• 締切済み

現在の日本語について。

現代の日本語は進化しているのか、退化しているのか。 どうなんでしょう? 今いろいろ考えていたんですが、なんだか分からなくなってきました。 省略語や若者言葉などについて考えています。 どんなことでもいいので、何か感じることがあればお願いします。

みんなの回答

回答No.4

 言語は手垢汚れ、誤用の通用化、意味の内容対象の不明化、場面や状況の無視。などもあり、そして新しい状況と新しいことばの遣いと発生があり、文明と同じに衰弱と誕生の状況ではないでしょうか。  事柄というものは似ていても、同じでも決して同じではないのに同じ言葉が使われる。使わなければならない。お互いにそれで共有する。  これがことばの宿命ですからね。  擦り切れても使っている場合もある。  人にことばを使わせて、人々を、心をばらばらにしたという神話のようなものもあるそうですね。  判ったというのが実はほとんど、自分の中で構成したというのと同様で、錯覚であることが多いのに気付く時、悲しいですね。  日の下に新しきものはないのに、フラクタルな次元では全てが違う。  決して新しいことではないが、取り留めない繰り返しなのですが、其の中の人間には、全部違う。  無限という、価値志向の次元では、そういうことはない。という日ごろの思いですが。思い違いがあれば、どうかご指摘下さい。

回答No.3

ご質問の主旨とは論点がずれるのかも知れませんし感覚的意見で恐縮ですが、情報量の飛躍的拡大に伴って全体の情報授受能力は進化した一方、従来の読み聞き書き話すことの質が低下した、つまり、退化したと言わざるを得ないのではないかと思います。 但し、日本語が獲得しつつあるタイプする能力、携帯タイプする能力はもはや置き去りにはできないようにも思います。 IT技術の発展により言語が電子的に大量にやり取りされされるようになり、個人が受信するその情報量たるや過去の如何なる時代をも凌駕していることは間違いありません。 その一方、個人は私も含め省略語が多くなり、漢字が書けなくなり、音声でのコミュニケーションも苦手になってきているように思います。 各個人間のコミュニケーション量や不特定多数を対象とする情報発信量は劇的に発展しているにも関わらず、まさに、各個人が有する読み、聞き、書き、話す能力は、退化していることを実感します。 特に、利用価値という点で、タイプする能力が不可欠になりつつある一方、書く能力が暴落したと言えるのではないでしょうか。

回答No.2

進化でもなく退化でもなく、ただただ変化しているのだと思います。 美しい言葉は、使う人が少なくなりました。 たとえば、「香り」は本来「聞く」ものですが(「利く」とも書く)、「嗅ぐ」に圧倒されて、「聞く」を使う人は天然記念物、絶滅危惧種です。 多種多様な複雑な感情に対応する形容詞が出現しています。 若い人の使う「イタい」は、古語の「かたはらいたし」に、実によく似ています。 また、「ウザい」は「うざったい」とは、微妙に意味が違うのでしょう。 「キモい」は「気持ち悪い」とは微妙に意味が違うのでしょう。 現代人の感覚にぴったりと添う語彙や用法が次々と生み出されてくるという意味では、「進化」しているとも言え、雅で風情のある、耳に心地好い言い回しや語彙が廃れていく点では、「退化」しているとも言えるのでしょうが、言葉は時代に即してあるものですから、どの時代の言葉が最高に優れていた、とかではなく、常にその時代に一番フィットした言葉が流通しているだけなのだと思います。 個人的には、「言霊は死んだな」^^;と感じることがしばしばですが。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

言語は進化ということがすなわち退化なのです。

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