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何故生物には死があるの?あの世や霊は存在するの?

僕は15歳ですが、寝る前にふと死について考えると恐怖のあまり涙が出て眠ることが出来ません。景色がなく、音もない、考えることも出来ない、死後はいつまでも闇の中。誰とも会話したり、遊びに行ったりも出来ません。これを考えるだけでもう高1にもかかわらず今すぐ睡眠中の親の所に泣きつきたくてたまりませんでした。 あと、よく人間は死後は天国地獄に行き、この世に執着心が強いものは霊となってこの世に停滞するといわれています。 僕の母親の知り合いにとても霊能力の強い女子高生がいるのですが、どうやらサイパンとかではやはり日本軍の霊が海にうじゃうじゃ見えるとか言っています。 そういうものを聞くとなんとなく霊・あの世を信じてしまうのですがどうしてもあの世の存在には矛盾があります。 本当に霊やあの余波存在するのでしょうか? 何故生物には必ず死があるのでしょうか? 長文にもかかわらず読んでいただいて有難うございます<m(__)m>

質問者が選んだベストアンサー

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  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.3

こんにちは。 質問者さんはもちろん子供ではありませんから、もう何でもきちんとした判断が付けられます。にも拘らず、闇や死の世界が怖くて堪らないというのは、もしかしたら何か子供頃にそのような体験があるのかも知れませんね。それが何なのかはご自分でも憶えていないと思いますが、要は誰にでも「苦手」はあるということです。そして、このようなものはまだ物心の付かない頃の幼児体験に原因のあることが多く、大人になってもしばしば現れてしまいます。 ですから、苦手というのは誰にでもあることですし、闇や孤独を恐れるというのはみな同じですから、それは別に気にすることではありません。ただ、怖くなったり不安を感じたとき、親を頼るというのはそろそろ止めた方が良いと思います。 子供の頃にそれを怖いと思うのはまだ自分の考えがしっかりと持てないからです。ですが、質問者さんはもうご自分で何でも判断の付けられる年齢であります。ならば、仮に怖い、苦手、と思っても、今現在、自分が実際に危険に曝されているわけではないということはきちんと理解できるのですから、そのときに親や他人を当てにする必要はないはずです。自分自身で心の中というものを整理することができるのならば、仮にそれが深層の幼児体験記憶であったとしましても、そのような恐怖に対する抵抗力は成長と共にある程度は備わってゆかなければなりません。 死の世界というのは誰にとっても怖いものです。ではそのとき、普通のひとはどのようにして頭の中を整理するかといいますと、「死後の世界」などというものは存在しないのだから怖がる必要はない、ということになります。 質問者さんはご自分でも矛盾すると思いながら、ついついそれを信じてしまいます。無いと思うならば怖くはありませんが、あると思えばどうしても不安になります。 従いまして、最初に申し上げておかなければいけなかったのですが、このご質問に対する私の意見は「死後の世界は存在しない」です。このように申し上げますと、確かめたわけでもないのにどうして存在しないと言い切れるのか、ということになります。確かにそうですよね。 では、「死後の世界」の方はちょっと後回しに致しまして、我々が今生きているこの世界というのは現実に存在するものなのでしょうか。果たして、これを立証する手段はありません。 この世界が現実に存在するものであるかどうかを確かめることができないというのは、要は我々には夢と現実の世界を区別することが絶対にできないということです。 夢といいますのは頭の中に描き出された世界であります。これに対しまして、現実の世界といいますのは目や耳から入った情報を基に作られるものです。ところが、確かにそれは自分のいる環境からの感覚情報として入力されたものであるかも知れませんが、仮にそうであったとしましても、我々がそれを感じるということは、取りも直さずそれは、そのようにして得られた情報を基に「頭の中に世界を描き出す」ということであります。ならば、それはどちらも自分の頭の中に描き出された世界でしかありませんので、我々には今現在に感じているものが夢であるのか現実であるのかの判定を下すことはできないということになるわけです。 このように、我々には現実の世界が存在するということを証明する手段がありません。ですが、それが実際に存在するか否かを確かめることはできないのですが、我々が今、それを感じているのは紛れもない事実であり、それを感じている自分がそこに存在するということだけは間違いのないことであります。 「我思う、故に我あり」 中学で習っていると思いますが、これがこの言葉の解釈です。 我々は、この世界が実際に存在することを立証することはできません。ですが、世界が実在するかどうかは分かりませんが、自分がそこに存在するということだけは、これによって証明されます。 現実の世界と同様に、「死後の世界」が存在するかどうかもまた確かめる手段はありません。では、もし仮に我々にそれを感じることができるとしますならば、自分が主体として死後の世界に存在することは可能であるということになります。 ですけど、死んでしまえば何かを感じるというのはどう考えてもできませんよね。ならば、そこでは自分の存在というものを立証することは絶対にできないのですから、死後の世界が実際にあるかないか以前に、感じることができない以上、それは無いも同然ということになるわけです。 このように、夢の世界や現実の世界であるならば、それを感じることによって我々は自分の存在を立証することができます。ですが、死後の世界ではそこに存在すること自体が許されません。 我々が何かを感じるというのは、それは脳細胞が機能しているということです。この脳細胞の機能が停止してしまいますと、我々は何かを感じたり、考えたりすることはできませんし、記憶に残るということもありません。 良く、「臨死体験」の話を聞きますが、中には三途の川が見えたとか、そこは天国のように穏やかな世界だったなどと語るひともいます。ですが、それを記憶として語ることができる以上、脳細胞は間違いなく生きていたということでありますから、それは飽くまで「臨死体験」であり、実際に死後の世界を体験したということにはならないわけです。 このように、我々が何かを感じ、それが記憶に残るということは脳が生きて機能しているということです。では、医学が発達して、一旦停止してしまった脳の機能を元に戻すことができるようになるならば、それは間違いなく死後の世界から生き返ったということであります。ですがその間、脳の機能というのは停止しているのですから、死後の世界の方の記憶が残っているということはあり得ません。従いまして、死後の世界を体験し戻って来たというひとは、この世界にはまず一人もいないということになります。 「死後の世界」を体験することは何びとといえども絶対にできません。質問者さんがお考えになるように、確かにそれは真っ暗闇で孤独な世界だと思います。ですが、それを感じることができない以上、少なくとも恐怖などといった感情が発生することはありません。 つまり、恐怖というのは生きているからこそ感じるものであり、一旦死んでしまった以上、本人に苦痛が発生することは絶対にあり得ないわけです。ですから、何時の将来においても質問者さんがこの先に闇の恐怖や無の孤独といった「死後の世界の苦痛を体験する」ということは死んでもありませんから、今からそれを心配する必要は全くないです。無いものを恐れることはありません。信じるから不安になるんです。 「死そのもの」は何れ訪れる事実でありますから、それを恐れるというのは誰でも同じです。ですが、「死後の世界」というのは存在しないのですから、それ以降の心配は一切無用です。 「死後の世界が存在しない」というのはこういうことであります。 では、我々がそれを体験することができないのは脳細胞の機能が停止するからなのですが、この脳内で行なわれる「情報伝達」が肉体の消滅によってそこを離れ、これが意識や心としての機能を果たすならば、それによって死後の世界の体験は可能ということになります。ですが、このようなものを我々は「魂」と呼ぶわけですが、これは飽くまで人間が想像したものであり、実際には存在しません。何故ならば、脳やコンピュータなどの実体を持たすに情報伝達だけが行なわれるというのは、残念ながら現在の科学では否定されなければならないからです。同様に、天国も地獄も実際には存在しないのですが、我々人間にはそのようなものを想像によって作り出すことができます。 このように、魂というものの存在が科学的に許されないということでありますならば、サイパンで戦死した方々の霊がこの世を彷徨うことはあり得ないわけです。ですから、それは存在しないのですから、その霊能力の強いという女子学生さんにも見えるはずはありません。ならば、見えないものを見ているということは、それは頭の中で想像をしているということです。ですが、このようなものを頭の中に思い描くというのは誰にでもできることなのですから、それは別に特殊能力でも霊能力でも何でもないということになります。では、その女子学生さんはどうしてそのようなものを頻繁に頭の中に思い浮かべるのでしょうか。 地獄を恐れるならば頭の中にそれが対象化され、天国に憧れるならば我々の心にはそれが生み出されます。このように、想像といいますのは我々の「心の動き」によってもたらされるものです。ならば、その女子学生さんの想像といいますのは、自分でも気付かないたいへん「多感な心の動き」によって発生しているとことになります。恐らく、その娘さんは魂の存在というものを信じており、亡くなったひとのそれがこの世を彷徨うのは可哀相だと思う気持ちが強いのではないでしょうか。そして、それは人類が見たこともない天国や地獄を想像したり、質問者さんが「不安な死後の世界」を想像するのと全く同じことです。 「何故、死ぬのか」といいますならば、それは我々多細胞生物の体細胞には「分裂回数」という寿命が定められているからです。 「何故、死があるのか」といいますならば、古いものを整理して新しいものを残すためです。 我々の人体は60兆に及ぶ細胞から成り、それは細胞分裂によってどんどん作り出されています。ですから、先に分裂した細胞といいますのは古くなれば使えなくなりますので、それは順番に破棄されなければなりません。 風呂に入れば毎日垢が出てくるのは、それは古くなった皮膚の細胞が外側から落とされてゆくためであり、我々の身体の組織といいますのは、これによって常に新しいものに作り変えられています。このように、我々多細胞生物といいますのは、古くなった細胞はちゃんと死んでくれなければ新しい細胞と入れ替えることができないわけです。 ところが、この細胞分裂には分裂回数に制限があり、それが我々の寿命を決定します。ですから、この分裂回数を使い切ってしまいますと、組織を新しくすることができなくなり、やがて個体は死を迎えることになります。我々人間は、この細胞分裂の繰り返しによって概ね150年くらいは生きられるだろうと考えられています。 このように、我々多細胞生物の体細胞には「分裂回数という寿命」が定められています。これに対しまして、有性生殖を行なわない単細胞生物の細胞には分裂回数の制限というものがありません。何故ならば、生殖を行なわない単細胞生物は分裂ができなくなればその時点で絶滅してしまうからです。 ですから、それは幾らでも分裂の可能な「無制限分裂細胞」であるため、我々多細胞生物とは違い、単細胞生物には「寿命」というものがありません。ですが、先に分裂した細胞といいますのは機能劣化によって順に老死してゆきますので、そのコロニーの個体は常に新しいものと入れ替わっています。 では、「細胞の死」というのは新しいものと入れ替えるために必要であるというのは分かります。ならば、我々多細胞生物というのは分裂によって新しい細胞の入れ替えが行なわれるならば何年でも生きていられるはずです。にも拘らず、どうして分裂回数に制限が加えられ、わざわざ寿命というものを迎えなければならないのでしょうか。 多細胞生物に寿命があるのは、それは細胞を入れ替えるためではなく、「遺伝子を入れ替えるため」です。古い遺伝子を整理して新しいものを残すためには、そのためには細胞の死ではなく、「個体の死」というものが定められていなければなりません。これにより、有性生殖生物は遺伝子の劣化や障害の蓄積などが自分たちの子孫に残されるのを防いでいます。 「寿命」というものがどのようにして決定されたのかはまだ分かっていませんが、生物にとって「死」とはこのような役割を果たすものであると考えられており、そして、それは我々多細胞生物が有性生殖という繁栄手段を獲得すると同時に定められた重要な使命であります。

その他の回答 (7)

noname#74145
noname#74145
回答No.8

簡単明瞭に Q:本当に霊やあの世は存在するのでしょうか? A:有りません、無いと言う証拠など勿論有りませんが有るとした場合の矛盾は到底見過ごせません。 Q:何故生物には必ず死があるのでしょうか? A:死が有るからそれを栄養源として子孫や他の生命が生まれるのです。仮に死が無ければ地球上は生命で溢れ食料は不足し一定の数になったときお互いを殺しあってその数を調整する動きが起きますね。 そもそも恒星でさえ、いやこの宇宙でさえ寿命が有るのですよ、生命だけが無限の時間生きたいなんておこがましい事だと思いませんか? >これを考えるだけでもう高1にもかかわらず今すぐ睡眠中の親の所に泣きつきたくてたまりませんでした。 仕方ない事です、何をどうしても絶対に避けられない事を悩んでも仕方ありません。貴方は若いからそのように考え悩むのです、それはとても素晴らしい事だとは思いますよ。出来る事ならその悩み、恐怖をご自分の人間力アップに繋げられれば良いですね。 でも限られた一生を如何に光らせるか、如何に良く生きるかと言うのが人間のみが持っている能力であり楽しみですね。 企業の定年も同じです、長老が何時までも発言権を持っていてはその組織はエネルギーを失います。

  • PAVONES
  • ベストアンサー率18% (7/38)
回答No.7

こんにちは あなたがこの質問をするのにこのカテゴリーを選んだ事と、あの世の存在に矛盾を感じている事を考えると、あなたはかなり物事を客観的かつ学術的に考えるタイプだと思います。 No.3さんの回答は十代のあなたにはかなり難しい内容ですが、できればプリントアウトしてよーく読んでみてください。素晴らしい内容だと思います。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.6

若いうちに死に対する恐怖がなかったら、人は何歳まで生きていけるでしょう。実際、死やあの世(彼岸)の意識が薄れている現代、自分だけでなく他人の命も価値を認めず、簡単に奪ってしまっています。 若いうちは死に対する恐怖があるから、生きていけるのです。 テレビで僅かの期間共に暮らした人達との別れで思わず泣いてしまいますよね。学校の卒業式もそうでしょう。だから人は死ぬ事(別れ)に悲しみを感じるのです。 若いうちは死に対する恐怖心があって当たり前。恐怖心があるから無軌道に突っ走ってしまう事もなく、慎重な行動が取れるのです。 もし、寿命が来ても死に対して恐怖心が強かったら、それこそこの世の地獄ではないでしょうか。 私達の本体は「霊」です。霊が肉体を持っているのがこの世です。 人は生きている間に良い事だけを出来る訳ではありません。間違った判断や、やむをえず人に悪い事をしてしまう事もあります。 人は最終的に、完全体になるために、何度も生まれ変わる事によって、シチュエーションを変えてその問題に取り組み、正しい判断をしていきます。 それに肉体はいずれ故障が多くなっていきます。だから新しい肉体を手に入れ、新しい人生を繰り返す事で、何度もチャレンジできるのです。 あの世が本当にあるのかは証明できません。 霊能者が見る霊の正体(前世)は霊にすり込まれた残像を見ているのです。死の直後は残像は鮮明ですが、次第に薄れていきます。 薄れていかず、全てを鮮明に覚えていたら、何千年もの記憶が全て残っていたら、果たして良い結果をもたらすでしょうか。 人は最近になってやっと「トリノ」と言う物質(?)を発見しました。「宇宙間物質」がある事も知りました。しかし、これらの多くはそのものを見ることは出来ません。発光という現象だったり、数学的な確率だけで存在を認めているだけです。 霊の存在も、いずれは証明できるかもしれませんが、今はそこまで人の知識は進んでいません。 でも、状況的には次第に認めざるを得ない方向に進んでいると思います。

  • peror
  • ベストアンサー率21% (17/79)
回答No.5

私は、あまり、yamadakomawari様のようには、死後について考察したことはありませんが、 以前読んで覚えた言葉を思い出しました。 「死後を恐れる必要はない。生前を恐れなかったように。」

  • ppp4649
  • ベストアンサー率29% (614/2093)
回答No.4

●質問の回答 霊やあの世は存在します。 死は種が生き残る為に必要だから ーーーーーーーーーーーーー ●意見 自分は幼稚園か小学生の頃から「死に対しての恐怖」が有りました。あなた同様に「死=終わり=何も無い」と言う考えでした。でも、今はそうは考えてません。 死は1サイクルの過程でしかないと考えています。死んでも又生まれ変わります。霊の存在がその証では無いでしょうか。自分の目に見えているものだけが全てとは考えては駄目です。科学的に証明されてるだけでも人間の目に見えない物は沢山有ります。まだ証明されない物もあります。 死は肉体の終わりでしか無いのです。魂は死にません。以上

noname#194289
noname#194289
回答No.2

いろいろな考え方があります。私は、自分の体は死ぬことを怖がったり嫌がったりしていないように思います。嫌がっているのは私だと思います。きれいな花だって散ってしまいます。良い景色だって雨が降れば台無しです。すべて思い通りにはなっていません。きれいな花だって良い景色だって自分が消えてしまうことを嫌がっていません。だから体も老化したり死んでしまうことを嫌がっていないと思います。私だけがいやがっているというのは頭の中で自分の世界を作っているからだと思います。頭の世界だって実は消えてしまうことを嫌がっていないのだろうと思うのですが、一応今は存在しているのだからしばらくは大切してみようと思っています。霊とか幽霊とかそういうも頭の中の世界にあると考えるのはよいとしても頭の外の世界にはないと思っています。

回答No.1

私は貴方の2倍以上生きていますが、同じような体験をしました。今でもたまに死んだ後の完全なる無の世界を想像して恐怖することもあります。 しかし、たとえ固体が永遠の命を得たとしても、星は死にます。銀河も死にますし、宇宙でさえ有限の時間しか持っていません。 なぜ、あらゆる存在は、死ぬのでしょうか。 実は、生物は長い進化の過程で、死という最高の発明をしたのです。生物は、個体が死ぬことで、環境の変化に耐え、新しい命を生み出してきました。 そうやって生物が死に、生まれることで、私たちの多様なすばらしい世界がつくられたのだと思っています。 私たちが死を免れないことは、私たちが紛れもなくそれらの命の仲であることの証だと思います。

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