• 締切済み

死とは哲学的に言うと・・・

qsxdrfvgyhの回答

回答No.17

死とは、自己が終焉し、「自分以外のもの」になってしまうことだと思います。この「自分以外のもの」のことを「究極の他者」と言うことができるのではないかと思います。 >・・・その人が亡くなった事実より、人が死んでいく様が印象的で、非常に恐怖を感じました。 「他者の死」を体験すると、その類推適用で、「自己の死」を想定し、恐怖するというのは、誰でも経験するものですが、自己の死を誰も体験できません。体験は、自己の死の直前までで、自己の死自体は誰も体験できないのです。つまり、自己の死以降は、自己の人生の出来事ではないのです。 >それから、夜になると、人は死ぬとどこへ行くんだろう、どうなってしまうんだろう、なぜこんなに怖いんだろう、と考えるようになりました。 「どこへ行くんだろう」は、愚問になります。なぜならば、自己の死以降は、自己の人生の出来事ではないのです。分からないから、怖く、不安になるという点は、充分理解できますが、超経験ですから、分かるはずがありません。 >哲学的に言うと、人は死ぬとどこへ行くのでしょうか。 繰り返しになりますが、超経験ですから、分かるはずがありません。 >以前、哲学の授業で、デカルトは人は精神と肉体が一緒になってる存在だとか学んだ記憶があるのですが、これで考えると、人が死ぬと肉体は滅びるけど精神だけは残る、という事でしょうか。 では、残った精神はどこに行くのでしょうか。 「精神だけ残る」ということは、そもそもありません。残らないのですから、「残った精神」がどこかに行くということも起きません。 >なんとか、死に対して恐怖を抱かずに済む考え方を探しています。 自己の死は、自己が終焉し、「自分以外のもの」・「究極の他者」になることと定義しても、心理的に何の解決にもならないのも事実なのです。恐怖・不安・拒絶感は避けられません。これらは普通の反応です。反射的とも言えそうです。避けられないものには、慣れるのみです。恐怖感を麻痺させるか、違うことを考えて、意識を反らすかして、誤魔化すだけでしょうね。何かに没頭することで忘れてしまうという具合です。 >「死」は未知なるもので、それに対して確定的なことは何もわからないから、自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いのでしょうか。 そのようです。未知です。超経験です。誰も分かりません。分かったという人は嘘つきです。自己の人生の出来事ではないのですから、分かるわけが無いのです。想像しているだけでしょう。でも、本物の哲学者ならば、恐れつつも、死について探究し続けて、それなりの結論に達する過程で恐怖心を克服してきたと思いますよ。

関連するQ&A

  • 哲学と死の恐怖の克服について

    私は小さなころから死が怖いです。 死について考えると、世界が何の根拠もないものに思えて、 日常生活というのは全て無意味な勘違いで、私にわかることなんて世界にひとつもなく 私に与えられる意味や価値なんてなにもなく、ただいつか消えてしまうのだと思うと恐ろしくてなりません。 そのような思いがあり、哲学は何かその恐怖を克服するヒントになるのではないかと考えて 大学では哲学をしようかと思ったのですが、一回生次の授業で教授が何をいってるのか全くわからず (ギリシャの人達は魂をどうの、というような話をしていたとおぼろげに覚えています) 諦めてしまいました。 しかし、このまま生きていって「社会人としての充実した生活」のようなものを送っても その先に死の恐怖の克服がある気が全くせず、やはり自分は何かをしなければならないとおもい、 再び哲学に関心をもっています。 そこで質問なのですが、 (1)哲学と死の恐怖はどのような関係にあるのでしょうか。 大学での授業はギリシャからはじまったのですが、ギリシャ人の思考は私が死の恐怖を克服するために役にたつのでしょうか。どのように役にたつのでしょうか。 もしそれが死の恐怖の克服に役に立つのであれば、今度はちゃんと取り組んでみたいと思います。 はじめから死の恐怖を克服するという目的をもって取り組むことは真実を探求する学問とは相いれないような気もして それなら潔く哲学ではなく宗教に取り組んだ方がいい気もしています。 (2)死の恐怖を克服した哲学者はいますか 若い時は死の恐怖で発狂しそうになったけれども晩年は安らかに死んだ そういう哲学者としてはどんな人がいますか。 (3)今死の恐怖と取り組んでいる人としてはどんな人がいますか 中島義道という人や森岡正博という人の本にははっきりと、自分は死が怖くてその克服のために哲学をしていると書いてあったように思います 他に、そういうことを言っている哲学者はいますか。 (4)最後に、こういう私にお勧めの書籍などあれば教えていただければと思います。 よろしくお願いいたします。

  • 死にいたる病の「死」とは何ですか?

    哲学の初心者です。 キルケゴールの「死にいたる病」の冒頭で、  死にいたる病とは絶望のことである。 としながら、文中では  こういう意味では絶望とは死にいたる病とは呼ばれえない。  絶望者は死ぬことができない。  死ぬことさえも出来ない希望のなさ などと、絶望と死のつながりを否定している箇所があります。 いったい、彼のいっている「死」とは、何なのでしょうか? ごく一般的に言われている、息が止まり心臓が止まる肉体の死をいっているのでしょうか、それとも精神的な死をいっているのでしょうか? 私は、この本を読む前に目次を読んで、直感的に絶望が引き金となって自殺を図るのかな、と考えていたのですが、それは単なる思い違いなのでしょうか? 広く解釈すれば、生物は生まれた瞬間から死にいたっているのですが、そんなことをいいたいわけではないですよね?

  • 哲学の功績は?

    私は当初、自分が生きる意味は何なのか?そもそも自分とは何なのか? という疑問にある意味で耐えられなくなり、意志薄弱になり、というかその問いが解決しない限り極度に不安定な状況がこのまま続いてしまうという不安から、私にとって未知の学問であった哲学にその答えを求めようとしました。そして一通りは勉強したつもりです。ですがどうでしょうか?哲学の考え方は、私の予想を良い意味で裏切り、とてもロジカル、論理的なものでした。しかし、プラトンやデカルトが挑んだ問い、私とは何か?私とは何を知り得るのか?何者なのか? という問いに対して、哲学は何の確固たる答えを導出できなかったと私の眼には映るのです。途中まではとてもロジカルだった、ただ肝心の“答え”が出せてないという私の認識は間違っていますでしょうか? このように哲学という学問のプロセスは評価できるけども、“答え”を出せていないなら、私はこのまま哲学を学ぶ以前と同じ極度に不安定な精神状態で過ごすしかないのでしょうか? 哲学者の考えが政治思想や経済思想に与えた影響・功績はここでは別問題とさせてください。

  • 強迫性障害者が哲学を学ぶ

    自分は強迫性障害の加害恐怖と自殺恐怖にかかっています。 症状は、「自分が人を殺してしまうのではないか?」、「自分は不意に自殺をしてしまうのではないか?」。 {殺人}{自殺}などの系統の言葉を見ると不安になってしまう。 物事を悪い方向に考えてしまう癖があり、「もしかしたら、僕は人生の道を間違えてしまうのではないか?」 まだまだありますが、こんな感じです。 段々治ってきたのですが、それでも強迫性障害は完全には直っていません。 それで、最近「哲学」を学びたいなと思うようになりました。 形而上学や心の哲学、倫理学などを学びたいと思うのですが。 倫理学などは人の死を扱うものなので、「学んでいくうちに{人の死}を軽くみるようになってしまい将来、殺人をしてしまうのではないか?」などまた不安が襲ってきます。 教養を深めたいという気持ちと上のような不安があって本当に哲学を学んで大丈夫なのか?と不安になってしまいます。 馬鹿馬鹿しいとは思いつつもやっぱり怖いです。 僕みたいな強迫性障害者が哲学を学ぶのは間違っているのでしょうか?

  • 死が怖くなくなった人に質問です

    私は死が怖いです。 深夜に一人で死について考えると叫び出したくなります。 小学生のときから28歳の今までずっと変わりません。 死の恐怖は (1)身近な人や社会との別れに対するもの (2)肉体的苦痛に対するもの (3)死の理解不可能さに対するもの などと分類されることがありますが、私の場合はとくにかく(3)が怖いです。 死を考えると全てが残酷で不条理に思えてなりません。 そこで、死の恐怖を克服した人はいるのか いるとしたらどんな経緯で克服できたのか、をうかがいたいと思いました。 はじめから怖くない、という方ではなく 以前はこわかった(特に(3)やそれに近いもの)方で、 今は怖くなったという方のお話をうかがいたいです。 切実です。よろしくお願いいたします。

  • ソクラテスの精神力

    哲学に関しては素人で、大学の一般教養で「ソクラテスの弁明」を読んだぐらいです。 「ソクラテスの弁明」で一番驚くのは、ソクラテスが「自分の哲学によれば、死が恐るべきものである根拠はない(むしろ、喜ぶべきものかもしれない根拠さえある)」という話から「従って、私は死が怖くない」と、死の恐怖を自らの哲学で消し去っていることです。「クリトン」で、死刑の決まった牢屋の中で、ソクラテスが熟睡しているところからみて、死が怖くないというのは演技ではなく、本当に怖くなかったと思われます。 これは、とんでもない精神力のように見えます(よく「ソクラテスは人間くさい哲学者」という言葉を見ますが、私には「人間離れ」しているように感じます)。 そこでお聞きしたいのは、ソクラテスの哲学や行動の詳細やそれが正しいかどうかはさておいて、彼はどのようにしてこれほどの精神力を身に付けたのか、という研究はどのくらいされているのでしょうか? あるいはまた、ソクラテスを学ぶことで死の恐怖を解消できた人はどのくらいいるのでしょうか? 世の中、死の恐怖より辛いことは沢山あることは分かっていますが、自分の生活において、せめて死の恐怖ぐらいは自力で消せる精神力が必要な場面が結構あるので(結局パニックになってしまうのですが)、哲学への興味というより、自分の精神力を強めるものが、何かヒントでもないか、と探しています。

  • 死の恐怖について

    「自分が死ぬ」 ことの恐怖を覚える人は多いと思います。 ・「自分の死」の何をおそれますか? ・一般的には何を持って「死の恐怖」と言われていると思いますか?  心理学的にいわれていることもお願いします。(専門の方がいらした ら)                  私が感じる恐怖は、肉体的な痛みや苦痛です。 ですので一番おそれる死に方は、火に巻かれた末とか、拷問の末とか、長い苦痛を伴う闘病の末などです。私にとって「死の恐怖」とは「痛い死に方」のことです。 この世に自分がいなくなることには恐怖は感じません。 できれば、立つ鳥水を濁さずが望ましいですが、死んじゃえば関係ないか・・・とも思います。 わざわざ「死」を扱って、話す方や本を書かれる方などは「人は自己の消滅」に恐れを抱く・・・ことを一般論のように語られている方が多い気がします。ホントにそうなのでしょうか?一般論なのですか? その辺の豪快なおばちゃんたちは「死んだらな~んにもないんだから楽しく生きればいい」「子供の世話になっては死にたくないね~」こっちの方が一般的だと思うのですが。 やり残したことへの未練ならばわかります。でも手を付けているところまでです。今の企画書、とかあさって孫が生まれるから見たい、とか。 ご意見お願いしますm(__)m

  • 死が怖い

    ちょっとおかしい人と思われてしまいそうですが・・ 10代の頃は自分は死ぬなんて思ってもいなかったのですが 20代も後半になり最近、妙に死を意識するようになりました。 とはいってもまだ知ってる人間が亡くなった経験もないのですが、 ふと、今の主人も子供も私自身もいつかは急にいなくなってしまって 二度と会えないんだな・・と思うと無性に悲しくなります。 もしかしたら明日にはそうなってるかもしれないと思うと 今を大切に生きようと思うのですが、やはり怖いです。 主人や子供達と会えなくなるのなら私が1番先に死にたいと思ったり でも死んで主人と離ればなれになるのも嫌なので一緒に死にたいと思ったり・・。 だからといって死そのものが怖いので自殺しようなどとは思いません し自分が死んだあとの自分の存在しないという事実が怖いです。 なぜ、結局死ぬなら産まれてきたんでしょうか?? お年寄りの方は、確実に近いうちに訪れる死に恐怖を感じながら過ごしているのでしょうか? そもそも死とは何なんでしょう。 結局は死ぬまで恐れ続けるんでしょうか??

  • 哲学の基礎知識が学べるお薦めの本を教えてください。

    西洋哲学についてほとんど何も知らないので、基礎知識が学べる本を探しています。 カントやデカルトの、名前は知っているのに何をした人か知らないというレベルです。 知らなくても困らないと思って今まで何も勉強しなかったのですが、最近人と話していて自分の無知が恥ずかしくなり、常識程度の知識を身に着けたいと思いました。 高校の倫理の授業は取っていません。 なので、まずは、高校の倫理レベルの本で、薄くて読みやすいのだと嬉しいです。 よろしくお願いします。

  • 死の恐怖を克服すること

    私、50歳の会社経営者で、既婚者です。 年齢的にも人生の折り返し点を過ぎ、今更ながら、死への恐怖を感じます。 人生のなんたるかも分からない若かりし頃、一度この恐怖に取り付かれ、眠れない日々が続いたこともあります。 自分なりに様様な文献を貪り読んだりし、自分なりの解答を得ようとしました。ある人は、無になる、といい、ある人は、魂は永遠になくならない、という。そして、輪廻転生、つまり、生まれ変わりが続く、という人もいます。 しかし、どうであれ、自分という意識は、この世から消えてしまうということには変わりはないのでは、と思うのです。多くの人の死への恐怖というのは、この自分という意識の消滅、ということへの漠然とした恐れだと思います。肉体が物理的に滅びるということは、誰が見ても明白です。 問題は、自分という意識がどうなるか、ということなのです。 そんなこと、そうなってみないと分からない、ということは、十分承知しています。 みなさんの考えをお教えください。