• ベストアンサー

大乗仏教 悟りについて 如来と羅漢 

前から疑問に思っていたんですが、一番最近成仏された方が釈尊で、次は弥勒さんですよね。釈尊や阿弥陀さんとか如来となられた方の「悟り・解脱」とその他大勢の羅漢さん達の「悟り・解脱」は別モンなんですか? 釈尊のお弟子さんたちも「悟り」をえて「解脱」していますし、日本だけでも多くの方が悟って解脱しているとされています。彼らは羅漢であって、いわゆる如来ではないですね?この違いはなんなんでしょうか?羅漢さん達は解脱しているわけだから、未来永劫、「如来」にはなれない? また、俗に言う菩薩さんたちで(観音・勢至など)あえて成仏せずに菩薩位に留まっている方もいますが、もし成仏したら、羅漢ではなくて如来になるんでしょうか? 同じ「悟り」なのに一方は「如来」で一方は「羅漢」なのはどういうことですか? あくまで大乗仏教で、「解脱」「悟り」や「如来」や「羅漢」という存在があるという仮定でお答え下さい。乱文失礼しました

noname#15161
noname#15161

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • les-min
  • ベストアンサー率41% (269/644)
回答No.3

こんばんは。。  自分の個人的な考えなので、きちんと仏教教理を踏まえているかどうかは自信ないのですが・・・  大乗仏教までの「悟った人」が羅漢までなのは、釈尊を神聖化しすぎた結果、とても同じ境地まではたどり着けないと思い込んでしまい(=信じてしまい)、自身で自縛して留まってしまったことが大きいのではないかな、と思います。  大乗仏教で「菩薩」は、修行者の理想像として、また「如来」は仏教の考える理想的人格像として、たくさん想定され、経典に説かれるようになり、信仰を集めるようになりましたが、数々の如来・菩薩は、人々を仏教に引き入れるための「方便」だと思います。  (大乗仏教以降で説かれる菩薩は、悟りを開くと「如来」になるとされていると思いますが・・・)  仏教の信奉の対象は「法」(=真理)であって、如来や菩薩のご利益や救済、そしてその存在自体が「客寄せパンダ」であり、「お手ごろなバラ売り」でしょうね。(←けっして悪い意味で言っているのではありませんが・・・だいいち、仏教の「法」は極めてミもフタも取り付く島もないほど厳然としたものですから・・・「方便」というのは、実に素晴らしい発想だと思います。)  少し脱線してしまいました・・・要するに、弥勒菩薩の救済と、それまで仏が出ないという話しも、額面通りには受け取れないと思うわけです。  悟りは悟りであって、自ら得た境地に満足して自縛し立ち止まるか、魔境に陥るか、妙なカン違いをしていない限り、仏教の悟りは釈尊の悟りであり、「如来」の境地だと思いますけど。  即身成仏は釈尊の悟りと同じだと言えると思います。  大乗仏教の論師たちを「菩薩」と呼ぶこともあります。  ご質問文にも触れておられるように、悟りに至ることが十分にできるのに、他者救済の行を続ける修行者が「菩薩」ですから、そのあり方に、仏法を解き明かそうと努める論師たちをなぞらえているのだと思います。  論師たちや祖師様方を「如来」と言えるかどうかは、信仰している宗派の違いなどで、見解の分かれるところですし、経典に説かれる少々現実離れした理想像としての如来と単純に比べられないですけど、到達した境地は、「如来」と言って差支えないとは思います。(←個人的には。)  また、大乗仏教の経典の作者たちにも、釈尊の同じ境地に至った方がおられると思います。    他のご回答の方に対するコメントに割り込んでしまったかっこうになり、すみませんです。  自分の思ったところは、こういうところです。では。

その他の回答 (2)

  • sirowan777
  • ベストアンサー率14% (270/1906)
回答No.2

あくまで私個人の考えです。 釈迦が悟る前から如来は存在したと思います。 釈迦が悟るとその如来に合流したと思います。 いままで悟った人はすべて如来に合流したのです。 本来の如来はひとつだけで、阿弥陀、薬師などはあくまで如来の一側面を命名したものでしょう。 これは菩薩も同じです。 そういう意味では曼荼羅全体が如来ともいえます。 本来は同じだから相反することがないのです。 たぶん、こういう考えで大日如来の存在が発見されたと思います。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

大乗仏教の立場から言うと羅漢の悟りは自分だけの悟りで他人を救う悟りではありません。 如来の悟りは自分の悟りはともかくとして、衆生を救う願を立てて悟っていますので、他人を救済しようとする悟りです。 菩薩も当然衆生を救うためにあえて悟っていないだけですから、悟れば羅漢ではなく如来になります。

noname#15161
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 羅漢の悟りは小乗的で、いわゆる「仏」ではないのはわかります。 ではなぜあの時代に、釈尊だけが如来となり、他は全員羅漢なんでしょうか? 「羅漢」という言い方が悪かったかもしれませんが、釈尊の弟子たちだけじゃなく大乗の祖師たちも、「悟った」とされていますよね?例えば日本の禅宗の祖師たち龍樹・世親などが小乗だったとは思えないんですが、彼らは「如来」ではないですよね?空海も即身成仏されたとなっていますが、この成仏と釈尊の成仏とは別物なんでしょうか・・ 釈迦如来~弥勒如来までは仏(如来)がいないって事で、如来の悟りとその他の悟りとでは、全く違うのでしょうか? すいません、頭の中かなり混乱しています・・

関連するQ&A

  • 仏教の如来について

    宗教についての質問ですがカテゴリがないのでこちらで質問させて頂きます 仏教において菩薩が修行して解脱し如来になりますが 阿弥陀如来や薬師如来、大日如来などの大乗仏教の如来たちも 元は人間で菩薩を経て如来になったのでしょうか? クグッても人間のときのエピソードなどが出てこないんです

  • 仏教の基本について教えて下さい。

    これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。 ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。 しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。 他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。 如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう? そもそも、如来って「悟りを開いた仏」のことだと聞いたことがありますが、このほかにも大日如来、薬師如来などいろんな如来があるようです。 また修行中の仏が菩薩で、こちらも弥勒菩薩や地蔵菩薩など何人もいるようです。 つまり、シッタータを初め様々な「仏」がいて、修行してある者は如来になり、ある者は未だ菩薩だということでしょうか? そうなると、結局仏教って多神教なのでしょうか? あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?

  • 仏像を堂内で祭るときの方角

    阿弥陀様は東向きに、薬師様は西向きに安置すると聞きました。 釈迦如来像、観音菩薩像、弥勒菩薩像その他の仏像でも方角が決められていますか。 調べてみましたが、阿弥陀如来、薬師如来は基本的に決まっているようですが、その他の仏像では、よく分かりませんでした。 よろしくお願いします。

  • 弥勒菩薩と観音菩薩と薬師如来の違いをご存知?

    弥勒菩薩と観音菩薩と薬師如来の違いって、普通の人は違いを知っているの?あなたに関してはどうですか?

  • 観音菩薩はなぜ立っているのか?釈迦は座っている。

    仏像について質問です。わたくしのいままで見た仏像では座っている仏様と、立っている仏様がはっきり分かれているようです。 座っている仏様 釈迦如来 大日如来 薬師如来 弥勒菩薩 立っている仏様 観音菩薩 地蔵菩薩 阿弥陀如来 不動明王 四天王 四天王が立っているのは、戦の勇ましい姿を見せつけるためだろうと思うのですが、あとの仏様の理由がわかりません。 ご存じの方、ご教授をお願いします。

  • 釈迦の位置付けって?

    学生のころ、「如来とは悟りを開いた人で、菩薩とはもうすぐ如来になる人だ」と習いましたが… 阿弥陀如来、大日如来、薬師如来…等、宗派やお寺によっていろいろなご本尊がいらっしゃいますよね。それぞれの宗派(という呼称が正しいのかわかりませんが)にとって、お釈迦様はどのように位置付けられているのですか?釈尊も「釈迦如来」という呼ばれ方をしますが、対等な立場でそれぞれ違った悟りを開いたということなのでしょうか? 過去の質問は読んだつもりですが同じような質問があったら申し訳ありません。

  • 違いを教えてください。

    阿弥陀如来とはなんですか? 弥勒菩薩とはなんですか? この2つの違いについて教えてください。 お願いします。

  • 観音菩薩の見分け方

    どこかのサイトで観音様の見分け方は頭に阿弥陀如来の化仏の有無だと解説してたのですが 画像検索サイトで観音菩薩を検索しても聖観音のような1面2臂の仏像では化仏が有る物はほとんどありません。 観音菩薩でも十一面観音や千手観音はそれが阿弥陀如来なのかは私には解らないのですが化仏が付いたものが多々あります 観音様の見分け方は頭に阿弥陀如来の化仏の有無というのは間違ってるということでしょうか? よろしくお願いします

  • 大乗・小乗仏教について確認させてください

    小乗仏教⇒ 無神論 ・ 釈迦の直接の教え(間違いない) 大乗仏教⇒ 有神論的 ・ 釈迦の教えを何百年かけて弟子達がまとめた/理論付けた。 だから釈迦の教えではないかもしれない(というか実際矛盾がある) しかし釈迦は大乗についてノーコメントなので絶対違うとも正しいとも分からない。 ↑合っていますか? 大乗仏教の図式は、大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる。その他に仏様を助ける菩薩様が大勢。すべて信仰対象。 ↑これも合っていますか? 大乗非仏説というのがありますが、釈迦が説いたものではないという証拠がもし見つかった場合、例えば奈良の大仏(ビルシャナ仏)は仏教と無関係の単なる作り物になってしまうのでしょうか? 仏教はもともと生きるための知恵だったようですが、僧侶が権力を持つための道具になってしまい、 人々の自己満足と宗教団体の共存という図式ができあがり、今でもその風習が残っている、 そのようにも思えましたがどうなのでしょうか。お寺の存在自体も分からなくなってしまいました。

  • 大日如来とは?

    真言宗は天台宗のように非常に檀信徒や民衆に対して宥和的で慈悲や理解があると宗教だと思うのです。素晴らしいと思います。 さて大日様はワイルドカードのような総括的存在なのでしょうか? しかし私の檀那寺は真言宗豊山派ですが御本尊は不動三尊です(納骨・位牌の間はお地蔵さん)。 護摩を焚いたりする時にお不動さんの力を借りるのでそうなっているのでしょうが全国の真言宗の寺院で大日様を御本尊としている所は少ないようです。仏壇の御本尊は多くが大日さんなのに何故でしょうか?王冠や少し豪華な衣装を身にまとっている以外はこれといって特徴のない仏様なので人気がないのでしょうか? もっともそれはそれであまり仏教に詳しくない人に都合がいいという側面もあるみたいです。 例えば私の祖母は我が家の大日さんに向かって「南無阿弥陀仏」と唱えています。 ワイルドカード的存在だからOKかなと思っていましたが今「もしや全て三世諸仏に通じているのでは?」と思いました。 大日様はこの宇宙そのもの(森羅万象)、即ち全ての物質や現象だそうですがもしそうなら大日様は全ての時空に同時に存在し得る存在といことになるので私自身でもあり三世諸仏、一切経、一切僧でもあるという事にもなりますよね?釈尊や阿弥陀さんも大日さんの一部なのでしょうか?そして大日様は実在の仏様ということですか? 弥勒さんは遠い未来に如来となって救いに現れるらしいですが既に大日さんを通して弥勒さんは今自分とともに如来としてもいらっしゃるしお釈迦様や阿弥陀様、観音様、過去の阿閦如来さんもそれは同様だと思ったのです。 だとすればすごい仏様ですね。 これは正しい解釈ですか? それとも「通じている」のではなくて単に時空を超えた森羅万象を形成しているに過ぎない存在なのでしょうか?