• 締切済み

理屈っぽいのは悪いこと?

私は物事を考えるときに、よく理屈で考えます。 当然、人間関係にも理屈を持ち出します。 理屈っぽいことは悪いことなんでしょうか? 論理的思考ができないことのほうが悪いことだと私は思いますが。 皆さん、どう思われますか?

みんなの回答

noname#132831
noname#132831
回答No.15

 イギリスの登山家が「なぜ登るのか?」の問いに、「そこに山があるから」と答えた話は有名です。この人を食ったような非論理的な答えが妙に腑に落ちてしまうのは、人間というのは非論理的な存在だと私たちが知っているからでしょう。この答え方に対して「なんじゃそりゃ」と思う一方で、「まぁそんなもんなんだろうな」という納得もあり、一種の心地よさを感じるのは僕だけでしょうか。  理論というのは、解釈の仕方を一方的に決めつけてしまうものです。俳句は説明し切ることをやめ、文字数を制限することで間(ま)を設けます。世界は意味や意識で充満されているのではありません。ものごとの受け止め方は、本来それぞれの人に任されています。その自由な隙間が心地よさを生み出しているのではないでしょうか。  論理的であることは悪いことではないと思います。さらに、もう一歩先をいって、わざと隙間を作った方が得策だと思います。それを聴き手に埋めさせることで、押しつけがましさを回避するのです。説明は七分にとどめて、推して知るべし風に説得する方が効果的だと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#132831
noname#132831
回答No.14

 「理屈っぽい」のは悪いに決まってます。良い意味で使いたいのなら「理論的」という言葉を使います。なぜ悪いかと言うと、理屈ベースに乗せるには、物事を単純化・標準化しないといけないからです。とうぜん切り捨てられる部分があるわけで、人をして『理屈っぽいのは良くない』と言わせしむるのです。では、その切り捨てられる部分というのは何でしょう。むろん感情もありますが、非言語的思考とか非理論的考察というのもあると思います。はたして私たちは「言葉」や「理論」だけで考えて判断しているのでしょうか。この点については、『右脳革命』T.R. ブレークスリー著、大前 研一編訳(新潮文庫)に譲ります。    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/20/7.html 感情と理屈のすれ違い    http://www2.ocn.ne.jp/~honeybee/communication/tips/VerbalNonVerbal.html ノンバーバルコミュニケーション    http://www.mental-health.org/mh13-3-10.html 森田療法の思想の矛盾  あるいは、「理屈」を使う場面というのは、人を非難したり否定したりする場面ではないでしょうか。たとえ助言のつもりでも、その言説が正しいとしても、人は否定されるのが嫌いなのです。その不満が『理屈っぽい』という揶揄に形を変えているのではないでしょうか。    http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/settoku5.htm ・ブーメラン効果    http://www.din.or.jp/~honda/diary981.htm 人を動かす   

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.13

いいとか悪いとかっていう話ではないのでは? 感情優先な人、理論優先な人、どっちにもそれなりの長所と短所があります。 一番のぞましいのは極端にどちらかに偏っているのではなく、 ケースに応じて理屈を無視したり、理論を優先したりすることではないでしょうか。 相手が同じく理屈を好む人なら理屈優先で付き合う。 相手が感情を重んじる人なら理屈っぽくなるのは控える。 とか。 論理的思考が大事だというふうに、あまりに固執すると、結局は人間関係において 何らかの不都合が生じるかもしれません。 それでもいいのなら理屈で突き通しても構いませんが、おそらくこの相談をするということは 少し無視しがたいことが起こっているのかなぁ…と思いました。 理屈屋過ぎるとウンザリする人がいるのも確かで、そこで、「いや、ウンザリする方が悪いんだ」と思うのか、「どっちが悪いのかはわからないが、関係が悪くなっているのは確かだ」と思うのか。 この二択で(もっとあるかも)、どちらがそのケースにおいては有益と思われるかを考えて決めればいいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#196322
noname#196322
回答No.12

私はあんまり好きじゃないです。理屈っぽいこと。 というのも私自身が筋金入りの理屈屋だから!(笑) 年重ねるごとに理屈(と屁理屈)が増えて、最近ほんとに心から、「あーこれはいかん」と思います。 あ、考え方そのものが理屈っぽい・論理的なのは全然問題ないと思います。 ただ人と会話する上であまりにも理屈が多いのは、相手にとってあんまり気持ちいいものじゃないのだなーと最近思った次第です。 こないだ私とそっくりな理屈屋さんと話してて、すごくイライラしたんですね。 同時に「うわあ、まるで自分と話してるようだ」と気づき、反省しました。 私やその人の場合、理屈が良くない方向に働いてしまっているので^^; (相手の揚げ足を取ったり、相手の真意を無視して、不快な思いをさせてしまうという) 今は、他人とコミュニケーションする上で、「理屈っぽい、すなわち客観的」という利点を生かして「今の自分は理屈っぽくなっていないか?」と絶えず意識をし、リハビリ(?)に取り組んでいます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#80702
noname#80702
回答No.11

私も比較的、理屈は重要視しています。 但、それは「私は」ということで他人様はそうではない人もいる。 しかも、理屈というのはある程度物事を合理的に進めるために使っているので(私は)、 相手の感情を逆撫でし纏まらなくなるのは使いかたを間違えていると思います。 例えば、質問に回答戴いたのにも関わらず「論理的に示していただけると幸いです。」 と言い放ち反感を買った質問者がいました。 その質問には中々的を射た回答は付かなかったと記憶しています。 結局、人間は感情の動物なのでそこも含めての理屈を考えた方が良いと思います。 >論理的思考ができないことのほうが悪いことだと私は思いますが。 仮に悪いことだとして、・・・で? その人に論理的思考をすることの大切さを納得させ、 そのスキルを身につけさせる過程で、やはり感情の壁は理屈では崩せないでしょう。 http://okwave.jp/qa4512706.html

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.10

理屈っぽいのは悪いことですね。 「っぽい」とつくということはそれは理屈でなく理屈に似ているものだということです。 自分では理屈だと思っているが、どこかしらズレていたり欠けていたりするものです。 机上の空論とかもそうです。 理論的思考をしているつもりになっているだけで実際はできていない。 そういうことです。 本当に誰もが納得する「理屈」なら問題になりません。 どこかしらおかしなところがある「理屈っぽい」という「理屈」とは似て非なるものだから悪いんです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#80612
noname#80612
回答No.9

>理屈っぽいことは悪いことなんでしょうか? 悪くはない。 >論理的思考ができないことのほうが悪いことだと私は思いますが。 この考え方は良くない。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.8

理屈に善も悪もありません。 ただ、理屈は「結論ありき」の状況で使われることがあります。 本人は理屈に沿っていると思っていても、それは論理的な理屈ではありません。 そのような理屈は「屁理屈」と言われています。 特に人間関係の問題なんてのは理屈以前に、生き様や信条に左右されます。 『極限まで空腹の人が、パンを盗んだら罰するべきか?』 こんなのは答える人の信条や考え方によるもので、理屈で論破しようとするほうが無理です。 理屈を言う前に、ここは理屈を言うべきかどうかということを、論理的に考えないといけませんね。 論理的に考えれば、論理を持ち出してはいけないこともあるはずです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ubatama76
  • ベストアンサー率14% (36/247)
回答No.7

論理的思考は良いと思うし大切だと 思いますけど、それが理想論しか語らなければ 鬱陶しいだけですね。 あと、論理的に考えてても自分の理解してることは 相手も理解してると言うことを前提で話す人も 鬱陶しいですね

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.6

他人から「君の話は理屈っぽい」と指摘されるときは それは理屈っぽいことそのものが悪いのではなくて 人の心が共感できるように面白く話せないことが悪いのです。 なぜなら理屈は道具にすぎず、会話そのものにはなり得ないからです。 理屈は人ではなく概念・論理を切り裂くための刃物です。 鋭く研いだやつを隠しもっていて、必要なときだけキラッと光らせたらいいのです。 普段からブンブン振り回しているような人が煙たがられるのは至極当然です。 往々にして理屈の鍛錬を至上としている人はこのことを反省できず、 他の皆も理屈で語ればいいのにとすら考える迷惑な剣士の場合が多いですよね。 失礼ながら質問者様もきっとこのたぐいでしょう。 これからは「論破」より「共感」というメソッドで話を組み立ててください。 議論を中途でやめておくことや無駄に思える話が最初は抵抗でしょうが、 共感というサブシステムを身に付ければ理屈も説得力と面白さを深めます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「理屈」「論理」の意味について

    「理屈」「論理」の意味がよくわかりません。 「理屈」を辞書で意味を調べると、「物事の筋道(=道理)」と書いてあるんですが、そもそも「物事の筋道」ってなんですか? また、「論理」の意味を調べると色々と難しい説明がありますが、「論理」ってなんですか? 理解力が非常に乏しい人間なので、できるだけ噛み砕いてわかりやすく教えて下さい。

  • 「理屈っぽい」の反対は?

    論理的に物事を主張する人に対し、「あなたは理屈っぽい」などと言いて非難することがありますが、では「理屈っぽい」の反対語は何でしょうか?

  • 哲学は理屈、それとも屁理屈なのでしょうか?

    哲学は理屈、それとも屁理屈なのでしょうか? ------------------------------------------------------------------------------------ り‐くつ【理屈/理×窟】 1 物事の筋道。道理。「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」 2 無理につじつまを合わせた論理。こじつけの理論。へりくつ。「―をこねる」 ------------------------------------------------------------------------------------ へ‐りくつ【×屁理屈】 まるですじの通らない理屈。道理に合わない理屈。「―を並べる」「―をこねる」 ------------------------------------------------------------------------------------ 上の辞書(「大辞泉」)では理屈も屁理屈も同じにみえます。 例えば理屈を言う人は屁理屈を言う人に対し「それは理屈だ」とは言いません。逆も然り。 客観的にそれがすじが通っているか、通ってないかを決めるのは何でしょう? 理屈も屁理屈も理屈、または屁理屈であるのでしょうか? 理論なのか、哲学なのか、それともただの言葉遊びなのか。それは主観なのだとしたら主張する自由があるのか?それともそれをジャッジする客観的理論があるのか?・・・知りたいです。

  • 理屈っぽいと言われました

    26歳男です。 昨日友達と食事をしました。 その際ちょっと口論になり、「お前は理屈っぽい。理屈ばかりこねてるから屁理屈になるんだよ。」と言われました。 友達は消防士でどちらかと言うと体育会系で、頭で考えるよりとにかく行動しようと言う考えの人です。 一方自分はずっと理系の世界で生きて来たので、常に物事を出来る限り論理的に説明出来る様にと考えています。 口論の一例を挙げると、「人間関係は理屈じゃない。例えば自分が嫌っている相手は、相手も自分を嫌ってるものだ。何故か自然とそうなっちゃう。これを理屈で説明出来るか?」と言うものです。 自分に言わせると十分理屈で説明出来るのですが、説明したら不機嫌になりました。 「お前はもっと馬鹿になった方が良いぜ。お前も疲れるだろうし、こっちも疲れるから。」と言われました。 確かに自分は理屈っぽい所があり、時には相手を不愉快にさせる事も多いのですが、この友人は自分が理解出来ない事を全て「屁理屈」にして、考えるのを放棄している様に思えてなりません。 自分も大学時代は運動部に所属してたので、体育会系の人の気持ちが分からなくも無いし、そう言う生き方も楽しそうだと思う事はあります。 アントニオ猪木(だったかな?)の「もっと馬鹿になれ!」と言う言葉も感銘を受けました。 ちなみに口論にはなりましたが、この友人が嫌いなのではありません。 今後もうまくやって行く為に気をつける事があれば教えて下さい。 どうぞ宜しくお願いします。

  • 「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」

    「理屈」の意味について。よく「お前は理屈っぽい」「お前の理屈は正しい」「その理屈でいくと、こういうことになるよな」「理屈で物を語るな」・・・とか聞くんですけど、上記の使用例だけで結構ですので、理屈ってわかりやすく説明するとどういう意味なんですか? 辞書で調べると、「物事の筋道」とかなっていましたが、物事の筋道って何??って感じです。

  • 理屈っぽいとはと、物事の取り組み方について

    私は勉強するときや、物事に取り組むときは、とことん突き詰めるところがあります。 たとえば、お裁縫をしていて、やり方が複数ある場合に直面したら、複数あるやり方のそれぞれの根拠や理由、意味、なぜそうするのか、どれが正しいのかとか突き詰めないと先に進めません。調べて納得したらすごくすっきりし楽しくなります。 それを言うと理屈っぽいと言われます。 でも、みんなそうではないのかしら?と思ってきました。 皆さんはどうですか? 私の何が理屈っぽいのでしょうか。

  • 評論用語(論理・理屈・筋道)などの解説お願いします

    頭かなり悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい定義や違い、そして例文を教えてくれると助かります。 下記にあげる訳のわからない言葉を使用せずに解説お願いします。 評論文を読んでいると、論理と言う言葉が必ず出てきます。 こういうのを国語の先生に聞きたかった。 そして、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道      例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、筋が通っているって、考えや気持ちがブレずに首尾一貫していることだよな。 この意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって? つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。 んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、全く何も見えません。世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。 誰か助けて下さい。

  • 哲学は、理屈を屁理屈で固め更にその上から屁理屈を塗

    哲学は、理屈を屁理屈で固め更にその上から屁理屈を塗りたくってる学問なのだろうか? 屁理屈とは? 屁理屈の利点、欠点、限界、盲点とは? 哲学とは、純粋に様々な問題について 考え、深淵や本質に至りるのも哲学だが、 現代哲学は、存在や知識について思考し、 それを言語よりも、曖昧性が低い数学を使って 表現する学問なのではなかっただろうか? 皆さんにとって、 屁理屈とは?純粋な哲学や現代哲学とは? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。

  • 用語の意味を教えて下さい。(論理・論理的・筋道等)

    「論理」「論理的」「筋道」「理屈」「条理」「辻褄が合う」の意味についての意味をろくにわからないまま使っていたので、改めて辞書などで調べましたが意味がわかりません。よく日常的に使う言葉のようですが、日本人は辞書的な意味でとらえて使っている人はほぼゼロで、単純に解釈している気がします。 これらの言葉を辞書で引くと、日常では下記のような意味で使われていると思いますが、正直こんな言葉の定義で覚えたとしても自分のモノ(語彙力アップ)にできません。それぞれ噛み砕いた解釈・わかりやすく簡単に言うとどういうことかがわかりません。 「論理」 [1] 思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。 「論理的」[1] 論理にかなっているさま。論理を追って考えるさま。 ―に考える ―な文章 「筋道」 [1] 物事の道理。すじ。 ―の立った話 「理屈」 [1] すじの通った考え。道理。 ―に合ったやり方 「条理」 [1] 社会における物事の筋道。道理。 ―にかなった解決 「辻褄」 [1] 一貫すべき物事の筋道。 収支の―を合わせる これらの言葉の意味を使った下記の例文を、「言葉の意味をしっかりと当てはめて、単純明快に噛み砕き、何を言っているのか」という点まで解釈貰えませんか? ※”言葉の意味を例文の当てはめて噛み砕いて言うと、どういう意味になるのか”という焦点を当てて頂きたいです。 大変お手数な作業かと思いますが、教えて頂けると私もそうですが、他の方にも役にたてると思っています。これらの言葉で悩んでいる方はかなり多いと思います。 ●論理 「筆者の論理を追え」 「論理が飛躍している」 ●論理的 「論理的に話す」 「論理的な文章」 ●筋道 「あいつの考えは筋道が通っている」 「筋道を立てて話してくれ」 「筆者の筋道をたどる」 ●理屈 「理屈っぽい」 「英単語は理屈で覚えろ」 「君の理屈はわかった」 「理屈で言うほどやさくしくない」 「理屈の上では正しい」 「理屈をこねる」 「理屈に合う」 ●条理 「あの人の言うことには条理がない」 「条理に適った解決法」 ●辻褄 「辻褄が合わない意見」 「嘘をついていると、辻褄合わせに次々とうそを重ねる」 「話の辻褄が合わない」

  • 理屈っぽい性格

    最近、自分って理屈っぽいのかなと悩んでいます。 何か物事で納得がいかないと納得いくまで悩んでひたすら考え込んでしまいます。 理由は分からないけどそうなってるからそうなんだ!と適当に受け流すことができません。 理屈っぽさを治す又は緩和させる方法について、何かアドバイスを頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。