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「からお預かりします」の「から」がなぜ問題になるのか

今私は、「からお預かりします」がなぜ誤用とされているのかについて調べています。 過去にも「からお預かりします」についての質問・意見が多く話題になっていますが、そちらも読ませて頂きました。とても参考になります。 今のところ「お預かりした1000円から700円戴きます」が短縮されたり混用されたりした結果この表現が生まれたのだと理解しています。 (この時の「から」は「5から2をひくと3」の「から」の用法) 丁度の金額を貰った時に「お預かりします」を使うことからも、「お預かりします」がほぼイコールの形で「戴きます」の意味で用いられているのだろうと考えました。 この場合、おかしいのは「お預かりします」のほうであって「から」ではないと思います。 前置きが長くてすみません。 ここで質問なのですが、「からお預かりします」の「から」をおかしいと感じていらっしゃる方は何をもって違和感を感じていらっしゃるのでしょうか? 「から」をおかしいと思う理由、または別の視点からの意見などありましたら回答お願いします。 追記 それともう一つ、「5から2をひく」の「から」って 「から」のどの用法に入るのでしょうか? この「から」は「山田くんから勉強を取ったら何も残らない」の「から」とも同じと思うんですが 辞典をひいてもまさにこれという用例が見つかりません。 ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

  • meifa
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  • usap
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回答No.10

お礼をもらっていないのに連続投稿です。 あの、いろいろごちゃごちゃ書きましたが、とどのつまり、聞き慣れないので違和感を感じる、という「感覚的なもの」が一番の原因かと思います。通常、「~からお預かりします」と言う場合、どうとでも取れるから。「まずは1000円からお預かりします」という順序を表す場合、「1000円から何かをお預かりします」という所属を表す場合。そうなると、1000円はお客様の持ち物ではなく、1000円っていう独立した存在のようです。質問の文章の中の例文「山田くん」のように。1000円の持ち主であるお客様の影が薄くなります。「お客様から1000円(を)お預かりします」という文章のはずが、「1000円から何かをお預かりします」となる。「お客様から1000円からお預かりします」とはなりません。お客様不在でお金一人歩きの言葉ですね。前者後者、どちらにしても、いい気持ちのする言葉ではないですね。 最近、病院では「患者様」というように変えたところが多くあります。病院側は従来の「患者さん」よりも、丁寧な感じで応対するつもりで「良かれ」と思ってやったことのようですが、現実には、患者側も働く側もその聞きなれない「患者様」という響きに、違和感を感じているところも増えたそうで、「患者様」から「患者さん」に戻すところもあるくらいだそうです。 なので「1000円からお預かりします」という「から」付きの「お預かり」に慣れれば、それが普通になって行くと思います。従業員もおそらく「みんながそう言ってるから」と当たり前に使っていると思うし、それについて何の違和感もないから平気なんだと思います。聞くほう側は、今までずっと「から」のない「1000円お預かりします」で慣れてるので、「から」って何だ?と引っかかるんだと思います。そんなに大げさに騒ぐことでもないんですが、レジに行くたびに「から」を聞くと、「ここもか!」みたいな違和感。自分が間違ってるのか、相手が間違ってるのか、言い間違えなのか、聞き間違えなのか、そうじゃないのか。そういう違和感が「から」にはあります。「ん?」って思うような感じです。方言を聞いたときに似ています。イントネーションが違ったりすると、あれ?って思いませんか?それに似ています。 「~のほう」も「~になります」も同様です。 今までそういう言い方を聞き慣れないので、やけに「~のほう」が気になってしまう。「~でございます」「こちらですね」「~ですね」そのほうがすっきりしてるのに、あえて「~のほう」をつけるのはどんな意味があるんだろう、と考えてしまう。 なので、質問者様がもしも「1000円からお預かりします」と言いたくて、それが正しいと信じていて、聞いた相手から「ん?」と思われても、そう思うほうがおかしい、と思うんだったら、そのまま続けてOKだと思います。敬語や謙譲語と言った言葉は、コミュニケーションをスムーズにするためにできた言葉です。相手への気遣いや配慮や遠慮。サービス業で言葉が重要にされるのも、お客様への心遣いです。サービス業ではちょっとした心遣いで喜ばれたり、怒らせたりしますからね。 それを「私はこれが正しいと思う!おかしいと思う人がおかしい。納得できる理由を聞くまで、変える気はない」って我を通したいんだったら、それはもう、サービスとか気遣いの域を超えて、ポリシーだと思います。ある意味で完全なマニュアル言葉であり、ひとつの文化の形かもしれません。「これを定着させて文化にする」くらいの心意気でいいんじゃないかと思います。

meifa
質問者

お礼

ずっと、「そうだよなぁ」の連続でした。 「聞き慣れないから」というのが確かに、「から」ばかりが指摘される理由としては一番大きいかもしれませんね。 お客様の存在を、無意識のうちに無視してしまっているような形になっている…今まで考えても見ませんでしたが、言われてみると確かに、お互い多分そんなにはっきりと気が付いていることではないでしょうが、どこかで不快感を感じているのかも知れません。 そうですよね。このまま誤用が誤用として改められることなく広まっていけば、それを幼い頃から聞いていたような人は特に指摘されることさえなければ当たり前に感じてくるでしょうし、いずれは「お金をお客さんに返すときは「から」をつけるのが普通で、その語源は…」なんてことになっていくかもしれませんよね。(笑) 実際、「から」を使っている店員は気にしていないわけですし、お客さんの方も…勿論気にしてる人はいて、いるからこそこれが問題になりますけど、店員が何を言ってるかなんて聞き流している(よっぽどおかしな物言いじゃない限り当たり前に感じている)お客さんだって相当数いるでしょうし。「ほう」についても同じく。 私は、皆さんの意見を伺った上でも矢張り「からお預かりします」についてはそこまで目くじら立てるようなことではないんじゃないかと感じています。 けれど、口に出さなかったとしても不快に思われる方がいらっしゃるならば出来るだけ、丁度なら「戴きます」おつりがあるなら「お預かりします」に直していけるようにしたいと思います。 定着させてやりたいって気持もありますけど(笑)、お客様を不快にさせないことも仕事の一環かなと思いますので。 安定した、広い視点からの意見を頂けてとても感謝しています。本当にありがとうございました。

その他の回答 (11)

noname#215107
noname#215107
回答No.12

訂正します。 >11250円 10250円の間違いでした。

noname#215107
noname#215107
回答No.11

再度No.2、No.6です。 「***円から会計スタート」の、もう一つの根拠です。 (「お預かりします」の是非はここでは置いといてください。) 1250円の品物を購入する時に、1万円札を1枚出すと「1万円からでよろしいですか?」と聞かれることがあります。 しかし、11,250円を渡すと、「11250円からでよろしいですか?」と聞かれたことはありません。 (私の経験からなので、あくまでも参考にとどめておいてくださいね。)

meifa
質問者

お礼

なるほど。 確かにそういう訊き方はしませんよね。 ありがとうございます。参考にさせて頂きます。

  • tsuneta
  • ベストアンサー率19% (10/52)
回答No.9

少し違う視点から申し上げます。 自分が「1000円からお預かりします」に違和感を感じるのは、お預かりするのは「1000円から」ではなく「俺から」だろうと思うから。 言ってる側からしてみれば「代金を1000円の中からお預かりしますよ」ということなのでしょうが。 論議は他の回答者の意見に異論はありませんからそちらを参考にしてください。 個人的に言いたいのは「単に1000円お預かりします」と言えばいいだけのことなのだからそう言えばいいのです。 「お預かりします」という言い方をするのは釣り銭がある場合の言い方で「一旦○○円をお預かりしますが○○円のお釣り銭をお返ししますよ」という意味合いからそういう言い方をします。 これは古くはセルフ販売ではなく接客販売だったためにお客さまの代金をお預かりしてレジに入金し、再びお客さまのもとへ戻ってお釣り銭をお返しする…という販売手法からきていると考えられます。 (実際百貨店ではこの言い方を教えられます) ちなみに「最初に大きい方から…」という言い方も変な言い方で「だったら小さい方は?」ということになります。 「大きい」に対して「細かい」というのも変な言い方で、わざわざ言うのであれば「最初にお札で○○円、残りは小銭で○○円お返しいたします」が正しいのではと思います。 自分は百貨店勤めをしていたのですが、百貨店の店員ですら正しく日本語を使っていないのが現状です。 「包装のほうはどうしますか?」といった使われ方をする「○○のほう」も実は好ましくない、無駄な言い方です。

meifa
質問者

お礼

「1000円から」を動作を発する人物を表す用法と勘違いする可能性があるという意見は、過去の質問・回答を参照した中にも見つけました。 私としては1000円という「もの」を突然擬人化しようというのはどうにも不自然な感を拭えないのですが、そのように感じる方もいらっしゃるんですね。参考にさせて頂きます。 「お預かり」を使う理由について、新しいご意見を有り難う御座います。 そういえば確かに、今でもレジのないお店(デパートの中に入っているショップなど)に行くと釣り銭入れにお金を入れて持っていき、おつりを持って帰ってくるということがありますよね。 とすれば、「頂戴」や「頂く」の誤用として安直に考えてはいけないのかもしれません。 他の例についてもありがとうございます。 「細かい」はもう現在では大抵の辞書で用例として掲載されていると確認してるんですが、昔はそうであったということでしょうか。勉強になります。 回答有り難う御座いました。

  • toatouto
  • ベストアンサー率31% (59/188)
回答No.8

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AB%A4%E9&kind=jn&mode=1&base=1&row=3 この中の用法には確実に当てはまらないと思います。 テレビなんかで言われているのは、「~から…まで」「~から…へ」の筈だから(つまり「~から」は何かの起点になるのであって)、続きが無いのはおかしい、とかです。 私は個人的には、 「大きい方○○円”から”お返しします。細かい方××円お返しします」 の「から」を預かる時にも言ってしまっているのではないかと思います。 そして、会計の際ちょうどを払う人とお釣を要する人では後者の方が多く、「から」と言う機会が多いため、何か「から」を付けることが自然なように感じてしまっているのではないかと思います。 これは、ちょうどの時に「お預かりします」と言ってしまう人が居るのも同じ理由で、「いただきます」と言う頻度の方が少ないということではないかと思います。 ちなみに「からお預かり」は私も使っていたことがありますが、これは単純に、自分が客として会計をする際に「からお預かり」を使う店員が居たため、それが普通なのだと勘違いして使ったものでした。 基本的には、ちょうどの時は「いただき」、つり銭のある時は「預かり」、「から」は会計の際に使う必要は無いものと考えています。 例外として、たとえば1300円の場合、客が1000円を出して、「ちょっと待って」などと言って小銭を探した場合、「お先に1000円からお預かりしますね」と言うことは不自然ではないと思いますが(後に300円ないし500円が続く筈ですから)、これも特に日常生活で聞いたことは無いです。

meifa
質問者

お礼

何となくつけているような場合はもちろんのこと、引く意味だとしても 本当に「から」がなんなのか、当てはまる用法が見つかりませんよね。 >テレビ その見解は聞いたことがありませんでした。後ほど探してみます。 確かに、コンビニやスーパーのレジなんかはお客さまが並んでしまうともう、一種の流れ作業のような感じになってしまうことがありますし、何度も使えそうな言葉がついつい癖になってしまっているという可能性もありますね。 全く違う言い方をするよりも同じ言葉を使い回した方が頭使わなくて良いですし。 例外は私もないです。というか、普通はあんまりそれはしないかも… 「追加でお金を出そうとしているのにどうして取るのよ!」と怒られてしまう可能性を考えるとあまり。 新しいご意見をありがとうございます。参考にさせて頂きます。

noname#118935
noname#118935
回答No.7

「1000円からお預りします」とレジでいわれたら、「預けた1000円を一体どうしてくれようってんだ?」と客は不安になります。 「から」は引き算でしょう。だから、からのあとは、「1000円からお買物金額700円を頂戴いたします」とつづくものと無意識に客が思うところで、予想もしなかった「お預りします」がくるんだから、「どういうこと?」と客の膝もガクンとくるでしょう。

meifa
質問者

お礼

私も、そうだと思うんですがどうも大半の意見はそうでないみたいでして、悩んでいます。 amuruさんは「お預かり」の方がおかしい…方が、とまで行かずとも「お預かり」はおかしいと感じてらっしゃるようなのですけれど、何故か「からお預かりします」を糾弾なさる方々というのは「お預かりします」の用法がおかしいことを棚に上げ、「から」ばかりを責め立てることが多いです。 何故、「お預かりします」を当然視して「から」を直せとばかり言うのか、その理由が知りたくてこの質問を投稿させて頂きました。 私の持つ疑問と近い意識の意見をお聞きすることが出来、嬉しいです。 回答有り難う御座いました。

noname#215107
noname#215107
回答No.6

再度No.2です。 補足します。 No.2での回答の主旨は「***円から」という表現はいきなり発生したのでは?と言うことです。。 というのは、その成立過程の表現を聞いたことがないからです。 ただ、その一方で、気になっていることがあります。 何年も前に、「から表現」が聞かれ始めた頃、特に1万円札など高額紙幣を出した時に、「1万円からでよろしいですか?」とレジの人に尋ねられることが多かったと思います。 1000円札を出した時より、1万円札を出した時のほうが、明らかに頻度が高かったと思います。 私は当時、直感的に、「1万円紙幣から会計を始めてもよろしいですか?」(=小銭はないんですね?) と聞かれたのだと思いました。 「1万円からおつり分の7000円をお預かり」という説もあると思います。 しかし、私はいつも「1万円から会計スタート」という意味に取ってしまうのですが、いかがでしょうか。

meifa
質問者

お礼

>補足 すみません、私の読みが浅かったというか深すぎたというか… 新しい意見を提示して下さっていたのですね。 勘違いした返答をしてしまって申し訳ありません。 そういう考え方も確かに有るかも知れません。 誰かが突然使い始めたのが流行りだしたとすれば、「から」に特に意味はなく、強いて言えば「丁寧な意味を付け加えているような気がするから」言葉に対する意識の薄いコンビニ等のアルバイト辺りから広まっていったということでしょうか。 あるいは、私のように「言いやすいから」言っていた人もいるかもしれませんね。(笑) 参考にさせて頂きます。 >何年も前に、「から表現」が聞かれ始めた頃、特に1万円札など高額紙幣を出した時に、「1万円からでよろしいですか?」とレジの人に尋ねられることが多かったと思います。 現在どのように使われているかはとりあえず置いておいて(少なくとも私はそのような意味の「から」は金額読み上げの前に別途お客様に尋ねています)、突然「からお預かりします」が出現したとすれば、会計スタートの意味で使われていたものが転用されたという可能性もあり得ますね。 別視点からのご意見、大変参考になりました。ありがとうございます。

  • usap
  • ベストアンサー率33% (525/1577)
回答No.5

お礼読みました。 敬語のつもりというか、丁寧に言うつもりで「から」を使っているからダメだと言われていますよね。表現をぼかすというか、あいまいにすることで、丁寧にしてる「つもり」なんだと思います。 「1000円からのお支払いですね」と相手の意思を確認する言葉が、「1000円からですね」と省略されるならわかります。 「1000円からお預かりします」となると「1000円から何かをお預かりします」という「自分の意思」を確認しています。 「1000円からですね」でもいいと思うんです。 それなら「から」を使ってもおかしくないです。 逆に「1000円から頂戴します」というと、「頂戴する」という直接的な表現がたぶん「お釣はあるよね?」と相手に不安を抱かせることになると思います。「頂戴します」も「お預かりします」も、お客様の意思を確認するのではなく、自分の意思表示というか、自分が何をしようとしてるかを確認しているからです。受身ではなく、こちらはこうします、という意思表示です。「お預かりします」を「から」であいまいにすることで、自分の意思表示をぼかして、それを「丁寧に表現している」と思っているのが、おかしいわけで。 自問自答なら「から」だろうがなんだろうが、それでいいんですが、小額でも取引ですから、自分の意思だけではなく相手の意思を確かめるのは大切です。支払うほうが聞くと「から」よりも「頂戴します」という言葉のほうが印象に残るので、「1000円から頂戴します」は誤解を生じる可能性があると思います。「から」を強調するとか、言い方次第では使えると思いますが、そんな面倒なことをせず「から」を省いて「1000円お預かりします」にすれば済みますよね。誰にでもできることです。 「お預かりする」という丁寧な表現を「から」で台無しにしてしまってるので「から」を省くほうがいい、と私は思います。

meifa
質問者

お礼

投稿して頂いた時系列に沿って考えたいので別々にお礼させて頂きます。 それと、一日PCに触れなかった間に何かあったようですが 対応も何も出来ず、申し訳ありませんでした。 なるほど、と感心するばかりです。 「頂戴」という語は確かに「ちょ」「だ」などはっきり聞こえる音が入っていたり、音のみで構成された熟語であるために印象が強く、「から」に対する印象が薄くなりますよね。 自分の中でどのように考えていたとしても、相手に伝わらない可能性があるのならばやはり避けるべきなのかもなと感じました。 ご返答有り難う御座います。

  • sak_sak
  • ベストアンサー率20% (112/548)
回答No.4

“若者言葉”と言われるものであっても 言葉が作られる際のルールは従来のものと似ていたりします。 なので言われれば納得がいく場合もあります。 たとえば「おな中」は「同じ中学」の略だそうですが 「おじち」などとしない理由は何かあると思います。 「お預かりした1000円から」が「1000円から戴きます」というのは 語順も替わっているし、短縮と考えるのは無理があると思いますし 他に例が無いような気がします。

meifa
質問者

お礼

私の言葉足らずのために上手く意図する事が伝えられず申し訳ありません。 成立過程についての私の考察はNo.2へのお礼を参照して頂ければ幸いです。 語順が入れ替わっている、のではなくて「お預かり」と「戴く」の意味が混用されているのではないかということです。 新しい言葉が作られるためのルールというのはsak_sakさんの仰るように確かに存在すると思います。 金田一春彦の「日本語」か「ホンモノの日本語を話していますか?」に多分それについての記述があったかと記憶してます。 慣用的なものとはいえ、日本人が良いと感じるように変化しているはずなので、明らかに違和感があるような変化はし辛いですよね。 アドバイスありがとうございました。

noname#215107
noname#215107
回答No.3

再度No.2です。 興味深い資料を見つけました。(あくまでも参考まで) http://www.tyg.jp/tgu/school_guidance/bulletin/k12/kiyo12.html

noname#215107
noname#215107
回答No.2

「~からお預かり」の成り立ちですが、私は、額面どおりの「千円"から"何かをひく」という具体的な意味はないと思います。 もし省略されているとすれば、この言い回しの初期の成立過程で、「千円からお釣りの***円をお預かりします。」という言葉がレジで聞かれていたはずですが、私は、そのようなことは聞いたことはありません。また、「千円丁度からお預かりします」という使用例もあります。 つまり、ここで言う「から」は、あいまいに目的語を示すという機能しかしない。 「千円からお預かり」とは、取りも直さず「千円をお預かり」という意味で使われ始めている。 ・・・と思うのですがいかがでしょうか?

meifa
質問者

お礼

No.3の参考ページもありがとうございます。拝見しました。 なぜ「から」がおかしいのか、なぜ「から」になってしまったのかについて詳しく解説されていてとても参考になりました。 成立過程を考えてみるというのは今まで考えつきませんでした。 確かに額面通りの意味合いで考えていくとそのような成立過程があって然るべきですよね。 なのですが、すみません…最初の記事で私が成立過程を「短縮されたり混用されたり」などと適当に書いてしまった為に私の意図をきちんとお伝え出来ませんでした。 「短縮されたり」というのは「お預かりした」と「700円」を削除してしまうことで、「混用」というのは「お預かり」と「頂く」の混用ということです。 ですので、成立過程があるとすれば「お預かりした1000円から700円戴きます」→「1000円から戴きます」→「1000円からお預かりします」かと思います。 混用については下のページの下から二番目の段落にあります。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv9k-fkd/zatubun/karagoyo.html しかしながら、TXV12003さんの仰るように「1000円丁度からお預かりします」という表現があることも事実ですし、また正味な話それを使っている人…あるいは「からお預かりします」そのものもそうですが、使っている方には大した意識なんてない場合が殆どでしょうね… 私なんかは「から」を「5から3をひく」と同じ用法(少なくともそのつもり)で使うと同時に「お預かりします」だけで済ませないのは単に滑舌が悪いので「から」という破裂音を入れた方が言葉がはっきりと最後まで発音出来るからだったりします。 使ってる方の意識云々の話をし始めてしまうと元も子もないかもしれないんですけれども。(笑) 新しい見方からのご意見、ありがとうございました。

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    仕事や趣味で漢字の意味や読みなどを調べたく、漢字辞典の購入を考えています。用途としては漢文ではなく、日常的な書き物の中で漢字の意味、用法、なりたちなどを知りたいという感じです。 条件としては 1:JIS第1水準~第4水準漢字が網羅されていること 2:上記コードが明記されていること 3:できれば用例が豊富なこと 4:予算的は3,000円前後 最終的な判断は書店で見るしかないのかもしれませんが、皆さんの経験からお勧めの辞書があればリストアップをお願いいたします。

  • 「知る=治める」の用法はいつから

     しる〔知る〕(しらす、しらしめす、しろしめす)には、「治める」という意味がありますが、これは日本語(大和言葉)に古くからある用法なのでしょうか。それとも漢字の伝来以降に用いられるようになった、「漢字の『知』(中国語)」に由来するものなのでしょうか。  「学研漢和大辞典」では、「知」の五番目に    (動詞・名詞)州・県の役所の仕事をよく心得ている。また、そのような人。    主任や地方の長官。「知事」「知県(県長)」 という項目がありますが、「治める」という意味での単独の動詞としての項目はありません。(『大漢和』は今近くにないので、未調査です。ネットの「語源由来辞典」の「知事」の項〈 http://gogen-allguide.com/ti/chiji.html 〉は見ました。)  同じく学研の古語辞典では「知る」の項には、    (二)は、知るということがそれを支配することにつながる意味で    古語「知る」を理解するポイントである。 との注記があり、   (二)(1)治める。統治する。(2)所有する。領有する。 とあります。『大辞泉』『大辞林』などでは(1)の用例として、『古事記』の例文を挙げてあります。  なんとなく、漢字の伝来よりも前から日本語にある用法のようにも思うのですが、ご存じの方、お教え願います。

  • 「保守的」という言葉の使い方について

    次のような意見文がネットにありました。 その中の★「保守的」という言葉の使い方についてお伺いいたします。 ********************************* ・・・次のような指摘を、ネットで見つけました。 (例) 「より」と「から」を混同しない。 「より」を「から」の意味に使っているケースが、散見されます。「より」は、比較を表す場合に使い、起点を表す場合は、「から」を使います。 ・悪い例 A社より、当社と取引するという電話がありました。 ・よい例 A社から、当社と取引するという電話がありました。 しかし辞書を開ければ、格助詞の「より」には動作・作用の起点を表わすという記述が見つかります。この方は、どうも文法をあまりご存じないらしい。あるいは用法を狭めるべきだと主張しているように思えます。しかしそもそも、それほどまでに日本語の文法がしっかり決まっているのでしょうか。あるいは、将来的にしっかりと決めなければならないものでしょうか。 文章を修練して「美しい日本語」を目指されている方は、多くいらっしゃると思います。しかし、我流なのか、あるいは学術的な裏付けがあるのか知りませんが、もともと用例があったものを認めなくなりつつあるという★保守的な風潮を、いかがお考えでしょうか。・・・ *********************************** 【質問】 「もともと用例があったものを認めなくなりつつある」ことは「保守的」なのでしょうか。 「保守」とは、もともとあった用例をそのまま認めてその用法を守っていくことではないのでしょうか。 (「美しい日本語」について一家言をお持ちのような御方の文なのでチョッと気になりました)

  • イタリア語: giocare al tennis?

    こんにちは。 イタリア語を勉強中なのですが、ちょっと気になることがあるので質問させてください。 某伊和辞典の"tennis"の用例に、 giocare al tennis  テニスをする というのが載っていたのですが、 昨日NHKイタリア語講座を見ていたら、 "giocare a tennis"と言っていたので、 "a" と "al" の違いが気になってしまいました。 "al" は 前置詞 a + 定冠詞 il の短縮形だと思うのですが、 "giocare al tennis"という言い方は一般的なのでしょうか? 一般的だとしたら、"giocare a tennis"との違いはあるのでしょうか? どなたかお詳しい方、ご回答いただければ助かります。 よろしくお願いします。

  • 日本語の保守化する傾向について

    しばしば「美しい日本語」という論点を提出して、言葉の乱れを批判する方がいらっしゃいます。確かにちょっとした一言のニュアンスで腹が立つこともあるのだから、表現を正確に伝わるように訓練するのはよいと認めるところです。しかし、時には用例があるにもかかわらず、用法を狭めている方もいるのです。たとえば、次のような指摘を、ネットで見つけました。 (例) 「より」と「から」を混同しない。 「より」を「から」の意味に使っているケースが、散見されます。「より」は、比較を表す場合に使い、起点を表す場合は、「から」を使います。 ・悪い例 A社より、当社と取引するという電話がありました。 ・よい例 A社から、当社と取引するという電話がありました。 しかし辞書を開ければ、格助詞の「より」には動作・作用の起点を表わすという記述が見つかります。この方は、どうも文法をあまりご存じないらしい。あるいは用法を狭めるべきだと主張しているように思えます。しかしそもそも、それほどまでに日本語の文法がしっかり決まっているのでしょうか。あるいは、将来的にしっかりと決めなければならないものでしょうか。 文章を修練して「美しい日本語」を目指されている方は、多くいらっしゃると思います。しかし、我流なのか、あるいは学術的な裏付けがあるのか知りませんが、もともと用例があったものを認めなくなりつつあるという保守的な風潮を、いかがお考えでしょうか。僕にはどうも納得いかないのですが。