時には無意識的に「が」を使う、ということのように思います。
何かのトラウマで、10年ほど全く歌うのを止めていた演歌歌手が、ある日突然トラウマが氷解し歌う気持ちになったとき。
彼(彼女でもいいですが)は
「演歌が歌いたい」と言うでしょう。
間違っても(いや、間違えばわかりませんが)
「演歌を歌いたい」
とは言わないはずです。
別のシチュエーションであれば、歌謡曲でもなくポップスでもなく演歌が歌いたい。
という意味になる場合もあるでしょうが、ここは、
「私は声を出して歌いたい」
という、「歌いたいという欲求の対象を特定する」意味での特定です。
「演歌を歌いたい」の場合は、
「歌いたい」と言う以上、その対象を示す必要があるので(仕方なく・・・でもありませんが)その対象を淡々と述べる、という印象です。
「が」は「特定を強調する作用」と言ってもいいのかもしれません。
投稿日時 - 2009-10-02 17:07:50
お礼
再々のご回答、真にに痛み入ります。
「を」は対象を提示するが、その対象を特定することまではしない・・・
う~ん、難しいですね ( ^^;
先ずは文法の基本用語の定義から勉強しなくてはいけないなと感じました。でも、「が」の強調作用というのはよく解った気がします。
投稿日時 - 2009-10-02 18:31:44
No.4&10&11です。
ちょっと出しゃばりですが 反応します。
ことばはみづからがと言うほどに変わっていきますから それをどうこう言うのではありません。それとは別に その成り立ちやいわゆる伝統ということを知っておくのはよいことだと考えます。
また変わったあとの段階では その新たな情況に応じた説明がつけられて じっさい文法が変わることさえあるかも知れません。ですが その前からの伝統を そのときにも知ることはよいと思います。
ひとつのおぎないです。
(1) 水が 飲みたい。
☆ これをすでに
(2) 水ガ(=水ノ)飲みたきこと:《 B (体言)‐ガ C (体言)》
☆ というふうに解しましたが 別解を考えました。
(3) 水ガ(=水ノ)飲み 甚(いた)し。
= 水ノ飲み‐ガ 甚し。
☆ とも捉えうると。
ガ格を 《我が家・我が国》のごとく属格に用いる用法は 現代ではほとんどなくなっていますから そして英文法の影響をも受けて文についての感覚が変わってきていますから 見方も変わるのは 必然の流れであるようには受け取ります。
ただし ふたたび昔の伝統に戻らないとも限りません。
要は 事実を捉えて人びとはどう考えるかでしょうね。
投稿日時 - 2009-10-02 13:48:32
No.8です。
人間の欲求・願望には大きく分けて2種類(生理的欲求と理知的欲求とが)あると思います。
その2種類を「が」と「を」とで分けていると考えられないでしょうか。
「水」を見たから飲みたいと思うのではなく、「のどが渇いた」から「飲みたい」と思うのです。これが生理的欲求。だから「水が飲みたい」が自然なのです。
逆にやみくもに「殺したい、殺したい」という欲求だけがあってなんて考えづらいですよね。「ある人」がいて、その人が「気に入らない」と思って初めて「殺したい」となるのが普通だからです。これが理知的欲求。だから「○○を殺したい」が自然なのです。例えが悪すぎますが。
同じものに【独占したい】が考えられます。ただやみくもに「独占したい」と思うのはちょっと無理があると感じます。なにか対象となるものが先にあるはずです。だから例えば「賞が独占したい」が不自然に感じ、「賞を独占したい」が自然に感じるのです。
投稿日時 - 2009-10-02 12:28:03
補足
> 人間の欲求・願望には大きく分けて2種類(生理的欲求と理知的欲求と
> が)あると思います。
> その2種類を「が」と「を」とで分けていると考えられないでしょうか。
ウ~ン、どうなんでしょうか・・・ ( ^^;
仮にそうだとした場合、動詞+「たい」は形容詞になるから「が」で受けるというNo.2でのご説明との整合性はどうなりますか?
投稿日時 - 2009-10-02 16:40:23