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ニーチェの良いところをおしえてください。

 ありますか?    世は 理性信仰 つまり 理性なる神 理性という神が はびこっているところへ その観念なる神は観念なる神であるに過ぎないと指摘しつつ 観念の神は死んだと言ったのではないでしょうか。  つまり そんな神は もともと 死んでいるというふうに指摘しなければいけなかったのではないか。  そこを そうではなく わざわざ その観念の神を克服しなければならないと思いこみ そのためには 《自然 大河 あるいは 超人であれ》と わざわざ 説くにいたった。・・・  これでは すべてが コップの中の茶番劇であるのではないでしょうか?  ほかに ニーチェにいいところは ありますか。

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  • momonga14
  • ベストアンサー率20% (13/65)
回答No.13

こんばんわ。 ふたたび#1です。 また、ぐっとレベルを下げさせて下さい。 ニーチェは膨大の量のアフォリズムを残していますね。 印象深いものはそれこそたくさんあるのですが、私が真っ先に思い出すのは、 「真理は私が獲得するものではない。真理が私を訪れる。」 と言うような意味のものです。 どの著作のものだったか今思い出せませんが。 この意味することは要は「神秘体験」ですね。 もちろんアフォリズムという表現形式は修辞的で、緻密な真理探究作業とはかけ離れてます。 で私事ですが、高校に進学した時図書館に行くと、『世界思想全集』なるものがあったんです。 私は「この全50巻の中に世界に対する答えがあるんだ。」といたく興奮して読み始めたんです。 しかし最終的には、「真理が私を訪れる。」なのかと。 ニーチェはそもそも文献学者でしたが、そのような地味な作業をひとつひとつ積み上げる作業を行い得る者がその延長で審理を獲得するのではなく、最終的には「神秘体験」なのかと、自らの能力に照らして諦めのようなものを感じました。 言いたいことは、この一言で古代ギリシャ哲学の知も、近代合理主義の知も、あっさり否定しているということです。 思弁で得られた知識を共有、構築した共通の知=哲学の体系とするならば、この一言で既存の知が全否定されています。 結局、あったり前のことですが、「分かった奴にしか分からない。」そういうことをニーチェは言ってますね。 「分かった奴にしか分からない。」と言う事は「経験は共有できないよ。」ということですね。 だからどんなにニーチェの著作を読もうが、それについて思弁しようが、それだけじゃ「真理」は得られないよ、そう笑われてるような感がします。 ニーチェが自分をキリストと重ねてる言葉もありますね。 「ただひとりのキリスト者は十字架に架けられて死んだ。」 真のキリスト者がキリスト自身だけだった、考えれば当たり前ですが、それになぞらえて「真理を獲得したのはオレだけだよ。」と言ってることとつながってます。 もちろん、どこまで本気でどこまで道化だったか(ニーチェ自身も)分からないニーチェの言葉ですので、単にうそぶいてる可能性もゼロじゃないとは思いますが。 乱文になってしましましたが、2000年以上積み上げた哲学の業績をたったひとつのアフォリズムでくつがえし、つい見落としがちな「分かった者じゃなきゃ分かんない、分かんないやつはずっと分からない。」ということで後に続く哲学者に挑戦的とも言える「断念」を与えたことだと思います。 失礼致しました。

noname#80116
質問者

補足

 momonga14さん ご回答をありがとうございます。  わたしは いつも 水を差す役回りです。いぢわる好きですので 似合っているかも知れません。  かくて 一点だけ きわめてきちんと整序されたご議論に対して 矢を射るというまでのご批判を加えます。  ● 「神は死んだ、我々が殺したのだ」と叫びます。最も聖なるものをわれわれは殺した、誰がこの血糊をナイフから拭うことができるのか…そして、「この殺害にふさわしい存在になるには、われわれ自身が神とならねばならないのではないか!」  ☆ このように  ● われわれ自身が神とならねばならないのではないか!  ☆ という言い草に 《超人》につながる思考形式があるように思われます。  ★ ・・・「真理を獲得したのはオレだけだよ。」と言ってることとつながってます。  ☆ とおっしゃるとおりのことだと思います。  この部分がなくて ただ おとなしく  ▲ 神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。 《わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、 / 賢い者の賢さを意味のないものにする》(イザヤ書 29:14) と書いてあるではないか。  ☆ とだけ言っていれば ふつうに有効だったと考えるのです。  ★● 「真理は私が獲得するものではない。真理が私を訪れる。」  ☆ というとき――くどいように 繰り返しますが―― 《真理が私を訪れる》の表現が その中身として 二つの場合に分かれると思うのです。  《我れにこそ 訪れる》という姿勢 あるいは 《真理が 向こうから やって来たその私》と自己主張する姿勢 これが 一方にあり 他方では 《どうも 我れは 真理に 狙いをつけられたようだ。あぁ 信仰が与えられてしまった。かくなる上は かれ(真理)に 生涯 仕えなければならない》という自己の同一性にとどまる姿があると考えます。  後者は 真理をつかんだとは 言えないと知っています。真理につかまれたわけです。真理を見たのではないと知っています。真理に知られたと知ったのです。知識ではなく 非思考としての信仰が与えられたと 体と頭とが知ってしまった。そういう意味で  ★ 古代ギリシャ哲学の知も、近代合理主義の知も、あっさり否定しているということです。  ☆ となると思うのです。自分で否定したり 批判し切ったという意味でもないと思われます。逆に そうであれば それらの学知を すべて 生かしていくことが出来ます。  こうなると 信仰者は 一種のキツネ憑きであるかも知れません。しかも ここに憑いたキツネは 自己を 一介の人間であることに つねにとどめておく力を持つものなのでしょう。  ▲ 自分の持っているもので もらわなかったものは あるか。  ☆ ということで すでに すべてを 与えられていると受け取っている者です。そこでなら  ◆  “足るを知れば辱められず、 止まるを知ればあやうからず。”  ☆ と言っても だいじょうぶなのではないでしょうか。《自己でないものは いっさい 要らない》と言っています。ところが ニーチェは これこれが必要である。それを得て 自己を作り変えなさいと言っているように思われます。  まぁ もしこうであるなら かれは 分かり過ぎた男だったのかも知れないと言ってやっても やはり褒め言葉にはならないでしょう。どうしても どこかに 余分なもの・余計なものが ついて回っているように思うのです。  ちょっと 想像だけの話になったところがあるかも知れません。が 以上のように考えることを棄てるまでには至りませんでしたと つつしんで 申し上げます。

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その他の回答 (12)

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.2

>ニーチェの良いところをおしえてください う~ん、こういう問題を話題にするときには、まず、質問者さんにとっての「良い」の尺度をお示しになった方が良いかもしれませんね。 どんなに立派な言説でも、後世から眺めれば、所詮コロンブスの卵のようなところがありますからね。 それよりは、質問者さんにしても、私にしても、当時ニーチェに痛罵された人々と同じように、各自の身丈に応じた神の亡霊に取り憑かれながら、こうしてささやかな人生を営んでいることの方がはるかに面白いとは思いませんか。 思うに、ニーチェは、間違いなく一種の大魔神に取り憑かれたがために、つまらないキリスト教の神に取り憑かれている人々の奴隷根性に我慢できなかったのではないでしょうか。 ということで、質問者さんも「ニーチェのいいところは?」などと、つまらないことを考えるよりは、ご自分の全存在を委ねるにふさわしい魔神(偶像)をお探しになった方が賢明かと思いますよ。

noname#80116
質問者

お礼

 kadowakiさん ご回答をありがとうございます。  なるほどと思うところと いや わたしは 方向が そこでは違うと思うところと。・・・    少し角度がちがうかも知れませんが こうも考えます。つまり 《超人》を言うことは 単なるキャッチコピーでないなら つまり 或る程度は 現実だと言うことでしたら それは 余計な思想ではないかと思っています。ふつうの生活態度でいれば 《神の亡霊》は たとえそれに取り憑かれていたとしても 神の亡霊だとわかるはづです。それを 克服するために 超人だなどという思想を掲げるというのは 間違っています。ありえないと考えます。いやしくも思想というならです。  ★ 思うに、ニーチェは、間違いなく一種の大魔神に取り憑かれたがために うんぬん  ☆ ということだと わたしも思いますが たとえば この《ルサンチマン》にしても そのことを指摘することと 思想として提出することとは 雲泥の差があるはづです。そういうふうに捉えて論じる文章に出会っていないので そのことには 立腹します。  と言っても それだけのことですが 時に応じて・きっかけに応じて この立腹は 頭をもたげて来て 結構――休火山でもないでしょうに―― 活動しているようです。  すなわち わたしの場合は  ★ 自分の全存在を委ねるにふさわしい魔神(偶像)  ☆ から いっさい 自由でいるという魔神に取りつかれているようです。この方向が 少し ちがうようですね。  おっしゃるように 偶像から全く自由であったとした場合 そういう反偶像に取りつかれているのかも知れませんね。ありがとうございました。

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  • momonga14
  • ベストアンサー率20% (13/65)
回答No.1

>ほかに ニーチェにいいところは ありますか。 哲学的な回答ではないですが、良いですか? 1.ワーグナーなどに心酔しながら袂を別れ、孤高的人生を歩む   (浪花節の日本人に受ける) 2.晩年、発狂してしまう。   (破滅的人生を歩んだ人は、やはり日本人の心をくすぐる) 3.生前評価されなかったが、死後そして現在に至るまで彼の残した言  葉が有効であること。   (特に、『反時代的考察』など。) 4.世界を客観的真理の探求の場と考えず、ルサンチマンと言う概念で  「人間の心理」から世界を解釈しようとしたこと。 5.彼の予言が当たっていること。   「私が予言するのはこの先2世紀のことである。ニヒリズム。」

noname#80116
質問者

お礼

 momonga14さん ご回答をありがとうございます。  そうですね。そうですか。  まったくストレートに反応していいですか?  1と2は 問題が 別ですね。趣味の領域と言いますか。  5は 思想にかかわっていますが これだけでは 《有効》だとは言えませんね。ニヒリスムは 現実的な思想への迂回過程であると考えています。  4は   ★ 客観的真理の探求  ☆ が 《理性信仰》の問題だと理解します。ので それに対して 批判的な立ち場に立つことは わかります。分かるのですが それだから 《客観的真理の探求》ではなくて 理性信仰の淵源が 《ルサンチマン》にあるというのは 一面的であるように考えます。  それは ルサンチマンを感じなかった人はいないと思われますし そこから 虚構の世界における解決を 物語のように編んだとしても そこまでは ふつうのことであると考えます。外から中に入って来たものとしての《心理》 情況の中にいる登場人物そのものとして味わう《心理》 これが さまざまに湧き起こり 持たれたからと言って どうだというのも 思想として 有効なのか わたしは 疑問を持っています。  3ですが これは 残念ながら よく中身がつかめません。つまり 全部を読んだとか分かったとかには至っていませんと告白せざるを得ません。『反時代的考察』などですね。留意します。  率直にお応えしました。何かのきっかけで 思い出して その展開があるかも知れません。ないかも知れませんが ありがとうございました。

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     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。

  • 再考: 《神は死んだ》か?

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第十章 《神は死んだ》のか  ▲ (ヰキぺ:神は死んだ) ~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0  (あ) 神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。  (い) ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~    問い‐1. 《ニヒリズム》とは どういう思想ですか?   (う) こう問うわけは 虚無志向というのは あくまで往復の道があって 当初はその虚無の国行きだけの片道だと思っていたとしても けっきょくには 復路もあるとなるはずではないか。だから いったいそれとして言わば独立した思想があり得ますか? という問いです。   問い‐2. 《神》は 果たして《死ぬ》ものか? つまりいつか・どこかで《生まれた》ものか? きわめておかしな表現であると考えられるのだが どうか?  (え) 《価値観が消滅する》という意味で《死ぬ》と使っても むろんおかしくはありませんが。    問い‐3. この場合に《現実の生・世界が無価値・無意味になり》というのも おかしな表現(思惟)ではないか?  (お) なぜなら もしそれがほんとうだとしたら 《キリスト教的な神や価値観が〔無いところでは あるいは〕、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰》が無かった土地とそこに暮らす人びとにとっては もともと昔から《現実の生・世界が無価値・無意味》であったとまわり回って言っていることになる。のではないか? そんなバカな話があるのでしょうか?  問い‐4. ▲ (い) ・・・ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ☆ だからと言って 《超人・大地・大自然》を あらたな神のごとくに持ち出せばよいというものではない。はずだ。どうか?

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてその熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。