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封建社会の中の貧しい農民
明治時代の貧しい農民を描いたNHKの 「 おしん 」 を観ました。 貧しくとも清く、正しく、真面目に働き、お涙頂戴のクドイ物語と思いきや しっかり作られたドラマだと思いました。 字も読めない両親 ( 貧乏子沢山 ) の元を離れ、奉公に出され義務教育も受けられず 朝から晩まで働き、休みのない毎日。 明治時代は日本全体が、あのような状態だったのかは判りませんが 「 小作人は字など読めなくとも良い、親方の言う事だけ聞いていれば良い、 口ごたえは1人前になってからにしろ、何も考えずに畑を穿り反していろ、 自分の子供に飯も食わせられないのは、己の甲斐性が無いだけだ 」 という事柄に 主人公のおしんが、反発しているようにも感じました。 真面目に一生懸命働くのは、良い事だとは思いますが、余りにも無駄な事が多すぎます。 井戸からの水汲みの仕事だけ観ても、釜炊きの横に井戸が有れば済む事です。 昔から井戸は屋外に有る物である、伝統、其処の習し、丁稚奉公の仕事である、等々。 上から頭を押えつけられ、反抗すると生意気だ、貧乏人のくせに、女は学問など不要、飯炊きを覚えろと 今見ると無茶苦茶な時代が封建社会だったのでしょうか? 明治時代を統治していた御上の政策 ( 貧乏人は何も考えなくて良い ) だったとすると 今の時代にもまだその名残が有るように思います。 何処かに記載されていたと思いましたが、「 明治維新は未だに完了していない 」 のでしょうか?
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