• 締切済み

近代科学の定義

江戸時代の科学を調べています。この時代は、結構擬似科学も多く含まれています。例えば、引力、磁力などの相互作用を五行説で説明したりしています。時代を考慮すると、五行説を持ち出したからといっても、すぐに擬似科学とも呼べないような気がしています。調べを進めるうちに何をもって科学または科学者と呼べばいいのか解らなくなってしまいました。 そもそも、科学と擬似科学を厳密に区別することはできないとは思いますが、何をもって(近代)科学と呼べるのか?果たしてその定義みたいなものはあるのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

  • 2-B
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  • 科学
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みんなの回答

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3635/18948)
回答No.2

再現性があるか:同じ状況の下で再現できる 検証が出来るか:検証できる証拠がある 特定の人物ではなく一般の人にも分かるかあるいは一般的な知識の延長上にあるかどうかだと思います 宇宙人と交信する装置だとして多数のコンデンサーを複雑に組み合わせた物が発表されていました 製作者はこれで交信できたそうですが 作ってみましたがが何の変化も起こりませんでした 駄目だったと投書をすると「訓練不足だから信号が到達しない」のだそうです こういうのが疑似科学の部類だと思います

2-B
質問者

お礼

面白い具体例を付してアドバイスを頂きましてありがとうございます。 ”検証できる証拠”というのが鍵なのかもしれませんね。 折角アドバイスを頂きながら失礼なのですが、一般的な知識の延長上・・・は、少々異なるものを感じます。というのも、私が扱っている江戸時代、しかも蘭学以前においては、近代科学と呼べそうな事例の方が一般的な知識の延長にないからです。 宇宙人と交信することが一般的な知識としてできると考えられていたとすれば、交信する装置を作った人は、科学的な姿勢をとった人と評価できます。検証のため同じ装置を作った人も同様に科学的な姿勢の人。しかし、前者は検証のための証拠を残さず「訓練不足だから信号が到達しない」としたことが「擬似科学」、という解釈でよろしいのでしょうか?もし後者のdebukuroさん(?)が、「そうか、訓練不足か!」と納得してしまえば科学的な物の見方ができない人。「そもそも、宇宙人と交信できるの?」と思えば科学的な物の見方ができる人という具合でしょうか? おかげさまで、少しずつ頭の中が整理できつつあります。

noname#160321
noname#160321
回答No.1

>科学と擬似科学を厳密に区別することはできないとは… 私もそう思います。パラダイムシフトは幾度も起こってきましたから。 結局「検証可能」なものが科学なのですが、完全に検証することは不可能です。すると「長寿」な理論は「可、不可」が検証されるまで生き延び続けることになります。 漢方医学も再評価の動きは大きいですからね。

2-B
質問者

お礼

早速のアドバイスありがとうございます。 なるほど。「検証可能」なものが科学であれば、導き出した結果が将来的に擬似科学と検証されようとも、検証しようとする姿勢そのものは科学的な行為と呼べるかも知れませんね。参考にさせていただきます。

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