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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教の名の下に起こる、犯罪、争いについて。)

宗教の名の下に起こる犯罪、争いの真相とは?

kigurumiの回答

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  • kigurumi
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回答No.12

No.7です。 >「ことば」というものは人それぞれの受け止め方をされてしまうんですね。 >それが原因で議論がかみ合わないという状況が生じてしまうのでしょう。 ジミー・カーターって人。 『議論の的が何であれ、クリスチャンは適当な聖書の言葉を強調し、その言葉の普遍性を主張することによって自分たちの意見を補強することをしないわけではない。しかしそれは、聖書を利用して個人的な好みを合理化しているにすぎない。「神と私は正しい。私たちに同意しない人はだれであれ間違っている。」私がいつも憂慮するのはこうした「正しい信者」である。』 これは何もクリスチャンだけではなく、一般人にも言えること。 良心の働きが無いと、争いになり 戦争になる。 『残された道は、プラグマティックな目標に焦点を絞ることだ。その目標とは、戦争を回避し、苦痛を軽減し、残酷で圧制的な体制のドアを開き、前向きの変革をもたらすことである。多くの場合それは、権力を掌握している者が     <どれほど嫌な相手であろうと、私たちが対話を厭わない時> にのみ可能となる。 対話を厭わない気持ちのみが、私たちに妥協の余地を見出させる』 というのを聞いてどう思うでしょうか。 私、何度かクリスチャンと聖書の解釈について意見の不一致があり、「おかしくないですか」と突っ込みを入れると、クリスチャン それに対して返事をしてくれず、「あなたに神の祝福を」と書き逃げされるんです。 「そんなの求めてない、私がさっきから求めているのは説明」なわけですが。。。 なんで、説明の要望に関して答えてくれず祈られるのか???? 私の要望がうまく相手に伝わらなかったようで、私が神の祝福を求めていると思われてしまったのか? ・・・。 そんなわけないですね。 逃げ口上。 私は相手に逃げられると毎回思っちゃうんです。 「出てきておきながら、答えられないと逃げるとは・・・でも相手にしてみれば、それ以上つっこまれても知らないものは答えられないのだろう。知らないと言う勇気 持って欲しいなぁ」と。 要するに『「だって聖書に書いてあるから」 「私がそう言うようになった原因は、聖書に書かれているからです。意味など知りません。聖書に書かれていなければ、私はそういう事は言いませんでした。 責任は聖書であり 私ではない。だから私に聞かないで』ってわけでしょ? 危険だ。 こういう人だと、自分の所属するグループの中で、パワーを持った人がその人に命令すると、その命令を「だって聖書にそう書いてあるから」と同様に扱いその命令を良心のふるいにかけることなく実行できてしまう。 『君は根拠の無い噂を流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。君は多数者に追従して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追従して証言し、判決を曲げてはならない』 で、それをやった場合 どうなるか。 ホロコースト。 だから やっては駄目だと古代の賢者は言っていたわけですね。 やってしまった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%9E%E3%83%B3 『裁判を通じてアイヒマンはナチスのユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従った」だけだと主張した。』 良心なしに 「上の命令を実行したまで。」 「上が私に命令しなかったらやらなかった。」 「だから私が悪いんじゃない」 って主張なわけです・ 上が悪いんじゃなく 良心の不在 が原因でしょ? 一党独裁だったから、選択の余地は無かったのかもしれませんが。 >まずは言葉をどう受け止めて使っているか。そのところを分かり合ってこそ議論が成立するように思えます。 んーー あくまで私が思うことなのですが、、、 言葉じゃなくて、良心を働かせ行動するかどうか じゃないかと。 どれほど嫌な相手とも、対話しようと働きかける行為が、ルーアハの出現じゃないか と。 敵対する相手をボコボコにして追い出して、もう懲りて来ないだろう と思ってたら、また やってきて「あの~」と接触を試みてきた場合、ただの馬鹿と呆れるか それとも。。。。   「こりゃ 一度 席をもうけて話しだけでも聞いてやろう」って少し歩み寄るじゃないですか。 そうなると、内から外に吹いて入ることを妨害していた風が止む。 凪になり、入れる。 凪いだ状態でテーブルに着けば、暴風の時はできなかった和解に達することができるかも。 それは、言葉もいらない。 信頼 というか 少なくても「どうやら相手は自分に危害を加えたり、自分に不利になるようなことを押し付けようとしてやって来ているのではなさそうだ」となり、相手に対する見方が今までとは変わってくる。 態度を軟化させても大丈夫だとなる。 磁場に両者がひっぱられ、同じテーブルで食事をするようになる。 そしてやっと「このままだと、アメリカによる爆撃を受け、これだけ損害が出ると見込まれます。」とデータを提示され、「でも この条件を受け入れれば、これだけ損しますが、これだけお得も得られます」と説明される。 「これを言いたくて何度もドア叩いていたのか」となり「で お前はどうするべきだと思う? その条件を飲むと国民は納得せず私を支持しなくなる」と言われたら、「その懸念も計算済みで、綿密なプランを練ってきました」と商談に入るわけです。 で、敵対する勢力の人だけど、ジミーカータが出てくると、腹を割った話し合いをした相手なので、敵国の代表は門前払いにするが、この人のアドバイスだけは一応耳を貸すようになる。 お互いの中に良心が磁場(西洋の宗教の場合 神 が適切かな?)にひっぱられて、敵対していた者同士が、いつかは和解に至れるようになるのではないか というのがジミーカーターの信仰の証なわけです。

yy8yy8az
質問者

お礼

私が質問に使った「良心」という単語について、いろんな意味を含ませることができるのだなぁと思いました。ただ単純に‘やさしさとか’という補足をつければ皆さん共通の認識の下での議論が成り立つのかと思っていたのです。 例えば子どもの心に、さっき虫を殺しちゃったけどかわいそうだったなぁ。もう殺すようなことはしないよ。と云う様な心情を「良心」という言葉で表現していたつもりだったのです。 でも大人になりきってしまった皆さんは、社会人として道徳的価値観に基づいた「良心」を想定しての回答でした。理性で納得できる「良心」が必要だったように思います。 きぐるみさんは、私が言わんとするところを、理解してくださったようで、まことに心強いメッセージでした。豊富な知識をもとに、そして私とは違った観点から、「良心の不在」を指摘した論は知識人にはよきメッセージとして受け入れられるのではないでしょうか。 言い回しが独特なのでちょっと分かりづらいかなぁ。 回答ありがとうございました。

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