• 締切済み

宗教って

宗教が悪の根源だという人がいれば、いやいや宗教は人の良心の発露だ、という人がいます 考えてみると人の歴史は宗教による違いから戦争が起き、数え切れない人が死んできました。十字軍、サンバルテルミ、イスラム教ならジハードかたった紛争もあった…差別も生んだ…9・11も… 逆に人の心をすくうこともあった…商人はカルヴァン派の教義に助けられた…批判されたこともあったけど…18世紀以降、迷信や信仰を禁止し理性を重視しても、争いはとまらなかった…むしろ激化したかもしれない でも修道女だったマザーテレサはノーベル賞をとったし、歴代の教皇の発言が平和の一助になったこともあったかもしれない…それに何より宗教がこれまで多くの国を一つにまとめあげたという事実がある。 皆さんはこれからの未来、宗教は必要だと思いますか? また実際問題、未来に残されると思いますか? (私自身は無宗教です。あと例として書いた文章に誤りがあったらご指摘下さい。世界史わすれかけているんで)

noname#203608
noname#203608

みんなの回答

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.4

創価学会 壮年部の者です。 先ず、『宗教』という言葉自体は、明治初期に広まった言葉です。 さらに世界の人から見る宗教観と日本人の宗教観には違いがあるということです。 これは、もちろんその方の信奉している宗教も大きく関連している事ではあります。 広義において、日本人は『宗教』ということについて、あまり良い印象は持っていないかと思います。これは、実に『宗教』を語れる人が極端に少ないからだと思います。要するに、日本に存在する宗教には三種類あって、永く権力の基に利用され、封印されてきた事実もあり、広く宗教が何たるかは人民に知らされず、教育もされずに来てしまったのです。 日本に現存する宗教を分類すれば、次のようになるでしょう。 1.日本古来より引き継がれているもの。 2.仏教の伝来によって確立されたもの。 3.西洋よりもたらされたもの。 ※そして、これらを母体に新に開かれていったものがあります。 『そもそも、宗教とは人間にとって何か??』といった、根本的なところから話しを進めていかなければなりません。 宗教というものは、森羅万象の現象と一個の人間との関係を表し、説いたものです。 そこには、【法(法則)】が存在するということです。その法の力により、人間は『善』にも『悪』にもなるということです。正しい法を基に考えれば、人間の苦悩は解決され、自ずと『どう生きるべきか。どう行動するべきか』は導かれてくるのです。そして、自らを善の方向へと変革し、他人にも慈悲の心を持って接する事ができるのです。 多くの宗教は、この関係性を説いていません。原因を自らの内側に求めるものではなくて、外に求めてしまう。これこそが最大の不幸の原因であり、武力により他者を殺めてしまう一因と成っているのです。多くの争いは、直接的な宗教による物ではなくて、不完全な宗教観によりもたらされた、一人の人間による傲慢によるものなのです。所詮はそういった人間による自分の利益の為の行動なのです。そして、多くの民がその行動により犠牲になっていることも事実です。しかし、これらは全く関係が無い事ではないのです。そこには、『業』があり因果はことごとく存在するのです。

noname#203608
質問者

補足

ん…? つまり創価学会さんがすごいって話ですか? 私の質問は…

  • ALFa8C
  • ベストアンサー率26% (315/1187)
回答No.3

文明に生きる以上、それが哲学や思想なら、必要というより必然でしょうか!? 日本は自然崇拝~皇室[神道]が生まれ、後に仏教、キリストが伝わり多少の弾圧があったものの受け入れて行った… … 縁日や神棚、仏壇、墓石~ひとそれぞれに、特定の団体会員でなくともなにか影響は受けています! …ここから蛇足ですが、 お寺だらけの京都にキリスト英語塾を創設した新島襄なんか新しい時代の思想家だったのでしょう。 … 我が国ローカル・イデオロギー“東大”もある意味『信仰』ですよね… ※公○党なんかは政教一致の集金団体と揶揄されつつも自民や民主にも支持団体があるので~所詮はご都合主義、同じ人間がやってる以上、政教分離は有り得ない?でしょうね…

回答No.2

 宗教でも無宗教でも、世のため人のためと思う気持ちを忘れ、独善に陥ったらそこで終わりだと思います。  必要なのは宗教か否かではなく、人の苦痛や苦労を思いやる想像力と、そこに自分も関わっているという当事者意識です。  立派な宗教家というのは、教義よりも人を重視します。  宗教が嫌いで無宗教という人は、主に宗教の硬直した考え方を嫌います。  宗教は人のために生み出された。  人が宗教のためにあるのではない。  それがすべてだと思います。  人のためにならない硬直した宗教観は未来に残らないし、残るべきではありません。  宗教それ自体や、人道的側面は未来にも残るでしょうが、原理主義的、排他的要素は削除されるべきです。

noname#203608
質問者

お礼

そういえば…具体的には忘れてしまったんですが、マザーテレサもカトリックの教義に反することをしていた、という話を聞いたことがあります… それも人を重視した結果、ということなのかな…

noname#175120
noname#175120
回答No.1

諸刃の剣でしょうね。 もちろん多くの宗教は正しい道を説くものだと思ってますが、一部に排他的、狂信的かつ強行な連中がいる。 あるいは宗教自体を自分や組織の利益の為に利用しようという連中がいる。 これが問題なのでしょう。 そういう意味では寛容な日本人は案外正しい宗教観なのかも知れません。 本来自然崇拝から生まれたものだと思います。 自然への経緯と畏怖ですね。 そこから生まれた原始宗教が分派するうちに布教という目的の為に神を一神教に具体化し擬人化した…そういう流れなのだと思います。 外国人から見ると日本人の宗教観は曖昧で原始的らしいですが、ある意味で原点だとも言えるでしょう。 キリストだろうとブッダだろうと取り込める寛容さを持っています。 クリスマスで盛り上がって正月は初詣にってのはある意味での宗教的寛容さだと思いますよ。 なんたって鍋釜にも神が宿るって宗教観ですから…。

noname#203608
質問者

お礼

去年は先輩が2人ほどそれぞれカナダ、イギリスにたちました そこでよく聞かれるのが日本人の宗教観だとか… やはり外国の方からは奇異に映るんですかね…

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  • カレイドスコープ様ですが、クリスチャンの方はどう?

    ローマ教皇は、クリスラムを宣言して世界統一宗教を目指すことを明らかにした (中略) このように、「世界統一政府」「世界統一宗教」・・・ グローバル・エリートの計画が着々と進められていることは、誰が見ても分かるはずです。 何も感じない人は、先々、少しマズいです。少し頑張って情報を 自分で精査する習慣をつけてください。 生きてはいても、それは「人」という生物として生きているだけであって、 魂の抜け殻のただの“労働資源”として生きるだけになってしまうからです。 世界は、優生学による種の選別と人類淘汰に向かっています。これは明らかなことです。 こうした話は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教とアブラハムの三大宗教と、 ほとんど縁のない日本人にとっては、ピンと来ないと思います。 私もそうですが、ここを調べて知識を蓄えないと、世界がこれから、 どうなっていくか、まったく予想できなくなってしまうのです。 このブログでは、2010年初頭から、グローバル・エリートによる 「世界宗教」と「世界統一政府」の樹立について警告してきました。 おそらく、数百回は警告してきたでしょう。 何をどうやっても洗脳から覚めることができない日本人、そして世界の愚かな人々によって、 悪魔的な政治家たちを許し、とうとうここまで引き寄せてしまった・・・ TPPを始めとする他国間条約、安保法案はもとより、原発を含む核問題、教育・ 少子高齢化問題、エネルギー問題、環境汚染問題、食料自給の問題、 遺伝子組み換え食品問題、ワクチン、パンデミック、資本市場崩壊・・・ すべてが、この「世界宗教」と「世界政府」に収斂されていっていることが 如実に分かるようになってきました。 簡単に言えば、主にですが、AMERIKA株式会社の大株主による 「世界宗教」と「世界政府」のことです。 AMERICA合衆国ではなく、AMERIKAです。アメリカと日本は二つあるのです。 国連ではしゃいでいたのは、AMERIKA株式会社の代理人であるオバマと、 日本ではなく、NIPPON株式会社の代理人である安倍晋三という男です。 彼らのカラ騒ぎの延長線にある末端のゴールには「全地球ロボット化全体主義の世界」 が待っています。 それは、FEMAの創設者であり、オバマのお師匠さんであるブレジンスキーが提唱する 「人類ロボット化社会=テクノトロニックの世界」であり、レイ・カーツウァイルの トランスヒューマンの世界のことです。 そんな馬鹿な! いえいえ彼らは大まじめにやろうとしているのです。その第一歩が脳内インプラントです。 こうしたことは、何とか世界支配層の末端にでも潜り込もうとしている卑しい男、 ジャック・アタリ自らが語っていることです。決して絵空事ではないのです。 そして、それは目の前まで迫ってきています。 (詳しくはブレジンスキーのテクトロニクス戦略) その過程では、共産主義者の偽装の衣を来たテロリスト(イスラム国のような)や、 もちろん、オバマや、これから話の中心となるローマ教皇フランシスのような マルクス主義者が、その道程で活躍する局面があるのです。それが今です。 ピラミッドの頂点には、「1%」の中のさらに「1%」が統治体として君臨し、 「全地球ロボット化全体主義の世界」を管理するのです。そう、ジョージ・オーウェルの 「ビッグブラザー」の世界です。 これはもう確信的ですが、日本の官僚は外務省(アメリカン・スクール)をはじめとして、 新世界秩序の推進側に立っているので全体像が見えません。というか、 保身が盲目にさせているのです。彼らは、大昔に自立的思考を放棄してしまいました。 ここまで、さまざまな事象が現れているのに、まだ新世界秩序の姿が見えない日本の政治家、 学者、ジャーナリストたちはかなり深刻な人々です。彼らは本物の白痴なのでしょう。 さて、世界政府の輪郭は、かなり見えてきたので、ここでは、 「世界統一宗教」について書きましょう。 今回のローマ教皇の訪米では、バチカンが新世界秩序(NWO)の 総本山であることが白日の下に晒されました。 世界中のクリスチャンは狼狽し戸惑いを隠すことができません。 とにもかくにもローマ教皇フランシスコは9月25日の朝、国連総会で演説を行いました。 ところが、本当の問題は、その前日の24日、マンハッタンで行ったスピーチの内容です。 (中略) ローマ教皇フランシスコが、キリスト教徒とイスラム教徒がまったく同じ神を崇拝 していると信じていることは明らかです。 それは、教皇が、2014年に戻って、最初に「コーランのイスラムの祈りと読本」を バチカンで許可した理由を上手に説明してくれるのです。 カトリック教とイスラム教は、全世界で最大の宗教です。 世界中の宗教を一つにまとめ上げようとすれば、どんな場合でも、 キリスト教、イスラム教を取り込まなくてはなりません。 残念ながら、ローマ教皇は、そのような世界統一宗教を打ち立てるために、 その礎を築こうとしています。 教皇フランシスコは、マンハッタンのセント・パトリック大聖堂で行った、 この世界中のキリスト教徒を驚愕させた演説の他にも、さらに驚くべき発言をしたのです。 この教皇は「十字(イエス・キリストの犠牲)」は失敗だったと考えているようです。 教皇は、この声明を終えた後、「十字」が究極的には偉大な勝利であることを 説明しませんでした。 彼は、そこで話を終えて、そのまま次の話題に移ってしまったのです。 言うまでもなく、この事態に聴衆であるキリスト教徒は動揺しています。 多くの洗脳されたクリスチャンにとっては、これが最後の目覚めのチャンス 少し解説を加えます。 ローマ教皇フランシスコーーが言った、 「ときとして、われわれの努力と営みが失敗し、なんら実りを生み出さないとしても、 人として言うならば、結局は、(全人類の罪を背負った)十字の(非業の死)は 失敗に終わったとはいえ、私たちがイエス・キリストと、その生涯の支持者であることを 思い起こす必要があるのです」・・・ この言葉は、真剣なクリスチャンにとっては、信じられない驚愕の言葉なのです。 マスメディアは完全に封印しています。自分でネットで調べない限り、 このおぞましいフランシスコの正体を知ることはできません。         彼は、間違いなく悪魔崇拝者です。 「人として言うなら」と言っていますが、教皇は、イエスは神の子ではなく、 ただの煩悩に翻弄される凡俗ー「肉の人」である、という前提で語っているということです。 つまり、「イエスは、ただの人間であったが、すべての罪業を引き受けて 磔刑に処せられた努力は認めてあげようじゃないか」と言っているのです。 そして、クリスチャンを始め、すべての人は、あくまでもイエスが「肉の人」 に過ぎなかったことを、しっかり認識したうえで彼を支持しよう、と言っているのです。 (中略) バーバリアン・イルミナティーは、数世紀にわたってバチカンと戦ってきました。 バチカンを崩壊させるために、彼らは、さまざまな手法を駆使してきました。 その一つは、独自の聖書の解釈による「イエス・キリスト輪廻転生説」です。 グノーシスでは、「生まれ変わり」を信じており、イエスの復活は、 ただの生まれ変わりに過ぎない、としています。 (中略) ローマ教皇フランシスコは、学生時代から共産主義にかぶれていたと言います。 そして、彼は、イルミナティーのイグナチオ・デ・ロヨラが創立したカトリック教会の 修道会であるイエズス会の出身です。 (イグナチオの同期に、日本に派遣されていたフランシスコ・ザビエルがいます) (このイエズス会こそが、NOWを目指して来ている裏社会のマフィア勢力の 『総本山』と言われています) イエズス会は、もはやバチカンをも内部からコントロールしており、 同じくグノーシス主義であるフリーメーソン(P2)が入り込んでいることは周知です。 (中略) クリスチャンは、これからどうする? (中略) なにより、「ナチスに学んで、日本の公営水道のすべてを民営化して、外資に売り渡す」 と宣言した麻生太郎や、子供の実験台を大量につくるために、 「放射能など気にせず、子供を外で遊ばせなさい」と無知な福島の保護者を説得して 回った山下俊一が敬虔なクリスチャンだというのです。 こんな悪魔そのものの男たちでもクリスチャンとは、これいかに。 驚いたことに、クリスチャンは、彼らに対して何ら疑義を唱えません。 いったい、日本のクリスチャンは、創価学会員と、どこが違うのか。 どういうわけか、クリスチャンには新世界秩序(NWO)の日本支部・ 自民党の支持者が多いのです。 下の動画には、両手でコルナサインをつくって高々と掲げている自民党の議員が映っています。 (画像省略) 世界中の司祭の手元には、ローマ教皇フランシスコの出した回勅(かいちょく)が 届いているはずです。 今までどおり、目をつぶって異教を信仰するのか、それとも、フランシスコの回勅に 忠実に従って、イスラム教やユダヤ教徒の合一に進んで「世界統一宗教」を受け入れ、 新世界秩序に協力するのか。 それとも、まもなく日本版FEMA創設に取りかかる自民党を相変わらず支持していくのか。 それとも、FEMAの恐怖をひたすら煽って、すたこらサッサと逃げるのか。 「こんなこと、遠い世界のことで、日本には関係ないじゃん」ですって? それが大あり。マイナンバー制の全貌が分かったとき誰もが蒼ざめるでしょう。

  • 「100%」不幸になる宗教は?

    創価学会の本尊は、日蓮正宗の本尊を写真に撮って、コンピューターで「写真の画像を改ざん」して勝手に作った「パクリ・改ざん」の「ニセ本尊」です。   この「ニセ本尊」を拝むと災いを呼び寄せてしまいます。  だから創価学会員は 「 例外なく 100% 」 不幸になるのです。 改ざんだらけのニセ本尊 https://www.youtube.com/watch?v=r0Qmcci0L6U 今の創価学会は戸田会長時代と真逆です。 http://dakkai.net/01main/toda.html?fbclid=IwAR3-tAo0FB1DUQW03JGB_Sttfc5TBQ28wbIqkGH9GCenpa9eGXqdjYh3pgs だから、創価学会で「永遠の指導者」と崇められている 初代会長「牧口常三郎」の子孫一族も 第二代会長「戸田城聖」の子孫一族も 全員が日蓮正宗信徒で、創価学会員は一人もいないのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本来の創価学会の指導を読むと、破門後の創価学会が日蓮大聖人と何の関係もない邪宗教であることがわかると思います。 「折伏教典 昭和43年9月16日 改訂29版発行 発行所・宗教法人 創価学会」 ・勝手に作製した本尊に題目を唱え、どれが大聖人の教えにかなった本尊であるか全く知ることができない。ゆえに仏法を求める人は、ただ「南無妙法蓮華経はありがたい」と言って「一番大切な信仰の対象たる本尊」を知ろうとせず、邪宗邪義により「地獄」に落ちていくのが現在の「南無妙法蓮華経」を唱えている宗教である。  ・大聖人のご生命たる「御本尊」が根本である。それが違っていて、どうして題目だけでよいといえようか。本尊を誤れば、たとえ題目を唱えようとも「無間地獄」疑いないのである。大聖人のご本懐は弘安二年の「本門戒壇の大御本尊」の建立である。 ・南無したてまつる本尊であるから、ご相伝により代々の御法主がおしたためあそばされるものであり、三大秘法抄・観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な本尊を拝むことが大きな誤りであることがはっきりわかるのである。邪義邪宗の「不相伝」の者は、仏法の深義に迷い、本尊に迷うのである。 ・御本尊をマネた本尊(付属のないもの)は、「偽札(にせさつ)本尊」という。信仰してもよくならないと「信仰が足りないからだ」と無知な信徒のせいにする。それを対象として、どんなに拝んだところで幸福はなく、かえって悪道におちいるのである。 「御義口伝講義(上) 昭和40年6月1日発行 著者・池田大作 (P.711)」 ・折伏とは、大聖人が出世の本懐として御図顕あそばされた「本門戒壇の大御本尊」を知らしめて苦悩の民衆を救うことである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これが本来の創価学会の主張でした。  しかし、今の創価学会は「正反対」のことを言っています。  創価学会は「日蓮仏法」を語っていますが、実際は仏法でも法華経でもない「最悪邪教団」になったのです。  しかし、創価学会は正しい仏法を信仰していると無知な会員に信じ込ませるために、日蓮大聖人の教えを巧みに歪曲し、創価独自論と混合したものを教義とし、会員をあざむいています。 創価学会は、そのような「隠蔽(いんぺい)・詭弁(きべん)・欺瞞(ぎまん)・偽物(にせもの)・詐欺(さぎ)教団」なのです。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 創価学会の信仰をすると、次第に次のようになっていきます。 ●なにもかも上手くいかない ●引きこもり ●うつ病・精神の病 ●自殺・自殺未遂 ●お金を騙し取られる ●事故に遭い後遺症に苦しむ ●借金の返済に追われる ●税金を滞納するほどの経済苦 ●家庭不和・子供の非行 ●酒や薬物などの中毒 ●原因不明の病気に苦しむ ●心身の病気が全然治らない ●陰湿な人間関係に悩む ●就職先がブラック企業 ●犯罪加害者・犯罪被害者 ●暴力団と関わる ●人格破綻者 その他にも様々な不幸に悩む人が大変多くいます。 創価学会では会員に対して、これらの不幸は「魔(ま)」や「法難(ほうなん)」だと教えていますが、これらの不幸は、けっして魔や法難ではなく、最悪邪教団にいる罪の罰を受けているのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平成26年11月8日の聖教新聞で、創価学会が正式に「本門戒壇の大御本尊」を否定しました。 http://nishidaisenji.jp/wp/?p=23 日蓮大聖人の出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を否定したのですから、大聖人の仏法を否定したことになります。 これは「日蓮大聖人の御命」に弓を引いたのと同じです。 日蓮大聖人は、「本門戒壇の大御本尊」および「本門戒壇の大御本尊を信ずる人」を誹謗する者は、頭が破(わ)れ、心(精神)が錯乱すると御教示されています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以下の動画を観て皆さんはどう思いますか? 感想を教えてください。 1、創価脱会壮年「学会が戒壇の大御本尊への信心を捨てたことを激しく憤る」 https://www.youtube.com/watch?v=XcsmoLH_-D0&feature=youtu.be 2、池田大作氏は「戒壇の大御本尊は信仰の根本。未来も絶対に変わらない」と指導。今の学会は完全に真逆。この矛盾が分からない者はただの愚者。 https://www.youtube.com/watch?v=ogX_VQUhbYw&feature=youtu.be 3、「戒壇の大御本尊こそ根本」をあっさり覆す創価執行部は絶対に信じられない。 https://www.youtube.com/watch?v=c7B5KBdoSiY&feature=youtu.be 4、長年教えてきたことを完全に覆す創価に心底幻滅し怒りを覚える。 https://www.youtube.com/watch?v=3LX5E7cgibU&feature=youtu.be 5、”永遠の指導者”であるはずの戸田会長の全集を絶版にする創価。この矛盾に気がつけないのは余程の愚か者。  https://www.youtube.com/watch?v=A0mDmiecdwM&feature=youtu.be 6、日顕上人に不審・不満があったとしても「戒壇の大御本尊」は戸田会長時代から何も変わっていない。なぜ今になって信を捨てるのか。 https://www.youtube.com/watch?v=ZNy7b4Ko7xE&feature=youtu.be 7、池田先生の永遠の指導「信心とは戒壇の大御本尊を信ずることである。」では今の創価は信心がないっていうこと? https://www.youtube.com/watch?v=vj-ZW4qtS6c&feature=youtu.be 8、「天に二日なし」一貫して正しい宗教は一つしかない。教義豹変する創価が正しい宗教である訳がない。 https://www.youtube.com/watch?v=H3JyFXPsPVE&feature=youtu.be

  • キリスト教を信じておられる方に質問です。

    キリスト教を信じておられる方に質問です。 下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。 (1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり 愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く 明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの 不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。 (2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑多元化している 事実。 (3)キリスト教では、よう信仰が深まれば死に 直面しても驚かないとか、不安に耐えうるとかいってるが、それはすべて あきらめの結果であるのではないか。 (4)キリスト教には現実の生活を変える力がない。生活の 苦悩をいいわけする論理をくみ上げてあるだけである。 現世の宿命すら 転換することができないのだから、まして天国などという来世の保証など およびもつかぬ話である。というのに反論できるのでしょうか。 (5)宗教の究極である生命に関して、 紀元前4年に誕生したキリストの母は、処女マリア、 父は神であったという。 そして三十歳ではりつけになったキリストは、三日目に 復活し、1ヶ月後には昇天したとしている。 たんなる科学の常識から考えても、 まことにバカらしい話であるが、キリスト教では、これをそのまま信じている人も あれば、宗教上の一表現として、合理化した解釈をたてたりしている。 しかし どんな理屈をつけようと、宗教の教義は万人の納得する普遍妥当性のある哲学 でなければならない。仏法は生命とは何か、死後はどうなるか、原罪の幸、不幸はなにによって決ま ったのか。 こうしたらあらゆる生命の状態を、因果のうえから解き明かし、そのうえ で原罪の宿命を打開し未来の宿命を開いていこうとするものである。仏法に劣る教義ではないか。 (6)敵を愛せよというキリスト教が、教会に対立したガリレオ等、多くの科学者を迫害してきた事実。 (7)日本のキリスト教の町、長崎に、真っ先に原爆が投下されたこと。 (8)日蓮大聖人は竜の口で命におよぶ難に勝たれたが、キリストの死は悲惨きわまる横死であった。 (9)キリストの予言は1つよして実現していない。 (10)世界教会運動が提唱されているほどの内部不統一は、教義が無力だからではないか。 (11)清貧、精神愛を説きながら、ローマ法王庁が示してきた膨大の権力、圧政の歴史ついて。 (12)キリスト教各派中どれが正統主義のキリスト教か? 他派はみな邪義をかまえ、キリストに背く罪深き人になる道理だが・・・・。 (13)法の無力をカバーするために盛んに社会事業を行って民衆を迷わせているのではないか。 拙問ですが、おねがいします。

  • 無宗教も宗教なのか

       ある人の考え。 無い神は有るとゆー。 無い神も有る神も等しく神であり同じであるとゆー。 無神論は無い神を信じる宗教であり、無宗教も宗教であるとゆー。 多くの日本人は神にも宗教にも関わりたくないとゆーておるのに、無理やり無い神を持ち出してきて神と関わらせよーとする。 まるでカルトの引っ張り行為である。 結局初めに神が存在せねばならず、神なくしてこの世は成り立たず、全てを神によって語ろーとしているのである。 無神論を含めあらゆる人の活動は宗教活動であると見なすのである。 このよーな考えは何から生まれるのか。 何故このよーに考える必要があるのか。   

  • 【宗教と無宗教】

    【宗教と無宗教】 無宗教者の良いところは何でしょう? 宗教家の良いところは何でしょう? 無宗教者の悪いところは何でしょう? 宗教家の悪いと事は何でしょう?

  • 宗教と宗教学について

    宗教と宗教学のちがいとは何でしょうか? 宗教学は宗教現象を客観的に観察し分析するということは講義で聴いたのですが、それは具体的にはどのような事なのでしょうか。 よろしくお願いします