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受験に古典を課す意味
miirumatsuの回答
- miirumatsu
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大学とは、「学問をする」機関です。 お履き違えのないように。 「社会に出てから全く役に立たない」と仰いますが、社会に出てから役に立つような実用的なことだけを学びたいのであれば、専門学校や職業訓練校にいらっしゃい、何も無理して大学に進学することはありません。 大学も、そんな学生は、要らないのじゃないでしょうか。 「学問」に純粋な意義を見出せず、学ぶことを億劫がり、ただひたすら知るということ、考えるということに喜びを見出せないような学生が、何百人いても烏合の衆、ろくな論文は書けっこないし、大学にとって有益な研究をしてくれて大学の学会での地位を上げてくれるような名誉な学生は、とうてい輩出しそうにないですものね。 学問とは、人間の知的好奇心を充足させるためにのみ存在するのです。 それがたまたま何らかの形で社会に貢献したとしても、それは副産物であって、それそのものが目的だったのではありません。 知的好奇心を満足させて、なんになります? なんの「役に立ち」ます? そうです、仰るとおり、なんの役にも立ちません、自分が嬉しいだけです。 でもね。 知らかなったことを知って嬉しいと感じる。 考えた末に何かを解明できると快感を覚える。 それが、人間という生き物の、人間たる所以なのですよ。 こういう「喜び」を持っている生き物は、人間だけなのですよ。 その人間が、学問の最高府として設立しているのが、大学という教育機関です。 いやしくも大学に進学しようかという志を持っている学生は、そこが学問の場、最高学府であるということに了解し、学問の徒として誇りを持って受験していただきたい。 「我々にとってもっと学ぶべき事がある」 一見格好の良い台詞ですが、では、それはなんですか。 それに、あなたの仰る、古典を学ぶことを否定するだけの説得力がありますか。 それも学んで、古典も学ぶ、では、なぜいけませんか。 多く知ること、多く学ぶことの、何が損ですか。 それを損だと感じる限り、あなたに学問は向いていない。 向いていないことをしに、わざわざ狭き門を潜り抜けてまで、大学に行かなくてもいいじゃないですか。 ほかの、もっと向いていることをなさい。 いくらやっても苦にならないことをなさい。 そのほうがあなたのためにも幸せでしょう。 そうして、本当に学問をやりたい、学問に向いている、考えることや知ることが大好きな、学問バカの学生たちに、せめてあなたの分の一席を空けてあげてください。 そのほうが、よほど、「役に立ち」ます。 古典を受験に課すことの意義。 こじ付けでならなんとでも言えます。 真の国際人を育てるために、自国の文化に精通していなければならないのだとかなんとか。 古典を理解していなければ、日本の伝統文化はほとんど読み解けませんからね。 でも、そんなこと、後付けの理屈です。 日本人として当然の「教養」だからですよ。 平家物語の冒頭もろくに暗唱できない程度の「日本人」が、日本の「大学生」を張ることに、違和感があるからですよ。 教養なき人物が、大学へ行って、学問を修めて、それこそ、何をするんです。 知識も教養も、幅広く種を撒いていて初めて、どれから芽が出るか分からない面白さがあるのです。 学問というのはそういうものなのです。 あなたが、仮に、経済学を勉強したいと思って大学に行っても、経済学から派生的に学んだ社会学のほうが面白くなってしまって、そっちの研究者にならないとは限らないのです。 初志貫徹するも学問の醍醐味、あちこち寄り道するもまた醍醐味。 学ぶ面白さというものは、役に立つとか立たないとか、そんなモノサシで測れるような単純なものではない。 それを、あなたは今、知らないでしょ? 「お勉強」しかしてきてないからね。 まだ、「学問」をしたことがないからね。 それが分かるのが、「学問」なのですよ。 「学問」とは、それ自体に意味があることであって、本来「何の役にも立たない(実用的な意味で)」ことです。 それを応用したのが「技術」で、ここから先が実用なんです。 でも、それは、一部の特殊な単科大学や研究室を除いて、「大学」の本質的な存在意義ではありません。 大学の存在意義は、あくまでも「学問」の場としての最高府、ということです。 そして、大学は、この学生が「学問」のできる人物かどうかを見極めるために、入試を実施するのです。 真の教養人たる資格があるか否かを試すために、入試を課すのです。 そもそも、入試で課せられる程度の知識や解答力などというのは、古典に限らず、学問のほんの入り口の入り口、ごくごく底の浅い、表面をかじった程度のものです。 そこらへんで音を上げて、少しでも学ぶ内容が少なくなればいいのに、とぶつくさ言ってるようでは、どのみちモノにはなりませんから、入試ではじかれるのは当然です。 一通り、やるべきことはやる。 文句を言わずに黙々とやる。 そのうちのどこから芽が出るかなんて、たかだか高校生に判断のつくことではない。 100学んでもどの種が「当たり」だったのか分からず、1000学んでもまだ分からず、1万学んでやっといくつか芽が出てきたかと思ったら途中で枯れたり虫がついたりして・・・10万学んだ中から、ようやく、ああ、これか、これが自分のやりたかったことなのか、と、初めて、モノになりそうな「苗」が育っているのに気付く。 そういうものなんですよ、学問というのは。 ・・・と、今述べたことは、本当は「理想論」です。 現実には、大学は、最高学府としての矜持を自ら捨て、専門学校や職業訓練所に成り下がろうとしつつあります。 もしかしたら、数年か数十年のうちに、質問者さんの望まれるとおり、大学は、古典の出題を、「実用的でないから」という理由において、割愛するようになるかもしれません。 それでも、私は、地に落ちた「学問」を、草葉の陰で嘆くでしょう。
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お礼
有難うございます。 確かに教養人に成る為に古典の勉強は必須ですね。それは百も承知しております。しかし、それを言うならば美術も音楽も全て教養ですよね。なのにも拘らずそれらは副教科として切り捨て古典のみを受験科目としてあげる意味は何なのか、と思ったのです。それでも、歴史上の文献を古典で読み解くことに意味が有ったり、日本の代表的な文学作品をかじる程度の事は日本人として当たり前なのかも知れませんね。そう言う意味では大学の本来の目的にかなった制度として納得致します。 >それも学んで、古典も学ぶ、では、なぜいけませんか。 いえ、別に学ぶ必要が無いとは言っていません。飽くまで受験科目として課す必要があるのか、という意味です。しかし、大学の本来の目的が教養人の育成ならばそれも納得です。因みに私は古典は必要ないですよね?という趣旨でこの質問をしたのではなく、自分はそれ程必要性を感じないのだけれども、それは私個人の勝手な思い上がりかもしれないので、ご指摘ございましたら宜しくお願い致します、とこう言う意味で質問しているのです。ここが議論の場では無いこと位百も承知ですし、そんな偉そうに構えよう等とは全く思っていません。 因みに私は貴方の仰る古典を受験科目から割愛した大学に通っております。私はずっと法律に興味が有り、一早く法律の勉強をしたいと長い間熱望しておりました。なので、意味の無い勉強などしたくなかったのです。少しでも将来と関係のある勉強をしたい。受験勉強生活を大学に受かる為だけの勉強の場などにはしたくない、と。しかし、こうやってお話を伺う事で私も未熟だったと思い知らされる訳です。それでも一応は一流大学と呼ばれている大学ですので、やはり大学側も古典よりも小論文の方を重視しているのかな、時代はそう言う方向に傾いてきているのかな、と思っていたのです。現に、現代人の考えは現代的では無く、非常に古いものである、と長尾達也先生が仰っていたので、やはり今必要なことは近代以前の表面的な教養知識ではなく、ポストモダンな現代的知の構築なのでは無いか、と思ったのです。有難うございました。