曾祖母の経歴と家系について

このQ&Aのポイント
  • 曾祖母の経歴や家系について知りたい。明治40年代に生まれ、幼少期から丁稚奉公をしていたが、読み書きができなかった。曽祖父も明治生まれで、読み書きの能力は不明だった。彼らは息子とその嫁さんと一緒に暮らしていたが、冷蔵庫やテレビを使わせず、奥さんに対しても酷い態度をとっていた。友達は、その当時はこのような生き方が普通だったと言っているが、信じがたい。曾祖母と曽祖父の特異な家系や家柄について知りたい。
  • 明治40年代に生まれた曾祖母の経歴と家系が気になる。彼女は7歳から丁稚奉公をしており、読み書きができなかった。一方、曽祖父も明治生まれで、読み書きの能力については分からない。二人は息子とその嫁さんと一緒に暮らしていたが、冷蔵庫やテレビを使わせず、奥さんに対しても酷い態度をとっていた。友達によると、このような生き方は当時普通だったというが、疑問を感じる。曾祖母と曽祖父の家系や家柄が特異だったのだろうか。
  • 曾祖母の経歴と家系について知りたい。明治40年代に生まれ、幼少期から丁稚奉公をしていたが、読み書きができないことがわかった。曾祖父も明治生まれで、読み書きの能力についての情報はない。彼らは息子とその嫁さんと一緒に暮らしていたが、冷蔵庫やテレビを使わせず、奥さんに対しても酷い態度をとっていた。友達によると、当時はこのような生き方が普通だったと言っているが、信じがたい。曾祖母と曾祖父の家系や家柄について詳しく知りたい。
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曾祖母の経歴。

先日、友達と話をしていると、家族の歴史のような話になりました。 あまりにびっくりしたので、その人はどういう家系なのか気になりましたのでここで質問させてください。 その友達の話では、 曾祖母は明治40年中頃に生まれたそうです。 7歳の時から丁稚奉公をしていた。 読み書きができない。 曽祖父は、明治生まれ。 読み書きできるかは、不明。 かなり変わっている人だったらしく、その方の息子とその嫁さんと一緒に暮らしていた。 家の冷蔵庫やテレビを息子とその家族に使わせない。息子が貯金して冷蔵庫を自分で買うから置かせてくれというと、置かせないなど。 二人は息子さんの奥さんに対する態度も酷かったそうで、あの時代に家出を数回したそうです。 両方とも明治に生まれた方ですが、その当時では普通の家庭なのでしょうか。 普通でない場合、どのような家系や家柄だったと考えられますか?家系、階級など。 友達の家庭なので聞くのもどうかと思いますが、友達曰く、その当時はそういう生き方が普通だったそうで、個人的には信じられません。 どうかよろしくお願いいたします。

noname#229108
noname#229108

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  • f272
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回答No.1

明治40年中頃の生まれで7歳の時から丁稚奉公するというのは、普通ではなく貧しい家庭だと思われます。通常は尋常小学校を卒業した12歳頃に丁稚奉公に出るのです。義務教育である小学校をに通えなかったのでしょう。読み書きができなかったというのもうなずけます。 そういう人を嫁にもらうのですから、ひいおじいさんも同程度の経済状況だったのではないかと思いますよ。でも「家の冷蔵庫やテレビを息子とその家族に使わせない」というのは、家系や家柄とは関係なく、単にそういう性格の人だったのでしょう。明治の人は今の人よりもはるかに自由人ですから、その手の話はそれほど珍しいことはありません。

noname#229108
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ご回答ありがとうございます。

noname#229108
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ベストアンサーについてNo3さんとどちらにしようかと悩みに悩みました。

その他の回答 (3)

回答No.4

お友達のご家庭でどのような形で語り継がれていたのかということがポイントになります おそらく曽祖父様は苦労されて一代で現在のお友達のお宅の礎を築いた方だったのではないのでしょうか。 非常に厳格な方だったのでしょう。 苦労されたという話の一環で息子さんと暮らしていた話などがあったのでしょう。 冷蔵庫やテレビのは現在はどこのご家庭にもありますが当時は高額なものでいわば贅沢品でした。 ちなみに電気冷蔵庫が初めて国産化されたときには家が一軒買えるような値段でした。 一般家庭に普及するようになったのは1950年代後半のことでほぼ100%普及するのは1975年以降のことです。 テレビも同じようなものでした。発売当初はサラリーマンの月収の10倍ほどの値段でした。 NHKの受信契約が2000万件を超えるのは1962年以降です。 曾祖母様は7歳の時から丁稚奉公をしておられたとのことですが ちなみ 松下幸之助は大正6年に尋常小学校を4年で中退して9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出されました・ 本田宗一郎は大正11年に高等小学校卒業後自動車修理工場に丁稚奉公にだされました。 池波正太郎は昭和10年に西町小学校を卒業後株式現物取引店・田崎商店に勤めました。 このような時代ですからおそらくご曽祖父様も似たようなものかと思います。 どちらにお住まいか知りませんが曽祖父様が働き盛りの時代と戦争と敗戦の時代が重なります。 東京はもとより日本全国の都市という都市は空襲で焼け野が原になっていました。 ここへ500万人の人が大陸や半島から着の身着のままで引き揚げてきました。 住宅数が所帯数を上回るのは昭和42年以降のことです。 幼いころから苦労続きだった曽祖父様にとってはテレビも冷蔵庫も贅沢品だったのでしょう。 >両方とも明治に生まれた方ですが、その当時では普通の家庭なのでしょうか。 普通というか昭和初期の戦争の時代と敗戦後の時代に働き盛りだった人は誰もが苦労の一つや二つはあるということです。 特に敗戦後の時代は当時の30代~40代に相当する人達の多くは戦死していますので50歳を超えても若年労働者と同じように働いていたということです。 このような時代背景に基づいた苦労話の一環としてお友達のご家庭で語り継がれていたのかと思います。 家系がどうのという話とはまったく別ものです。 you tubeに昭和20年代~昭和50年代までの日本の光景が沢山投稿されていますので一度目を通してみて下さい

noname#229108
質問者

お礼

あ!締め切った直後に、ご回答を頂きました。タイミングが悪くベストアンサーにできませんでした。 たくさん情報をありがとうございます!

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.3

takeo1983 さん、こんばんは。 二人が結婚したのが大体、大正年間で関東大震災の前後でしょ。こういう人はいましたよ。だって、自分たちは丁稚や女中になるのに読み書きそろばんも教えられていない。なのにやっと努力して家を持ち、畑か田んぼをいくらか手に入れた。やっとのことで一家の家長になった。一かにおける課長の権限はとんでもないほど強いものだったと記憶してます。だけど、下手をすると、中卒したインテリ息子やその嫁に身代ごと持ってかれていってしまうというような考えの持ち主ですよ。かなり封建的な家庭ですね。日本では、こんな家庭が 昭和の戦争中まで続いていったのです。 新憲法下に入ると、おそらく復員したり、学校を卒業する息子たちとの間にいさかいが起きます。お嫁さんももらうんですから当たり前です。男女同権の時代にあっては、両親なんか身の置くところなんかない。年は取る家長権はなくなる。農作業を渋る嫁が家へ帰ってしまうなんてことは良くあることだったようですね。それでも、電化製品を置せない理由は身代が自分のものではなくなることへの恐怖心ですね。

noname#229108
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お礼

ご回答ありがとうございます。

noname#229108
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ベストアンサーについてNo1さんとどちらにしようかと悩みに悩みました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

1。両方とも明治に生まれた方ですが、その当時では普通の家庭なのでしょうか。  僕は曽祖父母にあったことはありませんが、祖父母は明治生まれで、父方の祖母は文盲、あと三人は字が読めました、いずれも大家族の育ちでした。  ですから、読み書きができるかは不明(=文盲の可能性)、息子とその嫁さんと暮らす(=大家族)、は明治生まれの人には自然だと思います。 2。冷蔵庫、テレビ、息子さんの奧さんに対する態度は、必ずしも明治生まれとは関係ないと思います。

noname#229108
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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