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これって・・・? 織田信長の楽市楽座

komesの回答

  • komes
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回答No.3

信長が楽市楽座をおこなったのはそれまでは「座」という組合のようなものがあり商行為を組合員が独占していました。 ある商売をしようとすれば「座」に入り組合費を支払わねばなりませんでした。 もちろん誰でも「座」に入れるわけではありませんから「座」の独占は商行為の妨げになります。 この為信長が「座」を廃止し誰でも自由に商売を行い、市に店を持つことができるようにしたのが「楽市楽座」です。 当然物価は安くなります。  商行為も活発になります。 したがって「城下町」を繁栄させることもできますが、一部だけの正解とみなされるわけです。

y37y37
質問者

お礼

ご返事遅くなりました。 僕は、 自由に商売を行うことができ、物価がさがる=城下町の繁栄 と早とちりしていたようです。 ありがとうございました。

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