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無条件降伏

私が疑問に思っていたことですが質問させて下さい。日本は昭和20年8月15日にアメリカに無条件降伏したとよくテレビのコメンテーターたいかにも当然のように解説しているが、ポツダム宣言を受け入れて戦闘行為を停止することを決定したのであって、何も無条件降伏したのでは無い筈 だと思うのですが日本人は何時から無条件降伏したと思うようにになったのか、歴史的背景が知りたいのですが、例えば日教組の思惑がからんでいるとか、アメリカの思惑とかGHQの指示のもとに動かされてきたとか、敗戦をよくドイツと比較して論じている人がいるがドイツ国は首都のベルリンにまで攻め込まれて政府が崩壊して敗戦した国と政府も軍隊も健在の国 の敗戦を比較など出来ないはずです。

  • kodon
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  • 歴史
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  • kantansi
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回答No.4

マッカーサを初めとする占領軍が、日本人に惨めな敗北感を徹底的に味あわせて骨抜きにしようと言う意図で、しきりに「無条件降伏(unconditional surrender)」と言う言葉を使ったため、多くの日本人が「日本は無条件降伏した」と思うようになりました。 それに自虐史観論者が悪乗りした可能性もありますが。

kodon
質問者

お礼

敗戦を終戦と言い換える日本人が何故テレビのコメンテイターが何の躊躇いもなく無条件降伏などと言ふことを言ふのか疑問に思っていました 日本人の中には無条件降伏を受け入れる戦前の国家を否定したい勢力が存在しているように感じます。御回答ありがとうございます。

  • buchi-dog
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回答No.3

ポツダム宣言というのは、要するに「大日本帝国への降伏条件の付与」です。下記(東京大学のサイト)に和訳文がありますので読んで下さい。 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19450726.D1J.html 「五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ/吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ」 として、降伏条件を列挙しています。 この降伏条件は、 * 日本国の領域として、本土四島を保障する。日本国を取り潰さない。 * 日本軍将兵は、降伏後なるべく早く復員させる。 * 日本人を奴隷として扱わない。日本人に基本的人権を保障する。 * 日本から軍国主義が除去されるまで連合国軍が日本を占領するが、除去されれば占領を解除し日本国に独立を与える。 * 連合国が認める戦争犯罪人を処罰する。 といったものです。 歴史を見れば分かりますが、ソ連以外の連合国(アメリカ、イギリス、オランダ、中華民国など)は、ポツダム宣言で示された降伏条件を基本的に遵守しております。ソ連は降伏条件も戦時国際法も無視して満洲などの占領地での無制限の略奪虐殺強姦、日本軍将兵のシベリアへの拉致・奴隷使役を行いましたが、これは「例外」です。 アメリカは、真珠湾攻撃による開戦以降、日本に対して降伏条件を示しませんでした。これは、アメリカがインディアン各部族と「戦争」した時と同じで「無条件降伏しか認めない。降伏した後は、敗者をどう扱うかは勝者の自由」ということです。例えばですが、日本の領土をアメリカ領に編入し、日本人は全てどこかへ追放といったこともあり得ます。 西洋史では、ポーランドという一つの国家が、プロイセン・ロシア・オーストリアの三国に分割されて消滅してしまうような事例、ウクライナやバルト三国やチベットといった「独立国家」が、ソ連や中華人民共和国のような強国に強制的に併合されてしまう事例は珍しくありません。「無条件降伏」というのは、質問者様が想定するほど生易しいことではないのです。 アメリカは、硫黄島の戦いや沖縄の戦いで、予想を超えた損害を出し、日本軍を完全に撃滅するリスクを回避するため、日本に降伏条件を与えて戦争を終結させる方向に転換したのです。それ以前は、アメリカでは「日本から工業力を完全に奪う」ことも有力案として検討されていました。日本が農業だけで養える人口はせいぜい5千万人、当時の日本の人口(外地から引き揚げる人口を含む)は9千万人くらいですから、これは「日本人の半数を餓死させる」ことを意味します。日本としては到底受け入れられない事態です。 なお、ドイツは連合国から最後まで降伏条件を与えられず、作戦軍を全て殲滅され、首都のベルリンを含む国土の大半を占領され、国家元首であるヒトラーが自殺した後に「国家として無条件降伏」しました。その結果、日本より遥かに過酷な処遇を受けました。 ソ連軍の捕虜となった数百万のドイツ軍将兵の多くが過酷な奴隷労働を課され、病死・事故死・餓死して行ったことは知られています。スターリングラード戦で捕虜となったドイツ兵約10万人のうち、西ドイツに帰ることが出来たのは3千人ほどに過ぎないと言われます。 文献: 捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31933753 さらに、人道を重んじる筈のアメリカ軍やフランス軍の捕虜となったドイツ軍将兵のうち、約100万人が戦闘終結後に、過酷な処遇によって死亡したと言われます。 文献: 消えた百万人 ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=19498071 日本軍将兵や外地居留民が、上記のような過酷な運命に、「ソ連軍の手に落ちた人たち以外は」陥らなかったのは、ポツダム宣言を受け入れての「条件つき降伏であったからです。その点を間違わないで下さい。

kodon
質問者

お礼

アメリカは日本には条件など提示せずにアメリカインデアンを抹殺したように抹殺したかったのではないかと思います。しかし日本の特攻隊のような犠牲を度外視した戦法をとっていることで被害の拡大を恐れたアメリカはポツダム宣言のような降伏しやすい条件を提示してきたと見るべきだと思っています。もし戦後に朝鮮戦争も冷戦もなければアメリカは日本を農業国で重工業は禁止して現在のような経済大国になどなれなかったはずです。あの戦争がなければ日本の経済大国は生まれないので 結果あの戦争は日本人は利益を生みましたが、戦勝国のアメリカは日本と言ふ軍事大国を叩き潰したばかりに共産主義と一国で相手をせざるをえなくなりその後の世界で朝鮮戦争、ベトナム戦争、を戦い現在も国連軍と言ふ形で戦争しています。アメリカは何時の時代でもおおらかな態度を見せるかと思えば極端に自国の利益に拘る国に変貌する時があり、 注意してつきあっていかなければならない国であるようです。御回答有難う御座いました。

  • uskt
  • ベストアンサー率49% (361/733)
回答No.2

日本の停戦の状況については、質問者様の認識が正しいとは思いますが、そもそもその条件となった「ポツダム宣言」に、無条件降伏である旨が条文として記されているのです。 すなわち、これを受諾したということが、無条件降伏を受け入れたということになるわけです。 また、無条件降伏でない場合には、ドイツ同様首都まで攻め込み壊滅させるとの内容も含まれており、これによって結果はともかく、条件的にはドイツと同等と見なされる状況となっているわけです。 ただ、その後の推移はご存知の通り違ってくるので、無条件降伏であるので、ドイツ同様であるべきだとか、何もかも受け入れなくてはいけないということに直結はしないかとも思います。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
kodon
質問者

お礼

軍隊の無条件降伏と言ふ条文だそうですが、なにしろ軍隊を廃止させられたのだから存在そのもを拒否されたわけです、無条件降伏以上の結果を受け入れることになったわけですが、軍隊が無条件降伏ではその軍隊の存在そのものまで拒否する意味まで含んでいないはずで政府が無条件降伏したと思い込まされ憲法までアメリカに作られても文句が言えないと思っている人々がいることは嘆かわしいことです。御回答ありがとうございました。

回答No.1

ポツダム宣言では「日本国政府は日本軍を無条件降伏させる」とあったと記憶しています。 つまり日本国政府は無条件降伏をしていないのです。 日本軍(陸軍・海軍)が無条件降伏したのです。 さらには日本軍を解体し、平和愛好国になれば日本国政府の身は保証されたのです。 戦時中は戦意高揚の宣伝をしていた左翼マスコミが、歴史を塗り替え、日教組が「無条件降伏」とマインドコントロールをしたのではないでしょうか。

kodon
質問者

お礼

軍隊の無条件降伏は日本軍がかってシンガポールへ侵攻した時英軍のパーシバル中将に山下将軍が無条件降伏を迫る会談は有名ですが、そのときの英軍は捕虜となり存在まで拒否されることは無かったが日本軍の時 は存在が拒否されてしまうわけです。軍隊の降伏には敵の申し入れを受け入れて前線を後退させたり、戦闘行為停止したり敵の要求を無条件で 受け入れて無条件降伏したりする訳で戦争では常に起りうる交渉事である。しかし日本国政府が無条件降伏したかのように思わせる勢力がいることは嘆かわしいことです。御回答有難う御座いました。

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