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外国のキリスト教信者にこんなこと言ったら怒りますか?問題があるとしたらどこ・なぜですか?

外国人の方が「日本人は無宗教の人が多いんだね~。感覚的にはあんまり理解できないけど」 みたいな話をふられました。 その方は割りと敬虔なキリスト教信者みたいで、 私は典型的な日本人で、正月は神社に行き、クリスマスを楽しんで、お葬式はお寺です。 そういう日本人の感覚が不思議みたいで、 私はとりあえず「日本には八百万の神ってのがいるんだよー」と言っておきました。 八百万の神には結構興味を持ったみたいです。 そこでふと 「日本にもキリストみたいに、人間が神様扱いされている場合もあるよ。 例えば菅原道真は学問の神様だし、天皇も昔はキリストみたいにかなり神様扱いされてたんだよー」 みたいな内容を言いそうになりました。 でも言っていません。 宗教の話って複雑なのであまりしないほうがいいのと、なんとなく嫌かな?と思ったので。 これって言わなくて正解だったんでしょうか?? 正解なら、どこに問題があるんでしょうか? キリストを人間扱いしちゃだめだというのはなんとなく聞いたことがあるような気がしたんですが、実在の人物なら私としては菅原道真や天皇とどこが違うんだろう??という感じです。 もし実在の人物じゃなくても、神の象徴として人間が作り上げた偶像なので、日本の神話に出てくる神様とか天狗とかに近いのでしょうか?? 哲学板に投稿しますが、宗教の難しい話や専門用語はさっぱりわかりません。 砕いた言葉で説明をお願いします。

みんなの回答

回答No.10

怒らないと思いますし、全く問題ないと思います。 信仰はあくまでも本人の自由で強制的に信じさせることは不可能です。 特にキリスト教の場合は信じるも信じないもその人の自由です。 又、世界中に様々な宗教があることは世間の常識ですし、日本には日本の宗教事情があることはその人も理解はしていると思います。 だから「感覚的には余り理解できないけど」と言ったわけです。 キリスト・イエスは人間であり神である存在です。ユダヤ教イスラム教と共に「主なる神」は一つであり、キリスト教の場合は自分のたった一人の子であるイエスを人間としてこの世に送ったということです。日本人の感覚では理解できにくいと思いますが、教会へ行って牧師さんや神父さんに聞くのが一番手っ取り早く議論できると思いますのでそれをおすすめします。 キリスト教の信者の中でも遠藤周作はキリストを一人の人間として扱った小説「私のイエス」を書き、キリスト教国の批評家から反論も多かったのですが非常に高い評価も受けていました。ですから「人間扱いしちゃ駄目」とは必ずしも言えません。

  • ringox
  • ベストアンサー率27% (66/238)
回答No.9

日本の神様は、キリスト教での神ではなく、聖人のような存在だという解釈をすればいいと思います。 そして「無神教」ではありませんね。「正月に神社に行き、寺で葬式をあげる」。これは「無」とはいいません。 さらに、キリスト教と、神道・仏教は両立できます。 創造主(神)が森羅万象を作ったわけです。天照大神も菅原道真も仏陀も創造主の創造物であり聖人として尊敬しているという解釈で両立できます。信じるかどうかは別ですが。 ということでイエスが神であるというのと、天皇は神であるというのとは次元が違います。前者は創造主、後者は聖人と言葉を変えて思えば分かるでしょう。 最後に、イエス・キリストは神か人かというのは過去には殺し合いも起きているデリケートな論点ですので、それについてだけは言うのは避けたほうがいいでしょう。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

>外国人の方が「日本人は無宗教の人が多いんだね~ といわれたら、「そんなことは無い。日本で宗教を信仰している人の数は、人口の倍もいる」と反論してください。 大の宗教好き。 一人で沢山の宗教法人に名前を登録している人が多いから、倍もいることになっちゃうんでしょうけどね。 「節操が無い」と言われたら、「八百万の神信仰ですから」と答えればよろしい。 「あっちの神様にいい顔して、今度はこっちの神様にいい顔してと、やはり節操が無い」と言われたら、「全部一緒ですから」と答えればよろし。 >「日本にもキリストみたいに、人間が神様扱いされている場合もあるよ。 というか、どちらも太陽信仰ですよね。 日本には大きくわけて、龍文化と太陽文化があって、出雲系は龍で、天照系は太陽。 で、天照系は国ゆずりされたとして、習合した。 だから天照系神社に注連縄がある。 イエスも起源何千年も前の太陽信仰の物語が元ネタ。 だから実在の人物ではなく、実在しているとすれば、太陽ですから、今も神である太陽は実在してはいます。 この太陽をも食ってしまうのが月(日食)。 まあ 月食もありますが。 とうわけで、 >キリストを人間扱いしちゃだめだというのはなんとなく聞いたことがあるような気がしたんですが 古代の人も太陽を信仰していたわけで、太陽を神様とするので、太陽は人間じゃあないので、それを神とするためには人間扱いしないですよね。 菅原道真は土師系。 天皇が崩御すると、天皇に仕えていた人も一緒に古墳に埋葬されていたが、土師は身代わりに土偶を考え出して、人身供養を止めた人。 呪術系の人なわけです。 土師系の名前は、大江・菅原・秋篠。 >実在の人物なら私としては菅原道真や天皇とどこが違うんだろう??という感じです。 前提が間違えています。 イエスは2千年前の太陽信仰のシンボル。 その時代、ちょうど牡羊座から魚座に時代が変わった。 新しい時代の到来として、太陽信仰が盛んになり、それより何千年も前の神話がイエスの人生として再度復活して、信仰されたわけです。 で、もうすぐまた新しい時代がやってくるので、また太陽信仰が盛んになる。 気分で変ると勝手に決めているわけではなく、現実物理的にそうなるから。 古代の人は地球が動いているとわからなかったんですね。 だから太陽が地球の周りを回っていると思っていた。 その太陽の軌道が12星座をめぐっているので、太陽は12の星座とともに旅をしたって話になり、太陽であるイエスは12使徒と旅をしたって物語になったわけです。 で、間が2150年。 多分 西暦の設定もそれにあわせて、今から2009年前を新しい時代の出発点とするため、暦を改正したのだと思います。 従い次の新時代は西暦2150年。 ですが、徐々にですので、もう新しい時代に入っているとしている人もいる。 >外国のキリスト教信者にこんなこと言ったら怒りますか?問題があるとしたらどこ・なぜですか? 上で私が書いたようなことを信者に言ったら怒るでしょうかね? うーーん どっちにしろイエスを人間としてはいないので、「そうですよ 太陽信仰ですがなにか?」って言われるだけかも。 「そうですよ 紀元前3000年以上も前からある神話を信仰しているのですが、それがなにか?」って言われるでしょうし、イエスの誕生は紀元前何前年も前の太陽が冬至の時に没して復活するってストーリも、実際その時代のあっち方面では、冬至の時に太陽が死んだかのように肉眼で見えていたので、太陽の誕生日は12月25日だから、「イエスの誕生日は聖書には書かれていないし描写を読むと冬じゃないのにといわれても、我々は太陽信仰者ですから、別段どうってことはないです。」といわれるかも。 信者になるとき誓うんですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1 ピラトは実在の人物ですが、ピラトのいた時代に新約聖書通りのイエスなる人物はいなかった。 だってあのストーリーはそれより何千年も前に人間が作った神話だから。 いない人物を人間ピラトは処刑できない。 実在した人物を小説に登場させることで、史実であるかのように人々の錯覚させてしまうって手法は古今東西よくあること。 どれが史実でどれが人間が作った神話か見極める眼力が無いと盲信してしまい、人間が作った物語を読んで実在したとして信仰してしまうことにもなる。

noname#110201
noname#110201
回答No.7

No1です。 議論するつもりはありませんが、質問形式でコメントをいただいたので、もう少し私の考えを書いてみようと思います。 必ずしも、質問するおつもりはないのかもしれませんが。 >本気で処女受胎を信じているんでしょうか?普通に考えてありえないと思うんですが・・ 宗教する心と、知識を温める頭脳は違うと理解してはいかがでしょう。 私にはカトリックの外国人の知り合いがいるので、キリスト教に興味を持っているのですが、およそ21世紀の科学の知識に反することを素朴に信じているということはありません。 信じている人も世の中にいるのは知っています。そういう考え方を「原理主義」といいますね。 おとぎばなしというと、なんか軽い感じがしますが、敬虔な宗教心からくるファンタジーだ、という意味で、まあ、そう考えるのもありかとは思います。 聖書を読んだことありますか?およそ現実の世界では信じがたい奇蹟がたくさん出てきます。 要するに「神話」なのです。 日本の神話を思い浮かべて、自分がどう感じるか考えてもらえれば、「宗教する心と知識を温める頭脳」という私の考えを理解してもらえるかもしれません。 我々にとって、初代天皇とは当然、神武天皇です。紀元前660年(即位した年)なんて弥生時代やないか!と突っ込んだって意味のないことです。 科学的な意味での歴史的事実とは違っていることは知っていても、初代天皇は神武天皇と信じることはでき、だから今の天皇は125代天皇なのです。 そういう意味では、確かに >日本の神話に出てくる神様とか天狗とかに近い といういい方ができるかもしれません。 宗教の体系が違うので、ちょっと私には不自然に感じる言い方ではあるのですが。 次に、日本人の宗教についても、ですが、No4の方の「信仰を隠した無神論」というのは、うまい、と思いました。 上の神武天皇の例でも示したつもりなのですが、「宗教」と意識しなくても、日本人同士で共有しているファンタジーがあるでしょう?これが日本人の宗教だ、というのが私の意見です。 >日本人が十字架を持っていないのは・・・日本人のうちらに効くのか? まさに、それが、「日本教」信者の感覚だと思うのです。 あるいは、「困ったときの神頼み」その神はいったいどの神様?それとも、神様には絶対にお願い事をしない?道路の脇にお地蔵様でなくて十字架を掲げたいと思うか?厄除けのお札を貼ったりしていない?お彼岸にお墓参りしない?などなど考えていただけると、納得してもらえなくても、私の考えていることが理解していただけるのではないかと思うのですが、どうでしょう。 聖書のような経典があるわけじゃないし、教祖がいるわけじゃありませんが、一神教がこの世に登場する前は、八百万の神というような、あるいは自分たちの英雄を神格化するというような、言ってみれば素朴な(低級な、という意味では絶対にありません)宗教が一般的だったのです。 古代ギリシャや古代ローマの宗教が、我々の「日本教」に良く似ていると思うのです。 もし、興味があれば調べてみてください。 長文失礼。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.6

言わなくて正解だったと思います。 一番の問題は、日本語で言うところの「カミ」は英語の"God"とは異なっている、という点です。 日本語で言うところの「カミ」は、"God"というよりは天使や聖人から妖精の類のほうが近いです。一方でカソリックで言うところの"God"に当たる言葉は日本語にはありません。精々、創造主とか、父とかがあてられるわけです。 それから、人間→神についてですが、これは文化の違いが大きいです。 例えばヨーロッパの童話である赤ずきんちゃんを見てみましょう。オオカミがおばあさんになりすますシーンで、オオカミはおばあさんの服を着ただけで、変身していません。一方の日本の童話である鶴の恩返しは、きちんと人間の姿に変身しています。 これは逆の例ですが、このように欧米では人間はいつまでも人間であり続けるのに対し、東洋では人間が他のものになったり他のものが人間になったりと変化するという文化です。 なので、イエスは神である以上、最初から最後まで神でなければならないのですが、菅原道真は人間から神になることが可能だったわけです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

3行目以降は質問に関係あるのかよくわかりませんでした。 ==== 本気モードでお願いします。そして、欧米人同士でも、宗教の話題は避けるようです。 ==== 日本人は、欧米人よりも世俗化されています。江戸時代の300年近くにわたって、宗教はほとんどの人にとって生活の中の一つであり、たいした問題でなくなった。 まだ欧米人には生々しいという実例として、3行目以降を提示しております。

noname#117439
noname#117439
回答No.4

私は頭を真っ白にして何も考えない状態になれる特技があり、時には他者から「あなたって神様?」みたいなほめ方をされます。 経験からして人様を神様扱いすることはとんでもない侮辱で在り、神様扱いされると、本物の神様からたたりといいますか、お咎めがあります。 神道の信仰とはコレです。↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96 この汎神論を一言で言うと、すべてが神性を帯びた神の創造物であるとでもいいましょうか。 そのようにすべての森羅万象を信仰なり感謝なりで受け止める姿勢が神道です。 誰もが無神論者とされる日本社会は、古典に学ぶとかつては外国人には神と同居する国として写りました。 その本質は変わりありません。 信仰心を表ざたにしないのは日本人の癖ですが、この癖は神様と同居するゆえ疑う必要もないし、求める類のものでもないゆえだと解釈してください。 そのような伝統の上に信仰を隠した無神論が発達しているのが日本人の社会です。 要するに神と一体の日本社会です。

  • taka1012
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.3

質問の答えにはなりませんが、私の意見を述べさせていただきます。 >外国人の方が「日本人は無宗教の人が多いんだね~。感覚的にはあんまり理解できないけど」 この考え方には多かれ少なかれ、 日本人=無宗教→理解できない、信じられない、おかしいという意味があるかと思います。 このような誤解を解くためにも質問者さんは「八百万の神」や「菅原道真」の話を具体的に説明して、日本人は無宗教ではない旨のことを理解してもらう方が良いと思います。 キリスト教のように一神教でないと宗教としておかしいというような考え方のほうが私は間違っていると思います。 もし、キリスト教徒やイスラム教徒があらゆる人を傷つけたり殺してはいけないとの考えで、戦争を放棄して世界平和に貢献するなら、手放しですばらしい宗教だと認めます。 しかし、実態は様々な名目でキリスト教徒やイスラム教徒などが戦争・殺人を繰り返しています。 日本人の宗教感は決して恥ずかしいものではないと思いますので、 胸を張って質問者さんの宗教感を述べても良いのではないかと考えます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

欧米の人間に宗教の話題をするときは、本気モードでお願いします。そして、欧米人同士でも、宗教の話題は避けるようです。 道真云々を語るときは、日本の風俗として語り、それをキリスト教まで言及しない方がベター。 宗教はまだ欧米では生々しい フィリピンからの不法滞在者の子弟の日本滞在云々が、話題になっていますが、この問題の中でフィリピン人がカソリックだからとかいうことを話題にする人はいない。 イギリスの前首相ブレア氏は、事前から予想されていたが、首相を辞めたとたん「イギリス国教会を辞めて、カソリックになった」そうです。日本ではニュースにもならないが、イギリスでは大きな話題。 前にX-ファイルというテレビドラマシリーズがあったが、女性の方の主役が「カソリック」であるということが、話の重要なモチーフになっていた。

kasanoukid
質問者

お礼

ありがとうございます。 本気といえば本気モードでしたし、宗教の話題は避けました。 避けたのでもやもやが残ったんです。 同じ人間の神様なのにどう違うんだ??って。 でも最初の回答者さんによると、キリストは人間じゃないみたいですsね。 現代人が処女受胎を本気で信じているなんて、私には信じがたいんですが・・・ますますわからなくなりました。 3行目以降は質問に関係あるのかよくわかりませんでした。

noname#110201
noname#110201
回答No.1

あまり知らない人と宗教の話をするのは、あまりいいアイデアではないとは思います。 でも、打ち解けた人となら、相手の文化や道徳、習慣を理解する上で、興味深い話題ではあります。 私、キリスト教徒じゃないんで、自身を持って書くわけじゃないのですが、 >キリストみたいに、人間が神様扱いされている これは、たぶん正統な教義ではないはずです。 キリストは、父なる神であり、その子(神様の理念が具体的存在になった者=イエス)であり、さらに同時に、精霊(人を良い方向へ導く霊的存在)なのであって、普通の人間が神に昇華したとは考えません。 そもそも、聖母マリアが処女受胎した、というところから、キリストの神性(つまり単なる人間ではない)が強調されているように思います。 >神の象徴として人間が作り上げた偶像なので、日本の神話に出てくる神様とか天狗とかに近いのでしょうか 日本の宗教の感覚で、キリスト教を理解しようとしても、それは無理です。 ですから、冒頭に、宗教の話題は相手の背景を知るのに良い話題だと書いたのです。 あまりに抽象的なテーマで、私にはどうしてもうまくかけないのですが、ひとつだけ例を挙げれば、上に書いた三位一体の教義は、日本人の宗教観とはかけ離れたものですし、なぜそれが重要なのかもよくわからない教義ではないでしょうか? その方に突っ込んでみたら、ここらへんのことが聞けたかもしれませんね。 他の文化に興味を持っているひとなら、いきなり怒りだしたりはしないでしょう。とはいえ、いやーな気分になるかもしれないので、前述の通り、デリケートな話題ではあります。 ところで、私は上に、わざと「日本の宗教」という書き方をしたのですが、私は、 >日本人は無宗教の人が多いんだね~ とは思いません。 お正月には神社に初詣をして、葬式はお寺でするのが、これが日本の宗教だと考えています。クリスマスケーキをいただくのも入れてもいいですよ。 これを、一言であらわす単語がないのが不便ですけどね。しょうがないから、「シントー」とか「ブッキョウ」とか言うのですが、そういうものをいろいろ混ぜて"日本人流に"アレンジしたものが、日本人の宗教ではあると、私は理解しています。 あるいは、もっと単純な例を挙げれば、神社の境内に絵馬がたくさんかかっていますが、あれは宗教的行為以外の何物でもないですよね。 お守りは持っていても、十字架を持っている人は少ないでしょう?

kasanoukid
質問者

お礼

優しい言葉で教えてくれてありがとうございます。 平たくいうと、キリストは普通の男女の営みから生まれた命ではなくて、処女受胎で宿った命だから普通の人間とは違って神であるってことですか?? キリスト教信者は、本気で処女受胎を信じているんでしょうか?普通に考えてありえないと思うんですが・・。 それともおとぎ話的に捉えている(つまり天狗などと一緒)のでしょうか?? 私はお守りももっていますが、ヨーロッパ旅行に行ったときに教会でもらったメダイというマリアさんが書いてあるものを持っています。 日本人が十字架を持っていないのは、教会に行く機会が少ないのと値段がいくらするかわからない、日本人のうちらに効くのか?という感じだからなんじゃないでしょうか。

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