• ベストアンサー

否定語から話し始める人

テレビである出演者が、発言を求められると必ず「いや、・・・」と話し始めるのに気がつきました。司会者に「〇〇は素晴らしいですね」と水を向けられても、やはり「いや、」と切り出したので、てっきり否定的な見解を述べるかと思いきや、司会者に同意し〇〇を絶賛しました。  このように否定的思考の持ち主でなくとも、否定語から話し始める人は存外多いようです。他にも「そうですね、・・・」と同調した直後に否定的意見を述べる人、深く考えてもいないのに「やっぱり、・・・」と切り出す人も見受けられます。  どうも自覚がないようですが、単なるクセとは思えません。かくいう私も何かしらその類の話し方をしているはずです。この人達の心理はどうなっているのでしょうか?よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.9

こんにちは。 ご質問を拝見して気が付いたのですが、「いや」は私も使っているかも知れません。ちょっとギクッとしました。 このようなものを「イントロ語」といい、以前から近年の社会現象として指摘されています。若い世代に多く見られ、我々の心理に内在する「自己主張」が無意識に表面化していると考えられます。 「だって」 「て言うか」 「要するに」 このようなものが代表例であり、会話の中であまりにも軽々しく用いられ、「何の根拠もなく相手の意見を否定する行為」として新聞の社説にも載りました。「いや!」というのは感嘆として発せられることも多いですが、こちらは自己主張だけではなく、自己防衛にも用いられているのではないかと思います。これは結構多いかも知れませんね。 イントロ語といいますのは会話に弾みを付けたりとか、あるいは脳内では喚起として言語作業の切っ掛けにもなります。 人間の会話ですから、ロボットのようにいきなり喋り出すなんてことはないです。機械とは違い、人間には必ず「予備動作」というものがあります。で、聞く方も人間ですから、このようなイントロ、即ち予備動作が入りませんと返ってタイミングが掴みづらくなります。 このように、イントロ語といいますのは基本的には人間に付き物の予備動作です。ですが、会話といいますのは社会行動ですから、そこには必ずや自意識というものが働きます。このため、自分の発言を強調したり、あるいは相手の注意を引き付けたりするためには、このためには否定語の方が効果が高いのです。 とはいいましても、否定される方は堪ったものではありません。何の根拠もないのに相手の都合で無闇やたらと否定されるのです。 軽い会話ですから、否定の意思というのは明確にはないのだと思います。ですが、質問者さんもご指摘なさいますように、我々は日本語を扱う民族として見直すところはきちんと見直さなければなりません。まして、相手の発言に対して曲がりなりにもNOと言うのですから、それなりの根拠か、あるいは、それなりの覚悟は持ってもらいたいものです。そして、果たしてその心理的な動機とは無意識な「自己主張」であり、他人との会話でありながら、ついつい自分の都合しか頭にないのです。正に、「自覚が足りない」としか例えようがないですね。 若いひとに限らず、年配になっても「要するに」などとその場を仕切ろうとします。否定しているわけではないのですが、相手の主張を素直に受け入れるという姿勢が見られません。 自分の考えが正しければ否定などする必要はありません。相手を否定してでも自分の立場を主張しようとするのは、これは無能な人間のすることです、と、私は以前、新聞の社説でこのイントロ語の記事を読んだときから自分にそう戒めています。因みに、若いひとの「だって」「て言うか」、個人的にはこれは止めてもらいたいです。傍で聞いていてこっちが恥ずかしくなります。 また、 「ですね」 「そりゃそうさ」 「こっちなんてもっと酷いぜ」 なんてイントロもあります。 例えば会社の上司でこういうのは多いですよ。 「そりゃそうさ、俺の若い頃はもっと酷かった」 部下が仕事の相談を持ち掛けているのに自分のことしか頭にありません。こんな返答しかできない上司ははっきり言って無能です。 意識をしないと中々治せないと思います。 社会行動には必ずや自意識が働きます。ですが、否定であれ肯定であれ、果たしてそれが社会行動である限り、このような「軽々しく根拠のない発言」といいますのは必然的にみな「無責任な行為」ということになります。

pokoperopo
質問者

お礼

なんと呼べばいいのか思案しておりましたが、「イントロ語」ひとつ利口になりました。それにつけても素晴らしい洞察力をお持ちですね。私も「要するに」は叱責を受けました。使っている当人は意識していないうえに、疎まれる恐れも手伝って不問に付されることが多いようです。しかし口癖は当人の生き方や周りの人の感情にも大きな影響を与えます。イントロ語といえども日本語、正しく使いたいものです。

pokoperopo
質問者

補足

否定から入る人、肯定から入る人。それぞれ微妙に違う「心理」が働いていると思います。心理面からのご考察についてもお聞かせ願えませんか?

その他の回答 (10)

noname#82286
noname#82286
回答No.11

>不意を付くというやつかもしれません、不意を付くことで一瞬どよめきますよね、そうするとどよめかした人に注意が傾きます、そのあと司会者に追随して褒め言葉をアピールしたわけですから、おそらく「自分は場の雰囲気を盛り上げることのできる存在だから認めてよ」とうことを番組関係者もしくは雰囲気のイニシアティブを取っている司会者にアピールしたかったという一瞬の出来事ではないかと思います、つまり雰囲気のイニシアティブを取っている司会者から自分の存在を認めて欲しいという一時的な欲求だと思います > >この回答へのお礼 失礼ながらそのお答えには肯んじられません。最初にテレビの出演者を例に挙げましたが、そこまでの緊張がないはずの日常生活においても遍く見られる傾向ですから。他にも若い女性が頻繁に使う「ていうか」もこれと同根だと思います。生意気に反論して申し訳ありませんが、回答者様のおっしゃる「欲求」は十分理解できます。>  なるほどね全般的に見てということね、その場合ですと個人によっても用途が違いますので一概にこれとは言えないです

pokoperopo
質問者

お礼

おっしゃるとおり、各々で用途が違えば様々な解釈ができると思います。わざわざありがとうございました。

回答No.10

いや、・・・まず、同意、肯定、賛同というのは、弱いんですよね。 なぜかというと、それらは、同位、平等、均一ではない部分があり、どちらかというと先に発意したり発言した相手が優先、上位、上層に位置するからですね。 一方、否定は強いです。相手は、劣後、下位、下層となります。 したがって、内容に関わらず否定語から入る人には、自らを優先させ、相手を劣後させようとする心理が存在すると思います。 てか、そういう風に感じませんか。いや、そう感じます。 やっぱり、・・・否定の強者、否定の快感・・そして、その逆相と言える精神性の弱さでしょうか。

pokoperopo
質問者

お礼

なるほど関係性の優劣は考えておりませんでした。とりあえず否定することによって優位に立ちたい(営業職なら致命的な話し方でしょう)、とりあえず肯定することで自らの劣位を示す。いや、間違いなくそういう心理は働いていると思います。てか、ご回答いただきありがとうございました。

noname#100496
noname#100496
回答No.8

補足に回答します。外国人の行動パターンは、日本人と逆で正反対になります。だから自己主張、自己表現を強くする、自分の存在を誇示する目的です。世界中で日本人だけ、特殊な行動パターをします。理由は日本人は情緒、心の癒しに敏感だからです。だから自己主張、自己表現よりも心の癒しを優先します。心が癒されるのは脳の思考が休んだ時です。脳の思考がストレスの原因です。だから宗教的にいうと、自我より無我の境地を求める事になります。だから日本の伝統文化は、脳を休めて心を癒す事を追求しています。座禅、茶道、能、文楽、雅楽、義太夫節、民謡演歌、日舞、落語、日本画など、大学の先生の、日本人の脳、大修館書店、角田忠信著、によると、日本語を話して育った人は、脳の構造が変化して、自然の音、川や風の音、鳥や虫の声に、敏感になり、自然の情緒や、心の癒しを、理解できるという事です。だから日本語を話すだけで癒されます。

pokoperopo
質問者

お礼

癒しですか。日本語は論理的な言語とはいいがたいようですね。ご指摘のとおり、論理に重きを置くより、言葉を掛け合うことにより、癒し癒されていると思います。やはり日本人は奥が深いですね。私もつとめて周りに波長を合わせます。再度のご回答ありがとうございました。

回答No.7

お礼と補足を拝見しました。ありがとうございます。 確かに、「気のない肯定語から話す人も」この頃多いように、思います。 TVなどで、私が気になるのは、常に「ハイ!・・・・」と話し始めるレポーターです。 多分、「え~・・・・」と、間をおくのがみっともないので、 「え~、」や「あの~」変わりに使われだしたのだと思いますが、 素人や素人上がりで間もないのならまだ許せますが、余り酷いと 「プロかぁおまいら~」と突っ込みたくなります。 テレビやラジオなどのメディアの場合、間をあけることが、 放送事故につながるのじゃないかというプレッシャーもあるのでしょうが、 それにしても、プロとしては、みっともないなぁと思いますね。 気のない肯定語は、単なる接頭語として、相手に失礼のないよう、 返事の間をあけない為に使われていることがあります。 あと、可能性としては、ある種の思考のリード・システム(※)として こういった、気のない肯定語(否定語も)使われているのかも知れません。  ※NLP(神経言語プログラミング)では、記憶や思考の引き金として、   リード・システムという考えがあります、これは、例えば   ある特定の香りを嗅ぐと、過去の風景を思い出すように、   記憶をたどるキッカケになる、(視覚・聴覚・体感などの)感覚器官があり   人によって、記憶をたどる時の手がかりにしている、と言うものです。 http://www.nlp-oneness.com/article/13314966.html 思いつくのはこんなところですね。では~

pokoperopo
質問者

お礼

再度のお答えありがとうございます。記憶を辿っているんでしょうね。意見がまとまらなくとも、返事は即座にしなければなりません。自分で思う以上に緊張を強いられるているようです。そういえば皆さんのお答えのおかげで思い出しました。TBS「スパスパ人間学」で口癖を検証していました。その中でDAIGOが必ずといっていいほど「そっすねー、・・・」と答え始めることについて、専門家は「実は人の話を聞きたくない、質問を吟味していないことをカモフラージュするため」と分析していました。ただDAIGOの場合、キャラクター演出のため習慣づけている可能性もあり、信頼性はイマイチだと思います。やはりいくつかの要因がありそうです。

noname#100496
noname#100496
回答No.6

日本人の特徴です。日本人の、自己主張を柔らかくするための、応対方法です。それと中国の老子に書いてある、陰陽原理の応用です。この世界は、陰と陽が交わり中和する事で、宇宙の太極へ帰っていきます。この時、宇宙の癒しパワーが発生します。和風文化では、色んな所で応用されてます。和食の中間の味、演歌の音の高い低い、浮世絵、水墨画の構図、能の動、静、イエスとノー、男と女、電気のプラスとマイナス、天気の雨と晴れ、運の吉と凶、漫才のボケとツッコミ、物価の高いと安い、金持ちと貧乏、右派と左派、だからどちらも偏らず、中間が、自己表現は弱く目だたないけど、心は癒されます

pokoperopo
質問者

お礼

なるほど陰陽については考えが及びませんでした。日本人の集団から孤立しないため、精神のバランスを取るためのいにしえからの智恵ですね。すでにDNAに刻まれているのかもしれません。

pokoperopo
質問者

補足

英国紳士の熟考しているわけでもない、勿体ぶった"Ah~"についても、単にマナーだけではないような気がします。まして東洋的な陰陽の要素はかなり希薄であると思われます。その地位に生きる者特有の心理が働いているのではないでしょうか?この場合にも、西洋では東洋における陰陽に代わる、根源的な価値観が影響するのでしょうか?

noname#82286
noname#82286
回答No.5

 不意を付くというやつかもしれません、不意を付くことで一瞬どよめきますよね、そうするとどよめかした人に注意が傾きます、そのあと司会者に追随して褒め言葉をアピールしたわけですから、おそらく「自分は場の雰囲気を盛り上げることのできる存在だから認めてよ」とうことを番組関係者もしくは雰囲気のイニシアティブを取っている司会者にアピールしたかったという一瞬の出来事ではないかと思います、つまり雰囲気のイニシアティブを取っている司会者から自分の存在を認めて欲しいという一時的な欲求だと思います

pokoperopo
質問者

お礼

失礼ながらそのお答えには肯んじられません。最初にテレビの出演者を例に挙げましたが、そこまでの緊張がないはずの日常生活においても遍く見られる傾向ですから。他にも若い女性が頻繁に使う「ていうか」もこれと同根だと思います。生意気に反論して申し訳ありませんが、回答者様のおっしゃる「欲求」は十分理解できます。

回答No.4

こんはんは、 ・(テレビ的には)常に否定的見解ばかりを述べているうちに癖になってしまった。 ・自己顕示欲や、私が正しいと言う意識が強いので、   自分の意見を強調したいが為に、常に否定的見解から話し始める。 ・心の奥底に、他人=敵 という意識が潜んでいる、→他人の意見を否定 ・他人の意見を自動的に受け入れると自分が無くなっている感じ(感覚)になるので、   反射的に一度否定して(その後考えて)から、受け入れようと思う。 ・自分に自信がないので、防御の為に、他人の意見はとりあえず否定しておこうと考える。 他にもあるかも、ぱっと考え付いたのはこのくらいです。 上記の理由が複合的に存在していることが多いかと思います。

pokoperopo
質問者

お礼

まさにおっしゃるとおりです。不思議に思ったのは、否定語から話す人の基本的な態度は、必ずしも狭量とはいえない点です。また肯定語の場合もとりあえず同意しているだけで、共感を伴っていないように見受けられます。ご指摘の複合的要因の最大要素としては、(私見ですが)自己防衛にあると考えております。他の回答者様の指摘される、コミュニティーの連帯や世間的風潮も見逃せません。まさに炯眼、素晴らしいお答えです。

pokoperopo
質問者

補足

もうひとつお尋ねします。逆に気のない肯定語から話す人についてはいかがお考えですか?お手数ですがよろしくお願いします。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.3

私は「いや」は感嘆符として使っています。

pokoperopo
質問者

お礼

そうですね。気にしすぎかもしれません。しかし「照れ」はあるような気がします。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.2

いや、普通にくせでしょう。 「て言うか」なども少し前の若者言葉でもありましたね。 個々人の心理というよりは社会的(その人の属するコミュニティの)風潮でしょう。

pokoperopo
質問者

お礼

てか、おっしゃるとおりでしょう。いや、全くもって同感です。

  • kazu_1003
  • ベストアンサー率26% (190/721)
回答No.1

その意見に同感します。 わたしの、周りにも同じ人が居ます。 わたしの自己分析ですが、何かと否定する人は         [我] が強い人に現れる現象かなと思います。 それが、一概に悪いと否定はしません、ただ、度が過ぎた頑固になると如何なものかな(嫌われ者)と感じる時がしばしばあります。 それなりの、社交性を持った [我] の持ち主だったら、大物になる素質がある人間ではないかと思いますが!

pokoperopo
質問者

お礼

申し訳ありません、質問の趣旨が伝わっていないようです。ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • こちらの意見を否定ばかりする人について

    私の友達みたいな人の中にやたら私が言ったことについて否定ばかりする人がおりました。 私は基本的に自分と考えが違ったとしても、相手を嫌な気分にさせないためになるべく否定するような言い方はしないのでその人の言ってることがたとえ自分と違う考えだったとしてもそういう意見もあるのかなと思って同調するようにしてましたが、例えばその人の意見に私がそうだよねって感じで同調したとしても「でもね」って感じでまた全然違う考えを持ち出してきたりすることもよくありました。 なので非常に会話をして疲れるし不愉快だなって感じてます。 このような人って特にお腹空いてるなどで機嫌が悪い時に否定モードに入りやすいのでしょうか?心理がイマイチわかりません。 皆さんはこういうタイプの人って全然友達になれますか? 私みたいな人の意見をあまり否定しないようにしてる人ってどうおもいますか?

  • 何故、否定はいけないのか?本心を言う事はいけないのか?

    つまらないかも知れませんが、御願いします。 この間、友人に愚痴られました。 「アイツは、いっつも否定的発言が多いよ。むかつかない?」(要約しました) 僕は「世の中、十人十色だし、人の考え方で考えさせられる事ってあるじゃん。」 って言うと、「えー、ここでも否定されるのー。」っていわれました。 お互いに意見を交わして、成長すれば良いと思うのですが、こういうことで人間関係が 奇怪になる可能性もあるな、と思ってしまいました。 友人を否定したヤツは、僕も友達でタマに相談乗ってもらったりする人なので 頭ごなしに否定するヤツではありません。 ここのサイトでも人を否定するのは最悪、というコメントを多く見ます。 酷い時はダメ人間みたいに書かれています。 また、質問者の意図に合わせた答えが良回答になる傾向があるような気がします。 一体、何故、否定はいけないのでしょうか?本心を言う事は間違っているのですか? 人は元々考え方の違う物と思ってます。でも何でも同調する人間ほど、 信じられない物は無いと僕は思ってます。 本心で僕に訴えかけてくれる人こそ信じるに値するのでは?とも感じます。 人から本音を言われると、悪いとこだから、治せよ、ってな警告に聞こえます。 皆さんはいかが考えられますか?否定することや本心を言うのはいけないことですか? あと、思って無くても、同調することって大事でしょうか? 最近、つくづく思うことです。

  • 批判・否定の多い主人にどう対処すべき?

    初めて相談させていただきます。 ウチの主人は何かにつけて批判や否定するような発言の多い人なんです。 テレビを見ていても「こいつはダメだ」とか「バカじゃんこいつ」とか何度も何度も言うんです。 例えば野球を見ていて、その日たまたま調子が悪かった選手がいると「だめじゃんこいつ。遣い物にならない。」とか・・・ 些細な事だとは思うんですが、私自身、人の事を批判したり否定したような発言が嫌いなんです。 何度か「そんな風に言わなくても・・・」と言ってみたんですが知らん顔。 最近、主人のそういう発言がやたらと耳に引っかかるのでかなりのストレスになってしまいました。 同調はしたくないので、そういう発言の時は聞こえない振りをしたり曖昧に流したりしてる状態で、 主人と会話をするのがだんだんと億劫になってきてしまいました。 誰でも批判や否定は思う事はあるでしょうし、もちろん私もそう思う事はあります。 主人以外の人がそういう発言をするのは構わないんです。 ただ主人にそういう発言をしないようにしてもらいたいのです。 でも簡単になおるものでもないでしょうし、主人からすれば私のほうが考えすぎだと思うでしょう。 なので、主人がそういう発言をしたときに私がどう対処したらいいのか …なにかいい対処法があれば教えてください。

  • 見知らぬ人に存在を否定するような言葉を言われる

    MSN相談箱、たまに利用させて頂いております。成人女性(独身)です。 悩み事がありまして、私事で恐縮ですがご相談に乗って頂きたく投稿しました。 理由が全くわからないのですが、ここ1年位、街中で存在を否定する言葉を投げかけられるようになりました。 この言葉のお陰で生きづらく感じています。 下記は実体験です。私の半径2,3メートルで、『いらない』という言葉が聞こえてきます。 ・向かい合わせの電車に乗った時、真向かいにオバサンが2人座っていました。1人が私の座っている座席の窓の外を眺めながら、『いらない』と喋りました。もう1人のオバサンがそれ に反応し、『あ、そういうコトね』と言った。 ・接客業をしていた時、裏方で仕事をしていた時に同僚のオバサンが私に対し、『いらない』という言葉をまるで私に言って話すように何べんも発言した。・・・明らかに場にそぐわない、不自然な言葉ですよね??なので、私に向けて発言したのかと察した。 ・カフェに入った時、隣に座っていた女性が私の顔を見ながら、『いらんわ、かわいそうやろ~』と発言し、席を立って帰った。 ・コンビニバイトで裏方で仕事中、同僚のオバサンが『いらないよ』と何べんも私に向かって話すように発言した。 ・病院の待合室で待っていたとき、1人の女性が、私のいる方向を見て『いらないよ』と私に聞こえるような口調で発言した。 いづれも、私のことを言っている確証は無いが、明らかに私に向けて言っていると思われる体験ばかりです。 私の顔を見ただけで、見ず知らずの人から、存在を否定するような言葉を投げかけられるので、人と接するのが怖くなり、どこに行くにもマスクをして外出しています。家から一歩でも外に出るときはマスクが手放せなくなりました。 夏になったら暑いので、マスクつけるかどうしようか考え中です。 困っているのは、日常生活を送る上で、人と接する機会も多いのに、今は外出を控えめにしたりマスクしたり、とにかく人と接しないようにしているので、生きづらいです。 私は、バカ・アホなどと人に言われても多少バカだと思っているので、それ程気になりませんが、人に『いらない』などと言われると私の存在が否定されているようで、なんでそんな事を言うんだろうと悩みます。私は自分の事を『いらない』だとは思っていません。大切な1人の人間だと思っているのですが・・・。 見ず知らずの人に『いらない』というヒドイ言葉を投げかけるとは、どんな心理でおられるのでしょうか。 『いらない』=『不必要』=つまり消えろ・死ね とでも言っているのでしょうか?? 言われなくなる方法があれば1番なのですが、何でもよいので、ご意見・ご提案・アドバイスを宜しくお願い致します。 読んでくださり、ありがとうございました。

  • 会合などで気配の消える人

    よろしくお願いします。 普段はおしゃべりなのに、会合や懇談会の席などでは なんとなく気配の消えている人っていませんか? 司会者に同意等を求められることもなく、発言することもない人です・・・・ 私は普段そんなにおしゃべりなわけではないのですが、 何故かそういう場面ではよく意見を求められてしまいます。 特に困りはしませんが・・・ちょっと楽そうでうらやましいです。 あれは何かコツがあるのでしょうか??

  • 人の行動を干渉してくる人の心理。

    人の行動を干渉してくる人の心理。 人の行動や、発言などをいちいち分析してきたり、ああだこうだと意見してくる人(割と否定的な意見が多い)って、いったいどういう心理状態なんでしょうか? なぜ人の事を干渉したがるのでしょうか? 詳しい方がいたらご説明くださいませんでしょうか。

  • 身近な人の言うことを信用しない心理

    身近な人(家族、職場の同僚や部下)の言うことは何でも否定するのに、別の人に同じことを言われるとすぐに同意しちゃう、って心理ってどういうものなんでしょうか。 部下がいくら進言しても受け入れないのに、社外の人から同じことを言われるとすぐにそれを取り入れる上司とか。 あるいは、夫の言うことは何でも否定的なのに、よその人に同じことを言われると素直に納得する妻とか。 たとえばそういうことです。

  • 否定的回答=マイナス思考。肯定的回答=プラス思考?

    自分自身が質問したり回答したり、また、よく他の方の質問や回答に目を通す事がありちょっと気になった事があります。 こういった掲示板にへ投稿される質問では、その人の全てはわからないものですが、その少ない情報から質問者を「あなたはこんなところがダメだ」「あなたはこうだからいけないでは?」等、質問者に対し否定的な回答のしかたをする方がいます。 ・・・いますというか色々な人がいるので当然いるものなんですが、質問者に対し「あなたはこんなところがダメだ」「あなたはこうだからいけないでは?」等、全体的に応援する記述もなくダメなところばかり指摘する回答者さんは、その回答者本人がマイナス思考なのでしょうか? 偉そうに言ってすみません。決してそういう回答をする人を否定している訳ではなく、指摘する部分はしっかり指摘する事も大切だと思っています。 逆に、やんわりとしたもの言いで、相手を否定するというより指摘はしてもその人のいいところを見つけたアドバイスや応援をしたりする方はプラス思考なのでしょうか? 回答する時にその人の価値観の傾向はありますよね。 Okwaveでは過去回答は見れない設定になっていたりしますが、ヤフー知恵袋も見るのですが、そちらを見ているとその人の回答にはその人の回答の傾向があります。(肯定的とか否定的とか。当たり前と言えばそうなんですけど・・・) という事は、否定的な回答をする人はマイナス思考の傾向があり、肯定的な回答をする人はプラス思考な傾向がある人・・・だと思っているのですが、皆さんはどう思われますか? それ以外にもストレートな表現をする人とか、正直な人とかもあると思いますが。。 特にマイナス思考、プラス思考の傾向があるかどうかについての考えを聞きたいのです。 あともう一つ! 心理学で「投影」というものがありますけど、投影が強く出ている回答は多いと思いますか? もちろん多かれ少なかれ人は投影するものだとは思っているのですが・・・ とても当たり前の事を質問していたらすみませんが・・・回答よろしくお願いいたします! 色々と人の心理について勉強させて下さい。

  • 全否定の後に自己アピールしてくる心理

    「あなたは○○だという自覚を持ちなさい」 「私があなたを○○してあげる」 「私には他人を○○する力があるから、人が寄ってくるのよ」 というように、こちらを全否定→自己アピールしてくる場合の心理は何でしょう。 1)思い通りにならない他人を変えたい支配欲 2)強過ぎる承認要求 3)あなたが大嫌いだから、今後付き合いたくない 4)あなたが変わるなら付き合って上げてもいいけど、このままなら付き合いたくない その他回答でも構いませんので、ご意見聞かせてください。

  • 議論してる人が頭悪くなっていく現象

    ディベートとかしてると、喋ってる人がどんどん頭悪くなっていく感じしませんか? 私自身にも言える事なんですが、自分の意見に対して否定的な声があると (その時は無自覚なんですが)ムキになって反論してしまい 自分の主張を擁護するために、まるで筋が通っていない論理を作り始めます。 私自身はコレを『選択的論理構成』とか呼んでたんですが 哲学か心理学なんかの分野で、既に名前が付いてたりしませんか? 自己欺瞞とか選択的思考が近いと思うんですが、少し違う気もします。 解答、よろしくお願いします。