絵画の美術的面は著作権の客体か

解決済みの質問

絵画の美術的面は著作権の客体か

 著作権の客体は無体物とされています。無体物は観念的・抽象的存在で物理的実体を有しないから、これを見ることも触れることもできません。しかし、絵画の美的面は目に見えるし写真にも写るから、これは無体物ではなく有体物であり、したがって著作権の客体ではなく所有権の客体だと思います。「美術品の美術的価値はもっぱら著作権者に帰属し、著作権消滅後公有に帰する」としたら、山梨県が4億円もの大金をはらって買ったミレーの絵画は美術的価値を伴わない有体物、つまりキャンパスとこれに付着した絵具と額縁のみということとなります。けれども山梨県はもとより全国の法律家・法学者から「税金の無駄遣いだ。ミレーの絵を買っても美術的価値はくっついてこないから、有体物であるキャンパスや額縁の対価として数万円払えば足りる」との、法的にきわめて妥当な批判が出たとは寡聞にして知りません。なぜでしょう。

投稿日時 - 2009-07-22 02:55:47

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QNo.5145267

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質問者が選んだベストアンサー

美術的価値は時の相場です。
誰一人買い手が無ければ絵の具代も出ませんね。

投稿日時 - 2009-07-22 03:23:37

お礼

 ありがとうございました。つまり、どなたが考えても美術品の美術的価値はその美術品の所有者のもの、ということでしょうね。だからこそ高いおかねを出しても買う、ということです。私もそう思います。

投稿日時 - 2009-07-24 03:05:37

ANo.1

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ベストアンサー以外の回答(4件中 1~4件目)

ANo.5

○上記判決に問題があるのでは、という疑問を抱いているのです。

判例の言いたいことについては問題はないと考えます。ただ、判決文に使われている表現については確かに不思議な点もあります。

基本的に判例の言いたいのは、「著作権と所有権とは違うのだから、所有権のみを有する原告は、複製物の頒布等について権利を主張したり、差止の請求をする能力があるものではない」という点につきます。

質問者さんの疑問は「所有者は、有体物についての排他的な利用・支配権能を有するにとどまり、もともと無体物である美術の著作物(美術的価値)自体についてはなんらの権能を有しない。右の理は、著作権の保護期間が満了し、著作権が消滅した場合にも妥当する」と判決が言っている点が、「美術品の美術的価値はもっぱら著作権者に帰属し(著作権消滅後は公有)、絵画の所有権者が支配できるのは美術的価値を伴わない有体物」であると言っているように見える、ということだと思います。

これはこの判決文が「著作物(美術的価値)」という書き方をしているからでしょう。確かにこの書きぶりは変です。美術の著作物は著作権の対象になりますが、著作物=美術的価値ではないですからね。こうなると有体物の部分には美術的価値は認められないのか、という解釈も確かに沸いてくるかもしれません。もし判決文を通して、この「(美術的価値)」を削除したら、この判決文は全く違和感のないものになったと思います。

善意に解釈すれば、判決はあくまで「著作物」という点を言いたかったのであり、「(美術的価値)」というのをくっつけたのは、判決を読む人(原告を含む)に、所有権は物自体を利用する権利、著作権は美術的な価値を利用する権利だから違うのだ、という点を分かりやすくするためだった、といえなくもないかもしれません(だから括弧書きに入れた)。

高裁と最高裁では確かに一審の判決が維持されています。しかし、高裁と最高裁の判決文は、より直接的に、所有権と著作権の内容の違いについて触れており、一審判決で述べられている意図がより整理されているといえます。「著作物(美術的価値)」という書き方はもはやされていません。高裁と最高裁が著作物=美術的価値という枠組みを容認したものとは解釈できません。

判決というのは全体を捉えて判断すべきであり、一部分の言い回しを捉えて判決分の言いたいことを解釈すべきではないでしょう。

投稿日時 - 2009-07-23 12:18:23

お礼

  ありがとうございました。「美術の著作物イコール美術的価値」でないとしたら、絵画の美術的価値はその絵画の所有権者に帰属すると考えます。だからこそ、物理的にはキャンパスと絵具と額縁にすぎない絵に数億円の対価を払っても誰も不審に思わないのでしょう。このことは、絵画の美術的面が可視的であること(著作権の客体は無体物ですから非可視的でしょう)からもうなづけると思います。著作権保護期間中にある絵画には、法的に、無体物たる著作物が化体(この術語は阿部浩二先生によります)しているとされ、したがって可視的面の複製権も著作権者に専属するのでしょうが、著作権消滅後は無体物である著作物は公有となるものの、有体物である絵画(そこに美術的価値があります)はもともと所有権の客体ですから、元・著作権者の許諾を得ることなく所有者がその美術的面を使用収益できることになると考えます。絵画そのものと著作権の客体である絵画の著作物が一体不可分の関係にないことは、著作権保護期間中の絵画を焼却し世の中から消し去ってもその絵画の著作権が法定期間存続することからもわかります。
 ところで、絵画と絵画を撮影した写真の関係は、元物と果実の関係にあると考えます。そうすると、著作権のない絵画の所有者はその絵画の写真画像の使用収益権を有すると考えます。このことは、自己の所有物およびその派生物に対する管理権という観点からもうなづけると思います。
 物を被写体とした写真の使用権がその物の所有者にあることを肯定した判例は、「自書告身帖」事件最高裁判決以後私の知る限り下級審ながら2例あります(判タNo,559<291頁>、判時1412号136頁)。また、「自書告身帖」事件最高裁判決反対学説も私の知る限り2説あります(田中康博「写真撮影に対する所有権保護について」京都学園法学1993年第2・3号。辻正美「所有権と著作権」裁判実務大系27「知的財産関係訴訟法」(青林書院)1997年)。
 上記最高裁判決の結果、博物館・美術館・美術品所蔵者は所蔵品写真に支配権が及ばなくなり、一旦出版物に掲載した写真は勝手に複写利得してよいこととなったので所蔵品写真画像使用料を得られなくなった所蔵者は美術品の維持が困難となり、重文級のものを含め海外に流出し続けているのが実情です。これはゆゆしき問題ではないでしょうか。
 

投稿日時 - 2009-07-24 01:40:11

ANo.4

○法的にきわめて妥当な批判が出たとは寡聞にして知りません。なぜでしょう。

それは前提も議論も間違ってるからですよ。「美術品の美術的価値はもっぱら著作権者に帰属し」と「ミレーの絵を買っても美術的価値はくっついてこないから」という部分が間違いです。著作権者に帰属するのは「著作権」ですし、くっついてこないのは「著作権」です(著作権譲渡契約ではないので)。「美術的価値」は有体物に存在するものですから、有体物を買えば「美術的価値」はくっついてきます。あとはその美術的価値に見合うだけの金額かどうかが問題になるだけです。法律はいずれにしてもその点は関知しませんが(契約自由の原則)。

投稿日時 - 2009-07-22 11:37:11

お礼

 ありがとうございました。「顔真卿自書建中告身帖」事件一審判決(判例時報1028号39頁冒頭)に、「所有者は、有体物についての排他的な利用・支配権能を有するにとどまり、もともと無体物である美術の著作物(美術的価値)自体についてはなんらの権能を有しない。右の理は、著作権の保護期間が満了し、著作権が消滅した場合にも妥当する」と判示され、高裁・最高裁もこの判決を支持しました。この判示からすれば、美術品の美術的価値はもっぱら著作権者に帰属し(著作権消滅後は公有)、絵画の所有権者が支配できるのは美術的価値を伴わない有体物、つまりキャンパスとこれに付着した絵具と額縁だけということになりそうです。
 私の考えでは、美術品の美術的価値は所有権の客体だと思います。先生ご指摘のとおり、物の美的価値と著作権の有無は全く関係がありません。天然自然のものにも美的価値がある一方、醜悪な作品にも著作権は発生します。物の美的価値は人の主観により決まるのであって法が定めるものではないでしょう。
 もし、上記判決が正しいのなら、「税金の無駄遣い」について法律家・法学者が指摘されるのが自然ではないでしょうか。これは啓蒙であって物の価格に法が干渉するということにはなりません。 つまり、私は上記判決に問題があるのでは、という疑問を抱いているのです。

投稿日時 - 2009-07-22 23:57:13

ANo.3

普通「美術の著作物」は「それ限り」のものであって, 多くの場合に「ある美術の著作物の原作品 A」と「A の複製品である B」の間には大きな価値の開きがあります. つまり, 挙げられた例においては「ミレーが描いたこと」そのものに既に価値があるわけです.
また, 「原作品を購入し公開する」というのは文化政策の一環でもあります. 「原作品に容易に触れることのできる環境を整備することによって地域の文化をはぐくむ」ことができるのであれば, 当然そこにはなにがしかの価値があると考えられます.
このようなことを完全に無視して, それに何の意味があるんでしょうか?

投稿日時 - 2009-07-22 10:56:39

お礼

 ありがとうございました。私の質問の趣旨はいかにもばかばかしいように見えたでしょうが(本当にばかばかしいのですが)、前記ご回答者さんにお答したとおりです。
 ミレーが描いたというだけでなく、その絵の内容やサイズも価格の要因となるのでしょうが、いずれにしても絵画の美術的価値が絵画所有権者に帰属することは常識でしょうと思います。
 著作権の消滅した著作物は公有となり、何人も著作人格権を侵害しない限りこれを利用できることになっているようです。「自書告身帖」事件最高裁判決の結果、著作権のない絵画の写真を既出版物の写真複写により勝手に使用し利得する出版業者が後をたたず、所蔵者は使用収益ができず困っています。
 ところが、出版社は著作権の消滅した文芸作品・美術作品を掲載した書籍の出版にあたり、本来ならば著作権料を払わなくて済んだ分価格を引き下げるべきなのにそれをせず、著作権がないのに著作権料分を不当に利得しているとのことです(中村稔弁護士(「著作権法改正へ動き活発」読売新聞平成9年7月3日付「手帳」))。その額は莫大なものでしょう。つまり、著作権に保護期間を定め、その後は万人が利益にあずかることができるとされているのに、利益にあずかっているのは出版業者のみというのが現実で、その一方で日本が誇る美術品は海外流出を続けているのです。この問題を皆さんでお考えいただきたく、問題を提起した次第です。

投稿日時 - 2009-07-24 02:11:46

ANo.2

>ミレーの絵画は美術的価値を伴わない有体物

あなたの理屈でいくと、著作権のない物は美術的価値がなく、材料原価
しか価値がないことになります。

議論の入り口が間違っていると思いませんか?

投稿日時 - 2009-07-22 06:45:50

お礼

 ありがとうございました。私の理屈ではなく、「自書告身帖」事件最高裁判決(判例時報1107号127頁以下)からすればそのようになってしまうと思われるということです。なお、同事件高裁判決(判時1063号208頁以下)では、一審判決(判時1028号35頁以下)に示された「美術の著作物(美術的価値)」との文言の()内が記載されていませんが、判決はいずれも一審判決を支持したものであり、「美術の著作物は美術的価値とは違う」とは示されていません。
 私は、上記最高裁判決はまちがっている、ということを言いたかったのです。特に、「所論のように原作品の所有権者はその所有権に基づいて著作物の複製等を許諾する権利をも慣行として有するとするならば、著作権法が著作物の保護期間を定めた意義は全く没却されてしまうことになる」(前記判時129頁上段)とのくだりは、一審判決評釈(阿部浩二、判時1046号184頁上段)の部分を踏襲したものと思われますが、そもそもこの阿部教授の評釈自体が所有権・著作権この両権利の客体を混同したものと思料します。所有権の客体は有体物ですから、絵画そのものが存在する限り絵画の美術的面を含めそのすべてを十全に支配し続けることとなり、したがって絵画の果実である写真画像(これも可視的ですから有体物)の使用収益権を有し続けると考えられます。一方、著作権は限時的に付与されるので、一定期間経過の後消滅します。また、もし著作権保護期間中の絵画を焼却してしまうと、その絵画の所有権はなくなるものの著作権は法定期間存続しつづけることとなります。
 叙上のとおり、所有権の存続期間と著作権のそれは異なるのが当たり前ですから、著作権消滅後も所有権による支配が続くことに不思議はないと思料します。
 最高裁判事は素人がやっていることがあり、また法の玄人であっても法律全部について詳細に知る人はまずいないから、一審判決評釈を読んで「イタダキ」することもアリ、なのでしょうね。

投稿日時 - 2009-07-24 02:58:55

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