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支那事変の横尾山砲連隊第一中隊について

横尾山砲連隊第一中隊について消息をご存知の方はお知らせください。 昭和12年10月3日に上海に上陸してからのことが、まったく分かりません。 父の生存中に聴いていればと後悔しております。 情報をよろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • yu77799
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回答No.3

>P67に、「第一中隊」に対する荻洲師団長からの「表彰状」が掲載されていました。との件は、大仙堂書店か麒麟堂のどちらの本に掲載されているのでしょうか。 >お知らせください。 とっくにお気づきのことと思いますが、「大仙堂書店」「麒麟堂」というのは、この本を取り扱っている古書店の名前で、モノは全く一緒です。 まあ、同じモノならば、安い方がいいのではないでしょうか。

ji7nln
質問者

お礼

了解しました。 ありがとうございました。

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  • yu77799
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回答No.2

「山砲兵第十九連隊史」という本が、「日本の古本屋」で5000円~7000円で入手できます。「上海上陸」から終戦まで、内容があまりに詳しすぎますので、ここに紹介することはご容赦ください。 https://www.kosho.or.jp/public/book/aimaisearchresult.do 本をパラパラめくってみたら、P67に、「第一中隊」に対する荻洲師団長からの「表彰状」が掲載されていました。 なおご不快な情報かもしれないのですが、この連隊は、「南京事件」の時、「幕府山事件」に関係した可能性があります。拙HPの裏サイトに、「山砲兵第十九連隊」のうち、「近藤栄四郎」「黒須忠信」「目黒福治」(いずれも仮名)の日記の一部を掲載してあります。 http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yamadasitai5.html

ji7nln
質問者

お礼

ありがとうございました。 長い間、この本を探していたのですがあったのですね。 感謝します。 また、 P67に、「第一中隊」に対する荻洲師団長からの「表彰状」が掲載されていました。との件は、大仙堂書店か麒麟堂のどちらの本に掲載されているのでしょうか。 お知らせください。

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回答No.1

 横尾山砲連隊とは、1937年(昭12)9月9日動員第6号下令により、第13師団砲兵として高田の独立山砲兵第1連隊において応急動員された山砲兵第19連隊(補充担任は仙台の野砲兵第2連隊補充隊)で、動員完結後直ちに上海派遣軍戦闘序列に編入され上海呉淞に上陸後、同市郊外の羅店鎮攻略支援に参加し、泥濘とクリークの天然要害に妨げられながら敵を制圧しつつ追撃戦となるや歩兵連隊に協同し12月初旬に江蔭(陰)、鎮江を経て南京攻略戦に参加したのち警備と補充にあたったのち38年2月から徐州作戦に参加、同地から鳳陽、宿県をへて徐州に入城、作戦終了にともない盧州にて警備並びに補充にあたり漢口攻略作戦の準備にあたる。同年8月中旬から作戦行動を発起し、9月1日富金山攻撃支援、同月12日高城追撃戦、18日新店迎撃戦などに於いて師団各歩兵連隊の戦闘を支援し武漢平原に進出した。その後39年4月の襄東作戦ならびに昭和十四年冬季作戦、40年5月宜昌作戦に従事後宜昌地区にて警備にあたり、のち当陽に移駐。43年江北殲滅作戦、江南殲滅作戦、常徳殲滅作戦に参加し同作戦中に米軍機の攻撃を受け苦戦に陥った。その後湘桂作戦に参加し蒲折、劉陽、茶陵、来陽、全県、柳州、石敬魚、を経て都安作戦に参加。反転して柳城、義寧、桂林などをへて衡陽まで後退し、終戦後さらに長沙にいたった。  同連隊第1大隊第1中隊の行動ということですが、厚生省援護局史料「中支那方面部隊略歴 其の1」には山砲兵第19連隊の部隊略歴が記録として残っています。最寄の県庁あるいは市役所の援護課にお問い合わせされたならば、資料の閲覧が出来るかも知れません。

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