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キリスト教における鬱病の扱い

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.18

 存在は 大事です。  思想は これも 大事ですが 批判し合って 形作っていくものです。  信仰は 言わばこれら両者の間に位置していて 軽々とは扱えないのですが 《社会の中において一般に呼ばれるところのクリスチャン》であることは 変わり得る《思想》の問題であると言っていいはづです。なぜなら お話を伺う限りでは 《目に見える教会》を後生大事にしている情況であると思われるからです。  つまり お母さんや教会の人びとを ばかにしたのですが 残念ながら 《人の結婚にかんして 教義という名の自分の思惑で 制約をかける》というのは 人の為すことではありません。まづ このことを 出発点においてください。  あとは すべて あなた次第です。親を捨てるのも 親に従うのも そしてまた どう従うかも みな 目に見えない同じ一つの教会員であることの それぞれ方便ですから 情況や お二人の考えに応じて えらんで行ってください。  すべて 自由です。すべてが有益であるとは限りませんが すべて 自由です。完全に自由だと思います。まづ そうなってください。(すでに 成っていらっしゃるのなら ごめんなさい)。

momokan55
質問者

お礼

お礼が遅くなってすみません。 そうですね、確かに私次第だと思います。彼もそう思っているようです。 正直、教会から離れることへの恐怖感はあります。(といっても今はもう放置されていますが) 教会員の人達は、 「教会を離れる=信仰を捨てる」 と思っているようですが、私はその《目に見える教会》が神に近付く手段の最も重要な位置におかれるべきではないと思うので(あくまで信仰は個人と神の一対一から生まれるという意味です)そして、それは聖書にもそう書いてあるはずです。 もしクリスチャンとして生きるのなら個人だけで信仰を持ち続けるのは難しいですが、私の場合まず「親の介入あっての信仰生活」が続いていたわけですから、なにより自分に合った教会を探すのが一番かなと思っています。 そして、今一番悩んでいるのは事の問題に親の感情が絡んでいるということですね・・・。 駆け落ちはどうしてもしたくなかったのですが(それなりに仲が良くなくても家族の事を愛していますから)でも、私は自分の幸せを選なければならない時が来たのかなと思います。 不本意な安息にまどろんでいるよりも、覚悟を抱いて困難に突き進むことが本当の自由ですよね。

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