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違いを教えてください。

阿弥陀如来とはなんですか? 弥勒菩薩とはなんですか? この2つの違いについて教えてください。 お願いします。

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  • neil_2112
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回答No.3

いろいろと混乱があるようですので、脇からですが少々コメントします。 >日蓮宗は釈迦がまだ入滅していないとの立場 >それでは釈迦はいつ入滅 これは単純な誤解です。 日蓮宗はご承知のように法華経(妙法蓮華経)を至上としますが、この経典に説かれている「久遠実成(くおんじつじょう)」という思想がその教義の核になっているのです。 歴史上の人物としてのお釈迦さんは実在の人物で、35歳で悟りを開き、80歳で亡くなったことは史実です。久遠実成の思想というのは、このお釈迦さんを悟らしめた永遠不滅の仏としての「釈迦仏」を想定するものです。「法身仏」と言いますが、実在の仏でなしに、いわば万古不易の法そのものを仏として尊崇するのです。 人間としてのお釈迦さんが説いた法はお釈迦さんの創作や独自の説法というわけでなく、むしろ縁起や無我など、ものや人を貫く法則としてのものだったために、いわばお釈迦さんをも含めた一切の背後にある「法そのものとしての仏」が想定されたわけなのです。法を擬人化して仏と呼ぶ、とも言えます。 この思想が展開してくると、歴史上のお釈迦さんが亡くなったのは人々を救済するための手段(方便)としてであって、真実においては「釈迦仏」は無限の寿命を持ち、無限の過去に悟りを開いた存在で、それ以来ずっと教えを説きつづけている、ということになってきます。それが法華経の立場です。 法華経の如来寿量品という章の後半には、「方便現涅槃 而実不滅度」という言葉も出てきます。これは「お釈迦さんは方便として死んでみせるのであって、実際には亡くなっていない」という意味ですが、まさにこの「永遠の寿命を持つ釈迦仏」という思想を表しているものです。 ですから、ご質問の「まだ入滅していない」というのは、文字通り受け取ったのではちょっと混乱を招くと思います。“お釈迦さんは亡くなったけれど、久遠の仏としての釈迦仏は入滅しない”(そもそも生まれてもいない、とも言えますが)、というのが法華経の立脚点で、その法華経を信じることでこの世で救われるというのが日蓮宗の立場です。 >阿弥陀如来を否定し「常寂光土(今生きているこの世が即浄土)」 日蓮宗が他宗やよその仏に対して排撃的なのは常のことで、別段阿弥陀如来だけを否定するわけではありません(ただ、阿弥陀如来についても「久遠実成」の思想が波及しましたから、その意味で多少余計に排斥する部分があるかも知れませんが)。 上にも書いた通り日蓮宗は法華至上主義であって、「法華経」を信仰するものだけが信心を媒介にして釈迦仏の世界に導かれる、つまり永遠不滅の救いにあずかれる、という信仰からそうなるのでしょう。法華経という経典そのものが、長大で一種独特の世界観と魅力を持っていることは事実ですし、また「私を読みなさい」という意味の教えが複合的に織りこまれているせいもあるかもしれません。 「常寂光土」は法華経への信心によってもたらされる浄土を表す言葉であって、「今のこの世が浄土」という意味では必ずしもありません(それでしたらば「娑婆即寂光土」のことでしょう)。 「常」とは生滅の変化の苦しみがないこと、「寂」とは煩悩に苦しめられないこと、「光」とは全てを照らす智恵がある、という意味です。 >弥勒菩薩が現れるまでの56億7000万年の間 確かに色々な解説本に「弥勒菩薩」のことがこのように紹介されていますが、現実問題として各宗派の教義に影響がどれだけあるかと言えば、ほとんどないと言っていいでしょう。実際に現在弥勒菩薩がうんぬんされるのは、信仰としてより解説があるゆえであって、いち情報として右から左に動かされているに過ぎません。 確かに弥勒菩薩については三部経を初めとしてたくさん経典があります。基本的に「上生」といって、弥勒菩薩のいる天に生まれることを説いたものです。 弥勒菩薩は7世紀頃に日本に伝えられて以来、貴族を中心に多少の信仰はあったようですが、観音信仰や阿弥陀仏の浄土往生という似た信仰が信仰を集めたせいもあって、大きな信仰運動になることはないままです。 ご質問は日蓮宗との関係だと思いますが、日蓮宗の成立した鎌倉時代には既にあまり影響力が無かったはずですし、とりたててその教義にも取りこまれていないと思います。(ミロク渡海といったエキセントリックな信仰や農耕儀礼に変質したものはありますが、やはり例外的です)

その他の回答 (2)

noname#2822
noname#2822
回答No.2

56億7000万年後に弥勒様が現れたときは、弥勒様は悟りを開いているので菩薩ではなく弥勒如来になっていますね。 それまでの間、人々を救うために地蔵菩薩、いわゆるお地蔵さんがいらっしゃいます。 普通、菩薩といえば長髪で装身具を身に着けていますが 地蔵菩薩は頭を剃って僧の格好をしています。 これは地蔵菩薩はもう悟りを開ける素質があるのに、衆生を救うためにあえて如来にならずに急いで衆生の元に駆けつけてきたからだとか。 救われるもう一つの方法として「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて阿弥陀如来の極楽浄土へ生まれ変わることによって救われるという方法もあります。

  • hito1102
  • ベストアンサー率39% (23/58)
回答No.1

 専門家からいわせれば、違っていると言われるかもしれませんが、私の素人理解では、  如来は悟りを開いて仏となった人、菩薩は仏となるべく修行中の人。  弥勒菩薩は、釈迦の弟子であり後継者で(実在した人物らしい)、現在修行中。釈迦の没後56億7000万年後に仏となり、この世に現れ、世界を救うとされている。  阿弥陀如来は、菩薩時代(つまり修行中)に、「全ての人々を浄土に往生させることができるようになるまでは、如来とならない」と誓いをたてた。従って、阿弥陀如来が如来となっている現在、阿弥陀如来は全ての人々を往生させることができる仏。と理解しています。  

imoten
質問者

お礼

丁寧な御回答ありがとうございます。 大変分かりやすくためになりました。そこで質問を付則させていただきたいのですがどなたか御回答のほうをよろしくお願いします。 他の宗派と違い日蓮宗は釈迦がまだ入滅していないとの立場から阿弥陀如来を否定し「常寂光土(今生きているこの世が即浄土)」と説いていると思うのですが、それでは釈迦はいつ入滅すると教えられているのですか?また釈迦が入滅したあと弥勒菩薩が現れるまでの56億7000万年間は救いが全くないのですか?

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