• 締切済み

グローバル化と日本語

23歳男性です。社会人です。最近思うことがあります 我々日本人が普段から使っている日本語が「日本語ではなくなってきている」のではないか? と憂えていることです。こう思うのって私だけでしょうか?? グローバル化も浸透して英語の教育に一層力を入れてきている。その他「エモい」や「まじ卍ー」などの若者言葉という別のベクトルまでいつのまにか登場し、インターネットやSNSの普及による後押しもあってか、知らない間に言語が変わっていきていることに驚きと懸念を禁じ得ません。 私が思うに、日本が本当の意味でグローバル化に力を入れていたのは、明治維新の頃ではないかと推測します。 とある教育番組で知ったのですが、日本人は列強国と肩を並べるために、それまで訳せなかった外国語の言葉を全て日本語に翻訳することに注力して教育の質を高めた。そのおかげで日本人は、高い識字率と幼少期から大学までの授業を全て日本語で学べるという教育システムを完成させることが出来た、というわけです。 それなのに今日では、上記したような和製英語の進化系? 造語? 略語? が当たり前のように使われるようになって、今まで何気なく使っていた日本語が「日本語じゃない日本語」に変わっていって、その「日本語じゃない日本語」が普及していくという流れになっていく……「これも時代か」と自分に言い聞かせるも、やはり解せないというか。なんだろう、日本人に生まれたからには綺麗な日本語を使うべきではないかな? と個人的に思います。 まあこんな事を主張したところで、社会という巨大なうねりを変えることなど出来ないのですが……幸いなことに、そういう謎の言葉を使う人は私の周りにはいないのでホッとしています。 それから、私は私なりにSNSをやらず読書に勤しんだり、毎日500文字以上の日記を手書きで書いたりして「綺麗な日本語」を忘れないようにしています。そうやって先人たちが苦労して作り上げた功績を読んで、書いて、聞いて、話して、感じて、いつか自分が死ぬときに「ああ、日本人として生まれて良かった」と言い残して死にたいです。

みんなの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1444/3522)
回答No.9

No.3です。外来語による日本語の変化を考えるとき、忘れられないテレビのニュースの一場面の記憶があります。 それは国鉄がJRに変わって間もない昭和の終わりごろのこと、国鉄時代には「国電」の愛称で親しまれていた首都圏の電車の愛称を「E電」(いーでん)にするとJR東日本が発表した日のニュースです。JRは「EにはEast、Electric、Enjoy、Energyなどの意味が込められている」と説明していました。この愛称に対する利用客の反応を駅でインタビューしたところ、下校途中の制服姿の女子高校生が、「えーっ!これからは「E電に乗りに行こう」なんて言うの?やだー、そんなの」と一刀両断で批判しました。 その後の経過はある程度の年輩以上の方なら皆様ご存じのとおり、「E電」という愛称はさほど世間に広まらないままほとんど使われなくなり、忘れ去られていきました。今思えば、国電に代わる新しい愛称を、と意気込んでE電に決定した(公募で愛称を募集し、E電は下位でしたがあえて選んだ)JRの偉いオジサンの日本語の感覚より、普通の女子高校生の日本語の感覚の方がはるかに健全でまともだったのですね。 この一例でだけ全体を推し量ることはもちろんできませんが、少なくとも「今時の若い者は…」という批判がいつも正しいわけではないということは確かですし、大企業やお役所が新しい言葉を作って使わせようとしても常に成功するとは限らないということも言えそうです。 なお「E電」の代わりになる新語は登場せず、「国電」が復活することもありませんでした。昔の「国鉄線」に相当する「JR線」という言葉で代用するか、具体的な路線名で呼ばれています。

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (638/1650)
回答No.8

平安時代から鎌倉時代(だいぶ間が空きましたが)になった時も、同じことを言ってたでしょう。鎌倉時代が江戸時代になった時にも、江戸時代が昭和になった時にも。いつの時代も、前の時代とは違う言葉に嘆く人はたくさんいます。 しかし、新しい言葉がどんどん生まれたり取り込まれたりしていくのは、日本語だからです。後ろに「い」をつければ形容詞に、「だ」や「な」をつければ形容動詞になります。「る」をつければ動詞さえ生み出せます。また後ろに助詞をつければ、どんな名詞でも文の中に取り込めます。それが日本語です。 だから、日本語が「日本語ではなくなってきている」のではないか?  に対する答えは、「そんなことはない」です。 ただ、お気持ちはわかりますよ。「綺麗な日本語」と呼びたいような言葉を、自分は使いたいし、周りの人にもそうあってほしい。大賛成です。でも、時代の趨勢を個人の力で止めるのはムリでしょうね。それも残念なことです。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.7

まずここは質問サイトで、あなたの質問が >こう思うのって私だけでしょうか?? ですから、そのお答えは、あなただけではありません。いちおうお答えです。そういう風に言っている人は何人も知っています。 しかし私はそうは思いません。 明治維新でグローバル化というのは主に英語やフランス語に対して西周なんかが日本語の用語を作ったことをいうのだと思いますが、日本では奈良時代以前からこれはありました。相手が中国語やサンスクリットだという違いがあるだけです 聖徳太子が世の中を統一するのに仏教の教えが有効だろうと判断する前はほとんどアニミズムの原始神道があったわけです。森谷大臣ですね。そこでいろいろ記述するために文字が少ない、足りないということが起こった。 もともと、それ以前から中国の文字がちょくちょく入り込み、そもそも貿易や政治交渉をするのに共通の文字を使う必要がありましたから、漢字を一生懸命に習っていたのです。このときは習っている文字ですから、崩し字とか何もなくまあ楷書的なデザインで、しかも竹筒とか石に掘りますから、崩し字はできるわけもない。このとき、役人の中には、こんな異常な知らない文字を使うことが嘆かわしいと思った人間がたくさんいたはずです。そこに、天上だの天下だの独尊だの、煩悩だのという、さらにあやしいものが上陸しました。ぴりぴりしていたと思いますね。そもそもどう読むのか発音もわからないようなものが入り込んでくると意志疎通に支障が出る。どんだけ悩んだかと思います。 しかし日本人のすごいところはものすごいフレキシビリティで、これを取り込み自分の文化とし、漢詩を詠んだりすることまでできるようになった。外国語で詩を書くんですよ。生半可な話じゃありません。このとき、自分は古来の日本語の美しさを守りたいなどと言っていた人間は必ずいたはずです。だけどその人一代の話であり、誰もそれには追随しなかったでしょう。 この時点のグローバル化で、東洋哲学上の遅れは無しにできました。おそるべき日本人の知的能力です。 そして日本人のすごいところは、自分のものにしたら自分のものとして育て変質させることをなんとも思わない点です。漢字を書く、そして日本独自のかなやカナを書き、それらの文字を混ぜて使って平気という状況を作りました。美しく書きたいなどという意味不明の望みを持ち、草書体というのを作り上げ、ここで崩し字を成立させました。なんと中国人も読めない漢字表現を平気で作り上げ文化にしていったのです。 このときも、中国に本当に留学していたようなひとだったら、本来は違う、そんな使い方はいやだ、とおもったかもしれませんが、その人一代限りの不満です。 日本文化にはときどき言語上の天才みたいなのが現れ、それ以前とそれ以後の表現が違うということを起こす場合があります。たとえば藤原定家です。あらたな言い方をいくつも発明した上、言葉遊びということを堂々と始めた。 係り結び、とか縁語、本歌取りというようなことを誰でもするようになりました。従来たまたまそうなってしまったという事故的に発生していたことを文書上のテクニックとして使うことを勧めたのです。 これがのちに連歌という方向に展開し、前の歌、受けた歌、でピンポンのように発展させ、ただしルールとして7番目には必ず恋の歌を入れること、なんていう決めをつくることで複数の人間により発想している世界を膨らませる技術になりました。 この中途のものだけを抽出したものが発句であり、俳句になっていきます。 このときも、連歌で豊かに花を咲かせた世界をブチ切りの生け花にするのはどうかと嘆いた人間がいたはずですが、その人一代で死にます。 ルールとして俳句は季語を入れることというものが設定されました。 季語をいれなくたって文句が成り立って芸術性は保てるじゃないかと考えるものがいて、これが川柳を作り上げるのですが、このときも、ああ俳句のあの様式美を、思い付きのでたらめなものに変えるのか、嘆かわしいと思った人間がいたはずで、この人もやがて死にます。 せっかくこの方向でいったから現代までつなぎますが、今英語俳句というのがあり、これを真似てポーランドとかウクライナで小さい文句数語で表現するHAIKUというのが流行っているようです。言語が違いますから五七五なんていうことはなくなり、直訳すると、「花がさき君がいってさびしい」というだけのことをなぜHAIKUというのか、と不思議がっている人はたくさんいます。この人たちはまだ死んでませんがそのうち死にます。 江戸時代に、天ぷらとかカステラとかいろいろな日本語が、外国語の読みを借りて発明されました。当然本家のものと同じといっても全然違う物ですから日本食だし誰にも文句は言われません。 だけど、テンポラスは寺のことであって、決して揚げ物ではない、と現地の言葉を知っている人が言ったかもしれませんがこの人も死んだでしょう。 日本語は新しい言葉を柔軟に仕入れて、あたかも昔からあったことばのように平然とさせることができる柔軟な言語です。 いま、「正しい日本語」だとして使っている言葉でも、明治時代以前の人間が聴くとなーにをしゃべっとるかけしからん、そこへ直れ、と土下座させられてクビを斬られるおそれがあるのです。権利だとか民衆だとか愛情などといったら間違いなくクビが落ちるでしょうね。いやだわ、と言ったらその女性は座敷牢です。 だけどそれを美しい日本語だと思っている人たちがいるのです。 質問者さまもそうですね。 あなたたちはまだ死んでいませんから当面その悩みは続くと思いますが、次代はまた変わります。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.6

1。我々日本人が普段から使っている日本語が「日本語ではなくなってきている」のではないか?  日本語は、日本人が今使っているのが日本語でしょうが、それにしても心配ですね。これだけ呉音、漢音、宗音、唐音、などと多重に漢語が入っています。  それはIT技術がなかった昔でそうですが、それには知識の中心が仏教で呉音、政治の中心が漢音のように国の指導者が中国かぶれだったためだと思います。  今は、学者や政治家に加えて、物売りの専門家が情報と抱き合わせに広告を使い、昔からある言葉もカタカナ語に置き換えています。 2。こう思うのって私だけでしょうか??  僕も同じ意見です。しかし悪いことだけではありません。日本語に取り入れて、日本式に改造した和製英語は、海外にはわからない強みがあります。

noname#232424
noname#232424
回答No.5

日曜大工で水平がちゃんとでたので,ちょっと一休みして加筆。 >グローバル化も浸透して英語の教育に一層力を入れてきている。 うふふ。たしかに会話はぼくらの世代よりも上手くなりましたが,大学の演習で論理的な文章(科学英文)がさっぱり読めない。ハイスクール中退者の英語を習得してどうすんだ。 困るのは,たとえば「アカウンタビリティ」のような,わけのわからんカタカナ語を振り回す馬鹿役人とか馬鹿社長が,激増したこと。ぼくは,もうそろそろ定年退職だし,そんなん知るか(笑)。日本社会のいいかげんでやろうぜ。 >その他「エモい」や「まじ卍ー」などの若者言葉という別のベクトルまでいつのまにか登場し、インターネットやSNSの普及による後押しもあってか、 むかしなら発言力がなかった馬鹿者も,かんたんに公衆の場に登録して発言できるのも,困ったことですね。もっとましなはずのマスコミの低脳ぶりにも,愛想がつきた。たしか,チャーチルがこんな毒舌をはいています:  自由な言論がさかんになれば,たわごともおおい。 日本の「国民の皆様」とぺこぺこするしかない政治家どもも,これくらいのことを言ってみろ。

noname#232424
noname#232424
回答No.4

「正統的なことば」を使えるかどうかや,「どれだけの語彙力があるか」は,学歴や教養と強い正相関があるだろうと思います。表向きの場でも「俗語,隠語,ちんぷんかんぷん語」しか使えない人は,入学・入社試験や人づきあいで淘汰されて,やがて同類どうしで「下層民社会」を形成するんじゃないですかね(笑)。 ここ(OKWave)は「お馬鹿掲示板」にくらべればだいぶましですが,それでも表向きの日本語が使えないらしい,「下層民」からの投稿がありますね。ぼくは,そんな質問には答えないか,適当にジョークであしらいます。もしも推薦入試の受験生であれば,あっさり「×」をつけて淘汰しますので,高等教育を受けられなくなり,さらに社会を転落していくことになります。

  • staratras
  • ベストアンサー率40% (1444/3522)
回答No.3

言葉は時代によって変化しますが、変化にも一時的なものと後の時代まで継続するものがあります。新語・流行語の類でのちのちまで生き残るものはそう多くはありません。 例えば、現在の日本語では鉄道の列車に乗り降りする場所のことを「駅」と呼びますが、明治時代には「ステ―ション」が変化した「ステンショ」(ステン所という表記もありました)と呼ぶ人が多くいました。しかし現在この言葉を使う人は皆無で、わずかに「ステーションビル」という複合語の一部として残るだけです。鉄道ができるずっと以前の古代から、日本では陸上の交通制度として「駅制」というものがあり、この日本古来の「駅」という言葉には勝てなかったのです。 回答者はいくら外来語や新語・流行語の類が使われていても、長い年月で自然に淘汰され、優れた表現だけが生き残ってゆくだろうと楽観的に考えています。 「おまへの所の御隠居さまはお目が御不自由だが、御不足のないお嫁御さまをお貰いなすってお仕合せだ」 「善悪は三歳児(みつご)にもわかるものだから、是は悪いと思う事は、ながく續かねえはな」 これは200年以上昔の式亭三馬の「浮世風呂」に登場する会話の一節で、前者は女性、後者は男性の発言です。核となっている部分では日本語はさほど大きくは変化していませんし、これからもしないだろうと思います。

回答No.2

言葉は時代とともに変化するとは言うものの、 最近の女子高生たちが使う変な言葉は度が過ぎていると思います。 この子たちも、社会に出れば、きちんとした言葉づかいをしなければ、 会社に適応できないでしょうし、社会人として失格になるでしょう。 言葉は生き物ですから、変わっていきますが、 それほど心配することもないのかもしれません。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8885)
回答No.1

一つは漢字の役割ではないかと思います。漢字による造語は中国へも逆輸出されていますね。欧米に勝つための唯一の武器は漢字ではないかと思います。ベトナムはフランスによって漢字が廃止され、韓国は自分からハングルだけにして漢字をやめ本家の中国は簡体字でかなり漢字の威力が減衰しているのではないでしょうか。漢字圏で唯一生き残っているのは日本だけではないでしょうか。いわゆる先端技術が日本でそれなりに進んでいるのは漢字のおかげだと思います。言い換えるとグロバリゼーションで南極北極まで舗装道路を造るような金融独裁に対抗するのもやはり漢字の役割かなと思うほどです。少し論旨が乱れたかもしれません。

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