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悪い事

mogurayamaの回答

回答No.19

こんばんは!! No15のmogurayamaです。 <つまり、『都合よく生きる為には社会があった方が良い』と言う事を <提示してやって、本人に確かめさせればいいのですね? ご質問ありがとうございます。 さて、悪いことについては前回述べさせていただきましたが このご質問には「良い」「いい」という価値基準がございます。 この「良い」「いい」は何を指しているのでしょうか。 お子さんにとってでしょうか。 minitureさんにとってでしょうか。 はたまた、mogurayamaにとってでしょうか。 「悪いこと」には客観的な原本があるわけでなく 相対的なものあるように「良い」も同様です。 なので <『都合よく生きる為には社会があった方が良い』 とか <本人に確かめさせればいい かどうかは minitureさんにとって良いと思えるものなら minitureさんにとって良いのでしょう。 客観的に、人類普遍的に良いかどうかは誰も分かりません。 現在の社会的に良いかどうかは、社会ルールの遵守は 現在の社会にとって良いとされれていることです。 そうすることで成り立つ社会システムですから。 お子様にとって良いことかどうかは、 お子様がそれが良いことだと思えて初めて お子様にとっては良いことになるでしょう。 ですが、社会ルールを無視して刹那的に生きることが あなたやお子様にとって良いことならあなたやお子様とってそれが良いことのはずです。 誰も「あなたにとって」にはなれないのですから。 むろん、社会やそれに甘んじて属しているmogurayamaに とっては迷惑と思われます。 道徳的概念と宗教的概念を抜きにして、 お子様に良い悪いを言うならば、 相対的なこのような説明となると思われます。 中学生くらいならこのような感じとなりそうです。 このような説明がminitureさんにとって お子様の教育に良いか悪いかは、これまた minitureさん次第と思われます。

miniture_min
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >お子さんにとってでしょうか。 minitureさんにとってでしょうか。 はたまた、mogurayamaにとってでしょうか。 そういう意味ではなかったのですが、あえて言うなら『当人にとって』という言葉がベストです。 社会ルールを無視して刹那的に生きる事と社会の恩恵とを天秤にかけて考えるという意味でした。 確かに、それでは刹那的に生きた方が良いと言われたら困ります。 ですが、それは思慮が足りないか本当にそちらが正しいかのどちらかです。 前者なら繰り返しの経験でいくらか考え直す機会があるでしょう。 後者なら問題ないです。

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