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読書について

春休みで読書をしていてふと疑問に思ったことをぶつけさせてもらいます。読書の意味って何なのでしょうか?経営や技術等に関する本ならまだしも小説等を読んだからといって収入やスキルアップするわけでもなく、いったい何が変わるのでしょうか?別に小説が嫌いなわけではなく(実際2日に1冊は読んでます)ただ疑問に思っただけなのですが、お答えしてもらえるとうれしいです。 本筋から大きくそれますが小説家は優れた読書家であるべきだというのを何かの本で見たのですが、なぜですか?たくさん読んでその中から他人のアイディアを借用しているのでしょうか? そして最後にたくさん読書してる人が作家になるのでしょうか、それとも他にはない何かを持った人が作家になるのでしょうか? いろいろな話に飛んでしまいましたが回答お願いします。

みんなの回答

  • unikam
  • ベストアンサー率42% (29/68)
回答No.10

はじめまして。 Q.読書の意味って何?読んで何が変わるの? A.「物語を読むのは喜びだから」読む。一般的にどうなのかはよく分かりませんが、個人的にはこれだけで充分な答えになっていると思います。 Q.何故「小説家は優れた読書家であるべき」なのか そもそも本当に「あるべき」なのか、根拠はなんだ、「優れた」とはどういうことだ、質か量かなんらかの能力か気概か、とかいろいろ突っ込みどころはありそうですが、 まずは主題を定め構想を練る段階において、 読書に限らずとも、エピソードや語られたことに触れて「喚起されるもの」を自分で自分の文章に練り上げるのが、小説家のタイプのうちの少なくともひとつではあろう。歴史小説などはほぼ読んだり調べたりしてるうちに構想が芽吹くのでしょうし、ね。アイデアの借用か同一主題の変奏か、パクリかインスパイアかは見方次第(笑)。 そして書きはじめたら、どんな文章であっても資料調べやソース確認の要らないものというのはほとんど無い筈なので、そこでも書物を扱う必要は出てくる。 ゆえに、読書に優れていたほうが小説家としていい、のかも。 Q.そして最後に A.たくさん読んでも何も出てこない人、思うけど書けない人、書いても終わらせられなかったりまとまらない人、完成しても駄文な人は作家にならないでしょう。 作家になるのは書いて、完成させて、それが読めるものであって、出版社に売れるとか新聞に載るとか経済活動に結びついた人、読書したかしないかはある程度相関するかもしれないが因果かどうかは不確かかと。

  • wing1013
  • ベストアンサー率33% (10/30)
回答No.9

小説などを読むことで、「読解力」や「多種多様な表現」が自然と身につくと思います。学生の身分である私には、これが大きなメリットに感じられます。 試験は国語はもちろんのこと数学の文章題など、どれも読解力が絡んできます。また、論文や作文を書く際にも、普段から本を読んでいれば、いろいろな言い回しがおもいつきますしw 学生にとっては、結構重要なことでしょう。 また一般教養として、慣用句表現やことわざも覚えるチャンスだと思います。  >小説家は優れた読書家であるべきだというのを何かの本で見たのですが、なぜですか? >たくさん読んでその中から他人のアイディアを借用しているのでしょうか? ということでしたが、借用というより、「想像力がつく」ということではないでしょうか。想像力が備わることによって、たくさんのアイディアや発想が生まれ、それが人生の様々な場面(特に↑のようなこと)で生きてくるということだと思います。 話がそれますが、ゲームクリエーター(ゲームを作る人)になる人は、「ゲームをするより、読書をした方がいい」なんて話を聞いたことがあります、それも想像力を鍛えるためのようです。 このことと同じなのかも。もちろん、時には過去に読んだ本の引用もあるでしょう、おもに想像力を育てるということだと思います。 想像力の話と関連して、人の気持ちを読み取る「道徳心」も、読書によって育てられる力。【想像力がつく→相手の気持ちを考えられる】 話がまとまらず、ぐちゃぐちゃして、わかりづづらくてすみません^^;

回答No.8

たしかに小説なんかは実用性の面から言えば読む必要あるのかな?と思ってしまいますよね。ただ、私が思うに小説は人生の参考書なのではないかなと思います。小説を通してこういう生き方もあるのか、とかこういう考え方もありだよね、などその後の自分の生き方に多少なりとも変化を与えてくれる材料がたくさん転がっているはずです。それを拾って自分のものにできるか否かは読者次第ですが。そういう自分の人生を豊かにする上での材料収集の場として読書は有意義と私は考えます。(これに関しては読書に限らず映画や音楽などにも同じことが言えると思いますが) それに、小説は普段は体験できないことを追体験できることも魅力的ですね。例えばドストエフスキーの『罪と罰』なんかを読むと人殺しとか普段思ってもみない体験を主人公を通して体験できる、体験した気分になれます。 これって、実際に体験することと同じくらい有意義なもので、そこから色々なことを自分なりに感じ、考えることによって自分の人生を生きていくうえでの参考にすることができると思います。 読書は読む作業も大切ですけど、こういう考える作業もとても大切だと思います。そういう考える機会、題材を与えてくれるという意味でも小説は有意義ではないかなと思います。 特に文学なんかは酸いも甘いも噛み分けた先人たちが、その自分の人生で得たエキスを最大限に注入しているわけですから、濃密であることこの上ないですよね。 ドストエフスキーなんてあの人の人生だけで小説ができそうな波乱に満ちた人生だったみたいですから、そんな人が書いた小説はそんじょそこらでは手に入らない貴重な情報に満ちているはずです。 >読書の意味って何なのでしょうか? この問いの答えは読書人一人一人が見出していくべきものではないでしょうか。自分なりに「読書の意味」を見出した時に、さらに読書が面白くなると思います。

noname#194289
noname#194289
回答No.7

人以外の生物は今ここでしか生きていないそうです。人間も体はやはり今ここでしか生きていないのですが、これは脳死状態のようで人としては生きていないという考えもあるようです。人が何かに関心を持った時に初めて人としての時間が生まれるという考えもあります。読書でも面白い本を読んでいるとき、其の本の内容に即して新しい時間が出現しているのではないでしょうか。退屈というのは時間が出現しないことのようにも思えます。

  • cancer7
  • ベストアンサー率55% (67/121)
回答No.6

2日に1冊読まれるほどの小説好きでありながら、なかなか深い疑問をお持ちですね。 確かにノウハウものと違って小説やエッセイ等は収入やスキルアップには直接は結びつかないかもしれません。 しかし間接的にはいろいろ影響していませんか? 例えば語彙力。小説やエッセイには著者やテーマによって同じ事でもさまざまな表現のしかたがあります。「うれしい」という気持ちをそのまま書き表す方法もあれば表情や周囲の状況等で読者に分からせる方法もあります。「冬の午後2時」という時節を植物で、人の衣服で、天候で表現することもあるでしょう。 そんな表現の宝庫に高い頻度で接するうちに無意識にインプットされたもの、それは仕事におけるプレゼン時の説得だとか友人同士の付き合いにおける感情のやりとりだとかにやはり無意識にアウトプットされているでしょうから、無益だとは思えないのですが。 また文字だけの世界で自由に表情や状況等を想像できるのは読書ならではです。俳優が演じることで表情や声色が、映像化されることで自然や建物がたったひとつに固定される映画と違ってとても自由な分、想像力が高まって心が豊かになるのではと個人的には思いますね。 小説家はすぐれた読書家であるべきだという話は、単純に多くの小説を読んだだけ小説への対し方が分かってくるということではないでしょうか。 スポーツも一般的に練習を積めば積むほど上手くなり、人前で話すこともたくさんこなせば段々慣れて落ち着いて話せるようになります。小説を書くのも同じで、起承転結だ段落設定だ前後のつながりだといった技術が多くの小説を読むことで自然と理解し使いこなせるようになるのだと思います。 アイデアを借用するという考えではなく、好きな作家から学ぶという感覚ではないでしょうか。小説家に限らずどんな仕事でも、周囲の、あるいは尊敬する人のやり方を真似て自分独自のものに昇華していく人が伸びるのが常ですから。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.5

小説を読むことによって、自分では体験できないことや知らない世界を知ることが出来ます。また、それによって、想像力や興味の世界が広がります。 子供の時に読書習慣の無い人は大人になってもなかなか純文学のようなものは最後まで読み終えられません。 普段の勉強も読書もそうですが、「収入やスキルアップがどうのこうの…。」というのは何年も先になってみて見ないと結果は分からないことです。かといって、無駄な結果に終わることはまず無いと思います。 小説家は人のアイディアを借用しては、盗作になります。 読書によって自分の作品に必要な資料を集めたり、どんな内容の小説を書くと読者が付くかリサーチしたり、ヴォキャブラリーや美しい表現を研究したりするのが小説家の読書目的でしょう。が、やはり、もともと読書好きが小説家になるのだと思います。彼らの読書量は二の次で、作家本人のオリジナリティーがもっとも重要だと思います。

noname#98352
noname#98352
回答No.4

私も年に100冊は読みますが・・ やっぱりボキャブラリーは豊富になりますし、特に古い本であれば難読漢字の勉強にもなります。 そして、名言なども知ることが出来ます。そしてその背景も。 何より全く本を読まない人と感受性が違いますよ。心から感動できる本に出会い、読みきった時は生きていてよかったと心から思えますし、映画や漫画と違い自分で頭の中で創造するので頭も少しは柔らかくなるのでは・・? また、例えば恋愛小説などでは悲恋ものだと客観的に見られるため「何故このヒロインは上手くいかなかったのか?自分だったらどうしたか?」と考えることで自分の恋愛において同じことになるのを未然に防げることもあります。 具体的に言うと『風と共に去りぬ』でそう思いました。 また、人種差別などについて少しでも書かれたような小説であれば、それからそのような問題に興味関心を与えてくれるようなきっかけにもなります。だから私は小説の中に批判や皮肉が入ったものが好きです。 もちろん、全く小説を読まない人がいい小説を書けるわけがないと思います。感受性を磨くことはとても大切。それに本って言い回しが独特ですしね。 本が嫌いという人は普通小説家を目指さないと思うので、必然的に本好きな人が作家になるのでは・・と思います。 でも、やっぱり才能は大切ですよね。

  • memoko
  • ベストアンサー率23% (453/1905)
回答No.3

単語や言い回しの選びかたを無意識に習得する。 自分以外の他の人の経験や知識を得る。 自分一人のわずかな人生経験で得られる情報は偏りがありますから。

  • altered
  • ベストアンサー率17% (64/371)
回答No.2

 端的に言って 学術書を読むことは「著者と一緒に考えること」 小説を読むことは「著者と一緒に感じること」だと思ってます。 普段感じていたことを上手く表現してあれば嬉しいですし 知らなかったことなら世界が広がった感じがします。 小説家がたくさん本を読むのは、勿論好きなのと 優れた表現に触れて勉強する為だと思います。 たくさん本を読んだからといって小説家になれるとはかぎらないと思います。 まさしく、他にない何かを持った人が作家になるのでしょう。 (個性のない小説など全く読む気になりません)

  • x84830
  • ベストアンサー率45% (23/51)
回答No.1

質問が多岐にわたってますが、全てにはお答えしかねるので 「読書の意味」について思うところのみ。 ・字面から、イメージや場面を頭に思い浮かぶトレーニング ・実生活で得られない仮想世界の疑似体験 ・漢字や、ボキャブラリーの習得 ・時間つぶし まだまだありそうな気がします。決して無為ではないと感じてます。

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