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美学史という言葉自体あるのかわからないんですが

最近哲学を勉強し始めたばかりなのですが、同時に美学に関しても知識を深めていきたいと思っています。 美学に関しては日本にあまり良い書物が無く、今道先生くらいと言われましたが、実際に読んでみてもいまいち私の頭ではまだ把握しきれない部分が大きいです。 もう少し初心者向けで今までの美学の歴史の流れが分かるようまとめてある本などあったら教えて頂きたいです。 哲学のほうはやっと今までの流れが理解できたところです。 専門的に学ぼうとしているものではないので、どちらも基本的なところを全体的に学んでいきたいと思っています。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • anacreon
  • ベストアンサー率24% (24/100)
回答No.4

必ずしも美学は美術史とともにあるわけではありません。 美学史という分野もちゃんとあります。 質問者さんは、哲学の側からのアプローチだと予想するのですが ギリシャ時代からの、真・善・美のなかの美についての美学の流れと ドイツのライプニッツ=ヴォルフに影響を受けたバウムガルテンにはじまる、感性の学としての美学があります。 もちろん、両者は影響を与え合って今日に至るわけです。 (もちろん、技法や素材などについて論じる場合もありますが、それだけではありませんのでそういう学び方だと大局はとらえにくくなってしまうように思います。) 流れをおおまかにとらえるのに、よい本ということですが、 あまり思いつかないのですが、 もしかしたら、もうすでに理解された哲学の流れのなかで それぞれの思想家が、「美」に対してどういう見解を持っていたかを学ぶことで 美学の流れも理解できてくるように思います。 また、美学ではなく芸術哲学という分野などともリンクするので 対象とする書籍もそのへんまで広げて探してみるといいものが見つかるかもしれません。

chick33
質問者

お礼

返事が大変遅くなってしまって申し訳ないですっ。 バウムガルテンから始まった感性の学としての美学のほうに自分は興味があると思うのでまずこちらからおおまかに調べていくつもりです。 『芸術哲学』という言葉は初めて知りました。。 検索枠が広がりかなり助かりますっ。 ご回答ありがとうございました!

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その他の回答 (3)

回答No.3

 美学史は曽っての美学の歴史であれば、哲学史に重なるのでしょう。  よく、究極価値として真善美といわれ、禅は倫理・道徳・経綸などなのでしょうか。  真理は哲学、そして美が美学や美術、詩歌などの文芸などなのでしょうか。対象というか関わりが。  そして真善美は一つのものを真理といい、それは善であり、美であるということなのでしょうか。  http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C8%FE%B3%D8&kind=jn&mode=0&kwassist=0  http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%BE%8E%E5%AD%A6/?from=websearch  はもうご覧でしょうが。  ここに挙がっていない、三太郎のあの阿部次郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%AC%A1%E9%83%8E もその範疇のお仕事をなさっていますね。一、二冊読むと少し把握出来るでしょう。

chick33
質問者

お礼

阿部次郎さん、知らなかったです!早速読んでみます。 ありがとうございますっ^^!

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

古代ギリシャでは、美を優秀性と同一視した。 馬の優秀性は 早く走ること。 オリンピックの槍投げだと、槍を長距離飛ばすこと。 石なら、どれだけ重い石を持ち上げられるかが優秀 すなわち 美。 男性の美だと筋肉もりもりで、女性だと肉体が曲線。 (激やせ状態の女性は、ぶさいく に入る。だから昔の西洋の裸婦はみな太っているんじゃないかと。) で、ソクラテスは 人間の美を アレテーとした。 アレテーは 徳 ってこと。 人間の徳とは、、、って展開していくわけです。 で、ソクラテスの徳の考えは、弟子のプラトンに受け継がれ、さらにアリストテレスによって吟味され、、、となっていく。 日本の美。。。難しいですが、儒教とかも入っており・・・・。 ひとつには 執着しない潔よさを人間の美とすることもあったようです。 親孝行も美のひとつ。 だから年老いた親と、自分の子供が同時におぼれており、一人しか助けられない場合は、年老いた親を救うのが、理にかなっているという教えがある。 石庭は、不動の動を表しているように思える。 お花畑ではなく石づくしの庭。 落葉より常緑樹が尊ばれる。 永遠・不変なるものを美とするわけで、これはソクラテスの普遍と似たような考えかな? だから、日本の庭には花じゃなく木が植えられており、箱庭の盆栽も盛んになったんじゃないかと。 日本の君が代も、永遠を望む歌ですよね。 哲学全般でいけば、古代ギリシャのソクラテス・プラトン・アリストテレスあたりを調べてみてはどうでしょう。

chick33
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございますっ。 確かウィキにも哲学で美の内容に触れていくと《美》という言語についての意味や、使われ方が国や時代で異なっているのでややこしそうな印象がありました。 どちらかというと自分は現代で使われる意味での《美=アート》、ヴィジュアルとして視覚で確認できるもの中心、芸術、芸術作品から影響が及ぼされる哲学者なりの見解を学んで生きたいと思っています。 ので現象学など読んでは見たものの難しすぎる…とのことで哲学的な用語、単発でなく今までのそのような美術に対する見解の歴史の流れを知りたいと思っていたのですが、なかなか資料も見つからず、というような感じでした。。 >哲学全般でいけば、古代ギリシャのソクラテス・プラトン・アリストテレス このあたりももし今知りたいことが把握し始めることができたら手をつけて生きたいと思います。初期に使われた《美》の言葉の概念を調べていくのはどの道必要なことの気がするので。 長くなってしまって申し訳ありません、またこの文章から参考になるような情報を知っていたら是非教えて欲しいです。 よろしくお願いいたします。

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noname#117439
noname#117439
回答No.1

美学なら内容は哲学です。 美術史から学んで自らが(人格形成のために)創造することをお勧めします。 仮に美学史なるものがあるとするなら、たとえば、遠近法が発明される比較的最近までの西洋美術の変化と体現する芸術家のセンスの変化、同じく遠近法が中学生の授業で説明される現代日本で遠近法をかたくなに拒む日本画家たちの独特の立体表現の技法と裏づけとなるセンス、このような内面の美術に対する見解への共感を学問にすると美学史といえるかもしれませんが、実は芸術に対する批評はヨーロッパでは庶民レベルまで一般化していまして、それらの内容は普通に芸術に対する批評とされていまして積み上げてきた歴史は美学史でなく美術史です。 だから無駄なのでやめておけとのアドバイスではなく、美学史との言葉から独自の見解を磨くのも悪くないでしょう。 学問を創造するほど大それたものでなくても自己の人格形成にはいい肥やしです。

chick33
質問者

お礼

>学問を創造するほど大それたものでなくても自己の人格形成にはいい肥やしです。 確かに、よさそう。 哲学の分野から美学というものが正式にある分野の学問として存在してると思っていたのですが違うのですね。 上記でおっしゃって下さっているように実行に移していこうと思います。大変参考になりました、回答ありがとうございます^^。

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