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目が射られる?
>強い光に目が射られた この表現はおかしくないでしょうか? また、 >強い光に目が に続く言葉として他にしっくりくるものがあったら教えて下さい。 「とてもまぶしい」ということを表したいのですが。 (「目を」になってしまってよいです。できれば「目が」の方がいいのですが)
- keririn
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ふと思ったことがあったので再登場。アマチュア作家です。 小説で使おうと思ってらっしゃるのでしょうか? もしそうなら、その文脈が安っぽい感じになってしまっているのは、「射られた」という単語ではなく「強い光」という言葉に原因があります。 強い光といっても、実際にはこの世にはさまざまな「強い光」があり、これだけでは「どんな風に強いのか」が表現し切れてないのです。 蛍光灯の光でも、近づけば充分に目をくらませる力はありますし、太陽の光だって、慣れてしまえば別にくらんだりもしません。 たとえば、気がつくと手術台に乗せられていた、というシーンがあったとします。 このとき、「不意に目の前に眩しい光が灯った」では、どの程度眩しいのかが分かりません。テレビの向こう側の手術台を見ているような感じです。 このとき大事なのは、見た結果『どう思ったか』で、「まぶしい光に視界はすべて白濁し、痛みに涙が溢れた。このまま失明してしまうのではないか、という根拠のない不安を彼は覚えた」といったふうに、多少主観的な描写を入れた方が臨場感は出ます。
その他の回答 (4)
文法的にはおかしくないですよ。 ただ、日常生活で使うような表現ではないとは言えますが。 臨場感が欲しいなら、「光に目は焼かれた」とかでもいいような気もします。
お礼
ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。
- wagtail
- ベストアンサー率34% (9/26)
ちょっと変わってしまいますが・・・ ”強い光が目を射した” では、どうでしょうか?
お礼
ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。 ただ、まさにその瞬間のこと表現する言葉としては、 いまひとつしっくりこないものを感じています。 まだ、「強い光が目に入り込んできた」くらいの方が臨場感があるような気がするのですが……。 まだまだ、的を射た言い方があるような気がしてます。
- layer13
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やはり「くらむ」でしょう。 大金に目がくらむ。とかも有りますけど、くらむには、 強い光を突然受けて目が見えなくなる。 という意味も有りますから。
お礼
ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。 で、ちょっと質問の表現がまずかったみたいで、 1. 強い光が目に到達する 2. 1.の結果苦痛を感じる こんなふうに考えた場合、1.の状況を表す表現を知りたいという感じでした。
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お礼
ありがとうございました。 >小説で使おうと思ってらっしゃるのでしょうか? そういうことではありません。 >強い光といっても、実際にはこの世にはさまざまな「強い光」があり、 「強い光」というのは例文用として適当に持ってきただけのことです。 ただ、解説して頂いたことは非常に興味深く読ませて頂ました。