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黒沢明監督、映画、”羅生門”のお話の解釈をお願いします。

ojiqの回答

  • ojiq
  • ベストアンサー率41% (121/291)
回答No.4

 従来、映画「羅生門」は芥川の小説「薮の中」を原作とし、小説「羅生門」については、舞台設定と背景となる時代のみを参考にしていると言われてきた。しかし、今回、久し振りに映画「羅生門」を観て、これは小説「羅生門」の30年後を描いたものではないかという印象を持った。その理由は後で述べる。冒頭は土砂降りの羅生門だ。これは凄い雨を表現するために、墨汁を混ぜて降らせたと言われている伝説的な雨だ。杣売が「わかんねえ、さっぱりわかんねえ」と繰り返す。後ろには旅法師が座っている。そこに下人が走ってやって来る。こんな不思議な話はない、と言って、杣売は今検非違使の庭で聞いてきたばかりの、殺人事件に関係した三人の証言の食い違った様を話し始める。実は、杣売は三日前にその事件の被害者の死体を最初に発見した人物であり、薪を切りに森の奥深く入っていく描写が展開される。先日亡くなったカメラマンの宮川一夫はこの時42歳。以前NHKで放送されたドキュメンタリー「宮川一夫の世界」によると、杣売の歩いていくこのシーンで宮川一夫が行ったのは、カメラを乗せたレールの上を杣売役の志村喬に横切らせて歩かせることで、彼が森の奥深くに入っていくだけでなく、物語の迷宮に迷い込むという効果を出そうとしたということだ。そして、空を見上げたカメラを通して、木々の枝の間から顔を見せる太陽の光り、これも全世界にショックを与えたカメラワークだった。杣売が歩いて行くうちに、途中に市女笠、侍烏帽子が落ちているのを見つけて、さらには断ち切られた縄、守り袋があり、最後に侍の死体にまでたどり着く。  多襄丸が放免に捕まる。多襄丸は自分がその侍・金沢武弘を殺したと白状する。多襄丸の証言が映像で展開されていく。木の下で昼寝をしている多襄丸の顔に木の枝の影が映っている。「宮川一夫の世界」によると、森の中での撮影では、こんなにくっきり影が映らないので、森の雰囲気を出すために多襄丸を演じた三船敏郎の顔のすぐ上に木の枝を置いて撮影したという。そよ風が吹いて、そこを通りかかった侍夫婦の妻の笠の垂れ布が動いた。多襄丸は女を奪おうと考える。丘を駆け降りる敏捷な多襄丸の動きは「七人の侍」〔54.〕の菊千代につながっていくものだ。ライオンの動きを参考に、と三船に出した黒澤の指示は、そのまま菊千代の人格にも影響が大であると思われる。豪放磊落でユーモラスな三船のキャラクターは「七人の侍」で大きく開花するが、その原点は「羅生門」にあったという感じだ。奥で刀を見つけたと多襄丸は武弘を騙して誘い、縛り上げる。妻・真砂の待つところに戻った多襄丸は、夫が倒れたと嘘をつくと、真砂は怯えた顔つきをしたという。多襄丸はそれを見て武弘のことが妬ましくなり、真砂に夫のみじめな姿を見せたくなり、連れていく。縛られた夫の姿を見た時、真砂は短刀を手に多襄丸に斬りかかる。多襄丸はこれほど気性の激しい女は見たことがないと、ますます気に入ってしまう。それでも、多襄丸は夫を殺すつもりはなかったという。手込めにされた真砂が、「あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人が死んで」と言ったというのだ。「生き残った方に連れ添いたい」というわけである。そうして、多襄丸と武弘は戦うことになり、武弘は立派に戦った、卑怯な殺し方はしなかった、というのが多襄丸の証言である。多襄丸は自分の勇敢さを誇示したわけだが、武弘のことを悪くは言わなかった。  逃げた真砂は、その後、検非違使のところにやって来て、証言をする。その話を杣売と旅法師は聞いていたのだが、二人共真砂の印象は、哀れなほど優しい風情で、多襄丸が話したようなイメージではなかったという。真砂が言うには、手込めにされた後、多襄丸は逃げてしまい、夫にすがろうとすると、その目には蔑む冷たい光しかなく、殺してくれと頼むと、そのまま自分は気を失ってしまった。その後気がついた時には夫は死んでいて、凶器は短刀だと言う。自分は死のうとして死に切れなかった。ここでの真砂の様子からうかがえるのは、か弱い印象はあるが、感情の起伏は激しいということだ。真砂の言っていることも真実とは言い難いが、彼女は夫のことを悪く言っているので、いずれにせよ、この夫婦はうまくいっていなかったのだと思われる。  そして、武弘もまた検非違使の前で証言をする。巫女の口を借りるのだ。手込めにされた後、多襄丸は真砂を慰め出した。自分の妻にならないかというのだ。真砂はうっとりと顔をもたげ、「どこへでも連れて行って下さい」と言い、さらには「夫を殺して」とまで言う。すると、急に熱が醒めた多襄丸は武弘に向って言う。「この女をどうする?殺すか、助けるか?」武弘は多襄丸のこの言葉だけでも、彼を許してもいいと思ったという。真砂は逃げる。武弘は短刀で自殺し、その後、短刀を抜いた者がいるという。杣売は武弘の話も嘘だと言う。短刀でなく、太刀で刺されたと思うからだ。杣売が最初に武弘の死体を見つけたシーンが目に焼き付いている我々も、この殺され方は短刀ではないだろうと、思っている。でも、注意すべきは、そのシーンは杣売の主観から見た描写であったということだ。結局、武弘の証言で判ることは、彼も真砂のことを悪く言っているということで、真偽のほどはともかく、この夫婦はお互いを悪く言い合っているわけで、この多襄丸とのことがある前から仲はいいとは言えなかっただろうということだ。  シニカルな下人が杣売に突っ込む。お前はこの事件について随分知っているようだ。一体どこから知っているのか。杣売は実は三人のやり取りのところから見ていた、検非違使に言わなかったのは、関わり合いになりたくなかったからだ、と白状する。小説「薮の中」は、放免、真砂の母、そして当事者の三人、と五人の証言が羅列されているだけの簡単なものだ。映画「羅生門」の独自性は、実はこの後から発揮されていく。すなわち、これこそが真実だと話し始める第三者の目撃者である杣売の証言である。多襄丸は最初、真砂に謝っていた。そして、妻になってくれと頼んだ。盗賊が嫌だというなら足を洗ってもいい、盗んだ金で暮らすのが嫌というなら、汗水たらして働く。真砂は無理です、とだけ答える。そして、夫の縄を解く。戦えというわけだなと、判断する多襄丸に、武弘は「こんな女の為に命をかけるのは御免だ」と、吐き捨てるように言い、さらに真砂に向って「何故自害しようとせん、あきれ果てた女だ」と言い放つ。ここには武士の、そして、男の身勝手な論理や倫理が詰まっている。それを聞いていた多襄丸も、真砂という女の価値が半減したように思い、去ろうとする。泣く真砂に向って叱りつける武弘に、多襄丸は言う。「未練がましく、いつまでも文句を言うな」と。真砂の泣き声はいつしか、大きな笑い声に変化する。武弘には「夫なら、この男を殺してから、私に死ねと言うべきだ」とかみつき、多襄丸には「ここから助けてくれるならどんな男でもいいと思ったが、夫と変わらぬ情けない男と判った」と悪態をつく。そこで、二人は仕方なく斬り合いを始めることとなり、二人はへっぴり腰で戦う。二人共戦うことが恐いのだ。わずかに残されたプライドの為だけに、二人は戦う。何というリアルな乱闘だろうか。息を切らして、怯えた顔で。今までの証言で出てきた斬り合いとは全く違うのである。武弘は最後に「死にたくない」と言うが、多襄丸に刺される。男は体面を重んじ、女はそれを巧妙に操る。そういった図式がここでは見事なまでに展開されていて、説得力がありすぎるのである。  当事者三人の証言は原作に負うものであって、さらに原典があることは承知の上で、芥川が書いたのは30歳頃のことだ。そして、この後、黒澤作品のシナリオ・チームに加わっていくことになる脚本の橋本忍はこの時32歳であり、黒澤明は40歳であった。この年齢に注目していただきたいのである。黒澤が芥川より後の時代に生きたという有利さは当然あるにしても、この10歳近い年齢差は、人生経験の深さや、それに伴う思考力〔観察力〕の鋭さの違いとなって、大きな影響を及ぼすのは間違いないことなのだ。すなわち、黒澤=橋本が考えた「杣売の証言」の重みは、芥川の「当事者三人の証言」の余りの軽薄さに比べて、人生の真実を語りすぎている。ヨーロッパでよくされた捉え方らしいが、この映画を一つの事象が見る人間によって違ってくるという不条理の観点から考える見方があるようである。私に言わせれば、どう見たって、真実は一つしか語られていないのであって、この話は不条理からはほど遠い。黒澤が言いたいのは、芥川のような世の中への絶望感でないのは勿論、不条理などではさらさらないのだ。それはその後の展開を見れば明らかだ。 羅生門の下で赤ん坊が急に泣き始める。下人はその着物を奪おうとする。杣売はそうはさせまいとする。下人は捨てるような親が悪いと言い、手前勝手でどこが悪い、とまくしたて、ごまかされねえぞ、と止めを刺す。芥川が謎のまま残した短刀の行方がここで明らかにされる。それは売れば高価な値段がつきそうな代物なのだが、下人は畳み掛ける。「手前が盗まないで、誰が盗む」と杣売を叩いて、大笑いしながら、去って行く。ようやく雨があがる。赤ん坊を抱こうとする杣売を旅法師は拒絶する。杣売は言う。うちには6人の子供がいるが、7人でも同じことだと。「わしにはわしの心が判らねえ」とも言う。旅法師は誤解したことを詫び、「おぬしのおかげで人を信じていくことができそうだ」と言って、ヒューマニズムが高らかに謳いあげられて話は終わるように見える。しかし、黒澤はそんな取ってつけたような単細胞なヒューマニズム論を語りたかったのだろうか。私にはそうは思えない。それは杣売の偽善性が下人の現実主義によってさんざん叩きのめされた後に、赤ん坊を引き取るというこの行動が付け加えられていることに注意すべきだと思うからだ。杣売は赤ん坊を引き取ったところで、そこまでの自らの盗みを隠すために人間が信じられないと言い続けてきた自身の罪から逃れることなどできない。最後の善行によって全てが浄化されるわけはないのである。それでも貧乏なこの杣売が7人目の子供を育てようと決意することは、下人の現実主義より遥かに尊いことではないのか。  「下人の行方は誰も知らない」とカッコウをつけて小説「羅生門」を締めくくった時、芥川はまだ24歳だった。40歳の黒澤は、その「下人の行方」をはっきりと知っていたのである。生きていく為なら何をしてもいいという楼上の老婆の論理を今や完全に体得した30年後の下人が、映画「羅生門」に登場する上田吉二郎演ずる下人ではないかと思うのだ。「生きる」〔52.〕の通夜のシーンで日守新一が「渡辺さんの善意が通じないようならこの世は闇ですよ」と言った後に「この世は闇だよ」と返す千秋実が、ここでは逆に「この世は地獄だよ」と返される、そのわけしり顔の下人の現実主義が厳しく問いただされているのだ。

english01c
質問者

お礼

こんなにたくさんの事を語ってくださって、本当に有り難うございました。参考にさせていただきたいと思います。それでは、ojiqさんは、一番最後の話が、本当に起こった事、すなわち現実に一番近いと解釈なさった、というわけでしょうか。私には、もう何がなんだか、わからなくなってしまい、頭を悩ませております。それぞれの話をまとめようとすればするほど、こんからがってしまい、机に向かい苦しい週末をおくっております、、、

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