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中世の幕府権力の特質

中世の幕府権力の特質とはどんなものだったのでしょうか?

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こんくにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>中世の幕府権力の特質とはどんなものだったのでしょうか? 鎌倉幕府について: (1)これまでの「荘園制度」を徐々に打破して、「御家人制度」への移行を目指した。 (2)「将軍(鎌倉殿とも呼ばれた)」と、その家来となった御家人との間に「土地」を通じた、「御恩」と「奉公」の関係を成立させた。(ギブ アンド テイク?)。 (3)具体的には: 1.将軍から御家人への「御恩」。 *本領安堵(ほんりょうあんど)・・・先祖代々の所領の支配権を保証する。 *新恩給与(しんおんきゅうよ)・・・新たな所領を与え、地頭に任命する。 *朝廷への官職推挙。 2.御家人から鎌倉殿への「奉公」。 *軍役(ぐんやく)・・・合戦に参加をし、鎌倉殿のために戦う。 *番役(ばんやく)・・・京都大番役、鎌倉番役など、鎌倉幕府の重要機関で一定の期間働く。 *関東御公寺(かんとうみくじ)・・・朝廷の内裏や幕府の建物などの建築を担当したり、修理する役目を担う。 こうした土地を通じた主従関係を一般的に「封建制度」と呼んだ。 室町幕府について: (1)建武3年(1336)11月に足利尊氏が北朝の光明天皇から、征夷大将軍に任命されると、ただちに、「建武式目」を制定。 これは、鎌倉幕府の職制を「踏襲」している、と言っても良い。 また、「建武式目」は、時代に沿うよう、逐次「追加」をし、強固な制度を目指している。 (2)室町幕府は「守護大名の連合政権」。 足利家の執事職を起源とする「管領」と言う役職は、鎌倉幕府の「執権」ほどの権限はなかった。 (3)その代わりとして、幕政は「合議制」を敷いた。 *「管領」には・・・細川頼之、斯波義将、畠山基国などが交替で務めた。 なお、細川も斯波も畠山も足利家の一門で、分家をする前は皆足利を名乗っていた。 *侍所長官である「所司」には・・・赤松氏、一色氏、山名氏、京極氏の四人が交替で勤めた。 (4)幕府の要職や複数の国の守護を務めたのは、細川氏、斯波氏、山名氏、一色氏、畠山氏、渋川氏、今川氏、上杉氏(外戚)など、足利一門によって占められていた。 (5)上記の人々を中心にして「奉公衆」が編成された。 (6)荘園制度の崩壊。 つまり、守護領国制への移行や貨幣経済の進展などがあり、 *鎌倉幕府では・・・個々の御家人が直接「将軍」と主従関係を結んだ。 *室町幕府では・・・守護大名は国内の御家人の監督的立場であった。 しかし、守護大名は、その領国の武士と主従関係を結び、守護大名の推薦で武士たちが幕府に取り立てられることで、縦割り行政が出来上がった。 また逆に、将軍は幕府に取り立てられた武士たちに、守護大名の頭越しに主従関係を結び、新たな「奉公衆」を作り、守護大名の監視役もさせた。 (7)幕府が一部の守護大名を討伐した例はあるが、将軍と守護大名が全面的に対立することはなかった。 守護大名は、幕府から領国を安堵してもらい、その「権威」を背景に、領国支配を強化していったが、いくら勢力が拡大しようとも、室町将軍の権威を否定しては、(将軍家を倒しては)、自分たちの「後ろ盾」がなくなることを意味しており、将軍家の失墜=守護大名の権威失墜であった。 事実、織田信長のように、将軍家の力を削ぎ始めると、今川義元のように守護大名の権威も失墜してしまったのです。

jotunjp
質問者

お礼

歴史作家さん、ありがとうございます。 大変勉強になりました。

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