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回答(6件中 1~5件目)
蛇足になりますが、天守閣が再建されなかった理由について。
江戸城には確かに立派な天守閣がそびえていたそうですが、他のかたのご指摘にあるとおり、家光公のときに消失してしまいました。しかし普通ならばそこで天守閣の修復をするところだと思うのですがその次の家綱と言う人のとき、彼を補佐していた保科正之という後見役の立場の方がわざとこの修復をやめさせたそうです。それは(1) 戦国の時代がおわり、戦術的な観点から天守閣の必要性がなくなったこと。(2) 諸大名の財政的な負担を負わせたくなかったからだといわれています。
この保科正之と言う方は2代将軍秀忠の側室の子供だったのですが、当時、正室の「おごう」さんに頭が上がらなかった秀忠のために側近たちが家臣の養子に出したかたで、いわば将軍家といってもよいかたなのですかなり良心的な政治で、抜群の成果を挙げた方です。
投稿日時 - 2002-11-25 00:11:44
皇居は、旧江戸城です。
>城を取り壊した理由。
城は、確かに部分的に取り壊しが行われました。
江戸城は、大きく分けて二重の堀によって囲まれており、内側の内堀に囲まれている部分は、かなり残っています。しかし、外堀と内堀に囲まれた部分の遺構はほとんどありません(現在は、一部神田から市ヶ谷にかけての堀あと、一橋門跡の石垣など見ることができる)。これらは、明治6年から明治政府によってほとんどを壊され、埋め立てられました。この理由としては、1,明治(薩長)政権が、前政権(徳川幕府)の世の中が終わったことを示すため、江戸城の一部を破壊するというデモンストレーションと考えることができます。2,武士の世が終わり、新しい世の中になったことを示すため(日本全国に大名という自治政府がなくなったのだから城もいらないという理論)、3,江戸(東京)の町をさらに発展、開発するために不必要になった防御施設を壊す。4,幕末徳川にはほとんど金がなく石垣はところどころくずれ、主要なところ以外は草がぼうぼうとして、建物の漆喰もところどころはがれ落ちているという状況だったそうで、建物等を維持するより壊した方が金がかからない。以上のような理由が考えられます。
ちなみに、天守閣は3代家光将軍のときにすでに焼失してますが、天主台だけなら今でも見られます。
>どのように城の明渡しが行われたかについて教えてください。
官軍代表西郷隆盛と幕府代表勝海舟の談合によって決まったと言われております。
勝は、官軍がなんとしても江戸を力攻めするならば、江戸町中火の海にして燃やし尽くすという計画をたてたとか・・・勝の意気込みと西郷の懐の深さでこの奇跡的な開城は行われたものと思います。
投稿日時 - 2002-11-24 04:10:30
皇居は江戸城の敷地の一部を使用しています。
現在の宮殿に相当する建物は、江戸時代は大した物が無かった所に建てられています。
まあ、空き地だった所と考えて良いでしょう。
従って、家康が使用していた江戸城を使用しているかどうかは、主観によります。
家康時代の主要な建物だった二の丸の跡地は、公園になっていますし…
そのために、「江戸城の明け渡し」というのも主観の問題です。
徳川家が江戸城を出て、その庭先だった所を天皇が使うようになったのは事実ですが…
幕末の江戸城無血開城については、勝海舟と西郷隆盛が話し合って決めたというのが定説のようです。
それにより、幕臣は命令に従って江戸城から出て、官軍は命令に従って江戸城へ乗り込んだわけです。
一部、命令に従わなかった反乱分子が上野の山に立て籠もって、戦争状態となりましたが…
なお、江戸城も広域な範囲と狭い範囲の2段階になっています。
現在も残る市ヶ谷や四谷の堀の内側が、広域の江戸城ですね。
秋葉原だと、交通博物館の側が江戸城になります。
狭い範囲の江戸城ですと、現在の皇居としての敷地の他に、武道館や科学技術館などがある北の丸公園などが入る地域になります。
江戸城の天守閣は、壊されたのではなくて、明治維新よりもずっと前に火事で燃えてから存在していませんでした。
一の丸は、明治維新の当時には存在していませんでしたが、これは天守閣=一の丸というのが理由のようです。
二の丸が取り壊された時期と理由については、私はよく知りません。
投稿日時 - 2002-11-22 08:51:56
本当です。
江戸城は石垣も門も残っていますから、取り壊されたわけではありません。しかし建物は、度重なる火災でほとんど残っていません。
http://www1.odn.ne.jp/~aaa57280/Tokyo/sakashitamon.htm
http://www6.plala.or.jp/edonokaze/higasigyoen.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~bakumatu/sak23.htm
投稿日時 - 2002-11-22 01:18:11