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大名の位階とは?幕末以外でも見かける従五位上の意味とは?
- 大名の位階で、幕末以外でもたまに「従五位上」というのをみかけますが、これはどういう大名家にどういう場合に叙位されたのでしょうか?四位以上は正従(・上下)ありますが、五位は大半が従五位下朝散太夫なので疑問に思いました。
- 武鑑の記載で、従四位上でも参議の場合は「従四位上 長門宰相殿」と「殿」がついていましたが、正四位上でも中将の場合は殿がついておらず単に「正四位上中将 松平三河守」となっていました。官職名より位階の方がより重視されるものと思っていましたが、そうでもないのでしょうか?民間の刊行物だから曖昧なのでしょうか。それとも当時は位階に関わらず、宰相以上には敬意が格別の払われていたのでしょうか。
- 大名の位階について、幕末以外でもたまに「従五位上」というのを見かけます。これは主に公家や官僚出身の大名に叙位される場合につけられるものです。四位以上の位階には「正」と「従」の区別がありますが、五位に関しては大半が「従五位下朝散太夫」となります。従五位上は従五位下よりも上位の位階であり、公家風の敬意を表すとされています。また、武鑑の記載には、位階によって官職名に「殿」がつく場合もありますが、位階のみを記載する場合もあります。位階と官職名の重要性は時代や文化によって異なる場合があり、曖昧な記述がある場合もあります。しかし、宰相以上には位階に関係なく敬意が払われていた可能性もあります。
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